鹿児島県

万世特攻平和祈念館

太平洋戦争末期に造られた陸軍最後の特攻基地「万世陸軍飛行場」。「万世特攻平和祈念館」は、この基地から飛び立っていった特攻隊員・飛行兵201名の鎮魂と恒久の平和を祈念して建てられました。2021年4月にはリニューアルされ、会議室や図書コーナー、検索システム等でさらに深く学べる場所になりました。

2021年4月にリニューアルされた「万世特攻平和祈念館」に行ってきた

「万世特攻平和祈念館」は、この基地から飛び立っていった特攻隊員・飛行兵201名の鎮魂と恒久の平和を祈念して建てられました。死を間近に控えた彼らが残した遺品や遺影・手紙、彼らが乗った九九式襲撃機の模型や吹上浜から引き上げられた「海軍零式三座水上偵察機」、映像資料などが展示されています。


戦争の記録を残す施設は、沖縄の平和記念公園や広島の原爆ドーム等誰もが知っているような場所もありますが、鹿児島県にもいくつか存在します。

特に、鹿児島の特攻基地といえば知覧の名前が全国的に知られていますが、その他にも特攻基地は存在していました。知覧飛行場から西北西へ約15キロの位置には陸軍最後の特攻基地「万世陸軍飛行場」がありました。

「万世特攻平和祈念館」は、この基地から飛び立っていった特攻隊員・飛行兵201名の鎮魂と恒久の平和を祈念して建てられました。死を間近に控えた彼らが残した遺品や遺影・手紙、彼らが乗った九九式襲撃機の模型や吹上浜から引き上げられた「海軍零式三座水上偵察機」、映像資料などが展示されています。

万世特攻平和祈念館へのアクセス

万世特攻平和祈念館は鹿児島県南さつま市加世田にあります。鹿児島空港からは車で約1時間20分(高速利用した場合)、鹿児島中央駅からは車で約50分かかります。

公共交通機関を利用していく場合、鹿児島市街地からバスを乗り換えて最寄りの「海浜温泉前」まで行く必要があります。

「天文館」や「鹿児島中央駅」から「加世田」行きのバスが一日15便程度出ているので、これに乗って約60-90分で終点の「加世田」にたどり着きます。「加世田」バス停からは「唐仁原」「薩南病院前」方面行きのバスに乗り換えて、約10分の「海浜温泉前」で降ります。

“幻の基地”といわれた万世特攻基地 苗村七郎氏の尽力で情報が明らかに

▲万世特攻平和祈念館1階入り口付近から
▲万世特攻平和祈念館1階入り口付近から

それにしても、どうして万世陸軍飛行場は“幻の基地”と言われていたのでしょうか?

それは、太平洋戦争末期の約4カ月という短い期間しか使われなかったこと、また飛行場が秘密裏に造られ暗号で呼ばれていたこと、知覧飛行場と混同されたことなどの理由が重なっています。

戦後の混乱の中、万世飛行場の存在は風化し人々の記憶から忘れられようとしていました。

▲現在の万世に、当時の施設の位置を重ねた航空写真
▲現在の万世に、当時の施設の位置を重ねた航空写真

そんな状況の中、終戦から15年の1960(昭和35)年、戦時中に万世飛行場に駐屯していた特攻隊の生き残りである苗村七郎氏が飛行場跡地を訪れます。

亡き戦友のことが忘れられず「たった一人でも戦友の冥福を祈念する碑を建てたい」と強く決意。以来私財を投じて、またある時は住民票を加世田市(現南さつま市)へ移して尽力します。その姿に多くの賛同者が現れ、慰霊碑建立、万世特攻平和祈念館設立の流れが生まれました。

▲1972(昭和47)年に建立された慰霊碑。万世の地名にちなみ、さらに「よろずよに語り継がん」の意志を込めて「よろずよに」と刻まれています
▲1972(昭和47)年に建立された慰霊碑。万世の地名にちなみ、さらに「よろずよに語り継がん」の意志を込めて「よろずよに」と刻まれています

▲慰霊碑に掘られた特攻隊員。全国各地から南の鹿児島に来た彼らは、故郷のある南東の方角を向いています
▲慰霊碑に掘られた特攻隊員。全国各地から南の鹿児島に来た彼らは、故郷のある南東の方角を向いています

苗村氏が驚いたのは、復員局や旧陸軍省、自衛隊に万世の記録は全く残っておらず、当時の旧軍人も市民も遺族も特攻基地は知覧のみだと思っていたことです。苗村氏が全国各地の遺族を訪ね歩いて熱心な調査をしていく中で、万世飛行場の詳細やここから飛び立った特攻隊員の名前が明らかになっていきました。

また、戦後は特攻隊を批判する声や、特攻隊の親族に「なぜ止めなかったのか」と責めるような声・風潮もあり、苗村氏は強く遺憾に思っていたようです。「特攻隊を哀れ、悲しみ、賛美することは無いが、冒涜すること、作り話は許されない」の信念の元、「万世特攻平和祈念館」は造られました。

▲館内に置かれた書籍や印刷物から、苗村七郎氏の取り組みや思いを知ることができます
▲館内に置かれた書籍や印刷物から、苗村七郎氏の取り組みや思いを知ることができます

「展示された昨今の実物が語る」と、館内説明は少なめで、特攻隊員の遺品や手紙などがひっそりと展示されています。一つひとつじっくり見ていくと、何よりも雄弁に戦争や命のあり方について証言してくれます。

万世飛行場から飛び立った201名の特攻隊員・飛行兵たち

万世飛行場からは、121名の特攻隊員や78名の飛行兵が南海へ向かって飛び立っていきました。その他の戦没者を合わせると、万世飛行場からの戦没者は201名になります。特攻隊員たちは、最後の時間を地元住民の家や旅館、公民館などで過ごし、その時の証言も残されています。

▲彼らの出撃地は長らく知覧だと誤解されていたが、後に万世だと明らかになった
▲彼らの出撃地は長らく知覧だと誤解されていたが、後に万世だと明らかになった

特によく知られているのが「仔犬を抱いた少年飛行兵」の写真です。写真の5名はわずか17~18歳の少年飛行兵たち。写真撮影の翌日、彼は万世飛行場から出撃して帰らぬ人となりました。彼らの朗らかな表情は、一度見ると心に残って離れません。写真の中で仔犬を抱いている荒木幸雄少尉は、群馬県の実家でもチロという名の犬をとてもかわいがっていたそうです。享年17歳でした。

▲2階展示室。※撮影禁止エリアです。取材のため許可を頂いて撮影しています。
▲2階展示室。※撮影禁止エリアです。取材のため許可を頂いて撮影しています。

2階展示室には万世飛行場で最初に戦死した通信兵杉浦正俶軍曹(享年18歳)から、最後の出撃者・橋本正吾中尉(享年24歳)までの遺影・遺書・手紙・遺墨が時計回りに並んでいます。201名のうちの3名の遺影がなく、祈念館では引き続き探しています。

粗末な紙にしたためられた手紙もあり、物資不足の切迫した世相を反映しています。驚くほどきれいな字で書かれた手紙や、最後まで家族を気遣う手紙が多く残っており、彼ら自身の肉筆は、何よりもはっきりと、私たちと何ら変わりのない等身大の人間が生きた証として訴えかけてきます。

「海軍零式三座水上偵察機」や「九九式襲撃機」模型の展示

▲九九式襲撃機
▲九九式襲撃機

万世飛行場からの特攻の主力となった、九九式襲撃機の模型も展示されています。

太平洋戦争末期には九九式襲撃機はすでに旧式になっていました。しかし、万世飛行場は砂丘を突貫の埋め立て工事で造ったため足場が悪く、飛び立つには安定した車輪が必要だったため、固定脚の九九式襲撃機が特攻に使われていたようです。

▲日本でただ一機の「海軍零式三座水上偵察機」の展示も
▲日本でただ一機の「海軍零式三座水上偵察機」の展示も

「海軍零式三座水上偵察機」は1992年、吹上浜沖約600メートル・水深5メートルの海底に沈んでいたのを引き上げられました。終戦から47年が経過していましたが、プロペラと操縦席の一部以外は砂に埋まった状態だったため、比較的腐食や破損が少なかったそうです。

2021年4月のリニューアルについて

万世特攻平和祈念館は、2021年4月にリニューアルオープンしています。施設を増設して会議室、図書コーナーなどが新たに設けられました。最後に、新たに造られた部分をご紹介します。

▲最大90名まで収容できる会議室
▲最大90名まで収容できる会議室

会議室では事前予約をしておけば、写真を見せながら慰霊碑や特攻隊員のことについてスタッフが説明をしてくれます。一人からでも説明をしてくれるそうなので、興味のある方は問い合わせください。

▲図書コーナー

図書コーナーには戦争や万世特攻基地関連の蔵書が置いてあり、自由に読むことができます。

「隊員・所蔵品情報検索システム」のあるパソコンが置かれ、特攻隊員たちの名前で調べると詳細情報やエピソード、収蔵品の情報を調べられます。また、慰霊祭の様子や苗村七郎氏のスピーチなどの映像資料を自由に閲覧できます。

万世飛行場の当時の様子を写真や動画で紹介し、遺族の証言を織り込んだ約10分の映像を閲覧できる「映像資料室」もあります。

特攻隊は爆弾を積んだ飛行機で敵機に体当たりをするという、人類史上ほとんど類を見ない作戦に従事しました。そのため戦後さまざまに語られ、批評され、時には批判され、時には神聖視されてきました。けれども、ここにある手紙や遺品が語り掛けてくるものは、彼らの一人ひとりの人生であり、私たちと大きくは違わない感情でした。

祈念館には「生き残った者が自分の体験を糊塗するな、生者は軽々しく死者を語るな」の苗村七郎氏の信念が貫かれています。まずは歴史を知り、彼らの肉筆に触れることが、戦争や平和の大切さを理解する第一歩となるのかもしれません。

 

万世特攻平和祈念館の施設情報

住所:鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3

TEL        0993-52-3979
営業時間                 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休日        12月31日、1月1日

入館料
大人(高校生以上)310円
小人(小・中学生)210円
団体(20名以上)大人260円、小人150円
※障害者手帳提示による割引あり(本人と介助の方 2名半額)

 

参考文献

『加世田郷土史』
『よろづよに―最後の陸軍特攻基地』苗村七郎
『「同期の桜」は唄わせない』清武英利

 

取材・執筆:ちえ