「墨田区」「錦糸町」

この2つの地名を聞くだけで、ピンとくる方もいるのではないでしょうか?

そうです、サウナです!

墨田区、特に錦糸町エリアは全国屈指のサウナ激戦区の1つであり、レベルの高い施設が勢揃いしています。

そんな錦糸町のサウナ、昔はどうだったの? これから先はどうなるの?

そんな疑問を解決すべく、本日は「すみだ地域学スペシャル!あなたの知らないHOT&COOLすみだ~サウナ・スパ・銭湯~」すみだ生涯学習センター主催講座を受講しに、すみだ学習センターへやってきました!

司会進行はサウナ大好き芸人のマグ万平さん!

「講師のみなさん、顔が硬直してますよ!大丈夫ですか!」とマグ万平さんの軽快なトークで幕を開けました。

講師は、「天然温泉 楽天地スパ」の副支配人、北田哲也さん。

北田さんは生まれも育ちも隣の江東区で、遊ぶ場所といえば錦糸町だったそう。いわば錦糸町のプロフェッショナルです。

続いて、「両国湯屋江戸遊」の代表取締役、平井要子さん。

平井さんとサウナとの出会いは、約50年前に自由が丘にオープンした女性用サウナ「自由が丘サウナ」に友人に誘われて訪れたことがきっかけ。初めて行ったときに水風呂の爽快感に目覚め、それ以来はまってしまったんだそう。

そして、「大黒湯」「黄金湯」「さくら湯」のオーナー、新保卓也さん、新保朋子さんご夫妻です。

新保卓也さんは大黒湯の三代目。サラリーマン、リサイクルショップ経営者を経て銭湯の経営を継がれました。

サウナ好きの方ならわかっていただけると思うんですけど、本日はメンバーがとても豪華です! このメンバーにこうやってお話を聞ける機会もなかなかないと思うので、今日は僕もイチお客さんとして参加させていただければと思います!

写真で振り返る錦糸町と銭湯の歴史

それでは、まずは「天然温泉 楽天地スパ」の北田さんと一緒に、墨田区エリアのサウナブームの源流とも言える「東京楽天地」の歴史を、写真とともに振り返っていきたいと思います。本日はかなり貴重なお写真も見せていただけるということで!

歴史のある会社なので、社史にいろんな写真が残っているんです。

「東京楽天地」の前身は、宝塚劇場や東宝劇場を設立した小林一三が、下町に大娯楽施設をつくろうと1937年にできた「江東楽天地」です。こちらの写真はその小林一三が建てた東京宝塚劇場で、1948年頃の写真ですね。

錦糸町で宝塚の公演をやっていたんですね!

そして1953年、錦糸町に3階建ての「楽天地会館」を建設し、子供遊園地などが開業しました。

錦糸町にケーブルカーがあったんですか!

美空ひばりさんもいらっしゃったようですよ。

そして1953年、江東区亀戸でボーリング中に、天然ガスと28度近くの温泉が湧出し、1956年「楽天地天然温泉会館」が開業しました。

テレビCMも上映されたんですよ。

これは見てみたいですね~!

こんなポスターも残っています!

料金すごいな……

わたし
(大人50円!!!!!)

そして1960年には噴水キャバレー「グランド・フォンテン」が開場しました。

楽天地の1階でキャバレーをしてたんですね!

1961年には社名が現在の「東京楽天地」へと変わりました。

この頃は路面電車が走っていたんですね。

そして1964年から純フィンランド風サウナについての研究を始め、1966年に3階に純フィンランド風サウナを設置し、1967年には5階に純フィンランド風サウナ「楽天地ヘルスドッグ」を開業しました。4年にわたるサウナ経営の実績が認められ、その後は赤坂東急ホテルや銀座第一ホテル、新宿東方会館などにサウナチェーンを積極的に展開してきました。

その後、1983年のビルの改装から「楽天地サウナ」として開業し、男性専用の「グランドサウナ」、女性専用の「レディスサウナ」ができました。

2010年のリニューアルによりレディスサウナは廃止され、現在の男性専用「天然温泉 楽天地スパ」になりました。娯楽の殿堂、錦糸町楽天地、これからも皆さんと共に歩んでいきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

貴重なお話とお写真ありがとうございました!

それでは次は、「楽天地スパ」とは別の視点から、銭湯を取り巻く状況の移り変わりを、新保さんからお話しいただきたいと思います!

東京都内の銭湯は、1937年には約2900軒ありました。これがどのくらいの感覚かというと、現在のコンビニ3〜4軒に1軒は銭湯のイメージです。当時は家にお風呂がない時代だったため、銭湯は生活にとても密接したものでした。

そして現在、都内にある銭湯は480軒を切っています。なぜこんなに減っているのかというと、

・後継者がいない

・お客さんが減り、維持経営が困難になった

・相続の問題で土地を売却せざるを得ない状況になった

などが大きな理由としてあります。

現在私が経営している「大黒湯」は1950年に祖父、新保末松が創業しました。当時は1日平均1,000人のお客さんが訪れていたため芋洗い状態で、譲り合ってお風呂に入っていたそうです。

毎日お客さんが多くいらっしゃるため、銭湯は街の広告の場としても機能していました。また、「大黒湯」の家族は、お手伝いさん45人と8畳の部屋で共同生活をしていたそうです。

1970年からは二代目である父、新保康夫が「大黒湯」を継ぎました。この頃には自宅にお風呂を持つ人が増え、都内の銭湯は1800軒ほどに減り、1日の来客数も平均180人ほどとなりました。

サウナやスーパー銭湯などが増え、銭湯離れが拡大していった時代でした。子供が多い時代だったため、子供に来てもらえるようにと、壁にキャラクターの絵を描いたりしていたそうです。

著作権を無視しちゃってますが(笑)。

そして2012年から、私が三代目として「大黒湯」を継ぎましたが、始めのうちは「お客さんが少なすぎて続けるのは難しいのではないか」と悩みました。98%の家庭にお風呂がある状況で、1日の来客数も平均150人。いつまで続くかわからないという状況でした。

今でもガスの燃料代が上がったりと、どこの銭湯も厳しい状況に追い込まれています。そんな中で、私たちを救ったのは「サウナブーム」でした。

現在の来客数はおかげさまで5倍くらいに増えています。本当にお客様に支えられて今がありますね。

私たちには「次の時代に銭湯を残したい」という思いがあります。そのためには売り上げを伸ばす必要があるし、たくさんの人にお店を知ってもらう必要があるので、いろいろな取り組みをしていました。

そんな中、オーナーさんから事業を辞めたいと相談を受け、2019年に引き継いだのが「黄金湯」です。

「黄金湯」はクラウドファンディングをされていましたよね。利用しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

2020年の2月に改装がはじまったのですが、そのときはまだコロナ禍に入る前で。改装を進めていく中で状況がどんどん変わっていき、コロナの影響で工事費用が上がってしまったんです。そこで、少しでも費用を補えればということで急遽クラウドファンディングを始めたのですが、開始4日目で目標額を達成しました。

目標額っていくらだったんでしょうか?

300万円だったのですが、最終的に約650万円、約1,000人の方に支援いただきました。

クラウドファンディングをすることで他にもメリットはありましたか?

みなさんにSNSで広めていただいたおかげで、改装前に「黄金湯」を知っていただくきっかけになりました。オープン時もたくさんのお客さんに並んでいただきましたね。

サウナブームの影響

みなさんは、サウナブームの実感ってどういうところで感じられていますか?

若いお客さんが増えましたね。

また、昨年サントリーさんと一緒に「デカラ」という「デカビタ」と「グリーンダカラ」をミックスしたサウナドリンクを作ったのですが、現在は一時的には完売しています! 今後は全国の小売店での展開も検討しているところです。

サウナドリンク「デカラ」は北田さん発端の商品だったんですね! 平井さんはどうでしょうか?

2019年にオープンした「両国湯屋江戸遊」内のワーキングスペース「湯work」にたくさんのお客さんが来てくださったことですね。みなさんサウナで息抜きをしつつ仕事をされているんですよ。びっくりしました。

「湯work」があるところって、もともと浴槽やサウナ室があったところですよね。

そうです。新館に新しいお風呂を作ったので、旧館が余ってしまって。もともと浴槽やサウナ室があった場所を全てワーキングスペースにしたんです。

浴槽に服を着て入って仕事をするというのも面白いですね。新保さんはいかがでしょう?

サウナや水風呂に入る方のマナーがものすごくいいんですよ。水風呂に入る前にかけ湯をしたり、水風呂に潜る人がいなかったり。

昔はサウナ室で新聞を読んでいる人がいたりしましたけど、そういうのは減りましたよね。サウナの作法について勉強をして来る若い方も多い印象です。

世界に誇れる入浴文化

続いて、世界に誇れる施設のポイントをみなさんにご紹介いただきたいと思います!

「両国湯屋江戸遊」は、「日本空間デザイン賞2020」で銅賞を受賞し、さらに世界的な商業建築賞である「ベルサイユ賞」を受賞しました。2019年の増築に際し、ファサードやフロントの江戸切子、浴室の北斎のタイル画など、地元の職人さんたちととてもこだわってつくったので、本当に幸せなことです。

「黄金湯」は、有名旅行紙「コンデナスト・トラベラー」で「東京でやるべき26選」に選出されたとのことで……。

選出されたことはTwitterで知りました(笑)。

私はニュース番組の方から「選出されたので取材させてください」と取材依頼を受けて知りました(笑)。海外の方から「写真を撮らせてください」とか、英語でメッセージを頂いたりすることが増えましたね。

そのほかは、新宿のゴールデン街だったり下北沢だったり、いわゆる「街」が選出されていますが、「黄金湯」はピンポイントで選出されていてすごいですね!

そして「楽天地スパ」! 1956年にあの西部劇のスター、ジョン・ウェインが「楽天地」のスチームバスを訪れたということです。

サインとかも残ってないと思いますが、これはすごいですよね。

次世代へ残していきたいもの

古くからの常連さんと、若いお客さんとでうまく化学反応を起こして、ただのブームではなく文化としてサウナが残っていけばと思っています。

それと、「楽天地スパ」では「背中流し」というサービスを昔からやっているのですが、これからもずっと残していきたいですね。

「背中流し」をやっている施設ってほかにもあるんでしょうか?

ないですね。日本でうちだけではないでしょうか。

「楽天地スパ」といえば「背中流し」なので、これからも続いていってほしいなというのは僕も一利用者として思いますね。

「入浴」という文化は日本固有の文化で、赤ん坊でさえ「沐浴」として毎日入浴させますよね。基本的には他国に湯船に浸かる文化はないんです。形がどう変わろうとも入浴文化を残していくこと、それが私の使命だと思っています。

銭湯文化を次の世代に残したいですね。ただ同じことをやっているだけでは廃業してしまうような時代です。古き良き銭湯の文化は残しつつ、しかし時代に合わせて変化させていくことで、次の世代にバトンタッチしていきたいと思っています。

おわりに

仏教には「入浴は七病を除き、七福が得られる」という教えがあり、かつて銭湯は「銭湯ができると街ができた」と言われるほど、街にはなくてはならない存在でした。しかし、サウナブームの追い風があるとはいえ、家のお風呂が普及した現在、銭湯は減少の一途をたどっています。

本日お話をうかがった人気の各施設には、銭湯文化を大切に残しながら、さまざまなアップデートが施されていました。銭湯は、昔も今も体を綺麗にするだけではなく、人と人、人と街との繋がりを生み出す憩いの場でもあります。

みなさんもぜひ、古き良き文化を感じに、施設に立ち寄ってみてください!

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