四国の全駅制覇とお遍路を同時にやったら大変なことになった【徳島・高知編】[PR]
「四国全駅制覇をしつつ、お遍路を同時に達成する」という謎の旅にでかけます。今回の旅でも、旅の記録にアプリ「駅メモ」を使用。取材スケジュールも1度では取れず、記事も長いため、まずは徳島・高知のみを配信させていただきます。(読了時間目安 : 40分)
※本記事は『駅メモ! – ステーションメモリーズ!-』の提供でお送りいたします。
まだ夜の闇が濃厚に漂う早朝4:58の徳島駅からおはようございます。
これだけ暗いと朝というより夜の気配ですが爽やかに朝の挨拶をさせていただきました。
四国は比較的温暖なイメージがあったのですがさすがに暦も11月になり、おまけにこの早朝ですとなかなか肌寒いものがあるものです。冬はもうすぐそこまで来ている、そう実感せざるを得ません。さて、今回はなぜこんな早朝に、それも徳島という場所にいるのか、これから始まる旅のためにもそこから説明しなければなりません。少し長くなってしまいますが数日前に遡ってお話させてください。物語はSPOT編集部からメールが来たところから始まります。
編集部
「patoさん、patoさん、つかぬことお伺いしますが、四国って好きですか?」
こういう問いかけが編集部からなされる時は大抵ろくなことがありません。できれば既読無視といきたいところですが、そういうわけにはいかないので返答します。
僕
「四国ですか? 好きですよ」
正直かつ率直に言うと、別に好きでも嫌いでもありません。四国は四国です。それ以上でもそれ以下でもありません。そもそも日本の一地方を好き嫌いで考える発想があまりない。ただ、そういうことをだらだら主張しても完全に空気読めない人なので、無難に好きと返答しておきました。
編集部
「そうですか、好きですか。四国のどういったところが好きですか?」
おいおい今日はやけに絡んでくるな、何を企んでるんだ、と嫌な予感を感じつつ、それでも無難に答えていきます。
僕
「そうですね、愛媛の道後温泉とか最高ですし、高知のカツオのたたきとか美味いですね。あとは香川のうどんも好きです」
徳島の良いところが全く思い浮かばなかったけれども、それでも無難に答えたつもりでした。
編集部
「そうなんですね、そんなに四国が好きなんですね。へえー、そうなんですねー」
僕
「それでどうしました?」
編集部
「いや、そんな好きな四国をなんでとばしちゃったのかなーって思って」
一瞬、何のことやら理解できなかったんですが、どうやらこういうことが言いたかったらしいのです。
<前回の記事>青春18きっぷで日本縦断。丸5日間、14,150円で最南端の鹿児島から稚内まで行ってみた
https://travel.spot-app.jp/seisyun18kippu_ekimemo/
前回、駅メモさんの提供で青春18きっぷを使い、5日間で日本最南端の西大山駅から最北端の稚内駅まで移動するといった狂気の沙汰みたいな記事を書かせていただいたのですが、そこで四国を通らなかったことが編集部的にはちょっとひっかかってるみたいなのです。
僕
「いやルート的に無理ですよ。絶対に通れません」
何をどうやっても四国を経由するルートはありえません。まず鉄道を使用するといった縛りがありますので、四国入りする鉄道ルートが瀬戸大橋しか存在しないわけですから四国って鉄道的には完全に袋小路なのです。ですから仕方がなかったのです。決して四国を避けたというわけではないのです。
編集部
「いやねえ、通らないならまだしもルートの候補にも入れず、記事の中で一切四国に触れないのはまずいですよ。あれだけ長い記事なのに検索かけたら一言も「四国」って言ってませんでしたよ。完全無視じゃないですか。お、日本縦断、四国通るかな? って思ってワクワクしながら記事を開いてみたら完全無視、これじゃあ四国の人が残念な気持ちになっちゃいますよね」
僕
「すいません」
編集部
「私どもはいいんですけど、四国の人の気持ちを考えたらねぇ~」
僕
「すいません」
僕が悪いのかな。本当に四国を通らなかった僕が悪いのかな。腑に落ちない悶々とした想いがあるのですが、たぶん僕が悪いのでしょう。四国の人たち申し訳ありませんでした。謹んでお詫び申し上げます。
編集部
「ということで、四国に行ってきてください。そこで四国の全駅を制覇してきてください」
僕
「はい」
オファーの仕方がチンピラのいちゃもんみたいになってきていますが、こういった経緯があり、今回はたっぷりと四国をお届けするということで今回も駅メモ!さんの提供で「四国の全駅制覇」という目標で旅をしてみたいと思います。編集部より示された今回の旅のレギュレーション(規則)は以下のようになります。
四国全駅制覇の旅のレギュレーション
1.駅メモを使用し、四国にある全ての駅にアクセスすること
2.交通機関は何を使用しても構わない。特急列車も可。
3.スケジュールの都合上、5日間で達成すること
いやー、このレギュレーションが提示された瞬間思いましたね、「しめしめ今回は楽そうだ」と。はっきり言ってこれはヌルいですよ。とりあえずどうヌルいか説明させてもらう前に、今回の旅でも大活躍するであろう駅メモ!について説明させてください。
駅メモ!-ステーションメモリーズ
https://ekimemo.com/
「おでかけをもっとたのしく。」をコンセプトにした位置ゲーム。スマホなどのGPS機能を利用し、その場所近くにある駅を集めることを目的にしている。対象は全国9000以上の駅であり、駅の争奪ゲームとしても楽しめるが、旅行などの移動の記録としても楽しめる。
さて、この駅メモ!の肝はなんといっても「チェックイン」機能にあります。画面に表示されるチェックインボタンを押すと、その時点で最も近くにある駅にチェックインすることができる。これが俗に言う「駅をとった」という状態だ。今いる「徳島駅」でチェックインボタンを押すと、もちろん徳島駅が最寄りとなるので、
こうやって徳島駅をとることができる。要はこれを四国内の全ての駅でやればいいだけなのだ。
画面右にいる女の子は「でんこ」と呼ばれる存在で、一緒に旅をする大切なパートナーだ。でんこが駅にチェックインした際にその駅を守っている別プレイヤーが所持するでんこと戦ったりして駅の取り合いをする。他にも便利なスキルを持ったでんこがいたりして旅をする上でかなり重要な存在だ。
今回、せっかく四国の四県を巡るのだからどうせなら県ごとにでんこを変えて旅をしようと考え、僕が所持するでんこの中で最も「徳島っぽい」と思えるでんこをチョイスした。
セリア
「面倒見が良く癒し系なみんなのお姉さん的存在。超絶家電オンチ。少しいじくるだけで爆発物に変えてしまう」
何でも爆弾に変えるキラークイーン※みたいな能力を持ってますが、たぶんこれは旅には関係ない能力なのでしょう。なんでセリアに徳島感を感じたのか全くの謎ですが、徳島パートは全て彼女で行きます。良く見ると癒し系の笑顔が心地良い。
※キラークイーン……「JoJoの奇妙な冒険」に出て来る敵キャラ。触れたものを爆弾にしてしまう。
さて、四国全駅制覇、いったいどれほどのものなのか駅メモのデーターを見てみましょう。各県ごとの制覇状況を見られるページがありますので、そこを参照します。
なるほど、日本縦断したというのに四国四県が綺麗に「0」になっています。これは完全にシカト状態ですわ。ちなみに徳島県が80駅、香川県が100駅、愛媛県が146駅、高知県が168駅、これだけ駅が存在し、合計で496駅を取ればいいわけです。というわけでセリアと共に四国496駅制覇の旅、行ってみましょう!スタートです!
1日目 5:00 徳島駅
ドワン!
意気揚々とスタートしたものの、朝早すぎて駅の入口が開いてなかった。自動ドアかと思ったら強固に鍵が閉ざされていてドアに激突した。いきなり躓いた格好だ。結構勢いよくいったもんだからドアにぶち当たる音が早朝の徳島の街に鳴り響いた。幸先悪い。
呆然と立ち尽くしてしばらく待っていると鍵を開けてもらえたので意気揚々と改札に向かう。なるほど、徳島は自動改札じゃないのか。ここで駅員さんに切符を手渡すシステムのようだ。なんだか故郷を思い出して懐かしい気持ちになった。
ここで少しだけ戦略的なお話をさせていただきたい。
始発に乗ってどこの路線を攻めるかということだ。まずは徳島県内の全ての駅をまとめた図をご覧いただきたい。
ここ徳島駅は言うまでもなく徳島県の鉄道網の中心となる駅であり、ここから各方面へと列車が走っている。その行き先は大きく分けて3つあり、北に行くか南に行くか、そして西に行くかである。北に行く路線はそのまま海沿いを走り香川県へと向かう。西に行く路線は四国の中心部へと向かい、そこから南下して高知へと続く。南に行く路線は徳島県内を海沿いに走っていく。
これらの路線をどうやって攻めていくかが重要となるが、どういう取り方をしたとしても右上の「鳴門線」ここが鬼門になるのではないかと考えた。こういった短めの盲腸線は早目にクリアしておくに限る。よし、手始めに鳴門線を取りに行こう。
ちなみにこの鳴門線、使命を終えたとして廃止やバス転換を促す「赤字83線」に指定されながらもJRの路線として存続している。それでも赤字は解消されず、いつなくなってもおかしくない路線の一つだ。そういった意味では乗れるうちにしっかり乗っておきたい。
徳島駅から4駅北に進んだ鳴門線への分岐となる「池谷駅」までの乗車券と特急券を購入した。北の方に向かう始発列車は特急のようなので嫌々ながら特急券を購入した。特急なんて久しく乗ってないから緊張ものだ。
5:43 特急うずしお2号 高松行き
まだまだ全然早朝だし、別料金が必要な特急列車ということなので通学利用者もいない。車内には数人の人がいるくらいだった。ただ、こんなにガラガラなのになぜか僕の横に座ってくるおっさんがいて、そのおっさんがサンドウィッチ食べながらずっと独り言を言ってるので怖かった。
「もしもし、おれはそこで言ってやったわけよ」
「もしもし、そいつは通らねえって」
「もしもし、こっちも口うるさいこと言うけど我慢しろや」
なぜか独り言にずっと「もしもし」がついてるんですね。なんでなんだろうそういうポリシーなのかなってずっと考えてたんですけど、結構不気味で怖いじゃないですか。で、そこにピロロロロロとかいっておっさんのガラケーが鳴りだしたんです。 これもうむちゃくちゃ期待するじゃないですか。むちゃくちゃエキサイトするじゃないですか。
いいですか、独り言にずっと「もしもし」をつけてるおっさんですよ。じゃあ電話に出る時は何て言うんだって話ですよ。これは僕の予想なんですけど、たぶん普段の「もしもし」との差別化でかなり力強い「もしもし」を言うんじゃないか、そう思うんです。大地が割れ、小動物が森から逃げ出すような「もしもし」を言うんじゃないか、そう期待したのです。
もう期待で心臓が破裂する思いがしながらおっさんの動きを見守りましたよ。いけ、今までの人生で聞いたこともないような「もしもし」聞かせてよ。いけ! そしてついにおっさんがパカッとガラケーを開き、通話ボタンを押しました。
「あ、おれおれ、おう、久しぶり」
もしもし言わないんかい。
こんな訳の分からないエピソードを経てあっという間に池谷駅へと到着したのでした。
5:54 池谷駅
チェックインした駅 徳島、佐古、吉成、勝瑞、池谷
ここ池谷駅は変わった作りの駅になっていて鳴門方面用のホームと高徳線のホームが別個に存在し、その間に駅舎があるトライアングルみたいな構造になっている。これらは陸橋で繋がれていて昇り降りが結構つらい。
画像の左が高徳線ホームで右が鳴門線ホーム、中央が駅舎。川の中州みたいになっている。
とりあえず無人の駅舎に向かい、椅子に座って落ち着きながら考える。
「全駅制覇ってやっぱりヌルくないか?」
いやいや、もちろん全部の駅にチェックインなんて大変な手間ですし、達成感を得られるものであると思います。ただ、もう既に5駅チェックインして分かったのですが、これはこれまでの旅に比べると完全にヌルい。もう僕はこんなもんでヒーヒー言うステージにはいない。こんなもん本気出したら2日で終わる。5日もいらない。
つまり、編集部が僕をヒーヒー言わせようとして「四国全駅制覇」とか言ってるとしたらあまりにも現場のことを知らないし、同時に僕も舐められたもんだなあ、としか思えないのです。なんですか、彼らの中での僕は「四国全駅制覇」でヒーヒー言う程度なんですか。ずいぶんと舐められたもんですよ。
仕方がない、こうなったらこっちで勝手に難易度を上げてやろう。全駅制覇は確実にこなす必要があるので、何か別の要素を取り入れて同時に行う。何が良いか、一体何が良いか。悶々と考えていると駅舎内に掲示されていた周辺の観光案内が目に飛び込んできました。
色々と見所があるみたいなんですけど、その中の一つに目が留まりました。
「一番札所 霊山寺」が近くにある。これだ! そう思いましたね。この一番札所、なにが一番かというと何を隠そう四国にある88か所の寺院を巡るお遍路の旅、その1番目にあたる寺院がこの近くにあるのです。四国に点在する弘法大師ゆかりの88か所の寺院を巡礼するお遍路の旅、その最初の寺院があるのです。
「これはもう、お遍路するしかないだろう」
閃きに似たような、天からの声のような何かが僕の中で弾けました。
実は僕、以前からお遍路には非常に興味がありまして、是非とも定年後はゆっくり時間をかけて巡礼したいと考えていました。これをいまここでやってしまうと定年後の予定が狂いますが、もうここまできたらやるしかないでしょう。これで全駅制覇の難易度も格段に上がる。よし、全駅制覇とお遍路、同時にこなそう。
そもそもお遍路とは修行の旅です。弘法大師が開いた足跡を辿る巡礼の旅は敷居の高いものと思われがちですが、じつはそうではないようです。歩いて88か所の札所を巡る歩き遍路もありますが、バイクや自動車、観光ツアーバスで巡る人も増えてきたそうです。目的も健康祈願や自分探し、様々だと言います。
旅の途中で出会ったおじさんが「観光遍路」という言葉を使っていました。遍路は決して敷居の高いものではない。好きな場所から始めて好きな場所で一旦終わりにしてもいいし、どんな目的でもいい。どんな手段でもいい。正式な手順を踏まなくともただ巡るだけでもいい。目的を持って巡っていればどんな形であれ必ず何かの変化がある。そういうものらしいです。
ということで、遍路用の装束を着て歩きながらじっくり正式な手順で巡礼する一般的なお遍路は定年後にとっておくことにして、今回は88か所を巡ることに特化した観光的な巡礼の旅を全駅制覇と同時にやってみたいと思います。全駅制覇も巡礼も決められたチェックポイントを通過していくという点で似ていて混乱しそうですが、まあ、ポケモンスタンプラリーとJRスタンプラリーを同時にこなしたことがある僕としては比較的簡単にいけるだろう、そういう判断です。
ただし時間的制約があります。通常、歩いて巡る歩き遍路の場合は全ての行程を巡るのに60日前後、マイカーで巡っても7日から10日前後はかかるそうです。そこまで時間をかけるとこの記事のページ分割が100ページくらいになってしまいます。おまけにスケジュールも5日間しかありません。ということで今回は「徳島・高知編」としてお遍路の前半戦にあたる徳島県と高知県の寺院を高速で巡りつつ、両県の全駅を制覇してみたいと思います。
それでもなお時間的制約は深刻な問題です。歩き遍路ですと例え徳島・高知の2県に絞ったとしても30日前後はかかってしまいます。それではこのページも50ページくらいに分割されてしまいますので、できれば短縮したい。もちろん全駅制覇と同時にやるのですから鉄道を使っていくのですが、全ての寺院が駅近というわけにはいきません。ということで登場するのがこの秘密兵器です。
このバッグ、東京から持ってきたんですけどむちゃくちゃ重かったです。肩が外れるかと思った。
一体何が入っているでしょうか。
どーん。折りたたみ自転車です。
以前、編集部に「廃線になった三江線を記録しに行く」ということをやらされたのですが、そのときも「自転車があれば」と本気で思いましたからね。今回はこの心強い味方を投入というわけです。
アルミ製で比較的軽いモデルを選んだのですが、それでも重かった。ちゃきちゃきとトランスフォームさせるとものの3分ほどで立派な自転車になります。
よし。これで安心。これで寺院を巡礼していこう。
自転車としては小さく、タイヤも16インチしかありませんが、この自転車には最大の利点があります。折りたたんでバッグに入れてしまえば、鉄道もバスもタクシーも、ほとんどの交通機関に乗車できてしまうのです。折りたたみの手間もそんなにない。この利点を最大限に利用し、巡礼の旅と全駅制覇の旅を行う。これでいきましょう。というわけで今回の旅の新たなレギュレーションは以下の通り。
お遍路&全駅制覇の旅レギュレーション
1.駅メモによって全駅にアクセスする(徳島・高知)
2.お遍路の寺院を順番に回る
3.折りたたみ自転車を使用しても良い
4.折りたたみ自転車をカバンに入れて利用できる交通機関は何を利用しても良い
5.レンタカーは簡単になりすぎるので禁止
6.予算の都合上タクシーは3回まで
さあ、出発です。新たに相棒となった折りたたみ自転車を引き連れて、まだ薄明りの街へと飛び出します。目指すは一番札所霊山寺です。
朝の冷たい空気の中を自転車でひた走ります。街はまだ眠っているようでしたが、しばらく走って国道みたいな場所に出ると、けたたましくトラックなどが走っていました。
それにしても自転車が小さい。僕はかなり大柄なので、そんな野武士のような大男がこんな小さな自転車に乗っているのは違和感しかない。猿が自転車に乗ってシンバルを叩くおもちゃがあるけど、傍目にはあんなアンバランスな違和感があるんじゃないだろうか。不安になってくる。
ものの15分ほど自転車で疾走していると一番札所霊山寺の案内標識が出現してくる。大きな道路沿いの比較的街中に存在するのでアクセスは良さそう。
遍路の旅のスタート地点になるため設備が充実している印象を受けた。88か所の寺院のほとんどは基本的に本堂と大師堂、そして山門を兼ね備えている。ここ一番札所はそれらの施設に加えてお遍路グッズを揃える店などの施設が充実していた。
お遍路に必要な用品を買い揃えられるだけでなく、遍路の作法の説明や案内までしてくれるらしい。残念ながら早朝過ぎて開店していなかったが、店の前で体育座りして開店を待っている30代ぐらいの白人男性がいた。僕と目が合うや否や目を丸くして自転車を凝視して驚いた表情を見せた。たぶん「自転車ちいせえ」って思っているに違いない。なんだか恥ずかしくなってきた。
なぜか境内にパンダの置物があった。けっこう長い時間考えたけど、なぜここにパンダが置かれているのか理由が分からなかった。世の中は不可解なことばかりである。本来なら納札や納経などの正式な参拝の手順があるのですが、それら正式なものは定年後にとっておくことにして、今回は本堂にて今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておくだけにしておきました。皆さんに幸あれ。
さて、次に二番札所となる目指すことになるのだけど、案内看板を見る限りそこまで距離はなさそうでだいたい1kmくらい。いくら小さい自転車といえども楽に到達できそう。ここで少し戦略的な今後の予定について少しお話させていただきたい。
札所の1から10番までは徳島県内を西に進んでいくルートをとる。駅メモは特に駅にいなくとも「チェックインが押された時に最も近くの駅にチェックインする」という機能を持っているので「坂東」「阿波川端」「板野」の高徳線の駅は寺院につくごとにチェックインしていればおそらく取れる。運が良ければ阿波大宮も取れるかもしれない。
問題は4番札所以降だ。これ以降は鉄道から離れてさらに西へと進んでいく。しばらく周囲に駅がない寺院を巡ることになるが、駅メモは周囲に駅がないからチェックインできないということはない。必ず「最寄りの駅にチェックインする」という鉄の掟がある。このことから推察すると、4番以降の寺院でチェックインをすれば、南の方を通る、徳島駅から西に進んで四国の中心に達する「よしの川ブルーライン」の駅を取れる可能性が高い。つまり、10番くらいまでは自転車で巡り、都度都度チェックインをして駅を取っていく手法を取るべきだ。
方針が決まると俄然やる気がでてきたペダルにも力が入る。あっという間に第二札所に到達した。
赤主体の山門が朝焼けを反射していて綺麗。敷地も広く、朝の心地良い空気が気持ちよい。ただ、本堂まで続く道は、けっこう激しい階段でひいひい言いながら登った。
普段ならなんてことはない階段なのだけど、自転車で普段使わない筋肉を使ったためか、足に違和感みたいなものを感じた。ほんの些細な違和感だけど、どうかこんな序盤で痛みださないでくれと懇願しながら登った。
本堂では今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておきました。
さて、ここから第三札所を目指すわけですが、どうやらここから3キロ程度とこれまた近い様子。ここまでは比較的大きな通りを通過してきたのですが、ここからは墓場の中を通ったりとか裏路地を通ったりとか、なかなか分かりにくいルートのようです。お遍路に使う経路を「遍路道(へんろみち)」と呼ぶようなのですが、この遍路道、もっとメジャーな大通りを通過していくと思っていたのですが予想に反してかなり裏通り的な場所を通るみたいでした。
ほんとにこれかよ? って言いたくなるようなルートも平気で通らされる。細い路地に入り組んだルートになんでもありだ。だからと言って地図を熟読しないと難しいというわけでもなく、かなり親切に遍路道のルート案内がある。
このような案内がかなりあるので、基本的にこれに従っていけばルートについては心配がない。ただ、小さい表記が多く、道路標識の柱にシールみたいにしてついているものもあるのでかなり集中していないと見落としてしまう。
途中、駅があったので立ち寄って見る。ここは阿波川端駅のようだ。
そう、僕はお遍路と全駅制覇を同時にやっているのだ。基本的に駅は漏らさずに取得しておきたい。
チェックインした駅 坂東、阿波川端
この調子で駅も寺院もどんどんこなしていきたい。
駅を出て第三札所まで自転車を走らせ、ちょっと休憩とばかりに自動販売機の前で停まっていると、そこにワンボックスカーががーっと乗りつけてきた。車の中には仕出し弁当か何かの配達をしていると思わしき老夫婦が乗っていた。
「兄ちゃん、遍路まわっとるんか?」
お婆さんの方がそう話しかけてくる。基本的に四国の人はお遍路をしているとむちゃくちゃ話しかけてくる。そういう文化があるみたいだ。
「はい、自転車で回ってます」
笑顔で応える。
「そうか、どっからきたんか?」
「東京です」
書いた記事で四国に全く触れなかったという重い十字架を背負っての贖罪の旅である。そのことは言わなかった。
「遠くからようきたのお、それにしても自転車小さくないか?」
自転車の小ささを指摘された。やっぱり小さいんだ。
「とにかく頑張って!」
老夫婦はそういってエールを送ってくれた。こうやって声をかけられると俄然やる気になってくる。小さい自転車にまたがり、第三札所を目指す。
だんだんと景色がカントリーな感じになっていく。
境内が広く、空気が澄んでいるように感じる。朝の冷たい空気の中で、うっすらとお経だけが聞こえてくる状況で、ここまで心地良い空間が広がっていると僕のような汚れた存在もさすがに心が浄化される何かを感じる。もう贖罪という使命を果たしたような気にすらなってくる。もう許されたんじゃないだろうか。本堂では今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておきました。
なぜか金泉寺の前の駐車場で小学生くらいの女の子が狂ったようにバトミントンの練習をしていて、こんな早朝から、それも今日は平日じゃないのかと困惑してしまった。それでも少女は一心不乱にバトミントンをしており、なにか得体の知れない狂気みたいなものを感じた。
第四札所を目指す。途中、むちゃくちゃスポーティーな自転車が颯爽と追い抜いていった。すげえ早い。やはり自転車とはこうであるべきなのかもしれない。僕の自転車は小さすぎる。
やはり今日は平日でそろそろ登校時間なのか、あちこちで集団登校の列を見ることができた。元気な小学生たちが列をなして歩いて行く。その横を小さな自転車にまたがった不審なオッサンが颯爽と駆け抜けた。
地図を見る限り第四札所は山の中腹にあるっぽい。けっこうゆったり目だけど長い登り坂が目の前に現れた。こういう時、自転車はかなりきつい。途中までがんばって登ったけど、ついに力尽きてしまい、降りて押し始めた。
まだまだ山を登っていくらしい。息も切れ、汗が噴き出してきた。
レンコンを100円で売ってるらしいのだけど、すごい血が滴る感じになっている。ホラーゲームみたいだ。絶対に貞子とかでてくるやつだろ。
目指す大日寺まで550メートル。遠い。僕は自分の体力ってやつを完全に過信していた。これはきつい。特に坂道はやばい。こりゃこの先、とんでもないことになるぞ、そんな予感が隠せなかった。
めちゃくちゃ遠く、そして登り坂だった。かなり体力を削られたような気がする。第三番から1時間くらいかかってる。ちなみに結構北の方まできたので「阿波大宮」駅が取れるかと期待したが、取れなかった。
改修というか道路工事をしているらしく山門付近に立ち入れなかった。大きく迂回して境内へと入るようになっていた。境内には3組くらいの老夫婦がいて車でお遍路をしている感じだった。本堂では今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておきました。
さて、ここから第五札所を目指すわけだけど、地図によると坂を下りた先にあるらしい。こういう時自転車の利点が最大限発揮される。苦しい登り坂を上がった分だけ、下り坂があるのさ。何か思い悩んでいる様子の女子大生のブログのコメント欄に、下心過積載のおっさんが書きそうなコメントですが、まさしくそうで下りあるのみ。これだけを楽しみに登ってきたんだ。
この小さい自転車で下っていく。
先ほど死ぬ思いで登ってきた坂を一気に自転車で駆け下ります。「俺は自由だああああああ」と意味不明に叫んだり、つじあやのを唄ったりとやりたい放題。ただし、自転車が小さいのであまりスピードが出ると自転車自体がバラバラになりそうで怖いので、ある程度セーブして下りていきました。
1時間かけて登ってきたルートを10分くらいで駆け下りてきた。下り坂は本当に偉大だ。できることならばこの世に下り坂しかなければいいのに、そう思った。
ここ地蔵寺は境内にある大きな樹木が印象的だ。その樹木を中心に本堂や大師堂が配置されているように見えた。やはりここでも今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておきました。みんなが平穏なら僕はそれでいい。
駐車場の脇みたいな場所に特産品の販売所とお遍路案内みたいな場所があったが、まだ朝が早いためか無人だった。
かなり鉄道から離れたので、そろそろよしの川ブルーラインの駅が取れるのではないかと考え、駅メモチェックインを試したところ謎の駅が取れてしまった。
「羅漢? なんだこれ」
徳島の路線図にもない。なんでこんな駅が取れたんだろう、と困惑しつつも調べてみると、どうやらこれ、廃線になった路線の駅らしい。昭和47年くらいに廃線となった鍛冶屋原線という路線があったらしく、その駅がとれたようだ。このように駅メモは隠し要素みたいな感じで廃止となった路線や駅が取れることがあるのであなどれない。お遍路をしつつこれらの廃線を発見できたことは幸運と言えるだろう。むしろお遍路していなかったら発見すらできなかった可能性がある。
チェックインした駅 羅漢、犬伏、坂東
早朝と呼べる時間から朝と呼べる時間に変わったためか、遍路道において他のお遍路さんを見かけるようになった。最近ではほとんどのお遍路さんが車や貸し切りバスで巡礼するというが、それでも歩きで回っている人もいくらかいる。その中でも特に外国人の比率が高く、ここまで追い抜いたお遍路さんも半分は外国人だった。
あまりに汗が噴出してくるので第6札所へ向かう途中で休憩していると、外国人お遍路さんが話しかけてきた。白人女性二人組だったのだけど、どうやら次の札所までの道順を知りたい様子。地図を見せて案内すると、彼女たちは饒舌に語り出した。それはあまりに早口の英語なのでほとんど聞き取れないし意味も分からなかったのだけど、所々で「bicycle」「small」「Unbelievable」って単語が聞こえてきたので、多分僕のことをバカにしてるんだろう。気にせず先へと進む
このような裏路地を通って6番札所を目指していたのだけど、なんだか漠然とした違和感を感じた。
住宅が連なる裏路地に突如として店が密集している地域が現れたのだ。正確に言うとかつては店だったであろう建物なのだけど、裏路地がいきなりこんな賑やかになる、もしかしてここはかつては駅前だったんじゃないだろうか。そんな予想を立てた。
先ほど、駅メモにおいて廃止になった路線、鍛冶屋原線の駅が取れることを発見したが、この商店の密集具合から見るに、この辺りがその鍛冶屋原線の終着駅、鍛冶屋原駅だったんじゃないだろうか。そう思った。もちろん僕が生まれるより前に廃線になっている路線なので、線路の痕跡も駅舎も残っていないが、それでも何かないかと周囲を探してみた。
すると、石碑がありました。
敷地と敷地の隙間のすごい細長い場所に、「ここに鍛冶屋原駅がありました」という石碑があった。すごい追いやられている場所だけど、石碑が残っていてよかった。それにしても、駅があったはずという予想があたるとすごく嬉しい。
この石碑前の少し道路が広くなっているあたりがホームだった名残じゃないだろうか。列車が停まっていて、人々が行き来していたんだろうか、などと遠き日の鍛冶屋原駅に思いを馳せる。
チェックインした駅 神宅 鍛冶屋原
これにて廃線である鍛冶屋原線を全て取れた。阿波大宮駅を取れなかったのがあとあと尾を引きそうだが、取りに戻るのもかなり大変なのでここは保留にすることにした。
山門の前に「膝の痛み和らげます」と掲げて座っている人がいた。やってもらおうかなって思ったけど、ちょっと時間がないのでやめておいた。ちなみにこのお寺は「商用やホームページに載せる目的での境内での写真撮影禁止」とはっきりと書かれている。お遍路88札所といっても一枚岩ではなく、お寺によってレギュレーションが違うので注意が必要だ。別にここは境内じゃないからいいだろう、と山門だけ撮影した。特にこの旅では本堂周辺では静粛にしたいという想いから境内での写真撮影をあまり行っていない。厳かに今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々を祈願しておきました。
7番札所に向かって走り出す。どうやらかなり近いらしい。
田園風景の中に伸びる比較的立派な道路をひた走っていく。すると前方に小高い山みたいなものが表れた。突如として表れるこんもりとした小山。こういうのは僕の経験上、十中八九古墳だ。これは絶対に古墳だ。賭けてもいい。これが古墳じゃなかったらここで旅を切り上げて東京に帰ってもいい。それくらい自信がある。これは絶対に古墳だ。
完全に古墳だろこれ。やはり賭けてもいい。これが古墳じゃないなら旅をここで終わりにしてもいい。
古墳でした。ちぇ。
正直言うと、結構太もも辺りがパンパンで早くも体力の限界を感じつつある。古墳じゃない方がよかった。帰りたい。「古墳だったかあ、じゃあ続けないと」そう呟いて先へと進んだ。
山門は先ほどの安楽寺に良く似ている。ここ十楽寺は本堂の横に「治眼疾目救済地蔵尊」というものがあり、眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされているらしい。僕も結構視力が悪い方なので、霊験があったらいいなと祈願しておいた。もちろん、今この記事を読んでいる皆さんの健康と平穏な日々も祈願しておきました。
山門を出たところで若者に話しかけられる。
「こんにちは」
基本的にお遍路同士はすれ違えば挨拶をする。中にはそのまま休憩がてら話し込むこともある。どうやらカジュアルなこの若者は車で回っているらしい。
「いやー自転車小さいっすね~」
開口一番これである。出会って4秒で失礼な小僧だ。わかってる。もう自転車が小さいことは十二分に理解している。
綺麗な川が目の前に現れた。四国は川が多いのだけど、汚い川って存在しないんじゃないかというレベルで全ての川が綺麗だ。四国とは川のことである。そう言っても差し支えがないほど全ての川が美しく、そして静かだ。見ているだけで心が洗われる気がしてくる。
ここにくるまでにけっこう登り坂だったのでやはり息が切れた。このお寺は山門が離れた場所にあり、そこからさらに上った場所に本堂などが存在する。ちなみにこの山門は88霊場の中でも最大級らしい。たしかにでかい。
秋っぽいな、と思いつつ本堂へと向かう。
階段やら坂道やらをかなり登ることになるので異常なほど汗が噴き出してくる。本堂へと向かう道中、なにやらテントがあって賑やかになっている場所があった。
徳島県立池田支援学校の美馬分校の生徒さんたちが「お接待」をしていました。四国ではこのように「お接待」という文化があります。お遍路をしている人に食べ物やお賽銭を差し出し、応援する文化があるのです。そのお接待を支援学校の取り組みとして行っているようでした。
ちょうど先生が横に立っておられましたので掲載許可を貰いつつ話を聞くと、生徒さんたちの社会参加の一環として、こうやってお遍路さんに声をかけて自分たちが作ったものを手渡しているそうです。生徒さんたちはすごく一生懸命に声をかけてました。
いただいたものは、作業学習で作成したティッシュカバーとパックのお茶。素晴らしいものをありがとうございます。なんだか俄然やる気が沸いてきた。意気揚々と次の札所に向かいます。
自転車で坂道を駆け下りていくとすぐに広大な田園風景になりました。こういった牧歌的な風景の中を歩くお遍路さんはとても絵になります。
田んぼのど真ん中を切り裂くようにして走り、第9札所へと到達しました。
いままで訪れた中でも比較的小さなお寺だった。言い伝えによるとはるか昔、松葉杖なしでは歩けない人が参拝に来たとき、急に足が完治したらしい。それから本堂には沢山の草鞋が奉納されるようになり、健脚祈願としての側面を持つ寺になったらしい。僕も完全に足がパンパンなのでなんとか御利益で健脚にならないか、そう強く願った。
山門の前には小さな商店がポツンとある。ここで団子とか遍路用品とかを販売している。店のおばちゃんが大声で「10番はあっちじゃああ」と道案内してくれるので間違える心配がなくて良い。
さて、9番札所までやってきてここまでの制覇状況を一旦まとめておきたい。
ここ9番札所まで約4時間かかっている。実はちょっとこの時点で僕の心の中に少し邪(よこしま)な気持ちが生まれていた。
「もしかしてお遍路ってけっこう楽なんじゃ?」
ここまでトントン拍子で進んだし、比較的距離が近く、多少の登り下りはあって息切れしたもののフラットな地形の場所を巡ってきた。だから「お遍路は結構楽かも」みたいな邪悪な心が芽生えていた。そんな舐め腐った悪しき心は必ず手痛いしっぺ返しを食らうようにできている。10番からが本番やで、と言わんばかりに熾烈なる旅程が眼前を遮り始めたのである。
しばらく平地をすいすい走っていたが、突如としてメインの道路から外れて脇道に入れと指示された。その脇道があまりに脇道で、本当にこれで合っているのだろうかと不安になった。
ちょうど通りかかったお遍路おばちゃんと
「本当にこっちでいいのかしら」
「わたしね、さっきも道間違えて大回りしちゃった」
などと会話していた。
脇道はすぐに激しい山道となる。トトロとかでてきそうだ。
山道を抜けると宿場町みたいな場所に出た。車が通るのもやっとのような細い登り坂の路地。その両脇に民宿が並ぶ。遍路道にはこういった民宿が多い。ここまでも結構点在しているのを見てきたが、ここまでの密集度はなかなかだ。実はこれ、後から気づいたのだけどこの後の札所巡りの展開を占うバロメーターだったりする。
例えば歩き遍路の場合、次の札所の距離や険しさを考えて動かないとにっちもさっちも行かない状況になってしまうことがある。次の札所まで凄まじく遠く、歩いて10時間とかかかるのに、夕方になっても次に向けて出発するなんてことは避けたいのだ。そうなると今日はこの辺にして民宿にでも、となってくる。つまり逆説的に言えば、次もしくはその次あたりの札所が遠い、もしくは険しい場合に寺の近くでの民宿の需要が高まるのだ。もう10番はこの宿場町の近くなのでこの場合は11番もしくは12番の札所が険しく遠い可能性を示唆している。
というのは後から気づいたことで、この時の僕は「すげー民宿たくさんあるなー」と能天気に半分口を開けながら自転車を押して歩いていた。
宿場町を抜けても険しい坂道は続いた。ここまでで一番激しい傾斜だ。なんて高い位置にあるんだと汗を噴出させながら登った。
ぜーぜー言いながら登っていくと、やっとこさ山門らしきものが前方に見えた。
実は山門がゴールではなかった。山門から333段もの石段がそびえ立っており、それを登り切ってはじめて本堂に到達できるらしい。ここは地獄か。完全に足がプルプルしていて生まれたての小鹿みたいになっている。それでも登っていかなければならない。
けっこう強烈な石段だ。もう太ももが限界を超えて完全に臨界を超えている。しかもなんで自転車を折りたたんでカバンに入れて担いできたんだ。下に置いて来ればよかったじゃないか、そう思うかもしれないが、お遍路の場合、頂上の寺から別方向に降りて行って次の寺を目指す、というルートもあり得るそうなので、できる限り自転車は持っていくべきなのである。取りに戻るような展開は避けたいのである。10キロの自転車持ってこの石段はやばい。といかくやばい。太ももがはちきれそうだ。
なんとか石段の上にぼんやりと建物のようなものが見えて、あれが本堂だ。きっとそうだ。あそこまで頑張れ、と自分を励ましながら登り切った。
本堂じゃなかった。ただの休憩所みたいな建物だった。その横にはしっかりと続きの石段が。
本気かよ。気を失いそうになった。
上から降りてきた初老の紳士が僕を励ますつもりで
「頑張れ! あと半分!」
って声をかけてくれたのだけど、完全に精神をやられているので、「あと半分! うおー!」と励まされるわけもなく「あと半分もあんのかよ」と心折れそうになっていた。
うおー、のぼりきれー! 途中、400回くらいなんで自転車持ってきたんだろうって思ったのだけど、この俺の相棒、ファルコン号にも山の上からの景色を見せたいのさ、と言い聞かせて登ってきた。なんとか目に見える範囲の階段を登り切ると、
しっかりと続きの階段が。もう好きにしてくれ。
なんとか登り切って本堂に到達する。結構木が生い茂ってる感じで麓の雄大な景色をファルコン号に見せるというわけにはいかなかったが、達成感でいっぱいだ。完全に足がプルプル小刻みに震えている。もうどうしようもない状態だ。
ちなみに本堂付近では、
阪神タイガースの水を結構良心的な価格で販売していた。なんでだろう。
さて、別に頂上から別のルートがあって次の寺にってことは完全になくて、普通にあの石段を降りていかなければならず、自転車を担いできたことが完全に徒労に終わったのだけど、それでも後悔はしていない。この愛機ファルコンと一緒に登れて幸せだった。
なんとか道路に復帰し、一気に坂道を駆け下りる。十番までは西へと進んでいったがここからは南下していくルートになる。吉野川を超えて南下し、11番の札所を目指す。一気に川まで降りてきて堤防にぶち当たった。
ただこの堤防、なんか造りが変わっている。普通に車が通れるレベルで川の中へと降りて行く道路がある。普通、川を渡るなら大きな橋があるはずだ。橋があるならこうやって降りていくこと自体がおかしい。不可解に思いつつ降りていき、進んでいくとこれまた変わった橋が目の前に現れた。
まず堤防の中に橋がある意味が分からないし、低すぎるし、欄干とかもない。なんか異様な橋。
川は綺麗なのだけど、そこまで大きい川ではない。あれほどの堤防が必要なのかと思うほどに川は小さい。
渡りきるとさらに不思議な光景が広がっていて、見渡す限りの平原なのに畑しかなく、民家が一軒もない。こんな良い場所に良い平原があってなんで誰も家を建てないんだろうと思ったが、実はここ、平地ではないらしい。あまりの広大なスケールに川を渡りきったと思いこんでいたが、じつはここ、まだ堤防の中らしい。巨大な中洲の上に立っている状況のようだ。
中洲なので、大雨などが降って川が増水すると中洲も、さっきの橋も水没する。だから人は住まないし、橋にも欄干がないようだ。
よくよく見ると鉄塔も水没に備えてか根元の部分はコンクリートで固められている。少なくともあれくらい水が来ることもありえるということだろう。
中洲なのでもう一本橋を超えなければならない。
また不思議な橋を超えていく。やっと反対側の堤防が表れて川を渡りきることができた。
この画像の中段の緑の帯のような部分全部が中洲だっていうんだからかなりスケールがでかい。川を超え、さらに南下していく。
途中、線路にぶち当たった。南下してきてよしの川ブルーラインまで到達してきたらしい。
チェックインしてみたら西麻植という駅が取れた。
この辺の寺院を巡りつつ駅を取っていく作戦に間違いはないはずだ。まあ、こまごまと取らなくても後で一気に取るつもりだから関係ないのだけど、気持ちの問題で少しずつでも取っていきたい。
川とは鬼門である。物理的に考えて川は一番低い場所にあるものなので川を起点に考えると垂直方向に進んだ場合 、必ず登り坂となる。バンビのようになっている僕の足で登り坂はかなりきつい。なんとかヘロヘロになりながら次の札所を目指すのだけど、いきなり道の難易度が上がる。
こういった石畳の通路だと趣があって、おー、それっぽい、この先に寺がありそうってなるのだけど、この通路がすぐに
こんな感じになって、最終的には
こんなんになる。これ絶対に人の敷地でしょ。入っちゃいけない場所でしょ。案内表示がなかったら絶対に通らないような高難易度の通路を経て、11番札所に到達した。10番からすごい距離あった。
さて、この藤井寺ではもちろん本堂にて皆さんのなんかを祈願したのだけど、境内でなかなか興味深い看板を発見した。
ちょっと擦れて読みにくいけどしれっとすごいことが書いてある。
「ここ11番札所藤井寺から12番焼山寺にかけての「へんろみち」は「遍路ころがし」といわれる難所です」
どうやらここから次の寺までがからり険しい道らしい。ここで足に異変を生じたり、断念したりする遍路さんが絶えないことから「遍路ころがし」とまで言われているらしい。けれども、どうせ大げさに言っているんだろうと思った。ここまでサクサク進んできたし、10番から11番まではちょっと遠かったけど本当にたいしたことなかった。
それよりなにより、僕が事前に下調べして作ってきた資料によるとこう書いてある。
「11番から12番までは直線距離で1.3キロ(ただし車両が通れない山道なので迂回すると4.5キロ)」
いくら険しかろうがロッククライミングみたいな場所を通過するわけじゃありませんし、距離も短い。たかがしれているってもんですよ。こりゃ楽勝だろ、自転車担いで直線ルートでいったれいったれ、そう思ったのです。遍路ころがし攻略したり! とかドヤ顔で言っていたくらいだった。思えばこれが間違いの始まりだった。ここで思い留まっておく必要があった。
遍路ころがしルートは本堂の横の脇道みたいな場所から始まる。いきなりオーラのあるルートが登場してくる。へんろを転がすぞ! みたいな気概みたいなものを感じる。ここを自転車担いで登るのは大変そうだ。ちなみにこのルート、弘法大師がたどった道がほぼそのまま現存していると人気らしい。他の道は舗装されたり変更されたり、都市の発展に伴って様変わりしてきたが、ここはそのまま残っているようだ。
遍路ころがしの異名は伊達じゃなく、やはり険しい。自転車を入れたバッグが重すぎて肩がギチギチ千切れそうになっている。
まだこの時は「湧水が流れてきているね、綺麗だね」と景色の美しさを愛でる余裕があった。
問題はこの看板である。ズームアップしてみるとこう書いてある。
「へんろころがし 1/6」と書いてある。これはあまりに険しい道だから通る人を励ます意図のある看板だと理解した。つまり、進んでいくと「2/6」「3/6」とカウントアップされていき、ほらほらもうちょっとだよ、頑張れってやってくれるやつなのだ。なるほどねえ、って思ったのですけど、ここからいくら進んでも「2/6」が登場してこないことにもっと違和感を持つべきだった。
何度も言いますが、僕が事前に作ってきた虎の巻によると「直線距離で1.3キロ(迂回で4.5キロ)」とあります。いくら険しくとも1.3キロですから、もっとサクサクと「2/6」「3/6」とカウントが上がらないとおかしいんですよ。見落としたのかな? くらいであまり気に留めなかったけど、2/6が出てこないことをもっと深く考える必要があった。
さすが遍路ころがし、かなりきつい。ちょっと自転車を担いできたことを後悔し始めたころ、幸運にもアスファルトの迂回道と交差するポイントに出た。
まっすぐ行くとこのまま険しい山道をいくことになり、完全に転がされる。ただ距離は短い。交差する舗装道路を行くと遠回りになるが、自転車に乗ることができる程度に険しくない。苦渋の決断でしたが、遠回りルートをチョイスしました。けっこう山道を進んできましたので、遠回りしたとしてもそう遠くないだろう、という判断です。図に表すとこうなります。
途中から迂回ルートに入ったとしても微々たる距離だ。そう思ったのです。なにより舗装道路に入ったことにより自転車を担がなくてもよくなる。トランスフォームさせて乗るなり押すなりすればいいのだから大きな利点だ。
迂回ルートの方も舗装はされているもののほとんど人も車も通らないらしく、かなり荒れている。おまけにほとんど登り坂なのでファルコン号を押してばかりだ。
かなり登ってきたらしく、開けた場所に出るとかなり景色が良い。さっきの不思議な中洲が良く見える。
おかしい。ぜったいにおかしい。さっきからこのうねうねした山道を1時間も歩いているのに一向に焼山寺に到着しない。到着しないどころか、迂回の回りこみすら終わらない。位置関係としては藤井寺から南にある焼山寺に向けて、西に回り込んで南下する感じなのに、西への回りこみが一向に終わらない。目算では2キロほどの迂回ルートのはずなのにこれは絶対におかしい。
こんなことになるなら飲み物を買っておくべきだった。まさか4キロほどの道のりにこんな時間がかかると思わなかったから準備していない。完全に朽ち果てた山道なので自動販売機も期待できない。汗が出過ぎて異様に喉が渇いている。まずい。カラカラになって死にそうだ。何か飲み物、飲み物を、朦朧となりながらポケットに手を入れる。ゴツンとした感触が手にあたった。こ、これは……?
うおおおおおおお、熊谷寺でもらったお茶だああああああ! 支援学校の生徒さんにお接待で貰ったお茶だああ! 死ぬほどうまい! 生き返る! 尊い! マジで救われた!
なんとか渇きを癒すことはできたけど、ルート問題はかなり深刻である。なんとか1時間半ほど歩いたところで西方角への迂回が終わり、南下するルートと合流できたが、それにしてもおかしい。ほんの1.3キロを迂回した4キロの道のりとは思えない。ぶっちゃけるとこの時点で10キロは歩いていると思う。
それでも愚直に南下すること1時間。登ったり下ったり、幾多の山越えを経て完全に山深い場所に入りこんだ時点で確信した。
「絶対におかしい」
都合、2時間半は進んでいる。これが4キロの距離であるはずがない! 何かが間違っているんだ! バッテリー温存のためにしまい込んでいたスマホを取り出し、現在地の確認と焼山寺の位置を検索する。一体に何が起こっているんだ! どうなっているんだ!画面を覗き込む。そこには衝撃的な事実が映し出されていた。
「焼山寺まで 25キロ 徒歩での所要時間 5時間55分」
は?
なにこれ?
さっきの藤井寺で迂回しても4キロだったはずだよね。なんで残り25キロなんてことになってんの? なにこれ? ペテン? それとも時空が捻じれてる? 異世界転生?
完全にパニックになっちゃいましてね、困惑して何が何やら分からない状態になっちゃったんです。とりあえず落ち着け。とにかく落ち着け。物音ひとつしない完全なるサイレントワールド、落ち葉だけがハラハラと動いているそんな孤独ともいえる状況で必死に自分を落ち着けます。
直線で1.3キロ、迂回で4.5キロのルートのはずだった。それが何をどうしたら残り25キロになるのか。落ち着いてお遍路のことを紹介したホームページなんかを開いてみます。そうしたら何が起こっているのかすぐに分かりました。
「藤井寺から焼山寺までは遍路ころがしと呼ばれる難所です。その距離は直線距離で13キロ、迂回して45キロです。歩きの場合は成人男性で8時間は計算しておきましょう」
距離を1桁間違えていた。
たぶん、事前資料を作るときに僕がタイプミスしている。もしかしたら次の寺まで45キロなんて狂気の沙汰だろ、4.5キロだろこれ、みたいな心理が働いたのかもしれない。とにかく、これで全ての伏線が繋がった。実際にはこうだったのだ。
あの「へんろころがし 1/6」から全然「2/6」が出てこなかった理由もわかる。もともと13キロもあるのだ。そうそうすぐに「2/6」が出てくるわけがない。西方向への迂回が異様に長かったのも全長45キロの迂回ルートなら納得だ。
結局、正解は次の焼山寺まで異様に遠いからここらで宿をとろう、と藤井寺の時点で判断することだった。それを一桁間違えた情報を元に、旅立ってしまったのがそもそもの間違いだった。
今これを読んでいる皆さんは「45キロを4.5キロと間違えてやんの、げらげら」って思っているかもしれませんけど、この時の僕の心理状況がわかりますか。誰もいない、何もない山道に一人ポツン。前方に進めば5時間、引き返したとしても3時間半、おまけに日が暮れようとしている。不安で孤独で不甲斐なくて悔しくて悲しくて、もうどうしていいのか分からなくなっちゃったんですね。 とりあえず前に進まないとどうしようもないので自転車を押しながらトボトボと進んでいくんですけど、涙が溢れてきちゃいましてね。比喩とかそういったものではなく、ガチで泣きながら山道をトボトボと進んでいったんです。
あと5時間はかかるということはいま4時くらいだから9時か10時に到着か。この道、街灯とかないだろうし真っ暗な中進んでいくんだろうな。そう考えたらさらに不安になっちゃって完全に心が折れちゃいましてね、いい歳したオッサンがシクシク泣きながら歩いているわけですよ。
1時間くらい歩いたでしょうか。もう5時前くらいで完全に日が暮れるって雰囲気で、いよいよやばいなって覚悟しつつ、それでも前に進まないといけないので自転車を押して歩いていると、道路工事の現場に出くわしました。ただでさえまだまだ20キロ以上あるのに迂回しろという指示でした。まあ、仕方がないので迂回ルートに進もうとすると、進入禁止の看板の横に立っていた警備員さんが話しかけてきました。
「ちょっとお兄ちゃん」
きっと異様だったんでしょうね。いい歳したオッサンが泣きながら小さい自転車押してんですよ。しかも寺までは山二つ超えて4時間くらい、街に戻るのも同じくらい山二つ超えて4時間くらい、そんな地点で目撃するのです。
「もう工事終わる時間だから迂回しなくていいよ、まっすぐいきな」
そう言って看板を移動させてくれました。
「ありがとうございます」
そういって進んでいくと、15分くらい歩いたところで工事をやっていたと思わしき場所に到達しました。そこには片づけを終えた作業員の方たちが5人くらいいて、僕のことを見ています。おそらく、下の警備員さんからトランシーバーで連絡が入ったのでしょう。
「兄ちゃん、今からどこいくん?」
「焼山寺です」
「むりだろー、山二つ超えなきゃいかんぞ」
「4.5キロと45キロを見間違えたんです。近いと思ったら全然近くなくて」
またブワッと涙が出てきてですね。それとは対照的に工事の人たちはゲラゲラ笑っているんですよ。
「普通間違えないだろ。それにしても自転車小さすぎだろ」
「そうなんです。小さいんです」
こんな感じでゲラゲラと一通り笑われたあとでした。
「よしわかった、もう日が暮れるし危ないからタクシーで行きなさい」
一人がそう言います。
タクシー? パニックになりすぎて気が付かなかったがその手があった。予算の都合上3回くらいはタクシーが使えるはずなので、ここで使えば良かったんだ。なんでそんなことにも気が付かなかったんだ。
「ただ、ここはすごい説明が難しい場所だからタクシーを呼んでも来られないかもしれない。だから、こうしよう」
作業員の方たちが親身になって話を聞いてくれて、提案してくれます。
「あのおじちゃんが、これから仕事が終わったので軽トラで家に帰ります。なんと、あのおじちゃんの家は途中まで焼山寺の方向に行くのです。だから自転車を軽トラに乗せて、あのおじちゃんに乗せてもらいなさい。焼山寺についてからタクシー呼びなさい」
なんだこりゃ。これはもう神レベルの親切で、親切が服着て道路工事しているような存在だ。それでもあまりに人に頼りすぎるのは悪いので遠慮して
「いいですいいです。ここにタクシー呼びますんで。3回まではタクシー使えるんすよ」
って絶対に伝わらないルール持ち出して固辞するんですけど、あれよあれよという間におっちゃんたちのよって僕の自転車が軽トラに積みこまれます。
「いいから遠慮すんな。じゃあ交換条件にしよう。いつもラジオがつまんなくてな。帰り道暇してたんだわ。車内で面白い話でもしてくれや」
なんでこんなにも親切なのか。そう思うと感極まってきてですね。
「面白い話、がんばります」
とか言いながらブワッと涙が溢れてきました。人の親切に触れて涙する。自分の人生でこんなにもピュアな涙が出る瞬間がくるとは思いませんでした。
おっちゃんの軽トラに乗ると、おっちゃんはイニシャルD? と思うほどの荒々しい運転で焼山寺に向けて爆走してきます。登り下りワインディングで比喩でも何でもなくガチで山を二つ超えていった。あの時間からこれを自転車で行くのは完全に自殺行為だと納得した。
約束なので、車内では今までの旅で培った面白エピソードを披露。
「それでですね、日本縦断していて長万部の駅にある売店に全てを賭けて長万部駅に突入したんです。そしたら、なんと! 前日に長らくのご愛顧ありがとうございますで完全に閉店していたんです!」
「ゲラゲラ」
もう熱弁ですよ。そして20分くらい山道をひた走り。焼山寺まで残り5キロ、という看板の前で降ろされました。
「じゃあ、俺はこっちだから」
そういっておっちゃんは分岐を逆の方に爆走していきます。ありがとうございます。この恩は一生忘れません。
すっかり日も落ちて真っ暗になった山道を自転車を押しながら歩きます。しかし距離を1桁読み間違えるのは完全なるミスだ。お叱りを受けても仕方がないレベルのミスだ。あの工事の人たちがいなかったらどうなっていたことやら。そんなことを考えていると1時間ほどでついについについに焼山寺に到達しました。
チェックインした駅 学、鴨嶋
あとから知ったが、ここは標高938メートルの焼山寺山の8合目にあたるらしい。そりゃ登ってくるはずだ。ちなみに88か所霊場の中で2番目に標高が高い寺だ。これより高い場所があるのかと身震いした。寺自体はもう真っ暗で何が何やら分からなかった。ただただ「遍路ころがし恐るべし」という印象しかなかった。完全に転がされた。
さて、ここ焼山寺からは次の寺までこれまた距離がある。おまけにもうどっぷりと日が暮れてしまったので寺を巡ってもあまり良くない。ただ、精神的にも肉体的にも疲労が物凄いのでとりあえずタクシーに乗ることにした。山門下の道路に降りると、おっちゃんが時間を見計らって手配しておいてくれていたタクシーが待っていた。それに乗り込んで、近くの駅へと行ってもらう。どうやら「石井」という駅が近いらしい。
タクシーの中で考えた。
怖い。とにかく怖い。いま僕の心の中を支配している感情はそれだけだった。暗い山道が怖いわけじゃない。孤独な山道が怖いわけじゃない。登り下りがきつい肉体的な苦痛が怖いわけじゃない。情けないと思われるかもしれないけど、とにかく「絶望」、これが怖かった。
進んでも地獄、戻っても地獄、どうすることもできないあの絶望、あれが完全なトラウマになってしまった。正直に言ってしまうと、もうあんな思いを味わいたくない。どうしようもない絶望こそが最大の恐怖だった。絶望ってもっとおどろおどろしい何かだと思ってた。けど本当の絶望って本当に何もないんだ。変わらずそこにあって普通の顔をしている。それでいて何の望みもない。それが一番怖い。
この先も旅を続けていけばあのような絶望を味わうかもしれない。それがどうしても受け入れられなかった。本当に怖かった。思い出したらまた涙が出てきた。
あんな思いをするくらいならもうこの旅はリタイアして……。そう考えているとタクシーの運転手さんに話しかけられた。
「いやー、旅行とか好きなんですか?」
ちょっと返答に困る質問だ。
「うーん、好き、なのかな。でもいろいろ行ってますよ。今年は特に」
好きなんだろうか、嫌いなんだろうか、よく分からない。たぶん好きなんだろうけど、心が折れてしまっている今の僕は即答できない。
「自転車でお遍路って楽しそうでいいな。わたし徳島に住んでいるけど全然回ったことないんですよ」
「そうなんですか」
でも、そのお遍路ももうリタイアするつもりだ。4.5キロが45キロだったあの絶望。もうあんなもの味わいたくない。このまま駅まで行って徳島駅まで行って深夜バスで東京まで帰るつもりだ。僕にお遍路は無理だったのだ。
「あちこちいかれてるんでしょ。いいなあ」
「そうでもないですよ」
「こうやってタクシー運転手やっているとなかなか旅行にいけないんですよ」
「そうなんですか」
運転手さんとの会話を適当にあしらいつつ、車窓からの景色を眺める。もう焼山寺山からは下山しているようで、山間の平地を走っていた。ポツポツと民家の灯りが見えるその光景に少し安堵した。
「私ね、最近タブレット買いまして時間があるとインターネットばかりみてるんですよ」
「そうなんですか」
「時間があれば旅行サイトばかりみてますよ。旅行に行けないもんですから旅行記とか見ると楽しくてねえ」
ルームミラーに映る運転手さんの顔は屈託のない笑顔そのものだった。
「……そうですか」
運転手さんの言葉だけが妙に心に残った。もしかしたらこの人、僕の記事を読んでくれたのかもしれない。読んでくれたのだろうか、いや、さすがに読んでないだろう。もっと真っ当な紹介記事を読んでるはず。彼が言ってる旅行記と僕の旅行記は種族が違う。
そのままタクシーは石井駅へと到着した。
駅に降り立つ。なぜか駅前は地元の祭りみたいなことをやっていて子供たちが沢山おり、なぜか駅前の階段には地元のヤンキーみたいな連中が何かを威嚇するかのように座りこんでいたので怖くて駅舎の写真とか撮れなかった。撮影したら「んなに撮ってんだよ!」って絶対に絡んでくる。列車が来るのを待っていると、ヤンキーのうちの一人が「あいつの自転車小さくねえ」みたいなことを言い出していたのでいつ絡まれるかヒヤヒヤものだった。
さて、石井駅に降り立ち、ここからリタイア宣言をして徳島駅へと向かって高速バスに乗る。このプランでいこう、そう考えながらホームに立っていた。徳島行きの列車がホームに入って来た瞬間、頭の中で数々のセリフがリフレインした。
それはあの軽トラに乗せてくれた親切なおっさんのものだった。
「全駅制覇とお遍路? なんでそんなことやってるんだかしらねえけど、助けてやったんだ。是非とも最後までやってくれよ」
そして、タクシーの運転手さんの言葉だった。
「旅行サイトの旅行記を見るのが本当に楽しみ」
もしかして、待ってくれている人がいるのかもしれない。こんなクソみたいな旅でも待ってくれる人がいるのかもしれない。それなら「絶望が怖い」なんて言ってる場合じゃないんじゃないか。そう、行くしかないんだ。絶望なんて死んでからだってできる。もう絶望に震えた男はいなかった。やるんだよ。
チェックインした駅 石井
そうと決まれば、全駅制覇に向けて動きださなければならない。絶望している暇なんてない。日が落ちるまでは寺院を巡り、日が落ちてから駅を取りに行く基本戦略で間違いないはずだ。ここはかねてからの懸念であった右上の鳴門線を取りにいくべきだ。
19:37 よしの川ブルーライン 徳島行き
通学や通勤に使われているようで想像していたより本数は多い。1時間に2本程度の頻度で列車がやってくる。ここから北へ向かう路線の分岐駅である「佐古駅」を目指す。やってきた列車に、先ほど駅の前でたむろしていたヤンキーどもまで乗り込んできたので、いつ絡まれるかヒヤヒヤものだった。
チェックインした駅 府中(徳島)、鮎喰、蔵本
ここのホームで30分ほど鳴門行きの列車の到着を待つ。
20:26 鳴門線 鳴門行
やはり列車は通勤通学の人たちで混み合っていた。一気に鳴門まで移動し、駅にチェックインしていく。取れなかった駅がどんどん埋まっていく光景はなかなか快感だ。特に何事もなく列車は鳴門駅へと到着した。
チェックインした駅 阿波大谷、立道、教会前、金毘羅前、撫養、鳴門
駅さえ取ってしまえば鳴門に用はないので、切符の関係で一度改札を出た後、返す刀でそのまま徳島行き最終列車に乗り込む。
21:02発 JR鳴門線 徳島行き
帰り道は当然のことながらもう既にとった駅たちなのでチェックインする意味があまりないので、ゆっくりと車窓に流れる夜の徳島の風景を楽しんだ。
1日かけてぐるっと一周して帰ってきた形になる。
駅前には夜中だというのに謎の新聞を配布しているおばちゃん集団がいて、すごいハイテンションで話しかけてきた。
「兄ちゃん、どっからきたん!?」
とか、人の心に土足で上がりこんでくるかんじでガンガン絡んでくるおばちゃんたちなんだけど、その中の一人が
「その荷物、なんなん?」
と折りたたまれた自転車を指さして言ってくるので
「自転車です」
というと、
「絶対に嘘だ。自転車がカバンに入るはずがない。ババアだと思って適当なこと言っているんだろう」
とか、食い下がってくるので、その場で取り出して組み立てて見せたら。
「本当に自転車やん。でも小さいな」
「うちの子が小学生の時に使ってたやつよりちいさいわ~」
徹底的に自転車の小ささを揶揄された。なんだろう、徳島って僕の自転車の小ささをバカにする県民性でもあるのだろうか、今日何回バカにされたか、と思いつつ、徳島の夜は更けていったのだった。
ということで本日はこれまで。
1日目のまとめはこちら
駅取得状況
寺巡回状況
総評
駅メモに関しては、おもいもかけず廃線がとれたことが幸運だった。この偶然がなければ最後まで取れなかった可能性が高い。ただし、香川との県境の駅、「阿波大宮」ここが取れなかったことが後々大きな障害になりそうだ。
お遍路に関しては1番から9番までは比較的寺院が近く平坦な道のりであったが、10番から様変わりする。特に12番の焼山寺は過酷のレベルを超えているので、手前で宿泊し朝一番でアタックするか、最初からタクシーを使うなどの措置が必要。今回、45キロを4.5キロと見間違えて無謀なるチャレンジをしたことは大きな失態である。お叱りを受けても仕方がないレベルのミスである。心のどこかで舐めている自分がいて驕り昂りがあり、このようなミスに繋がったのだろうと思う。単純に言うと下調べが甘かった。適当にやっても達成できるだろという甘えがあった。ミスをしたことを取り返しがつかないと悔やんでも仕方がない。ミスは、同じことを繰り返した時に初めて取り返しがつかないものになる。二日目以降はこのようなことがないよう、朝方までかけて入念に下調べをした。あんな失敗はもう繰り返さない。
「駅メモ!」と一緒に旅にでかけよう!
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