さようなら、全ての肥前山口! 泣いて笑ってJR最長片道きっぷ2022

ノシャップ岬からこんにちは!

やってきました北海道。これまで3回ほど北海道の廃止予定駅を下車する奇行紀行文を書かせていただきまして、もうそんなに好きなら北海道に住めばいいじゃん! Book•○ffなのに本ねーじゃん! とかいう心の声が聞こえてきそう。でも今回は違う。違うんだ今回は。

違うも何もまずはいつもの自己紹介なんですけど、私はハタチくらいの頃、ちょっぴり鉄道が好きだったばっかりに、日本全国の鉄道に乗ってみたい! 全ての駅に降りたい! などと、大した覚悟もないのに乗り放題の悪魔(一般に「青春18きっぷ」という)と契約して旅を始めました。結果、安くどこへでも連れて行ってもらえる代わりに、全ての駅に降りねばならない呪いをかけられてしまっているのです。

まあ言うなればどこにでもいる普通のパンピーなんですけど、適度に駅に降り立って鉄分を補給しないとパンダになってしまうふざけた体質なので毎年のように廃駅が出現する北海道に行っていたというわけです。

で、ここからが本題です。

シルバーウィーク後半の初日、日本で10路線目となる新幹線が産声を上げました。

佐賀・武雄温泉(たけおおんせん)駅と長崎駅との間約66キロを結ぶ「西九州新幹線」です。まだ部分的な開業ですが、長崎に初めて通った新幹線に地元はヤッホホーイ、オンベレブンビンバ、ウンダラホンダラゲーなどと大いに湧きました。

一方で新幹線が開業すると多くの場合、並行在来線がJRから切り離されるというのがここ最近の傾向ですので、今回も長崎本線あたりが3セクになるのではないかとヒヤヒヤしていました。が、在来線もJRのまま運行されることとなりました。やったね!

ところが、せっかく新幹線ができるのだからと、町の知名度を上げるために「肥前山口(ひぜんやまぐち)駅」という駅名を町名と同じ「江北(こうほく)駅」に変えよう! という動きが「肥前山口駅」のある佐賀県江北町で生じました。過去に新幹線開業で停車駅の名が変わった「渡島大野(おしまおおの)」→「新函館北斗」、「脇野田」→「上越妙高」という例もあります。

でも「肥前山口」くんさあ、キミ新幹線停車駅じゃないよね。

それなのに何故かどさくさに紛れて改称が決まってしまいました。うーん、まあ駅名の変更くらいならわざわざ行かなくてもいいかな…。と思ったのですが、よく考えたら肥前山口駅というのはある層にとっては聖地と言える場所なのです。

それが何かというと…

最長片道きっぷのゴール

ということなのです。

だから何? とおっしゃいますけど最長片道きっぷのゴールというのは西遊記における天竺、旧約聖書におけるエデンの園、ヤマトにおけるイスカンダル、トトロにおける七国山病院なのです。

肥前山口の重要度を理解いただいたところで、そもそも片道きっぷとは何か? それは、同じ駅を2回通らないように経路を設定した一筆書きのきっぷのことです。

その距離をずーーーーっと延ばしていって、最も長くしたのが最長片道きっぷというシロモノです。

で、具体的に言うと、北海道最北端の稚内からぐるーっとたどっていき、この肥前山口を終着点に据えた場合に経路が最長になります。その距離なんと1万キロ超! アメリカ合衆国を寄り道しながら横断しても6000キロくらいなので、日本の鉄道網がいかに長大であるかが分かるかと思います。

さらに西九州新幹線の開業で線路の距離が延びることからゴールも肥前山口(江北)から新大村に変わります。つまり、肥前山口駅をゴールとした最長片道きっぷの旅は2022年9月22日を以て名実ともに終止符が打たれるのです。

廃止予定駅めぐりもそうですが、もう二度とできないのならば記録しておきたくなるのが乗り鉄の悲しいサガです。奇しくも今年は鉄道開業150周年のメモリアルイヤー。これはなんとしても行かねばあるめえ。気付けばみどりの窓口の前に立っていた。

ところで普通にやれば1カ月前後かかるこの旅に社会人の私がどうして挑戦できたかというと、7年半勤めた会社を辞めたからです。イエー! 有休消化イエー! これはもう神の思し召しとしか考えようがありません。誰が何を言おうと俺はやるんだ。

とはいえ引っ越しやら新生活の準備やらもあって悠長な旅はできないため、一部を除きガチガチの旅程を組んで一路肥前山口を目指す修行に出ることにしました。

※マスク着用やアルコール消毒液の携帯など感染症対策をしっかり取った上で実施しました。なお、屋外や他人との距離が取れている場面ではマスクを外している箇所がございます。

きっぷができるまで

そうと決まれば早速北海道行きの航空機に飛び乗りたいところですが、まずはきっぷをつくらねばなりません。旅を始める3週間ほど前でしょうか、当時住んでいた栃木県で最大の駅、宇都宮のみどりの窓口を訪ねました。

「すいません、ちょっとめんどくさいお願いをしたいのですが」

「はい、どうぞ」

「この経路できっぷをつくっていただけますか」

スッ(経路表を差し出す)

「かしこまりました。んん!? これは…確認してまいります…」

と、対応してくれた方は裏に引っ込んでいってしまいました。待つこと約10分。

「お待たせいたしました。発券はできるのですが、大宮支社に確認を取る必要があるので10日ほどお待ちいただけますか。できあがりましたら非通知でお電話差し上げます」

なるほど、これほど経路が長いと即発券というわけにはいかないのだな。電話番号を伝え、よろしくお願いすると1週間ほどでスマホが鳴りました。窓口に行くとお待ちしておりましたとばかりに出してくれました。これがその最長片道きっぷであります。

手書きの「補充券」と呼ばれる紙のきっぷで、長すぎる経路は書き切れないので別紙対応です。さーて、んじゃま、いっちょやってみるかーくらいのノリだったんですけど、いざきっぷを手にすると得体のしれないプレッシャーが襲いかかりました。まるで石田さんに1000万円を託されたカイジ…! 重い…! ただの…紙切れがっ…! だってこの紙っぺらが9万1630円ですよ。うん、先に1000万円の例を出したのが悪かったですけど、約10万のきっぷなんてそうそうないぞ。文字通り運命の片道きっぷとしか言いようがありません。

親に見せたらすげー呆れてたし、ばあちゃんに至ってはそんな旅なんて危ないなどとめちゃくちゃ心配していた。心配してくれる人がいるだけありがたいことなんですけど、ばあちゃん、俺もう30になるんだよ。そう、個人的な理由としてはこれもでかかった。私は何も為しえず30になんなんとしている男なのでとりあえず20代のうちになんかやった感のある実績をつくってばあちゃんに報告しておきたかったのです。旅はいいぞ。なんか達成した感が得られるから。

何はともあれこれで準備が整いました。ではここで、どういうルートをたどるのかを見てみます。

はいどーん。

もう訳が分かんないですね。僕もどこでどうなっているのか、経路をつくったはいいけど全部頭に入っていません。大まかに言うと、北海道から東北に入り、中部や関東を行ったり来たりして近畿、山陽山陰、最後に九州という流れです。線路が1本しかなくて行くことのできない四国と、JRのない沖縄を除く42都道府県を巡ります。うーんアホ。もうアホ。

起点の稚内と終点の肥前山口はともかく、この10年ほどで新幹線が開業したり三江線が廃止されたりして、たどるルートは大きく変わりました。最長片道きっぷをつくるにあたってはこのルートをどうするか、というのも人によって定義が異なるため一概には言えないのですが、私は「JRが現在鉄道として運行している路線」を制覇することにしました。

中にはかつて東北本線から切り離された「IGRいわて銀河鉄道」を組み込むことで距離を伸ばしている方や、東日本大震災で被災してBRTとして再出発した路線を含めている方などもいます。もちろん、いずれもかつてはJRの路線だったのですから、考え方としてはありだと思います。

私はなんとなく現行のJRの路線に統一した方が美しいと思ったまでなのでそれ以上の深い意味はありません。きっぷの有効期間は驚愕の55日ですが、経路内の移動は27日で済ませる計画です。先人たちの挑戦を見ると30日以上かけている方が多いようで、27日はかなり強行軍になる模様です。ま、でもなんとかなるでしょう。やればできる!

7月25日 初日 稚内→南永山

おはよう。薄曇りのいい朝だ。日本の北の果て、稚内は夏だというのに20度を下回っています。それでも肌寒さを感じないのは興奮で上気しているからでしょうか。いよいよこの日、果てしなく無謀な鉄道の旅が始まります。

でも始まりの地がよーく見知った北海道だからかこれからの行程に怖じ気づくどころか余裕すら感じています。いい塩梅のアホですね〜。5億年ボタン押した直後はきっとこんな感じなんだろうな俺。

まだ静けさが残る街なかをバスで通り抜け、冒頭のノシャップ岬へ足を運びます。

稚内に来たら大体の人は一般人が行ける日本最北端の地・宗谷岬を目指すのですが、私は2020年に行ったことがあるのでノシャップに行きました。駅から近いし。

ところでこの岬めぐりは願掛けのようなもので、旅に出た際は欠かさずルートに入れているのです。特に意味はないんですけどなんか果てまで来た! って感じがしていいじゃないですか。朝早いのにもう家族連れやカップルがいますね。こういう幸せそうな人々たちと岬を廻っているのです、ひとりで僕はね。

なんつって最初っから最長片道きっぷの旅を脱線しているんですけど、ほら見て、シカかわいいよシカ。

そこら中に普通にいるのが北海道が試される大地たるゆえんです。道路を堂々と闊歩するエゾシカに圧倒され、自分もこうでありたいとシカに憧れを抱いた。私はシカになりたい。

僅かな寄り道を終え、稚内駅に舞い戻ります。

日本最北端の駅から、はるか九州までずーっと線路がつながっているんですね。そう思うとここは出立にふさわしい場所です。勇者にとってのアリアハン、レッドにとってのマサラタウン、ルークにとってのバチカルみたいなもんです。何でこんなことをするのかって言われても、俺は悪くねぇぞ、師匠(せんせい)がやれって言ったんだ。

Twitterを見ていると、夏休みを存分に使える学生を中心に私と同じようなことを考えているテツがすでに何人かいるようで、稚内の駅員さんは慣れた手つきで最長片道きっぷに入鋏してくれました。「また鬼殺隊の隊士になることを夢見る若者が藤襲山に…」みたいな顔してましたけど。

本当に始まってしまった。

ナメック星に降り立った悟空のように不思議と落ち着いた心持ちで国鉄キハ54形気動車に乗り込むと、10時28分、列車は定刻通り稚内を発ちました。

これから先、どんな過酷な旅が待ち構えているのでしょう。そっと目を閉じこの先の旅程に思いを巡らせながら列車に揺られていると、気付けば岡山県にいました

なんでよ。武士沢レシーブもびっくりの超展開じゃん。こうなったら年表か? いや違うんです。ちゃんと長いながーい旅路を越えてきているのです。ただまあほら、そんな全部順を追っていたら5億年あっても足りないじゃないですか。読む方も書く方も。

一応証拠の写真を載せておきますと、

経路外にある日本最東端の終着点・根室駅にわざわざ行ってみたり、

夜を明かすために立ち寄った新千歳空港駅のロビーでカップ麺食ったり(新千歳空港温泉に泊まりました)、

新青森駅でりんごジュースしかない自販機があるのを発見して小躍りしたり、

山形を愛して止まない前の会社の上司と山形駅で落ち合ったり(停車中に撮影しました)、

角館駅でやたらフレンドリーで親切な駅員さんと盛り上がったり(団扇をもらった)、

長岡駅でフォロワーさんが応援に駆けつけてくれ、そのまましばらく行程を共にしたり、

地元の宇都宮駅で再び前の会社の上司が出迎えてくれたり、

千葉の山奥でトラウマ級のマネキンを見かけたり、

静岡で「泊まれる純喫茶」を営む学生時代の友人の世話になったり、

ムフフな有料VHSがある飯田のホテルに泊まったり、

塩尻駅のめちゃくちゃ細い立ち食いそば屋で腹を満たしたり、

奈良駅の若い女性駅員さん2人が最長片道きっぷに食いついてきたり(ステッカーをもらった。)、

鳥取で念願のすなば珈琲を飲んだり(店長の名刺をもらった)、

降りた駅でもらった下車印とともに、それはもうとてもじゃないけど語りきれないほどのほっこりエピソードがあったわけです。

8月16日 21日目 岡山→広島

そして21日目を迎えた8月16日のことであった!! 身の毛もよだつ大事件が発生したのである。

それまで順調に旅を続けてきた私であったが、時にコンビニ飯、時にネカフェ泊といった負荷がついに祟ったのだ。

その日、岡山<津山線>→津山<姫新(きしん)線>→新見<伯備(はくび)線>→倉敷<山陽本線>→松永と乗り継いできた私はここからさらに西進して広島へと向かう手はずとなっていました。この間にある三原(みはら)駅と海田市(かいたいち)駅の区間は上下に分かれるように山陽本線と呉線が通っています。

 

私は距離が長い呉線を経由し、途中下車をしながら広島を目指す計画を立てていました。

関東じゃなかなか売っていないヨーグルッペを手にして駅名標と一緒に撮るくらいウッキウキです。ここ松永駅でも最長片道きっぷに下車印を押してもらい、そのまま駅員さんと談笑、さらに駅スタンプもばっちり押して、山陽本線で三原駅へ向かいます。

三原での乗り換え時間は3分しかありませんので、山陽本線の電車から降りるや否や一目散に呉線のホームを目指します。乗客もそこそこに出発した列車は瀬戸内海に沿ってのんびり走っていきます。

呉といえば鎮守府が置かれた軍都として知られる都市です。のどかな瀬戸内の島々がある一方、随所に造船所や工場なんかもあっていかにもな雰囲気が漂っているため、僕はとても良(よ)…と思いました。

そして三原を発って約2時間が経過した18時11分、この列車の終着である(ひろ)駅に着きました。

なんだか呉線にはシリーズがあるのかしらないけど広駅、駅、駅とぱっと見「キミなんか足りなくない?」って感じの漢字1文字の駅が3つもあるのです。僕はなんか面白そうって理由だけでこの3駅に降りようとしていました。うーん、浅はか。

どうでもいいけど車内アナウンスがしきりに「この列車はひろゆきです」って言ってたけどそれって「広行き」ってことですよね。行き先を行き先と見抜ける人間でないと呉線を使うのは難しい。

それはさておき呉線最初の下車駅である広に着いたのです、広に。収納しておいたケースから最長片道きっぷを取り出します。ケースから…。あら? ない…? ああ、そうか、リュックに入れたんだっけか。うん、ない。分かったぞ、行く先々で大量にもらってなんだか3キロくらいの重量になっているリーフレットたちの間に挟まっているんだ、そうに決まっている…!! はは…ない!!!

いやーこれアレなんですよ、きっぷなくしたとかいって道中の波乱を万丈にしておかないと記事にしたときに盛り上がりに欠けますからね、んなこといって鞄をひっくり返したらすっと出てくるっていうオチでしょ? 実は最初から落としていなかったっていうオチ。うん、ほら……ほらね、ここに…………ない!!!!!!!

ガチの脂汗が額に滲み、恐ろしさと絶望に膝が震え、まるで余裕で勝てると思っていた最終形態のフリーザにボコボコにされるベジータのような面持ちです。このままでは広とかいう場所で、一生ものの企画が台無しになってしまう…。よく考えろ。手元にないということは、最後に取り出したのはおそらく松永。松永でスタンプを押した際にしまい忘れたんだ、そうに違いないと自分に言い聞かせながら広の駅員さんの元に向かいます。

絶望の改札。もしかしたらここから出られないかもしれない…。

「あの…! すいません!!」

「はい」

「きっぷを…! 最長片道きっぷを…! 落としてしまったようで…!! あの…!! どうしたらよいでしょう!!?」

鬼気迫る勢いでまくし立ててきた旅客に対してたじろぎを見せた若い男性駅員さんでしたが、そもそもいきなりどうしたらよいでしょうとか聞かれてもどうしようもないわけで。順を追って最長片道きっぷなるもので旅をしていること、松永駅に置き忘れた可能性があるということを伝えると、なにやらどこかに電話をかけてくれるではありませんか。これで届いていなかったら本当に終わる、頼む! 届いていてくれ! 悟空ー!!!

「松永にありました」

やった! 神(デンデ)は俺を見放していなかった。すっと全身から力が抜けます。

「ただ、松永駅の窓口はもう閉まっているので、2駅隣の尾道駅まで取りに行けますか」

それはもう取りに行く以外の選択肢がないので二つ返事で取りに行くと伝えましたが、尾道! 現在18時20分を過ぎたくらいですが、広から行くと20時48分に着くのが最速です。広島駅に届けていただくってわけにはいかないですよね、とダメ元で聞いてみるもやはりそれは厳しいとのことで、全ての予定を変更して尾道へ舞い戻ります。

唐突に出てきたからあげ棒。きっぷが手元にないにもかかわらずご好意で改札外に出させてもらって広駅併設のセブンで買いました。こんなときだってのに、舌とお口は正直だなあ。美味いって感じてるじゃねえかよ…。

さて気を取り直してゴーバック。広から戻るといっても一旦呉線で海田市駅まで出て、そこから山陽本線を乗り継いで行く経路をたどることになります。よってとりあえず呉線は完乗、最長片道きっぷのルートはクリアとなります。

 

海田市より東の山陽本線区間はルート的には重複して乗ることになりますが、この惨状をみかねて戻っていいですよと、これまたご好意で通していただきました。もう一生JRについていく。

行くはずだった広、呉、坂の1文字駅名シリーズを泣く泣く諦め(きっぷがないのでいずれにしても途中下車ができない)、家路を急ぐサラリーマンや学生とともに山陽本線の列車に揺られます。

列車を乗り継ぎ広から約2時間、尾道駅手前の糸崎駅を出て、さあいよいよ目的地に着くぞというタイミングでした。

キキーッ

「緊急停車の信号を受信しました」

大きな金属音とともに列車が線路上に止まりました。ええ…そんなことある? 尾道駅まであと数百メートルだぞ…。きっぷを目前にして足止めを食らうさまは現実にしてはできすぎです。ロープレの序盤かよ。もしかしたら俺は誰かの筋書きを演じているだけの悲しきアクターなのでは?

「反対列車が動物と接触したため線路の安全確認を行っているようです」

しかも反対列車かよ!

それからどれほどの時が経ったでしょう。車内は先を急ぐ人たちの怒号が飛び交う阿鼻叫喚の地獄絵図…とはならず、ただ私だけが焦燥感に苛まれていました。それはもう90年代のJ-POPさながらです。なんでみんなあんな生き急いでいたんだろうな。もうあんな世紀末の浮かれっぷりはあと70年くらいないのかと思うと長生きせずにはいられません。まあまずは目の前のきっぷを回収し、この旅を生き長らえさせなければならないんですけど。これで足止めが長引き、もし窓口が閉まってしまったら…考えるだけで身の毛がよだちます。すると…

「こちら側の安全が確認できました」

おおっ。

「8分遅れで尾道駅に到着です。列車遅れまして大変申し訳ございません」

永遠に思えた足止めの時間は僅か8分でしたが、とにかくこれで尾道です。一度通り過ぎていったはずの尾道に舞い戻ってきました。尾道は〜いつか来た道、ああ、そうだよチクショウ。

あとは窓口に声をかければよいだけのはずです。

「すみません…きっぷを落としたゐわむらと申します」

「おお! ゐわむらさん! お待ちしておりました」

非常に快活な駅員さんが持ってきてくれた最長片道きっぷは、イタズラなどされておらず、まさに私が松永駅に置き忘れたときのままでした。

「まだ先は長いのにこれなくしたら大変だろうなあって、発売元の宇都宮駅にも聞いたんですけど(落とし主が)分からなくて…」

なんと私が困っていると思って、JR西日本の駅員さんたちは、わざわざ会社の違うJR東日本の宇都宮駅まで問い合わせるなど救済のためにあらゆる手段を講じてくださっていたのでした!

「無事に渡せてよかったです。でも旅程変わっちゃって大変ですねえ」

なおも私の身を案じてくれます。聖人かな?

ところで、のちのち松永駅を訪れたTwitterのフォロワーさん曰く、松永の駅員さんは、最長片道きっぷの話で盛り上がった旅人がその大事な最長片道きっぷを窓口のカウンターに置き忘れていったものだから、これは大変と必死に動いてくださったそうです。感謝してもしきれない思いでいっぱいです。

そうして多くの人に迷惑をかけながらやっと手元に戻ってきた最長片道きっぷ。10那由他パーセント自分が悪いのに、駅員さんたちは皆親切に、そして自分ごとのように対応してくださいました。ご迷惑をおかけし、大変申し訳なく感じるとともにこの場をお借りして心より御礼申し上げます。

しかし置き忘れたのが山陽本線という幹線だったことがせめてもの救いです。わけのわからない山中の半分無人駅みたいな駅だったら全てが終わっていました。さらにたまたまゆとりのある行程を取っていた日で本当によかったです。でもこれで心置きなく広島に向かうことができます。今通ってきた山陽本線をまた戻ります。

「えー、前をゆく列車が小動物と衝突して停止しているためこの列車発車できません」



 

 

 

 

その後も1日に3本しかない芸備(げいび)線が大雨で運休、その雨のせいでシャツが透けるなどのTo LOVEるに見舞われつつも冷静で的確な判断と多少の無理をもってしてなんとか行程を元に戻したり、

備後落合(びんごおちあい)駅で最長片道きっぷ“風”(経路をミスって最長ではなかったそう)の旅をしている方と出くわしたり、

たまたま夏休みダイヤのため臨時で走る特急やくもで深夜の出雲市駅を目指したり、

庵野秀明監督の故郷・宇部新川に行ってみたり、

ほんで階段を駆け上ってみたり、

その宇部新川の街なかでやっていたエヴァコラボの2号機パンケーキ(880円)を食べてみたり、

宇部興産の工場のデカさに驚いてみたり、

小野田線と美祢(みね)線でやっている国鉄時代のスタンプの復刻ラリーに手を出してみたりと

最長片道きっぷにかこつけて趣味に奔走していました。僕は別にオタクではござらんので列車はただ移動するために乗っているだけでござるよ。プフォ。

8月19日 24日目 長門湯本→都城

そうして迎えた第24日。朝6時過ぎに長門湯本の温泉宿を出発、追加運賃を払って美祢線を行ったり来たりして引き続き復刻スタンプを集めます。

長門市駅で集め終わると窓口でコンプリートスタンプを押させてもらいました。ついでに景品の記念乗車証をもらって朝から上機嫌です。単純なやっちゃ。

鳥居だらけで御利益のありそうな123番線を擁する長門市駅から乗り換えるのは山陰本線。

24色のクレパスで描いたかのような絶景が広がります。窓の下には日本海。いよいよ本州の最果てにやってきた感があって小さな胸がカタカタ高鳴ります。

途中、難読駅名で知られる特牛(こっとい)を通過(なぜか係員が一人降りていった。何もないのに)、駅舎内にネチコヤンがいるようでのどかな雰囲気が漂っています。

海を右手に望みながらさらに南下し、下関が近づいてくると閑散としていた車内はにわかに活気づいてきました。

長門市を発って約2時間、下関の1駅手前の幡生(はたぶ)で一度降ります。というのもここが制度上、山陰本線の終着駅だからどんなもんか見ておきたかったのです。

果たして幡生は味のある木造平屋建ての駅舎で、普段使いの女子高生たちが待合室で列車を待っていました。

ちなみにこれは駅の隣にあるトイレです。「便所」の文字より「幡生」の文字の方がデカい始末。駅名標をトイレに出すな、発車メロディを音姫にするぞ。

幡生から1駅移動して下関にやってきました。

7月28日に新函館北斗から新青森に到達してから、ひたすら突き進んできた本州の最後の駅がこの下関です。本当に長かった…。冷静に考えて旅の日数、24日目って意味が分かりませんもんね。バカンスに来たヨーロッパ人かよ。感慨深いものがありますが、区切りではありますが、まだここはゴールではないのです。

ほら、見てくださいこれ。

下関駅に停まっている列車のボディにあしらわれたJRロゴが九州のアツい赤色に変わっているではありませんか。そうなんです、まだ九州地方がまるまる残っています。マジで?

下関での滞在もそこそこに、12時38分、それなりの数の乗客を乗せた列車が本州を出発しました。

かつて山陽新幹線で関門海峡を越えたことはありますが、在来線で往くのは初めてのことです。関門トンネルがどんな感じなのか、じっくり味わおうじゃありませんか。わくわく!

気付いたら門司(もじ)駅に着いていた。えっ、関門トンネルは? さっきなんか一瞬薄暗くなったやつがそうなの? これ?

青函トンネルみたいなのを想像していたから、あんまり秒すぎて実感も何もなかった。後で調べたら3.6キロしかないんだって。僕は、橋でいいじゃん…と思いました。でもその後よく調べてみると関門トンネルの歴史は古く、開通した1942年は橋を架けるよりトンネルを掘った方が安上がりだったんですって。えー、すごいなあ。田口トモロヲさんのナレーションでドキュメンタリーつくってくれれば見るよ俺は。

ともあれ九州入りを果たしたのでこの旅もいよいよ最終章に突入である。そろそろ全国で集めてきた刺青人皮の謎が解けますよ(集めてない)。ごめんけどもうちびっとだけ続くんじゃ。

門司からは鹿児島本線で小倉へ行くのがこの後のルートなのですが、せっかく門司に来たのだから追加料金を払って末端区間の門司港駅に行きなさいという天のお告げが聞こえてきたので従うことにしました。乗り換え時間が9分しかない中できっぷを買ったり駅舎の撮影をしたりしていたら滝行? ってくらいの汗が噴き出してきました。

時間に追われながら猛ダッシュでホームに舞い戻ったのですが、肝心の列車が数分遅れで入線してきやがりました。俺の汗を返せ。

門司港駅はその駅舎が国の重要文化財に指定されていて、2019年には大正時代の姿に復元されました。そんな大正桜に浪漫の嵐が吹き荒れる駅だけあって、ウォーリーを探せかなってくらい観光客がそこかしこにいます。駅名標なんて今まで撮ったことないでしょ? っていう感じの楚々とした女性やら、よーしパパ写真撮っちゃうぞ〜なんつって特盛り頼んでる男性やらがいて、一様にホームで撮影に勤しんでいますから、ちょっと駅舎をレトロ風なつくりにしてやれば大挙したインスタグラマーとミーハーさんたちのおかげで鉄道は安泰なのでは。

まあ私も人のことを言えるほど高尚な人物ではないので、その一団と同様にグフグフ言いながらシャッターを切っておりました。しかし本当にレトロなものが多数残っているんですね。

建物の一部やら水飲み場やら。

そして個人的にはツボだったのはこちら。

関門連絡船通路跡です。塞がれてしまってトマソンになっているんですけど、過去に思いを馳せることのできる空間ということでまさに芸術。でもトマソンってのは超芸術っていうくらいだから芸術的な感じになっているものはトマソンじゃないのかな。ルミナルスペースのが近いのかしら。いずれにしても心惹かれる場所であることに違いありません。

40分の滞在では全然足りないほど魅力あふれる門司港駅でしたが、ここで行程を変えるとまためんどくさいことになるので予定通り出発することにしました。鹿児島本線の普通列車で小倉を目指します。

小倉は山陽新幹線が停車しますし、モノレールも走っているデカい駅です。デカい駅は駅舎の撮影が非常に面倒くさいうえ、接続が良すぎる傾向があるのですが、この小倉も例に漏れず15分しかない時間で撮影やらスタンプの押印やらを済ませなければなりません。もう発狂しそう。

無駄に3Dの機動戦士がいました。駅員さんが頑張ったんだろうなあと感心しているヒマもないくらい時間に追われていたんですけどね。駅弁すら買えなかった。赤くなれば時間を3倍速にして使えるのになあと思いました。

14時09分の発車ギリギリで乗り込んだのは大分行きソニック27号。約1時間半の旅路です。九州の東を走る日豊本線側には新幹線が通っていませんから、日常の利用も多々あるのでしょう。家族連れの姿も見られ、車内アナウンスに4歳くらいの男の子が律儀に返事をしていたよ。かわいいね。

「JR九州をご利用くださいましてありがとうございます」

「はいっ!!!」

素直でいいねえ。僕もレールに沿った人生を送っていたら家族で旅行とかに出ていたのかしら。学生時代に散々、ゐわむらくんて子供いそうだよね〜分かる〜とか言ってきた同級生たちの方が立派な親をやってるじゃねえかよ。どうなってんだ。

小倉を出た列車は瀬戸内海なのか太平洋なのか分からない海を左手に望みながら下っていきます。

これはUSA…!

唐突に現れたUSAの文字。ここが自己の領土と主張するアメリカ当局による謎のオブジェクト…と見せかけて大分県は宇佐市を示す看板です。実は九州っていうのはアメリカ51番目の州なのかな。

それから大分時間をかけて大分にやってきました。ホームに降り立ってまず目に飛び込んできたのがこれ。

もっと推すものなかったの? 初めて来た人が期待しているのはおそらくこれじゃない。スダチとどう違うの? (編集部注:大きさも味もぜんぜん違います。)

改札口に降りる階段のところに温泉マークがありました。最初からこっちを推しなさいよ。もうカボス見ちゃったからカボスの口になってるよ。

酸っぱい口にして改札口に行くと真っ赤なポロシャツを着た若い男性駅員さんがいました。小倉でもそうだったんですけど、どうも西九州新幹線の開業を前にして駅員さんはロゴの入った赤いポロシャツでPRしているようです。夏だし制服のワイシャツより涼しげでいいですねえ。で、その爽やかさほとばしる駅員さんが下車印を押すなり「今何日目くらいですか? 頑張ってください!」なんてステキな笑顔で言うもんだからちょっと惚れた。

大分駅、県庁所在地の駅にしては小さめだけど、これ、この駅名標の文字がめちゃめちゃ良い。反りの美しい「大」に、上の部分がつながっている「分」、さらに点を省略している「駅」…やはり第一種駅名標はこのようにデザイン性に富むべきですよ。

だよなあピカチュウ? 交流2まんボルトだ!

大分では特急を乗り継ぎ、にちりん15号で一気に宮崎へ向かいます。うん、特急で3時間半。冷静か? 乗り込んだ6号車は私を含めて3人しか乗っておらず、ちょっぴりにちりんの行く末が心配になりました。日輪刀とか言って鬼を斬る漫画とコラボとかしてなかったっけ、それがこんな体たらくでいいの? と思ったけどコラボしていませんでした。していたのはSLとかでした。

まあでもこれなら心置きなく飲んじゃうもんね。

言っていませんでしたが、酒は車内もしくは宿で毎日欠かさず飲んでいます。鉄道旅ならではですからね。真っ昼間っから飲んだっていいんだこっちは。

大分川や大野川を越え、

大分から世界を目指す造船会社をめざとく見つけ、

法面に落ちる列車の影に時間が経つのを感じ、

普通列車が上下線合わせて3本しか止まらない秘境駅・宗太郎(そうたろう)に思いを馳せ、

窓に広がる青い海を見ながら、人のいない車内で旅の行く末を案じます。

「のべおか〜 のべおか〜」

ふん、宮崎はまだ先か…なんつって誰に見られているでもないのにたそがれてかっこつけてたら延岡で仕事帰りのサラリーマンがこぞって乗り込み一気に乗車率5万パーセントくらいになった。もうちょっと浸らせてくれよ…。

時刻は19時29分。すっかり夜のとばりが下りた宮崎駅の改札で下車印を所望すると、これまた若い男性駅員さんが「頑張ってください! お気をつけて」と送り出してくれて、九州ってのは気温だけじゃなくてなんかこうハートもアツい土地柄なのかとモーレツに感動し、滝のような涙が流れ出ました。

君たちどこの県でもいけるやつじゃん。

そんな犬のいる宮崎で宿を取っても良かったのですが、翌日のことを考えるともう少し移動しておきたいところ。もう一踏ん張りするために駅ナカにあるうどん屋で夕食とします。注文したのは天ぷらうどんなのですが…。

出てきたのは魚のすり身がのったうどん。あれ、オーダーを間違えた? と一瞬やっちまった感が出ますが、宮崎ではこいつを天ぷらと呼ぶんだっちゃ。やさしい味わいのうどんが疲れた身体に沁みます。

宮崎の駅名標はなんとローマ字も縦書き。

長いこと駅をめぐってきたけどアルファベットを縦に書く豪快さを見せているのはここ以外に知らない。新幹線のない駅どうし大分と駅名標のユニークさで競っているのでしょうか?

この日最後の移動は20時23分発の普通列車。都城駅を目指します。

1時間ほどでたどり着いた駅は知名度の割には閑散としていました。

物寂しさがありましたが、個人的にちょっぴりテンションが上がるものを発見しました。

観光案内所の上部に吊り下げられた黄色いユニフォーム。実はこれ、我が地元栃木県のサッカーチーム、栃木SCのウェアなのです。そういえば確かに開幕直前のキャンプは都城でやっていたな…。まさか遠く離れた九州で地元チームのことを思い出すとは考えもしなかったので、まるで海外で日本語に出くわしたときのような感覚です。あれは感動するよなあ、昔グアムのコンビニで「ツチマヨ」おにぎりが売ってたもんな。あと通りには「マッサーツ」屋さんがあった。こええよ。

それはともかく、栃木SC、天下の読売巨人軍のウェアの隣に置いてもらっているぞ…。都城ならGに並べる、都城ならGを超せる。J1に昇格しろとは言わないからせめて残留争いをしないで済むようにシーズンを終えてくれ。

都城の宿はこちらです。

もうこの旅で何度利用したか分からない快活CLUBです。快活は空いていればマッサージチェアのブースもあるし、ドリンクも飲み放題だし、ネットも好きなだけ接続できるし、ブランケットもあるし、気にしなければ夜を明かすには悪くない施設なのです。

ただ一つしくったのはこの店舗にはシャワーがなかったということ。立地と利用料だけに目が行ってシャワーの有無を確認するのを忘れてしまいました。夏なのでシャワーを浴びられないのは結構致命的なのですが、いや致命的っていうのは言葉のあやであって風呂を抜いたからといって死に至るわけではないのでボディシートで堪えました。もっとも、これが2日以上続くと社会的な死に至るでしょうが。

8月20日 25日目 都城→平成

時刻は朝の5時です。夜が明け切ってねー。でも早起きしたら草むらでネチコヤンを見つけました。かわいいね。

全然人気のない都城駅ですが、列車はぽつねんと出発の時刻を待っていました。これから乗るのは吉都(きっと)線。吉松と都城を結ぶ60キロ余りのローカル線です。都合のいいことにそのまま肥薩(ひさつ)線に直通するため一気に隼人(はやと)駅まで行くことができます。

国鉄時代のキハ47形で風情があるのはいいのですが、見渡す限り私しか乗っていません。え、じゃあ普段はゼロ? だのに2両編成なのは何か理由があるのでしょう。いずれにしても普通運賃で貸切運行をしていただけるなんて、ありがたく満喫させていただきます。

のどかな田園地帯を走る列車は、どことな〜くふるさと・栃木を思い出します。まだ薄暗いということもあって、少々うとうとしてしまいました。するとどうも様子がおかしいのです。初めて乗る汽車なのですが、先程からしばらく駅に停まりません。乗客は私のほかにいません。

東高崎駅に停車しました。

た、高崎…!? なんということでしょう! 宮崎県にいたはずが、少しうとうとしている間に群馬県にワープしてしまったのです! その証拠に、群馬の肥沃な大地から採れるというだるまが駅名標にバッチリあしらわれています!! さらに遠くの方で太鼓を鳴らすような音が聞こえてきました。太田太鼓に違いありません!!! きっと(吉都線だけに)トチギ人である私を消しにグンマーから来た追っ手です。ひもかわうどんでぐるぐる巻きにされたのを那須与一が弓で助けてくれたところで目が覚めました。うん、嘘。でも栃木と群馬には埋められない溝があるのは本当。東高崎が宮崎県なのも本当。

グンマーの追っ手から逃れ逃れて逃れて飲んで、列車は小林駅で交換待ち合わせのため一時停止しました。

小林、なんだか妙に引っかかる。初めて来る土地なのに。なんだっけかなー、なんだったかなー。なんだ? んだ?

「ンダモシタン…」

これだ。数年前に私が大いに度肝を抜かれた動画だ。マジでこの発想をした人に5億兆いいねくらいあげたい。公式動画があるからとりあえず2回くらい再生してください。

まあ別に僕が誇ることでもないのですがふと思い出したので紹介してみました。そして気付くと小林でおじいちゃんが乗ってきました。ンダモシタン…。

時刻は7時半、列車は吉松駅に着きましたが肥薩線に直通するのでそのまま乗っていればよいのです。が、全然出発する気配がないので改めて時刻表を確認してみたらここでも10分ほど停車するではありませんか。ラッキー! いったん下車しちゃお。

なんか腹立つなあキミ。

よっしゃ、吉都線の起点なんだから朝早いっつっても駅員さんいるだろ! スタンプ押したろ! と意気込んで窓口に行くと誰もいませんでした。

ていうか今年無人化されていました。起点ぞ。駅前には蒸気機関車が静態保存されているし、待合室には駅ピアノが置かれているし、するかね無人化。

肥薩線としてずんずん進んで行く列車は、明治36年に開業して以来の姿が残る木造駅舎の嘉例川(かれいがわ)にも停まります。

本当は降りてみたかったけど行程に支障を来すので華麗に(嘉例川だけに)スルーしました。

そして8時27分、隼人駅に着いたのでありモス。

色黒で変な眉毛の薩摩隼人に斬りかかられたらどうしようと思いましたが、普通に西九州新幹線の赤いポロシャツを着た駅員さんが出迎えてくれました。この日、ようやく営業中の有人駅にありつけましたので、とあるきっぷを仕込んでおきます(活躍は後ほど)。

ところで駅前には西郷どんゆかりの地と書かれていますけど、駅名標の横には島津家の家紋がどんと構えます。この島津家の家紋、こんなところにも書かれていました。

なんでもありか。いや、今にして思えばこれ島津家専用便所だったのかもしれません。世が世なら猿叫する自顕流の男にたたっ切られていたことでしょう。よかった現代で。

隼人で日豊本線に乗り換えて鹿児島中央駅を目指します。

さすがに政令指定都市に向かう列車だけあって車内はかなり混雑しています。吉都線に分けてあげたい。

どんどん進んでいくと窓から鹿児島のシンボル・桜島が見えました。雲がかかっていても圧倒的な存在感を放っています。

余裕があればフェリーで往復しても良かったのですが、この日は別の寄り道があるので桜島観光はパス。

これは以前桜島を訪れた際に行った「噴火により埋没した鳥居」ですので見ておいてください。いいところですよ。

めちゃくちゃ人のいる鹿児島中央駅。本来は鹿児島本線を北上していく場面ですが、ここで寄り道発動です。せっかくJR最北端の駅・稚内からずーっと旅をしているのです。

どうせだったらJR最南端もクリアしておきたいじゃないですか。ということで先ほど隼人で仕込んでおいたきっぷで指宿枕崎線を乗り潰します。指宿枕崎線には「指宿レール&バスきっぷ」という、鹿児島中央駅から指宿駅間または西大山駅間を、特急を使って往復できる割引きっぷがあるのですが、これはネットで購入して窓口などで発券する必要があるのですね。別に鹿児島中央駅で発券してもらってもよかったんですけど、多分この先の人生で隼人駅できっぷを買うことはないと判断したので、先ほど仕込んだというわけです。

特急使えるけど、時間が合わないためひとまず鈍行に乗ります。

2両編成だけど結構混んでるなぁ! 吉都線のガラガラだった1両をこっちに回してくれよ。まあ海側ではないにせよボックスシートの一角に座れたのでよかったのですが、これがちょうど車輪の上なのかまー揺れる揺れる!!

横にじゃないのよ、縦になのよ。スーパーファミコンのカセットの気持ちが分かりました。ほら、イジェクトボタン押すと勢いよく飛ぶじゃないですか。あんな感じ。マジでそんじょそこらの遊園地のアトラクションより跳ねる。そのうち徐々に空いてきたので海側のロングシートに移動したら全然揺れないでやんの。

指宿に着くと車内は途端に寂しくなりました。やはりみんなここで降りてしまいます。残っているのは数人を除けばテツのツワモノばかり。ほう…。

閑散としてきた車内でしたが、竹林みたいなところを走っているのか車体にめちゃくちゃ竹の葉が打ち付けてきてやたらと騒々しくなります。すると「窓を開けているお客様、この先竹や笹が多く生えている区間を通ります。窓から顔や手をお出しにならないようにお願いします」なんてアナウンスが入りました。そんな注意ある?

竹ゾーンを抜け、列車はまもなくJR日本最南端の駅・西大山に着きます。西大山、確かにJR最南端なんですけど、言うなれば二次関数のグラフの放物線の頂点に位置する駅なので終着点というわけではありません。

だもんで降りてしまうとそのまま列車は進んでいってしまいます。そういう意味ではレールの最後である終点の枕崎には行っておきたいのでここで降りるのは得策ではない、涙を呑んでスルーしようと思っていました。するとさすがというべきか、西大山で2分ほど停車するというではありませんか。列車交換待ち合わせとかではないので純粋に旅客サービスということなのでしょう。JR九州大好き! 2分もあれば余裕です。

はい!

桜島同様、開聞岳も雲がかかっていてよく見えませんでしたが、とにかくJR最南端の駅もクリアです。

ところで西大山、半ば観光地化してしまっていて車で来た観光客がめちゃくちゃいました。まあ私も以前は車で訪問しているので人のことは言えないのですが、列車も使おうな。2分ぽっちとはいえきちんと列車で到達し、駅の土を踏んだということに意義があるのです。これで心置きなく枕崎に行ける。もちろん、この先のきっぷもちゃあんと隼人駅で買っています。

西大山を後にしようと列車に乗り込んだとき、尻に違和感がありました。うん? 何か寂しい?

あっ、そうか財布がないんだな。シートに置き忘れてきたのか、あっぶねー。果たして財布は座席にありませんでした。おっと? リュックにしまったんだっけ? リュックを開けてみますがありません。え、ない??? いや待て落ち着け、こういう時は複素数を数えて落ち着けばいいんだ。a+bi

そうだ…俺は一度席を移動したんだ。そうか、そういうことか! 財布は移動前の席にあるはず! 真実はいつも一つ! 何事もないかのように、焦りなど微塵も表情に出さずちょっと前まで座っていた縦揺れの激しいボックスシートを覗いてみます。ほら、見ろ! ない!!! なんでよ!!!!!

きっぷを落としたときはこの旅が終わるだけなのでまだ諦めもつきますが(つかない)、財布はヤバい。現金はもとより、免許にマイナンバーにクレカにキャッシュカードに、指宿枕崎線区間のきっぷに、かつやの100円引き券が入っています。万一のことを考えるとまずはどこに連絡だ、警察か? JR九州か? カード会社が先か? 0.05秒の間に色々なことがめまぐるしく駆け巡り、とりあえず自席に戻ろうとしたその瞬間!

「あのー、先ほどこちらに座っていた方ですか…?」

めちゃくちゃ揺れる反対側のボックスシートに座っている若い男性から話しかけられました。

「ええ、そうですが…」

「財布落とされました?」

!!! おっ!!! もしかして持っていてくれたのでしょうか!!! ヒョー、焦らすなよ〜。

「そう! 落としました!!!」

「あの…すでに降りてしまったのかと思って…(有人駅の)指宿駅で降りる方に指宿駅に届けてもらってしまいました…」

!!!!!! そ……ッッそうきたかァ〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!! いや〜、落とした俺が8542不可思議パー悪いんですけど、枕崎までのきっぷも財布ン中入ってんねんぞ。どないすんねんこれ。私はひとまず礼を言い、すごすごと自分のシートに戻ります。

指宿枕崎線は下り列車がそのまま上り列車として折り返すくらいの閑散路線なのでとりあえず終点まで行ってそのまま戻るほかありません。ほんで冷静になって考えるとこれ指宿駅に届けた言うけど、あるという確証もないじゃないですか。心配性なので車内でひっそりと迷惑にならない程度の声で駅に電話してみると、中身もそのままに届いているというではありませんか!

いやー、日本は本当にすげえよ。届けてくださった方、マジでありがとうございました。電話口できっぷが財布の中に入っているから無賃乗車じゃないですよね、と念を押しておきました。

ただこれで指宿に戻るまで文無しが確定しました。稚内駅からひたすら乗り継いでやってきた枕崎駅は特別な思いがあります。JR最南端の駅は先ほどの西大山でしたが、枕崎はJR最南端の始発・終着の駅なのです。だもんで記念の到達証明書的なのが売っているようなんですが、おそらく現金しか使えない。せっかく行ったのに何もお土産を買えずに戻るのも悲しいものがあります。電子マネー使えろよ…。ん? 電子マネー…?

ひらめいてしまいました。悪魔的ひらめきです。このときばかりは俺も利根川くらいになら勝てると思いました。

手順はこうです。まずは先ほど親切に財布の所在を教えてくれた青年の元に、お礼を伝えに行きます。

「ありがとうございました。財布、指宿駅で保管してくれているそうです」

「それはよかったです」

すかさずたたみかけます。

「で、ちょっとご相談があるのですが、きっぷの入った財布が指宿に行ってしまったものなので列車から降りられなくなってしまったですねぇ(ニチャア)」

「はい」

「後生ですから1000円貸してください」

「え」

「現金ではなく申し訳ないですが、PayPayでこの場でお返しします!!!」

「あ、そうか、そうですよね。きっぷもないんですもんね、いいですよ」

あなたが神か。本当にこの世はまだまだ捨てたもんじゃない。この菩薩のような青年に平身低頭衷心よりの御礼を申し上げ現金1000円を手にすることができました。すでに最長片道きっぷを落としている者だ。あつかましさが違う。

そんな危機的状況を知恵と工夫で乗り越えながら無事に枕崎駅にやってきました。やってきたはいいけどまずは運転士さんにも事の次第を説明せねばなりません。場合によってはここで足止めを食う可能性もありましたが、むしろ心配そうに通してくれました。本当にやさしいせかいですよここは。

本土最南端の始発・終着駅の看板には稚内駅まで3099.5キロと記されています。頑張れば青春18きっぷ1枚、つまり5日間でも行けるそうなのですが、私はというとその5倍の25日間かけてやってきました。いやー、長かった。長かったけど別にこれは本編とは関係のない隠しゴールみたいなもんなので、スーパードンキーコングでいうならクリア率を101%にするために立ち寄ったような感じです。

駅前にある観光案内所に立ち寄ると、ありました、到達証明書。さっきの1000円から発行料200円を捻り出し、無事に手に入れることができました。案内所内には南と北の始発・終着駅と書かれた看板がありました。似たようなものを稚内駅でも見ましたね。改めて線路はつながっているということを実感します。

ところで時刻は正午を回っていますのでいい加減おなかが空いてきました。近くのスーパーでなにか調達することにします。何せ俺は現金800円を持っているからな。なんでも買える。

買い物を終えスーパーを出ると途端に雨が降ってきました。涙のような雨が枕崎を濡らしますが、そんなことはお構いなしに私は一仕事終えた感があるので飲むことにしました。

アテは枕崎産のハガツオの刺身です。

枕崎といやあカツオよカツオ。え? ハガツオはハガツオであってカツオじゃない? そうなの? こまけえこたあいいんだよ。でもあんまり急いで買ったもんだから醤油をもらい忘れた。素材の味を堪能してやったわ。現金もぴったり使い切ってやったわ。

ほぼ貸切の列車の中で第三のビールを呷りながら地の魚の刺身を食らう。ホントは第三の男がテーマ曲のビールをえびす顔で飲みたいんですけどね。私はというと財布を落として大惨事の男です。

14時44分、いい気分で指宿駅に戻ってきました。一目散に窓口に行けば、愛しの我が財布に再開することができました。本当にありがたい限りです。財布を取り戻したところで、実はお楽しみはここからというべきか、指宿枕崎線はまだトピックスがあります。

それがこれです。

指宿のたまて箱、通称「いぶたま」という観光に特化した特急列車です。特急も乗れる「指宿レール&バスきっぷ」がようやく本領発揮です。

JR九州はD&S列車なんつって魅力的な特急を至るところで走らせています。いいじゃん、たまにはこういうのもさ。観光列車だから周りはだいたい家族連れかカッポーだけどな! でもこういうときに恥ずかしがっていては本当に惨めになってくるので、独りだろうが何だろうが開き直って楽しむのが大人というものです。

だからね、さっきすでに1本飲みましたがここでもビールとつまみ、

さらにデザートまで買ってしまいました。

ああ! 財布があるって素晴らしいなあ! 先ほどの穴を埋めるかのように理外の豪遊をしてしまった今の俺は大槻班長の食い物にされる自信があるぞ。

夢のようなひとときもいつかは終わりが来るもの。気付くと列車は鹿児島中央駅に着いていました。はて、1時間も乗っていただろうか。まるで竜宮城にでも連れていかれたかのように時間の感覚が狂っていましたが、おじいさんにはなっていなかったのでわしは大丈夫じゃ。

ちなみに、いぶたまの車両が黒と白なのは、玉手箱を開ける前後の浦島太郎の髪の毛の色を表現しているんですって。

鹿児島本線に乗り換えて本来のルートに戻ります。目指すは川内(せんだい)です。鹿児島本線はいったんそこで途切れ、肥薩おれんじ鉄道が八代駅までを中継します。かつてはこの区間も鹿児島本線でしたが、九州新幹線の開業により経営分離されてしまいました。だもんで川内から新幹線に乗り換えて新八代まで向かいます。新幹線に乗るのは新大阪から西明石の区間で使って以来久々だなあ。

乗車時間は約30分。超特急であっという間に熊本県に入りました。

新八代駅の前にはメンガーのスポンジみたいなオブジェがあって、ぼくは「わぁいフラクタル、あかりフラクタル大好き」とおもいました。

解説文を読んでみると、なるほどわからん。おらぁ美大を出ちゃいるが、何者にもなれなかった者なので全くわからん。芸術も数学と同じで常人には理解し得ない世界が広がっているようです。

駅舎内には花火を抱えたくまモンさんや、

八代亜紀さんの絵画などがあり、あれやこれやで八代市をアピールしています。

ちょっと寄り道して八代駅も訪れるとやっぱり駅前にはくまモンさん。今度はバンペイユを手にしていました。なにバンペイユって? スダチとどう(ry

くまモンさんはどうしても何か持っていないといけない決まりがあるんでしょうか。八代を後にして普通列車で熊本を目指します。

19時50分、すっかり暗くなった熊本駅に到着すると、やっぱりいました。

おーい、また会ったな、くまモ…ン…?

なんでしょう、どこか物憂げな感じがします。これまで持っていたものを全て取り上げられてしまったからでしょうか。でも気をつけろ、クマは一度手にしたものは自分のものだと認識する習性があるからどこまでも追ってくるぞ。

くまモンさんがついてくる前に自分も夕食にしようと、熊本駅で何かお店を探してみると早速ありました。

桂花って、ロゴは見たことあったけど熊本ラーメンだったのか。極力ご当地のものを食べるのが私の旅の流儀なので迷うことなく入ります。

マー油の効いた豚骨ラーメンが付かれた身体によく沁みます。なんか毎日麺食ってるし、毎日食ってるものが身体に沁みているな。

さて、おなかが満たされたところでこの日の宿があるところに移動します。経路の外になるので追加料金を払って豊肥(ほうひ)本線で1駅だけ進みます。その名も平成駅。

すでに過ぎ去りし時代、私が生まれたのと同じ年に開業したその駅に降り立ち、宿泊地へと向かいます。15分ほど歩いてたどり着いたのはここ、

湯らっくすです。

全国のサウナーたちがこぞってととのいに来るという名高い場所です。いうてね、でもスーパー銭湯でしょ? 別に夜を明かせればいいのよ。なんて思っていた時期が私にもありました。

アレだ、100点満点で完璧だ。熱波師がなんかでっかいタオル的なものをぶんぶん振り回すアウフグースイベントをやってくれるし、水風呂は阿蘇の天然水がキンキンに冷えてやがるし、外の椅子でととのっていたら風を送ってくれるし、ゆったりできるサウナもあるし、前日の夜に流せなかった汗を快適な汗でさっぱり流します。いやーなんかもうここに住めるわ。

あんまりにも良(よ)…ってなりすぎたので、普段はたけーよ! つって絶対に注文しないオロポを、しかもダブル(600円)を、一息で飲んでしまいました。

マッサージチェアで背中をほぐすなんてこともできます。控えめに言って最高です。これほど満足度の高い施設なのに、休日料金で夜通しいても3300円ですよ? バグってない? 大丈夫?

この日は土曜日で混んでいたため横になれるリクライニングシートはいっぱいだったのですが、ヨガルームを開放してくれたため寝そべることができました。雑魚寝ではありますが、低反発的なマットもあるしタオルケットもあるし、その上コンセントも完備されているので言うことありません。ととのった身体はほどなくまどろみの中へ落ちていきました。

8月21日 26日目 平成→佐賀

「はい! 皆さん起きてください!!」

気持ちよく寝ていたらいきなり起こされた。時計を見ると朝7時を回ったところ。まだ眠いんですけど。臨時で開放されたヨガルームは7時までしか使えないようで、寝床難民たちが横になれる場所を探してゾンビのようにさまよい始めました。

私も畳のベンチに横になりましたがもう二度と寝付けることはありませんでした。この日はわりかしゆっくりでも大丈夫な行程を組んでいたのですが、たたき起こされてしまったのでのそのそと出発の準備を始めます。

Googleマップ先生に聞いてみれば平成駅の近くに某ハンバーガーショップがあるので朝マックとしゃれ込むことにしますか。朝の平成駅を素通りして大きな通りに繰り出します。まだ7時台だというのに歩いているとうっすら汗をかいてきます。8月も下旬ですがまだまだ暑い。さて、地図だとこのあたりなのですが…

更地になっていました。

更地? サラチ? エグチの新しいやつ?

おいーーーマジかよ。あれよマックよー。Googleマップ先生もおめえ、更地になってんだったら「閉業」とか書いとけよ。あとで調べたらリニューアルのため一時休業中なんだって。リニューアルどころかリビルドしてますがな。もうゴールも近いというのにこんな感じで大丈夫か?

キミまた会ったな。誰なの?

平成駅から熊本駅に戻るとこいつにもまた会いました。

なにわろとんねん。

嘲笑するくまモンさんに別れを告げて改札に向かうと、電光掲示板に「大雨の影響の為、列車の運転を見合わせています」とか出ている区間がありました。こういうときは時間にゆとりを持って行動しないと行程が瓦解するということを身に染みて実感しているので、本来乗るはずだった9時20分でなく8時52分の列車に繰り上げることにしました。

久留米に着きました。時刻は10時16分です。次は11時12分の久大(きゅうだい)本線の列車で夜明(よあけ)駅に向かうのですが、電光掲示板を見ると10時14分発の列車がまだ来ていません。

ビンゴ! 列車に遅れが出ている! ということは本来乗る列車はもっと遅れるはずで、だったらいつ来るか分からないけれどもこの10時14分の列車に乗るのが吉でしょう。一本早めたかいがあったぜ。光の速さで駅舎の撮影とスタンプの押印を済ませホームで待機します。

10時半を過ぎてもまだ来ていません。なんか案内が出ていないかな〜と電光掲示板を見ると、さっきまで表示されていた10時14分の列車の案内が消えていました。気付かぬうちに行ってしまったのでしょうか。改札に戻って駅員さんに尋ねると、遅れていたこの列車を間引いて、その後を通常に戻すとの回答を得られました。

うん、つまり1本早く行ったけど結果何事もなかったということですね。何事もないなら何事もないでいいんですよ。ほら、白熊だって食べられたし。

予定通り11時12分の列車で夜明を目指します。夜明を目指すってかっこいいな。ビジュアル系バンドかよ。

そうしてやってきた夜明は、まぶしかった。

ビジュアル系バンドの次は文豪みたいな表現が飛び出しました。

私だけが降り立った夜明の空気はえも言われぬ懐かしさをはらみ、どこからともなく久石譲のSummerが聞こえてくるかのよう。

この夜明から日田彦山(ひたひこさん)線に乗り換えるのですが、実はこの先の区間は2017年に発生した九州北部豪雨で被災、鉄道での復旧が断念されBRTへの転換が決まりました。というわけでここから先の区間に列車が走ることは二度とありません。

3番線のホームにはフェンスが設けられ、錆びに錆びた線路は撤去されるのを待つばかり。

BRT転換が希望の夜明けとなるのか、行く末を見守ることしかできません。

これはチョウチョの写真ヘタクソ選手権で入賞した渾身の一枚です。

使われなくなった線路にキバナコスモスが咲き、そこにチョウチョが来るのです。朽ちていくものがあれば、新たな命の営みをするものもある。それぞれの命にそれぞれの役割があるように、線路が通っていたということを記録しておくのが私の役目です。

夜明駅にはシンボルマークがあったり

夜明の鐘があったり

昔の文化庁の看板みたいな味のある文字の駅名標があったり、地域の人に愛されているのが分かります。

そして駅前にあるのは鉄道代行バス乗り場。

くたびれた市老人福祉バスの隣に真新しい看板が立っています。遅れがなければ13時03分にやってくるはずです。

ところで見てこれ。

そのまま映画のポスターになりそうなロケーションですよ。新海誠監督の映画だったら物語が始まりそうな雰囲気ですが、誰一人としていませんでした。

ちょっと進んだところに温浴施設があるようですが、入浴するには時間がないし、頑張って入ったとしてもこのクソ暑い中では流した汗がまた噴き出してくるでしょう。おなかも空いてきましたがコンビニはおろか商店の類いもありません。

かろうじて神社がありました。ぼくは、ごはんをたらふく食べられますようにとお祈りしました。

それでもまだ時間が余っているので駅に戻って駅ノートをぱらぱらめくっていると、目につく書き込みがありました。

ヤンキーみたいな「参上♡」の隣にあるのは、え…? まさか瀧くん…? なんでちょっとイラついてんの? 君もヤンキーなの? こんなオラついてあんまりヤンチャすると「君お縄」になるよ? 大丈夫?

やっぱり新海監督の物語が始まるのでしょうか。そんな妄想に耽っていたらいい塩梅の時間になったのでバス停まで降りていきます。来た来た。

ちっちゃ。卓球部の遠征かよ。

この代行バスに乗っていたのは3人。しかもそのうちテツとおぼしきツワモノが2人。私を含めれば実に乗客の75%がテツであり、鉄分濃度の高い代行バスです。逆に言うと、この遠征バスで事足りてしまうというのが日田彦山線の実情だということです。

バス代行のきっかけは災害でしたが、遅かれ早かれバス転換の協議がなされていたことでしょう。ただ、被災してそのまま廃止になると廃止前の特需すらないので、本当に最後の花火も打ち上げられないまま終わってしまうのが残念でなりません。

代行バスは住民の利便性向上のためなのか、駅以外にも停留所が設けられていました。なるほど、これはバスならではのサービスだ。もっとも途中から乗ってくる人はいなかったんですけど。でもやっぱり普通に道路を進むだけだからあんまり面白くないなあ。え、アレか、もしかしてここも「鉄道」であるうちに全駅下車しないといけないのか…?

代行バスは1時間半ほどの乗車予定です。次の予定でも確認してみるかな〜。えーと、13時03分に夜明を出たから次は14時29分に添田(そえだ)駅ね。

そこから日田彦山線の鉄道部分に乗り換えて、それが何時だ、12時52分か。

で、次が…。

ん? 添田着が14時29分で、添田発が12時52分??? あっそうか、時間を遡ればいいのか、逆転時計を使うか地球の自転を逆にするように飛べばいいんだな、あぶね〜焦った〜、ンダモシタンッ!

てアホーーーーー!!!

完全に時刻表を読み間違えていました。1時間半も読み間違えていたのは痛恨というほかなく、代行バスの車内で急いで行程を組み直します。

うーん、揺れに揺れて気持ち悪い! 当初の想定よりかっきり1時間後ろ倒しにするプランをつくることができましたが、なんだかとっても気持ちが悪いよ。ほぼ周りの景色を楽しめないまま代行バスは終着の添田駅に到着しました。

線路があったとおぼしき場所はBRT専用道として道路に生まれ変わるようです。日田彦山線の星になるようにと、BRTひこぼしラインと名付けられるとのこと。希望の夜明け、星に乗って進んでいくのですね。

添田からはかろうじて残っている列車で4駅先の田川後藤寺(たがわごとうじ)駅へ。このあたりから線路が首都圏のように入り組み始めて私も何が何だか分からないまま乗り換えを重ねていくことになります。路線名と系統が一致していないことが多く、異邦人からしたらちんぷんかんぷんです。

田川後藤寺では謎のおっさんと3度目の邂逅を果たしました。本当に何者なのでしょう彼。

おっさんはともかく、久留米で白熊を食べてから何も口にしていないのでいい加減ガス欠を起こしそうです。駅前には商店街がありましたが、まるで時が止まってしまったかのような雰囲気…。

さすがに何かあるっしょとふらふら歩いてみます。

ちょっと嫌な予感がしてきた。

これはホントに何もないかもしれん…。

あった! こういうとき、大体どこもやってない! チクショウ! というのがいつものパターンですが、いい感じのお寿司屋さんがあるではありませんか。まあでも時刻はもう午後3時。どうせ時間外で売っていませんでしたとかそういうオチがつくんだ俺は。でももしかしたらあるかもしれない…。一縷の望みをかけて近づいていくと、店頭にきちんと新鮮なお寿司が並んでいました! やっほい!

たらふく食べたいと願った夜明の神社の御利益があったとしか思えません。ありがとう志賀神社の神様。寿司屋の店先に並んだ色とりどりのネタはどれもみんなおいしそうで、その中のナンバーワンをありがたく頂戴し、クーラーの効いた駅の待合室で食べようと小躍りしながら戻ったところ、3畳くらいしかない待合室がギチギチに埋まっていたのですごすごと灼熱のホームのベンチに腰を下ろしました。

ああ…! す、寿司じゃあ…!! 腹を空かせた私の食いっぷりといったらカエルまで丸呑みしてしまうカオナシのごとし。めちゃくちゃ味わい深いというのもあり、秒で食べ終わってしまいました。そして狙い澄ましたかのように後藤寺線の列車が入線。素晴らしい。

後藤寺線の乗車時間は僅か20分。あっという間に新飯塚駅にたどり着きました。

ここからは筑豊(ちくほう)本線で直方(のおがた)駅へと向かいます。筑豊本線なのですが、鹿児島本線と篠栗(ささぐり)線区間にも乗り入れていて、「福北ゆたか線」なんつって案内されています。首都圏で言うところの京浜東北線とか湘南新宿ラインとかそういう感じですかね。

乗り換え時間は5分しかないのですが、後藤寺線から降りたらおあつらえ向きに向かいのホームに福北ゆたか線の列車が停まっていました。

時間がないから簡単な乗り換えなのね〜、なんつって発車の時間を待ちます。すると、定刻より1分ほど早く出るではありませんか。あれ? 時間変わったのかな。

「次は、飯塚、いいづか〜」

はっとしたね。これはもしかしなくても誤乗です。いやお前、1分早発とかじゃなくて、単純に発車時刻が上下線で1分違うだけだったのかよ。今までいろんなポカをやってきましたが、この旅では初の乗り間違いです。なんでそんな勘違いをしたのでしょう?

このね、方向幕のせいですよ。

普通さ、方向幕ってのは到達する駅名を記載するわけですよ。この列車でいったら博多ね。問題がその上よ。直方▶篠栗▶とあるじゃないですか。このあたりの地理なんてさっぱりな私にとって、ここ、この新飯塚から直方を経由して篠栗、博多と行くもんだと思ってしまったのです。そしたら始発が直方っていう意味らしいじゃないですか。知るかそんなん。しかも後で確認したらこの列車は新飯塚始発で、直方始発じゃないのですよ。だったら新飯塚▶篠栗▶博多としてくれたらあらぬ勘違いもしなくてよかったのに!!

自分が勝手に勘違いしただけなのにこの言いっぷり。こうしてクレーマーが生まれていくのだ…。ごめんなさい。

間違えてやってきてしまった飯塚駅で駅員さんに申告し、誤乗として無賃送還の措置を取っていただきました。さすがに大都会福岡近郊だけあって、少々遅れはしたものの大きなダメージを受けることなく元の行程に戻ることができました。

直方折尾吉塚とほぼノータイムで乗り継ぎ、17時47分、篠栗線に乗り換えます。福岡にしては都会の喧噪と無縁そうな路線です。やってきた篠栗駅もこぢんまりとしたかわいらしい駅舎で、のんびりとした空気が流れています。

なぜか駅舎からシャボン玉が飛ばされていて、JR九州のサービスはなんてステキなんだろうと思いました。

そのまま篠栗線の終点・桂川に行きます。これね、隠れた難読駅名でして「けいせん」と音読みします。でもこの駅がある自治体名は「けいせんまち」でして、だったら「けいせんちょう」のがよくない? と思いました。ちなみに福岡県には29の町がありますが、「ちょう」と読むのは遠賀町(おんがちょう)だけで、他の自治体は全て「まち」と読むようです。はいこれ早押しクイズで出ますよ。

桂川駅には何屋なのか分からない店がありますが、この日は残念ながらシャッターが下りていました。

マジで何屋なんだこれ。外に出てみるとヤマザキショップとクリーニングの看板がありました。

じゃあホーム側に書かれていたパナソニックはなんなんだと、疑問は一層深まりました。

桂川から先は再び筑豊本線なんですが、ここも原田線なんつって愛称がつけられています。この路線名も難読ですね。ファイブツアーズで出されたら名倉でも間違う。「はるだ」だそうです。じゃ何か、福岡生まれだったら、はるだたいぞうだったのか?

30分ほど乗車して原田に着いたのは19時27分。すっかり夜になってしまいました。

人気のない原田駅から鹿児島本線で博多へ。人出の落差に驚きつつも夜はやはり人が多い方が安心します。もういい加減移動を切り上げてもいい時間帯ですが、この日はもう少しだけ頑張ります。

乗るのは20時44分発の九州新幹線つばめ337号。博多の新幹線ホームには、なんだかとても懐かしいJR西日本仕様の駅名標が立っています。

ほんの13分の乗車でやってきたのは新鳥栖駅です。

新鳥栖ってなんかアレだよね、新鳥栖アレサンドロ。日韓ワールドカップを思い出します。それはどうでもいいのですが、新幹線駅なのに数えるほどしか人がいません。

なんかもうほら、人類滅亡後もプログラム通り動き続ける文明のようだよ。

これがホントのシーンとす

静かなのは僕のせいではないのですが、そんな深閑とした在来線ホームに音を立ててやってきた特急かもめ43号がこの日最後の列車です。

寂しげな駅に寂しげな特急、そこに寂しげな旅人が乗りますよ…。初かもめ…ども…こんな夜遅い特急に乗ってる人なんて、他に、いますかっていねーか、はは。なんつって誰に言うわけでもないのにキザったらしくひょいと乗り込んだらデッキまでめちゃくちゃ人乗っているやんけ。どうせ10分しか乗らないので別に自分もデッキでいいんですけど、この乗車率を見たらやっぱり西九州新幹線、早いとこ全通させた方がいいんじゃないのと思いました。

そして21時37分、この日の宿泊地となる佐賀駅に到着しました。

改札を抜けると、特急かもめに感謝し新幹線かもめを歓迎する文章と、なぜこうしてしまったのか理解に苦しむ顔出しパネルがありました。何でも顔出しすりゃあいいってもんじゃないぞ。

開業間もない駅前の東横インに荷物を投げ捨て、最後の晩餐を取りに夜の町に繰り出します。

これが最後の生ビール

これが最後のもずく

これが最後のムツゴロウ

最後のどうこうというか、そもそもムツゴロウて食えるんだ…。白身ですが若干生臭いのか濃〜い味付けがなされていました。佐賀の名物らしいのでぜひ一度くらいは食べてみてほしいと思います。僕はもう大丈夫です。

ハムナプトラかな。

それはさておき、泣いても笑っても翌日が冒険の最終日です。いや、まあ、なにかあったら最終日じゃなくなるので多分最終日ということでお願いします。

8月22日 27日目 佐賀→肥前山口

*

「ポンパンポン♬ ポンパンパピヨピヨ♬」

iPhoneのアラームがけたたましく鳴り響き、カーテンの隙間からは朝日がこぼれています。いよいよこの過酷な修行から解放される日が来たのだと思うとまだ6時台だというのにスッと目が覚めました。

チェックアウトを済ませ朝の佐賀駅へ向かうと、どことなく秋の気配を感じる空が広がっていました。7月下旬から始めた旅はおよそ1カ月が経過、熱戦を繰り広げたであろう甲子園は1試合も見ることなく決勝戦の日を迎えています。仙台育英と下関国際が互いに初の栄冠を懸けて戦わんとしている中、私は最長片道きっぷの旅のゴールを懸けて最後の移動を始めます。

この日最初の列車は7時12分発の特急かもめ3号。

前日の混雑とは打って変わって普通に座ることができました。かもめで向かうのは長崎諫早から長崎の間は最長片道きっぷの区間外ですが、追加料金を払ってでも新幹線の開業を間近に控えた長崎を見ておこうと思ったのです。

さて、これまで共に旅を続けてきたきっぷがどうなっているかというと、こんな感じです。

もう何が何だか。

下車印を押すスペースがなくなってきたら大体別紙の方に押してもらうのですが、私はムリヤリきっぷの方にねじ込んでもらっていて、最後の方は、えっ!? このスペースに下車印を!? という顔をされながら押してもらっていました。

列車はじきに肥前山口駅に到着しました。

旅のゴール地点ではあるのですが、1度目の肥前山口はスルーします。同じ駅を2度通り、きっぷが打ち止めになるのが肥前山口駅であるので、言うなれば長距離レースでゴール板を1回通過してぐるっと1周するようなもんです。

白いかもめは有明海を左手に見ながらずんずん突き進んでいきます。だんだん街なかに入ってくると山の斜面に立ち並ぶ家々が目に付くようになりました。

なるほど、これが長崎が坂の街と言われる所以なのでしょう。終着点の長崎駅はホームの突端から長崎港方面を望むことができます。

1カ月後に新幹線が通ることになる駅はどことなくみんな浮き足立っている感じがして、ヤッホホーイ、オンベレブンビンバ、ウンダラホンダラゲーなどという声が聞こえてくるようです。

外はこんな感じで開発が進んでいました。

その後、何ができたんでしょうねえ。いずれ新幹線で行かなくては。翻って駅舎内に戻ると新幹線改札も準備が進められています。

在来線改札内からはまだ誰も使ったことのない新幹線改札内の様子が見て取れます。開業後、新鳥栖駅みたいに寂しくならないといいけど。

新たな風を待つ長崎駅を堪能した後は正規ルートの諫早駅に戻ります。長崎本線の末端は別ルートがあるので帰りはそちら経由のルートでいきます。いわゆる旧線、長与支線と呼ばれているルートです。

こちらの路線は大村湾の雄大な景色を味わうことができます。

途中、喜々津(ききつ)駅への寄り道を経て、10時28分に諫早駅に降り立ちました。

諫早では14分の停車時間があるので一度改札を出て駅舎の撮影と駅スタンプの押印を済ませます。が、新幹線の停車駅となる諫早駅は無駄にでかく、さらにそこに灼熱の太陽が相まって東口、西口の移動だけでめちゃくちゃ体力を消耗しました。でもこれがあったから頑張れた。

西九州新幹線の長崎県広報大使を務める長濱ねるさんの立て看です。これがなかったら死んでたね。なんとか10時42分の大村線の列車に間に合いました。

3両編成で、佐世保線直通佐世保行きは座席がほぼ埋まるくらいの乗車率。大きな荷物を持っている家族連れもいるから、きっとハウステンボスにでも行くのでしょう。世間は夏休みだ。

ところで本来のルートは早岐(はいき)駅で乗り換える必要があるのですが、追加料金を払って終点の佐世保まで行くことにします。この佐世保というのがJR日本最西端の駅なのです。

佐世保での下車をもって「【ゴールドトロフィー】JR東西南北全ての端っこの駅を制覇」を達成しました。

最北端・稚内

最北端・稚内

最東端・東根室

最東端・東根室

最南端・西大山

最南端・西大山

最西端・佐世保

最西端・佐世保

いやー、壮観ですね。ただ佐世保から先にも私鉄の松浦鉄道の線路がありまして、たびら平戸口駅が正真正銘の最西端の駅なのです。ということもあり佐世保は最果て感が薄く、フツーに栄えた港町といった雰囲気です。ちなみにモノレールも入れると最西端は那覇空港駅、最南端は赤嶺駅、いずれも沖縄都市モノレールの駅が該当します。

これは佐世保にこれといった思い入れがなかったんだろうな…ということを邪推させる長濱ねるさんの立て看です。いいよ、全然いい。

さて、時刻は12時半を過ぎたころ。いよいよこの旅最後の列車に乗るときがやってきました。

最後の列車は特急みどり16号。JR九州らしい無骨なボディが特徴的な車両です。最後まで自由席ですが無事に座ることができました。

いよいよ動き出した最後の列車。普通であれば一分一秒を噛みしめながらこれまでの旅路を振り返ったりするもんでしょうが、まずは、ね。

佐世保駅で買っておいた佐世保バーガーを噛みしめました。だってほら、腹が減ってはなんとやらだし、斜め前に座っている老夫婦も佐世保バーガー食べているし。うん、うまい。

先頭車両なので刻々とゴールに近づいていることをありありと実感します。そうして列車は武雄温泉駅に停車しました。

いよいよ次の停車駅がゴール、肥前山口駅です。

ああ、

ついに、

ようやく、

このときが…

13時43分、特急みどりは私と数人の乗客を降ろし、次なる目的地へと走り去っていきました。

これが、夢にまで見た肥前山口駅です。これまで幾多の最長片道きっぷの旅人が目指し、訪れてきた肥前山口駅に私も足跡を残したのです。

そしてホームに立つ「旅情」の碑。

楽しかったことも、辛かったことも、感心したことも、この旅で覚えた全ての感情がこの「旅情」の一言に込められているようです。

ホームの階段を上り、改札のある2階へ向かいます。

窓口の開く14時まであと5分。

あと5分で、長かった旅が終わりを迎えます。

下車印を見ると、その駅に降り立ったときの感覚がありありと思い起こされます。

そして14時——。

昂ぶる気持ちを抑えながら、改札窓口に立つ駅員さんの元に歩き出します。

「無効印をお願いします」

「おお…! 頑張りましたね」

その言葉とともにきっぷの真ん中に無効印が押されました。

その瞬間、抑え込んでいた感情がついに爆発し、憚らず涙がこぼれてしまいました。駅で乗り降りするだけのマシーンに成り果てたと思っていましたが、自分の中にまだこのような人間らしい感情が残っていたことに驚きました。

「何日くらいかかりました?」

「27日です…」

「それは早いですね! お疲れ様でした」

これまで何人もの達成者を見てきた駅員さんの言葉は温かく、一人で旅を続けてきた私にとって何より嬉しいねぎらいの一言でした。

私はこの旅を20代最後の挑戦と銘打ち、30歳の誕生日を翌々日に控えた8月22日に達成しました。しかし別に年齢が30になったからといって私の本質が急に変わるわけではありません。それは駅も一緒です。肥前山口駅は江北駅へと名前が変わりますが、駅自体は変わらずそこにあり、江北駅になってからも街の人々に愛される交通の拠点であり続けます。

人口減少、自然災害、コロナ禍…日本の鉄道はここに来て大きな岐路に立たされています。奇しくも私がこの旅で利用した直後に、東北地方の五能(ごのう)線や米坂(よねさか)線などが被災し、未だに一部は復旧の見通しが立っていません。

かと思えば、被災して永らくバス代行が続いていた只見線は11年ぶりに全線で運転を再開しました。

さらに、あの震災から11年以上の歳月を経て、全町避難が続いていた福島県双葉町でようやく一部地域の避難指示が解除されました。私はまだ駅周辺くらいにしか立ちしか入ることができない7月31日に双葉駅を訪れました。私も隣県の栃木であの震災を経験した身ですので、少なからず復興に関心があります。

その双葉駅前には言うまでもなく人の姿はなく、まるで別の惑星に来てしまったかのよう。さらにこちらの建物(旧駅舎)に目を向けると…

あの日、あの時、止まったままの時計の針が残されています。

この11年は、きっと永遠にも思える時間だったことでしょう。しかし、真新しい駅舎が建てられていたり駅周辺に工事が入っていたりと着々と住民が戻ってこられるよう整備が進められていす。変わらざるを得なかった駅も、旅の出発地点として、もしくは到達地点としてそこにあり続けるということには変わりありません。あの時計の針はあのまま残すのかもしれませんが、双葉町の時間は再び動き始めたのです。双葉駅はふるさとに戻ってくる玄関口として、住民や復興を願う人々のことを迎え入れてくれることでしょう。

今年は鉄道開業150年。少しずつ姿を変えながらも、地域の人々に寄り添って輸送してきたという意味で、鉄道は150年間にわたって本質は変わりません。これから先、200年に向かってどのように地域の人々と寄り添っていくのか私は引き続き列車に乗りながら見守っていきたいと思うとともに、次200年のタイミングで再び最長片道きっぷの旅をやるとしたら、80歳になる年だと思い至って背筋が凍りました。それはともかく、これを読んだ皆さんも改めて地元の鉄道に目を向け利用してもらえれば嬉しく思います。

さようなら、全ての肥前山口。

締めの言葉を先に書いてしまいましたが、33度というおよそ人間が活動してはいけない気温の中、災害等に阻まれることなくルート通りたどり着いた肥前山口駅にて、JR最長片道きっぷの旅2022、無事完走です!! (達成:29歳364日)

 

 

ヒャッホーウ! 誕生日おめでとう私! うれしい!

三十路イエー!

/ガッ\

おわり