箱根における国道1号線、その道中にはなにがあるのか

※この記事は「楽しかった思い出の場所記事コンテスト」の応募作品です。
ライター :しののぬ

温泉という響きに日本人はとにかく弱いイメージがある。

「温泉に行く」というのはこの国において十分旅行の理由として成り立っているが、よく考えると、ただ風呂に入るために遠くへ出かけるということで、まあ中々面白いことだと思う。

 

そんな日本人大好き温泉であるが、果たして温泉界のNo.1といえばどこの温泉であるのだろうか?

 

この問題におそらく決着はつくまい。明らかに個人の裁量によるところが大きすぎる。

 

しかし、国内には「有名温泉地」と呼ばれるものが多数存在している。世間的に「温泉」の名所として知られ、一年を通してお客さんがたくさんお風呂に入りに来る場所だ。

 

その中に「箱根」が入っていることは、おそらくみなさんの共通認識であろう。

 

今回、コロナウイルスの感染拡大によって満足な旅行ができなくなったことに対して、収束後にみんなが行ってみたくなるような場所をオススメする文章を書くということで、自分はこの「箱根」に関することを書かせてもらおうと思う。

 

割と最近ではあるが、まだ自由に外出しても大丈夫だった時期に行ってきたので、旅行記のような形にさせていただく。

 

―出発前―

箱根とは、神奈川県の南部に存在する火山周辺の一帯を指す言葉であると記憶している。国内有数の温泉地であり、芦ノ湖や箱根湯本周辺には温泉以外にも楽しめる施設がたくさんある。

 

また、お正月に大学生たちの集団が東京から走って向かう地点としても有名だ。

 

旅立ちの前、PCで観光地を調べながら様々な箇所に思いを馳せていた僕は、

 

「湯本に強羅はもちろん有名だけど、他にも日帰りスポットがたくさんあるらしいし、どこに行こうか迷っちゃうね~~」

 

のんきにそんなことをつぶやいていた。

 

僕が箱根を訪問しようとした際には、2019年の台風19号の影響により箱根登山鉄道が箱根湯本-強羅間で運休を続けていた。これは地元の人の協力などによって2020年夏ごろに復旧予定らしい。現場の人たちのたゆまぬ努力に感謝。

 

さて、まあ動いていないものは仕方がない。バス路線は潤沢にあるようだし、これを使えばいいだろ~~とか言いながら調べていると、やはり観光以外の要素として気になるのが箱根駅伝だった。

 

箱根駅伝とは、正式名称を東京箱根間往復大学駅伝競走という。お正月の風物詩であり、特に箱根山を走る国道1号線を一気に登り下りする5区と6区は、他の駅伝大会にはない特色として有名だ。

 

「せっかくだし、この5区のコースを少し体験するのも面白そうだな」

 

そんな甘っちょろい考えが家でぬくぬくしていた僕に浮かび始めた。そのままいろいろと考えた結果、

 

『箱根駅伝の5区のスタート地点である小田原中継所から国道1号線を歩き、堪能できたところでバスに乗ってのんびりと芦ノ湖に向かう』

 

という旅程で出発することにした。うーむ、行き当たりばったりだなこいつの計画……。

 

まあまあ、バス路線沿いを歩くわけだし、なんとかなるでしょう…………。

 

―出立―

翌日、僕は小田急によって一路小田原を目指していた。JRではない理由は金額である。小田急の方が安いのだ。

 

途中の乗り換えで結構時間を食ってしまったが、滞りなくここに到着することができた。

箱根登山鉄道の駅である風祭駅だ。

 

なぜこんなところに降り立ったかというと、それは前日に立てた計画に理由がある。

 

箱根駅伝における5区のスタート地点・小田原中継所は歴史的に何度か位置がズラされているのだが、2017年の第93回大会よりここ風祭駅の近くに設置されているのだ。

 

実際には駅前から少し歩いて国道1号線に出たこのあたりでタスキが受け渡される。

左に見えている建物は蒲鉾屋の老舗である鈴廣という店の本店であり、箱根駅伝の小田原中継所の位置を示す際の「鈴廣前」という別名にも名前が使われている。

 

このときとは別な日であるが一度訪れたことがあって、蒲鉾づくりが体験出来たりそのまま食べられたり、本物の職人さんの手つきを見学出来たりと中々楽しかった記憶がある。とくに子供連れの方にはおススメだ。

 

さて、ここからこの目の前の道路を進んでいくことにする。気分は箱根の山に挑むランナーだ。

 

「さあ~今小田原中継所を飛び出していきました!!」

 

脳内でそんな実況が聞こえてくる。いや実際のランナーに実況が聞こえるはずはないわけだけど。

 

しばらく歩くとこんな標識(看板?)に遭遇した。

ほうほう箱根町ね、行政的にもここから「箱根」に入るというわけだ。

 

遂に入り込んだ箱根の地に、気分は中々高まっていた。

 

この先、高速道路かなにかと歩いている道との立体交差が複雑に絡み合っていて、歩道の位置がわかりにくい箇所もあったが、道路の下をくぐったり上を乗り越えたり横断したりしてなんとか乗り越えていく。

 

―箱根の入口―

30分ほど歩いただろうか、視線の先に特徴的な建造物が見えてきた。

中央奥に見えている半円形の穴がたくさん開いている屋根は、箱根登山鉄道箱根湯本駅のものだ。この駅は、箱根駅伝5区の最初のチェックポイントにもなっている。

 

すなわち風祭駅から30分ほど歩くだけで箱根湯本駅に着いたということになる。短い路線とはいえ、早くも鉄道駅2駅分の距離を歩いたというわけだ。

 

ここには古くからの温泉旅館が多く立ち並んでいることで有名であり、別角度の写真を見ると確かにそれっぽい建物がたくさん写っている。

さらに箱根湯本駅周辺でにぎわっているのは温泉や宿泊施設だけでなく、駅前の商店街も非常に活気にあふれていた。観光地に来たという非日常感を味わうにはもってこいの場所であろう。

 

この活気は歴史的なものでもあり、箱根湯本温泉は箱根七湯と呼ばれる最も古い箱根の温泉街の一つ数えられている。地理的にも東京方面に位置していることから、箱根の玄関口として江戸時代から繁盛してきたようだ。

 

そのように人が多いエリアでもあるため、バスやタクシーなどの往来も非常に多い。前述したように箱根登山鉄道は部分運休となってここで折り返してしまうため、これ以上箱根の深部に進むにはバスかタクシー、あるいは歩いて行くしかなくなっている。

 

だがこの時点で歩き始めてから30分。まだまだ元気は有り余っているし、そもそもこの程度では箱根駅伝を体験したとは言えない。スタート地点からここまでは少し傾斜がついているものの、十分平坦と言える道のりであったからだ。ここでバスに乗ってしまってはせっかく歩き始めた意味がないではないか。もう少し歩いて様子を見ることにする。

 

箱根湯本駅を通り過ぎてしばらくはまだ活気あふれる商店街が続いていたが、だんだんと景色は山に入っていく。ここまでしばらく平行して流れていた早川と呼ばれる川を橋で渡るころには、周囲はすっかりうっそうとした木々が生い茂っていた。

そうそう、こうでなくてはいけない。ようやく“山登り”をしているという気分が出てきた。

 

先ほど駅伝のチェックポイントという話が出てきたが、箱根駅伝にはチェックポイントとして有名なスポットが多数存在しており、テレビ中継の際にはそこを基準として定点カメラを設置したりタイムを計ったりしている。

 

そしてこの5区において、箱根湯本の次に通過するチェックポイントがここだ。

入口上部に備え付けてある看板は文字がかすれてしまって読みにくいが、「門(正確には門構えのみの漢字)洞嶺函」と書いてある。そう、これこそが函嶺洞門である。

 

これは戦前に作られたロックシェッド、すなわち落石から通行者を守るための施設であり、国の重要文化財にも指定されている。2014年をもってこの下の通行を含む供用は終了しており、現在はこの周囲に二本の橋を含むバイパスが設置され、そちらが国道1号線に指定されている。

 

ここを駆け抜けていくランナーたちの雄姿は今でも記憶に残っている。数々の名選手がこの洞門をくぐり抜け、本格的な山登りに挑んでいったのだ。

 

僕もバイパスを歩きながらまだまだ元気な体を天下の険へと向けていくことにした。

 

―山に入る―

函嶺洞門をこえてしばらくすると、旅館らしき建物が多く並んでいる区画が出現する。ここには一の湯という老舗グループの旅館が大きな看板と立派な建物を構えていた。

このあたりは位置的には塔ノ沢というエリアに該当するようで、こちらも箱根湯本と同じく箱根七湯に数えられている。箱根湯本とは異なり、小ぶりな建物が所狭しとひしめき合っているのが印象的だった。

 

老舗旅館区画を抜けると一気に山登りが本格化しはじめる。それに伴って道幅もだんだんと狭くなっていき、歩道も路側帯で区切られただけのものになっていく。ここまでは立派な歩道が備え付けてあったのだが、山道に入ると体のすぐそばを車が通過していく。なかなか怖い。

 

箱根のランナーもこれでは走りにくかろうとか考えていたけど、普通に駅伝中は交通規制がかかっているから堂々と車道を走れるんだった。そりゃそうだ。

 

※注意点ではあるが、箱根駅伝に関する試走(本番以外の日に本番と同じコースを走ること)は関東学連によって全面的に禁止されている。箱根町の行政側としても、財政的に苦しい状況が続いており、なかなかこの道路に歩道を整備するのは難しいようだ。この写真のように、本当に歩道らしい歩道はないので特に大人数で歩く際には十分気を付けていただきたい。

 

ともあれようやく待ち望んだ箱根の山に本格的に入り始めた。うんうん、ようやく箱根の山登りらしくなってきたじゃないか。これでいいんだよ。とかつぶやきながら歩を進め続ける。

 

箱根湯本駅あたりで話題に出した早川だが、実はこのあたりでも道に沿って流れている。対岸にも宿泊施設などがポツポツと存在しているため、このあたりにも所々に川を渡るための橋が設置されているのだが、

ちょっと威圧感がすごい。どう見てもこの先に工場とかがあるタイプの橋だ、とか思っていたけどこのタイプの橋の向こうにもホテルとかがあったりするらしく、たまに車が渡って行っていた。

 

さて、この次のチェックポイントは大平台のヘアピンカーブとされている。生い茂った木々が無くなって一度視界が開けるものの、そのまま180°折り返して再び山の中に入っていくという個所である。

 

この大平台が中々遠かった。函嶺洞門から40分以上歩いてもまだ到着しなかった。

 

ここまでくるといくら歩いても景色は山の中でしかないために変わり映えがせず、それも精神的に厳しかった。途中にある箱根登山鉄道の復旧工事現場で現場の人たちに心の中でエールを送ったり、こんな山の中に個人の家のものと思われる門が存在することに驚いたことぐらいしか楽しみがなかった。

 

とはいえ、まだ歩き始めてから2時間も経っていない。体力には十分余裕があったし、たまに川をのぞき込んだりしながら歩いていると、件のヘアピンカーブに到着した。

これは確かに見事なヘアピンカーブだ。なんなら上下に角度が付いている分、180度よりも大きい角度で回転しているんじゃないだろうかとすら思わせる。

 

とまあ写真を載せているわけだが、この地点に着いてからこの写真を撮るまでには少し時間がかかった。何があったのかというと、着いてしばらくはここが大平台のヘアピンカーブだとわかっていなかったのだ。

 

基本的に我々が見ている箱根駅伝の映像は移動中継車か定点カメラの映像である。そのどちらも選手をよく映すために高い位置からの撮影を行っている。つまり、テレビで見る箱根駅伝の映像と実際に自分が歩いて目に入ってくる映像は全く異なるものなのだ。

 

こんな単純なことに気が付くまでに5分ほど地図とにらみ合っていた。けれども、本当にテレビの中継で見る映像とは印象が全く異なっていることは伝わってほしい。

 

ちなみにこのヘアピンカーブを曲がって少し進むと、箱根登山鉄道の大平台駅や大平台温泉がある、すこし栄えた区画に到着する。ここはちょうど箱根山の中腹あたりに位置しており、箱根七湯には含まれていないが、温泉だけでなく四季折々の花々が美しく咲き乱れることで有名なようだ(箱根十七湯という、明治時代以降に新しく開湯された温泉を含む区分には含まれている)。

確かにこの画像を見ても、「枝垂れ桜通り」と書いてある。

 

この温泉街はすぐに終わってまた山の中に戻ってしまうのだが、ここまでくると次のチェックポイントである宮ノ下まではすぐである(ように地図では見える)。

 

宮ノ下といえば箱根駅伝の映像から見てもなかなかお店が立ち並んでいる地点であることは知っているので、とりあえずそこまでは歩くか~と言いながら再び山道に戻っていった。

 

―宮ノ下温泉街―

大平台温泉街から宮ノ下温泉街までの道のりは、箱根登山鉄道の線路とかなり接近している印象を受けた。

このように木々の向こうに橋脚が見える場所もあれば、

このように線路が道路に顔を見せる場所もある。ただ、この旅行時は運休中だったので、いくら待ってもここを登山電車が駆け抜けていくことはなかった。おそらくここを走る電車の音が日常になっていたであろう場所に、この時はその音が欠けているという事実に強く寂しさを覚えてしまった。

 

地図で見るよりは長く感じたが、それでもせっせと歩いて行けばすんなりと宮ノ下温泉に到着した。

ここは江戸時代からにぎわっていた温泉街であったが、明治時代になって外国人客が多く訪れるようになったことで洋風の旅館も多く建設された経緯があるらしい。そのため、日本特有の「温泉街」でありながらどこか異国情緒のある街並みが出来上がったようだ。雰囲気が異なるとはいえ、温泉の歴史自体は古いためにここも箱根七湯に数えられている。

 

実はこの周辺には、宮ノ下温泉以外にも堂ヶ島温泉・底倉温泉・木賀温泉という箱根七湯のうちの3つが密集している。この3つは少し国道1号線から離れているために、この旅で訪れることはできなかったが、箱根七湯すべてに入る旅なんてのもいつかはやってみたいものだ。

 

ここに到着したあたりで遂に体が悲鳴を上げ始めたため、休憩を兼ねてお昼ご飯を食べた。適当なお店でラーメンを食べて1時間ほどゆっくりしたことで体も回復したので、国道1号線に舞い戻ってきた。

 

ところで宮ノ下温泉と言えば、箱根駅伝に関してこんな話がある。

 

宮ノ下にある交差点は5区のチェックポイントの一つであるのだが、そこに集まった人たちは、選手の名前を呼んでの応援を伝統的に行っている。もちろん、集まった観客全員がランナーの名前を憶えているわけではないから、地元の人が各大学の5,6区の選手の名前が入った紙を用意して配っているらしい。

 

まあこれは結構有名な、心温まるちょっといい話なのだが、2020年の第96回箱根駅伝で5区の区間賞を区間新記録で決めた選手の名前をご存知だろうか。

 

それは、東洋大学の宮下隼人という選手である。

 

………………。宮ノ下で……宮下……。

 

………………………………………………。

 

寒いな。この日の箱根よりも寒いギャグだ、これ。

 

宮ノ下温泉街を抜けたところで、個人的には道の傾斜が一気にきつくなったと感じた。おそらく疲労の溜まり具合もあるのだろうが、ここまでの登り坂とは比べ物にならないほどのノロノロペースで進んでいく。

 

ここまでずっと並走しており函嶺洞門付近では何度か渡った早川であるが、この宮ノ下温泉街を抜けるあたりで遂にお別れになる。この後しばらくは蛇骨川という、一風変わった名前の支流が並走を続けるが、一度橋を渡った地点で支流とも完全に離れてさらに山の奥に突入する。

しばらくカタツムリみたいなスピードで山を登っていくと、今では箱根駅伝のコース上で唯一の存在となったものに遭遇した。

そう、鉄道踏切である。

 

ここは小涌谷という地域であり、先ほどの蛇骨橋からすぐだ。この踏切のそばにある駅名も小涌谷で、この踏切自体の名前も小涌谷踏切である。漢字にすると全く同じだが、実は地名としては「こわくだに」で、駅名が「こわきだに」という違いがある。ややこしい。

 

かつては箱根駅伝の片道100キロ以上あるコース上にはいくつか踏切が存在していた。その多くが高架化されたりして消滅していった中で、最後に残ったのがここの小涌谷踏切なのだ。

 

実はこの踏切に限り、箱根駅伝の実施中はランナー優先のルールが確立されている。『この踏切に限り』とは言っても、現在ではコース上でここにしか踏切は無いわけであるが、過去に存在していたJRの踏切では選手が停止させられることも珍しくなかった。それに対してここでは選手の通過を電車側が停止して待つわけで、もちろんこれは箱根登山鉄道の全面的な協力が無いと不可能なことである。それほど箱根駅伝と箱根登山鉄道、そしてこの箱根という地域のつながりは強いということだろう。

 

そんな箱根登山鉄道であるが、小涌谷駅を過ぎたあたりでこちらもお別れとなる。鉄道路線はここから北上して強羅温泉を目指すが、国道1号線はまだしばらくは東へ進む。もちろん僕も東へと進路をとる。

 

―小涌園前―

踏切を超えてひたすら歩いて行くと、次なるチェックポイントである小涌園前に到着する。ここは特に中国との結びつきが強いホテル街である。そのこともあって、特にリゾートホテルが多く立ち並んでいるエリアだ。

 

ここは、温泉としては小涌谷温泉に含まれるらしい。小涌園とはあくまで施設の名称だったのだが、おそらく箱根駅伝の中継で積極的に使用していくうちにあたかも地名であるかのような使い方をされ始めたのだろうと推測する。踏切や駅の『小涌谷』から距離が離れていることも相まっているかもしれない。ちなみに小涌谷温泉は比較的新しい温泉であり、大平台温泉と同じく箱根十七湯の方に含まれている。

写真の左側にある(けれど見えてはいない)のが小涌園ユネッサンというホテルだ。ここにはかつて「コーヒー風呂」や「緑茶風呂」といった変わり種のお風呂を用意していた露天風呂ゾーンがあったのだが、そのゾーンは2014年に閉鎖されてしまった。しかし一部の風呂は屋内施設に残っているらしい。

 

また、かつてこのエリアの中心地であった箱根ホテル小涌園も2017年に老朽化とキャパシティの都合から閉館している。とはいえこれらの閉館はあくまで再開発の一環であり、現に同年新たなホテルである箱根小涌園天悠がオープンしている。温泉に対するリゾート需要はまだまだ衰えていないようだ。

 

他にここで記憶に残っていることとしては、写真を見てもらってもわかるように、湯気らしきものが噴き出していることだろうか。実はこの箱根の山道では排水溝からこのように湯気が噴き出していた箇所がたまにあった。おそらく訪問時期にもよるのだろうが、さすが温泉地といった印象を受けた。

 

そしてついに、宮ノ下から続いてきた疲労感がここでピークを迎えることになった。何も考えられず、体力も限界であったし、足も痛み始めていた。

 

まあバスに乗ってもよかったのだが、せっかくここまできたしこうなったら最後までという悪い考えが出始めてきた。途中でやめたくても今までの苦労が水の泡になることを恐れてやめられない、完全にコンコルド効果というやつなのだが、実はここは勝算があった。

 

箱根駅伝の5区は山登りというイメージが強いため、すべてが登り一辺倒であるという印象を持たれがちだが、実はそうではない。途中に国道1号最高到達点という場所が存在し、そこから残り3キロほどは完全な下り道になるのだ。

 

つまり、全20キロとすこしの行程だが、登りのキツイ区間はもう少しだろうと考えていたわけだ。浅はかというかなんというか。

 

ともかく、徒歩を継続したわけである。

 

やはり登りはまだまだ相当厳しい。疲労感によって歩く以外のことを考えることが難しくなり、写真も中々撮れていなかった。ただ、周りを確認してはいたようで、小涌園前を過ぎたあたりは個人所有の別荘などや分譲地が多いエリアなのだという印象を受けていた。ただそれよりも疲労感がすごかった。

このあたりのエリアで撮影した貴重な写真である。確かに、バス停の近くに分譲地の案内看板が立っている。

 

このあたりで完全にヘタレきってしまい、死にそうになりながら歩いていたらしく、車に乗ったおじさんに声をかけてもらった。途中まで乗せてやるけどどうだと問われたが、ここまで来た以上最後まで歩いてやると決めていたので、やさしさに感謝しながらも丁重に断った。なんだか人の温かさに触れた気がして、気力が回復したようだった。

人のやさしさに加えて、この標識が出てきたことでさらに元気が戻ってきた。芦之湯を超えれば最高到達点はもう少しだからだ。それに、景色を見ても見晴らしが少しずつ良くなり始めていた。標高が高くなっているのは明らかだった。

 

ここから少し歩くと、歩道がきれいに整備された区間に入った、ありがたいことで、これで車に轢かれる心配はなくなったと思っていたが、そんなことよりも新たな強敵が行く手を阻み始めた。

これは湯気ではない。霧だ。木々の茂り具合が落ち着いてきて、おそらく晴れていたらここから見晴らしがよくなるであろう地点が、真っ白な霧に覆われていた。

 

そして、この地点から少し進んだところで気が付いた。ここまでに二か所あったはずのチェックポイントを完全にスルーしてしまったことに。

 

おそらく霧と疲労で見逃したのだと思うが、この二か所、恵明学園前と芦之湯のチェックポイントはかなりわかりにくかった。同じことをされる方がいらっしゃれば、十二分に注意をされたい。

 

見逃しておいてなんだが、ここの芦之湯で箱根七湯(箱根湯本・塔ノ沢・宮ノ下・堂ヶ島・底倉・木賀・芦之湯)はコンプリートである(ただ近くに来ただけでコンプリートもなにもあったものではないが……)。旧東海道沿いにある温泉地で構成されているから、そのすべてが国道1号線からほど近い場所にあるのがわかっていただけただろうか。

 

スルーしてしまったものは仕方がない。いまから戻る気力なんてあるわけもないし、進むしかない。最後の難敵と化した霧の中を進んでいきながら、まさに読んで字のごとく五里霧中だなとか考えていた。要するに結構限界に近い状況だった。

 

この芦之湯を過ぎた(と思われる)あたりから最高到達点までの1キロほどは本当に厳しい戦いだった。低体温症になったり脱水症状を起こしながら走り切っていた選手たちを本当に尊敬する、それほど精神と肉体を削りにくる道のりだった。

 

―最高到達地点―

登り坂だけでなく自分の肉体や精神とも戦いながら、ついに待ち望んでいたこの看板に出会うことができた。

うおおおおお!!!! やりましたぁぁぁ!!!!

 

標高874m地点、まぎれもなく国道1号線においてもっとも高いところに着いたのだ。風祭駅は海抜が10m前後であるらしいので、この16キロほどで一気に860m近く登ってきたことになる。

 

このときには霧も晴れあがっており、視界が良くなり始めていた。ここからは下りながら芦ノ湖を目指すので、その景色も楽しみだ。

 

わかっていたことだけど、これ以降は完全に気力が回復したし、道も下りに切り替わったことで、周りにあるなにげないものに目を配る余裕が戻ってきた。その最たるものがこれだ。

これはなんだろうと周りを見ると、近くのバス停の名前が「曽我兄弟の墓」だった。兄弟なのに3つ墓あるし、そもそも墓をバス停の名前にしていることが面白いし、いろいろとツッコミどころがあった。こういった小さなことを全力で楽しむのがこのような苦しい旅路を乗り越えるコツなのだ。

 

ここからさらに歩くと、石仏群の歴史館という建物がポツンと佇んでいた。訪問することはできなかったが、おそらく石細工の文化が発達している地域だからこその曽我兄弟の墓だったのだろうと考えると、納得できた。このように、その地域の文化に触れられるとすごく楽しい。

 

そこからしばらく歩いていると、再び霧がかかってきたがもはや敵ではない。なんせ道が下りに変わっているのだから誰も僕を止められない。周りに誰も居ないのをいいことに「うお~~!」とか叫びながら歩いてた。登りが終わったことでテンションがおかしくなっていた。

 

そしてついに、ついに、ゴールが近いことを示すものが遠くに見えてきた。

中央に小さく赤い鳥居が写っているのが見えるだろうか。遠い位置だったので自信はないが、おそらくあれがこれからくぐることになる箱根神社第一鳥居だと思う。

 

この写真に写っている街は、元箱根という地域に相当する。ここには多数の神社とそこに属する鳥居が建立されており、それらを巡ってみるというのも面白いかもしれない。

 

ここから下り始めるとあとは早かった。あっという間に眼下に広がっていた元箱根の街、そして第一鳥居まで降りてくることができた。

これが箱根駅伝5区のクライマックスでもある箱根神社第一鳥居だ。この周辺には芦ノ湖温泉があり、箱根十七湯の一つに数えられている。昔は元箱根温泉と呼ばれており、同じく芦ノ湖周辺にある蛸川温泉と一緒に扱われていたのだが、1993年に分離したらしい。そのあたりの温泉区分はよくわからない。

 

ここは箱根駅伝5区の、そして往路全体としても最後のチェックポイントになっている。ついに長かった徒歩旅にも終わりが見えてきた。

 

―フィニッシュ―

が、最後の最後にきて大きな勘違いをしていたことが発覚した。

 

僕の完全なイメージで、この鳥居をくぐるとすぐにゴール地点があると思っていたのだが、どうやらそうではなく、箱根駅伝の往路ゴール地点はここからさらに1キロほど進まなくてはいけないらしい。

 

正直に言うと心が折れかけたが、ここで負けるのも悔しいので最後の1キロを歩き始めた。

 

この道がなぜだか登り基調で本当につらかった。木がいっぱい生えていて芦ノ湖も見えないし、おそらく5区のランナーに対しても最後の関門になっているのだと思った。

 

ヒィヒィ言いながら歩き続け、木々を抜けると、ようやく待ち望んでいた光景が目の前に広がった。

石畳のような模様の道路。これはもう完全にゴール寸前の地点の特徴である。いわゆるビクトリーロードだ。道のりも下りに戻ったことで足取りは再び軽くなり、ずっと曇っていた空とは対照的に晴れやかな気持ちでウィニングランに入る。今度こそ本当に最後だ。いい顔で、いい顔で……。

たどり着いた。

 

所要時間5時間弱、歩行時間は4時間ほどであっただろう。箱根駅伝の5区のコースをすべて自らの足で歩ききることに成功した。

 

本当に長い戦いだった。この道のりを箱根ランナーたちは1時間10分ほどで駆け抜けていく。改めて思う、彼らはバケモノだ。

ゴール地点側からの写真がこれ。この写真だとあまりピンと来ないかもしれないが、それはおそらく大平台のヘアピンカーブ到達時に違和感を感じたのと同じ理由だろう。撮影に角度が無く、さらにここには豪華な装飾も施されていない。だが、まぎれもなくここが最後の地点だ。大学生たちはここを目指して走り、そして翌日にはここからまた走り出す。

 

―ゴール後―

大きな達成感で満たされていたのでこれまた写真を撮り忘れていたが、この往路ゴール地点のすぐそばには箱根駅伝ミュージアムが存在している。

 

各大会の総評が書いてあるボードや、近年の総合優勝チームのメンバー10人によるサイン、また名ランナーたちの使っていた用具などが展示されている。

 

このときはまだ自分の中に余力があった。サクっとこの展示を見て箱根湯本に戻れば1時間ほどは入浴する時間が取れるのだという意識で全身満たされていた(日帰りで入れる温泉があるかどうかなんてこのときは全く考えていなかったが)。

 

そんなことを考えつつミュージアムを見て回っていると、その中にシアタールームが存在しており、過去の箱根駅伝や予選会のダイジェスト映像がループ再生されているようだった。非常に懐かしい映像も含まれており、ついつい備え付けの椅子に座ってしまったのが悪かったのだろうか。溜まっていた疲労がすぐさま眠気となって襲い掛かってきたのだ。

 

流れていた映像の記憶は断片的に存在しているから、おそらく完全に寝ていたわけではないと思うが、しかし次に時計を見たときにはすでにミュージアムの閉館時間間際であった。

 

完全なるやらかしというやつだ。1時間近くもここでボケっとしていたことになる。閉館の準備を始めていたミュージアムを飛び出して、そのまま箱根湯本に向かうバス乗り場に向かう。

 

寝ていたと書いているが、もしかしたらシアターの映像に見入ってしまったのかもしれない。それほどこの箱根駅伝ミュージアムのシアタールームでは懐かしい映像が流れていた。

 

ミュージアム自体はそれほど広くないものの、特に大学駅伝がお好きな方ならこのシアタールームで1日つぶせそうな気もする。

 

大学駅伝には特に興味が無いという方も、NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公として描かれていた金栗四三氏が創設し、東京オリンピック男子マラソン代表の3人もスター選手として走っていた箱根駅伝というものの歴史と伝統を学ぶ良い機会だと思って、ぜひ訪れてみてほしい。何度も言うが、シアタールームの映像は本当に面白い。

 

あと、ミュージアム内は撮影禁止だったので写真が無いのはそのためである。撮り忘れたわけではない。

 

とまあその後は慌ててバスに乗ろうとしたものの当然すぐに乗れるわけでもなく、箱根湯本駅に戻るまでの時間もかかる。結局箱根湯本駅についたのは18時過ぎだった。翌日の予定もあったので泣く泣く温泉は諦めてそのままバスに揺られて小田原駅まで戻ることにした。

 

ちなみに、このバスは芦ノ湖の箱根駅伝ゴール地点から出発して、今まで歩いてきた道をそっくりそのまま折り返して小田原駅に向かう。その所要時間は1時間と少しであり、僕が歩き始めた風祭駅までなら55分ほどかかる。

 

何が言いたいかというとこれは箱根駅伝復路の山下り区間6区とほぼ同じコースを走っているということであり、そしてこの区間の区間記録は2020年の第96回大会で東海大学の館澤亨次選手がマークした57分17秒であるという事実と合わせて考えてみてほしい。

 

もちろん路線バスの所要時間であるためにふつうの自動車でかっ飛ばすのとはわけが違うが、箱根駅伝6区のランナーたちはバスで小田原中継所を目指すのとほぼ変わらないペースで走っているということだ。恐るべし。

 

そんなことを考えながらバスで小田原駅まで戻ってきたときには、すでに周りはどっぷりと日が暮れていた。箱根に来て温泉に入らなかったという事実に心の中で涙を流しながら、そのまま新宿へと向かう小田急電車に乗り込んだのであった。まあこれは碌な予定も立てずに来た僕が完璧に悪い。でも温泉に入りたかった……。

 

―旅を終えて―

これで旅行記はおしまいである。本当に温泉には入っていないし、ただ箱根を歩いただけの旅行だったが、個人的には本当に楽しかった。

 

何度も触れてきたけれど、箱根登山鉄道は自然災害の影響で運休が続いている。それに加えて現在の外出自粛の影響によって、さらに厳しい状況に入っていることは間違いないだろう。これは箱根登山鉄道だけでなく、観光業をメインにして栄えてきた箱根という地は今回の騒動で街全体が小さくない被害を受けているはずだ。

 

この文章を読んでくれた方が箱根に行ってみたくなるかどうかは、正直よくわからない。けれども箱根という有名な温泉地に対して、バスや鉄道で旅館に泊まりに行くだけではわからない魅力が少しでも伝われば幸いである。

 

そして、僕はこのコロナウイルス騒動が収まったら必ず温泉に行こうと思う。なんせ半日箱根に居て温泉に入らず帰ってきたわけであるから。めちゃくちゃ行きたい。それで今度はちゃんと電車かバスに乗る。公共交通機関にきちんとお金を支払う。そして温泉に入る。体中に温泉成分がしみこんでふやけるぐらい入る。

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