平成最初にあったものだけで東京観光をしてみる
"平成の恩恵"を知るために、平成生まれのアイテムを使わずに東京を観光!生粋の宮城県民である筆者が、悪戦苦闘しながら主要な観光地を巡ります。
ときは、2019年4月。
今、まさに平成が終わろうとしている。
インターネットが普及し、インフラはますます整備され、不便という言葉を聞かなくなるほど生活は便利になった。この平成30年間が我々に与えた恩恵は大きい。
だが一方で、改元に対する私の心情を、ありのまま率直に発表させて頂くならば、「無」だ。
いや、正確に言えば「ほお」とは感じている。まあもっと厳密に言えば「まじか」とも思っている。
散々お世話になった先輩・平成の卒業に対して、贈る言葉。それが「ほお、まじか。」
何様なんだお前は。速やかに先輩の恩恵を再確認する必要がある。
そして涙の卒業式を。惜別の校歌斉唱を、感動の在校生挨拶を。執り行うのだ。平成生まれのプライドに賭けて。
目次
平成最初にあったものだけで東京観光をしてみる
平成生まれのアイテムを使わないで観光をしてみれば、どれくらい便利になったかを実感でき、その恩恵もよく分かるのでは、と考えた。よって、次の4点を厳守事項とした旅に出る。
《ルール》
①平成の間に生まれたアイテムは使用禁止とする。
今回最もキーとなるルール。
平成元年(1989年)以降に生まれたアイテムは使用することができない。
従って残念ながらスマホやノートパソコン、一部の交通機関、ドローン、ルンバ、米津玄師などは使用する事ができない。
かなり過酷な旅となりそうだ。
②平成の間に作られた観光地は立ち入り禁止とする。
平成に作られた観光地は行ってはいけない。店やオブジェ等も対象外ではない。
ただし、①②に関して、道路や階段など細かいとこをいちいち判別してるとダルいので、「概念」として存在していたものはある程度セーフとしたい。
例えば、「水洗トイレ」という概念は平成以前から存在しているので、平成に作られたトイレであったとしても使用することができるものとしたい。
これを禁止してしまうと観光記事というよりは各地のトイレを苦悶の表情の男性が巡った挙句結局その辺で立ちションをしました、めでたしめでたし的なものとなってしまいかねないので、どうか許して頂きたい。
③東京の主要な観光地を、10ヶ所ほど周る
筆者は生粋の宮城県民で東京の観光事情にあまり詳しくなく、2~3ヶ所ちょろっと回ればいっかな?と舐め切っていたら、SPOT編集部に「全然少ないですもっと行ってきて下さい」と命じられて次の10カ所へ行くことになった。
巣鴨、上野、浅草、池袋、秋葉原、渋谷、原宿、豊洲、お台場、新宿
いくつか完全なる悪ふざけが混入している気がするが、まあ、なんとかなる……のかな?
④その各所で誰かしらに「平成の間でこの辺りってどれくらい変わりましたか? 50文字程度で簡潔に述べよ。」的な発問をする。
これも別にやる予定は無かったのだが、SPOT編集部に「こういうのネットで受けそうなのでやって下さい。」と命じられたので、やってみる。
こんなの街で唐突に聞かれたら非常に迷惑極まりない難問だが、ネットで受ける為に鬼の追求で回答して頂く。
ただし、警察または精神科のドクターを呼ばれそうになった場合は速やかに退散してもよいものとする。
以上。
さあ、行きましょう。
Lv.1 巣鴨
巣鴨は別名「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれており、巣鴨地蔵商店街には昔から続く老舗が多く立ち並ぶ。平成禁止縛りがあってもまだ観光がしやすいはずだ。
まずは平成の便利アイテムたちに別れを告げる。
初代iPhone 発売:2007年(平成19年)
小型ウォークマン 登場:1999年(平成11年)
nanaco サービス開始:2007年(平成19年)
Suica サービス開始:2001年(平成13年)
綾鷹 販売開始:2004年(平成16年)
これでインターネットにアクセスすることも、ワンタッチで改札を通過することも、選ばれたお茶で喉を潤すことも許されない。
一方で、煩わしいSNSの返信やWi-Fiの有無など、今日一日は一切気にしなくてよい。
一人孤島に取り残されたような不安と、この島では全裸で走り回っても怒られないという開放感とが入り混じる。
自分で写真を撮る際は「写ルンです」を使う。
写ルンです 発売開始:1986年(昭和61年)
しかし写ルンですだけだと夜とか大変なことになるので、アシスタントの友人を急遽呼び出し、スマホでも写真を撮ってもらっている。ありがたい。
友情:永遠
こんにちは、右下にいる紺色のマウンテンパーカーが筆者の森です。
また、使っていいのか微妙なアイテムが出現した際はアシスタントのスマホでググってジャッジしてもらうことにする。
・元祖塩大福 みずの
お腹がすいたのでまずは食べ歩きをしていきたい。
商店街に入ってすぐ、完全にそれっぽいお店を発見。元祖塩大福みずの。確認してみると昭和22年創業とのことでセーフだ。
みずのさんのイチオシは、何と言っても創業当初から受け継いできた塩大福である。初代・2代目と試行錯誤を重ねて完成した巣鴨ならではの味だと言う。初めてここに来た方はまず塩大福を食べてみるべきだろう。
しかし何を血迷ったのか、気分的に「みたらしだんご」を注文してしまった。塩大福のレポートができない。ミスった。
友人はしっかりと塩大福を買っていた。感想を聞いてみると「うまい。」と言っていた。どうやら、うまいらしい。
さて、ここでお会計だが、お金は旧札を使っていこうと思う。
お金は概念として平成以前から、というか下手したら古代メソポタミアあたりからあるらしいが、たまたまおばあちゃんとかから貰ったやつが残っていたので、折角だし旧札縛りも付けてみる。
実家を漁ったら29000円分もあった。まあ、これだけあれば余裕だろう。
アシスタントの食費は基本こちらで出す。みたらしだんごと、塩大福で、240円。旧1000円札でお支払い。
お釣り。
む?
む?
所持金:29000円→28000円(760円没収)
この世界線ではお釣りをもらうだけでエキサイティングだ。
・長寿屋
少し歩くとこれまた長生きな感じのお店を発見した。
100年近く続くせんべいの専門店・長寿屋。売りは、地蔵せんべい。
今度はちゃんと地蔵せんべい(60円)を買った。
どこか懐かしい醤油味。おばあちゃんの家に遊びに行ったときコタツの上に置いてあったせんべいの味をイメージしてほしい。それが、地蔵せんべいだ。
このように昔から変わらない味覚も多く存在する巣鴨の商店街だが、店主のおじいちゃんによると街を歩く人には様々な変化があると言う。
「おじいちゃん、おばあちゃん世代の人たちは前よりずいぶんと見なくなったね。」
「昔のような人付き合いも無くなってきたな。前はどこどこに行ってきたからお土産だ、なんていって物を渡し合う文化があったけど、それも最近では減ったねえ。」
安くて品揃え豊富なスーパーやコンビニが、急速に増えた平成。
便利になる一方で、人と人との交流は減っているのかもしれない。
このあと、友人がまさかのせんべい愛好家で440円分ものせんべいを購入すると言うので、計500円分、仕方なく奢る。
さあて、お釣りは……。
昭和の硬貨って、意外と出ない。
所持金:28000円→27000円
・謎の占い師
また少し歩くと広場みたくなってる所があり、そこにクソ怪しげな占い師が屋台を出していたので、迷わずに入店した。
この場所で30年以上続けてらっしゃる敏腕の手相占い師らしい。
森:どうでしょうか。
占い師:うん、あなたは独立して外国にいった方がええ。
森:ほう……それは何故ですか。
占い師:うん、この手やったらね、そうやね。外国行って独立した方がええよ。
森:(もっとこの線がどうとか言って欲しいな)
占い師:あとね、結婚はゆっくりせえ。
森:ほう……それは何故でしょうか。
占い師:そりゃそうや。焦って結婚して、もっとええ女が現れたらどうすんの。
森:(これ手相関係なくないか?)
スピリチュアルな手書きの解説付き。全く読めない。
ちょうど1000円だった。
所持金:27000円→26000円
・謎のオジさん
占い師の館を後にして広場のベンチに行ってみると、ド派手なファッションに身を包み、何故か肉まんを食べているオジさんがいらっしゃったので、迷わずに話しかけた。
すると、オジさんはおもむろにカバンから一枚の紙を取り出し、こちらに手渡した。
どうやら筋金入りのナルシストらしい。
森:あの、これはなんでしょうカ。
オジさん:これはね。私が書いたの。
森:はい。それは何となく分かります。
この後このポエムの現代語訳、政治と金と女に対する独自の持論などを30分に渡り講演して頂いていたが結局よくわかんなかった。
あと、なんか別のオジさんも寄ってきた。
奥の黄色のジャンパーをきたオジさん、参戦。
彼は中山道を一人で歩き回っているらしい。
あと、なんか別のオバさんも来た。なんなんだ。誰かルアーモジュールでも焚いているのか。
ポケモンGO リリース:2016年(平成28年)
【移動】
さて、すっかり巣鴨を堪能したところで次の街に行くとしよう。次は、浅草、とか行ってみましょうか。有名だし、古風だし。
移動には電車を使っていく。さて、巣鴨から浅草は、
三田線→大江戸線→浅草線
のルートだろうか。
しかし平成に開業した路線は使用することが出来ない。
という訳で平成元年の東京路線図をチェックしてみよう。30年も前だし、きっと全然使えないんだろうな。路線図とかスカスカなんだろうな、困っちゃうな、もう。
めっちゃ使えた。
すみません舐めてました。めっちゃ使える。なんせこれ作るの丸2日かかってるから。使えすぎて涙目だったから。つかこれ普通に今と大差なくねこの企画大丈夫か。
三田線、浅草線もばっちりある。
あ、でも大江戸線がない。
都営大江戸線 開業:1991年(平成3年)
よかった。ちゃんと使えない路線もあるのだ。
となると、山手線→銀座線の経路が有力か。
あ、でも、どうせ途中で上野を通るから、先にそっちに言ってしまおう。うん、次の目的地は上野。
切符は「東京フリーきっぷ」というJR、東京メトロ乗り放題の切符を買う。
Suicaが禁じられており、普通の切符を買っていてくとお釣りが自然消滅していくからだ。
ちなみに東京フリーきっぷ、1988年生まれだった。あぶねー。
価格は1590円なので5000円札を使う。
お釣りは3410円。1000円札は期待が出来ないので、小銭の410円。ここに昭和硬貨が、出来ればあってほしい。頼むぜ、おれたちの新渡戸稲造。
稲造おおおおおお。
所持金:26000円→21000円
Lv.2 上野
5000円のフリーきっぷを駆使し、上野。
上野には上野動物園という、日本最古の動物園が存在する。その開園日、なんと1882年3月20日。
まあ、動物園いけば観光には困らないでしょう。
入園料。
頼むぜ、おれたちの夏目漱石先生。
これが最後の1000円札。
お釣り。
む?
うおおおおおお。100円ゲットだー!
ついにこの時が訪れた。100円。100円もの大金を手に入れてしまった。これはデカイ。流石日本を代表する文豪。やることが違う。
一方、動物園の前で400円を手に持ちながら「100円ゲットだー!」と叫ぶ男性こと、わたくし。算数を小1で挫折した人かな?と見られていたに違いない。
所持金:21000円→20100円
動物たちにも平成での変化を聞いていこう。
森:あの、平成でどんな所が変わりました?
ゾウ:……。
森:平成には競合他社として、カメックスが現れたと思うんですが、どう差別化を図っていますか?
ポケットモンスター赤緑青 発売:1996年(平成8年)
カメ:……。
森:もしかして、ヘドウィグさんですか?
映画「ハリーポッターと賢者の石」公開:2001年(平成13年)
フクロウ:……。
森:やはり米津玄師さんのことは意識されていますか?
米津玄師 9thシングル「Flamingo」発売:2018年(平成30年)
フラミンゴ:……。
Lv.3 浅草
銀座線で3駅。気を取り直して浅草に来た。
周囲の街並みにもまだまだ昔ながらの下町風情が感じられ、昭和からやっているお店も十分期待できる。地域に根差したお店で、この浅草にどんなドラマがあったのか聞いていきたい。
・謎の外国人
森:アー、えくすキューズミー?
外国人:Hi.
森:おーいえすえす、プリーズインタビュー、ア、ヒューミニッツ。オウケイ?
外国人:Ok.
森:サンキュー。アー、By the way、ワッツ、チェンジ、ヘイセイ?フォー・ユー?
外国人:…? ヘイセイ?
森:ヘイセイ、イズ、ジャパニーズ、あー、
ネンゴー。
あーゆーおけい?
外国人:tgmW<○・÷→1:5*☆☆○「>>>,haha!
森:haha、ベリベリセンキュ。
特にドラマは聞き出せなかったし、そもそも彼は全く地域に根差してない可能性が高い。
・レストラン大宮
仲見世通りから少し外れた通りを歩いていると、今度はちゃんと根差している感じのお店を発見することができた。
レストラン大宮。創業1982年(昭和57年)。
創業当初からずっと現役のオーナーによって営まれる洋食レストラン。落ち着いた昔ながらの店内でハンバーグやパスタ、カレー、グラタンなどの本格洋食が楽しめる。
即決で、最も高いスペシャルビーフステーキランチセット、それと赤ワインを注文した。
何故なら、どうせお釣りは帰ってこないからだ。
アシスタントにもメシを奢る契約だ。容赦なく亜麻仁牛のステーキを注文しなさった。
アシスタントの分も含めて、
スペシャルビーフステーキランチセット3850円
亜麻仁牛・内モモステーキ3600円
ライス330円
グラスワイン赤890円×2
計9440円分の豪遊。
ステーキは引くぐらいうまかった。うますぎて、正直引いた。
ワインのレポートは割愛する。
というのも、私はあまりワインに詳しくなく、というか好きでもなく、特に赤ワインに至っては嫌いと言い切ってもいい液体であり、なんなら半分くらい残した。完全にノリで注文した。
今回のお釣り。
そろそろこの程度では動じない。
所持金:20100円→10100円
あとは100円玉が1枚と新渡戸稲造が2名。
・洋菓子喫茶 アンヂェラス
インターネットがあれば、観光地にノープランでノコノコやって来ても、近く人気店や名所を調べることができる。
しかし今回はそういう訳にもいかないので、基本的に野生の勘で入店し、ここの創業は昭和ですか?と尋ね、そうだと言われたら取材、違うと言われたら即退散。そういうスタンスを取ることになる。あやしい。
ただ退散するときあからさまに悲しそうな表情を浮かべると、「じゃあ、あそことか行ってみたら?」と情報を頂けるときも。
情報の場所へ向かってみると、年季の入った看板に小行列。洋菓子喫茶アンヂェラス。
創業は1946年(昭和21年)。漫画家の手塚治虫や絵本作家の馬場のぼるなど、数多くの著名人が愛した名店だ。
しかしこのアンヂェラス、
平成31年3月17日、閉店。
平成に生まれたお店も沢山あるが、その陰には平成と共に消えていくお店も確かに存在する。なんだかエモーショナルな気持ちになってしまった。
と感傷に耽っていたところ、アシスタントが容赦なくチョコレートサンデーを頼みやがったので、涙が全て引っ込んだ。ステーキの後にどんだけ食うんだコイツは。
お釣り。
おっ 60円ゲット。
所持金:10100円→5160円
あともう一つ驚いたのは、ここまでまだ3カ所しか周っていないということです。
Lv.60 池袋
銀座線で上野へ行き、そこから山手線で20分ほど。「副都心」の異名を持つ街・池袋。
駅前にはPARCOやサンシャインシティなど、巨大なビル群がスクスクとそびえ立っており、もうマジで普通に都会。便利も便利。文句無しのラスベガス。
こんな巨大都市に昭和っぽい建物などある訳が、
なんか、あった。
・キリン堂薬局(跡地)
池袋東口を出て徒歩2秒。衝撃の速さでコテコテに昭和な建造物を発見した。なんで?
訪ねてみるとこちらの薬局、今はもう閉店してしまって現在はただの民家とのこと。外観だけ味わって先に進む。
・洋菓子店 タカセ
さらにそのまま大通りを進むと、またもやアッサリ昭和の洋菓子屋さんを発見。創業は大正9年。
しかしここで一つ謝罪したいのが、タカセさんで色々とお話しを聞いたものの、執筆段階の現在その内容をあんまりよく覚えていない、というか一切合切わすれてしまったということだ。
というのも、スマホのボイスメモが使えないので取材は手記で行うことになる。そのメモがどう頑張っても解析不能だったのだ。ボイスメモがない時代の記者、どんだけ大変だったんだよ。
多分このページなんだけど、100年前のアーモンドは……平ら……?
・西口のオジさん
東口の次は反対の西口を攻めてみる。駅から少し歩くとこちらも昭和の匂いが漂ってくる。
昔ここで印刷屋を営んでいたというオジさんに話を聞くことができた。
彼がこの30年で特に変わったと感じるのは、西口の活気についてだと言う。
1960年代、池袋西口は「夜の西口、昼の東口」と呼ばれるほど、夜の飲み屋街として活気に満ちていた。それが、ちょうど平成に入ったあたりから変化を見せ始める。
もとあったお店が後継者問題などで減っていき、代わりにチェーン店ができ始めたのだ。
「宣伝広告のネオンの光だけは輝きを増したけど、かつての人のパワーって言うのかな、それはあんまり感じないね。」
流れに抗えず、5年前彼も店を閉めた。
「自分はもう親の介護があるが、君達まだまだ何でもやれる、頑張れよ。」
そう言って我々若者を鼓舞するオジさんは、主人公に勝機を与え「あとは任せたぜ」と言って敵キャラに殺される戦士のような貫禄があり、なんだか、カッコよかった。
Lv. 97 秋葉原
山手線で20分。
Lv.97。秋葉原。
ゲーセンもメイド喫茶も行けないし、はっきり言って平成のものを使わないで観光するのはアホと言える。
メイドと呼ばれる女性たちが街中を闊歩し、妖艶なコスチュームと独特なワーディングチョイスで街行く男性を魅惑している。なにせ、彼女たちは知らない男性を「御主人様」と表現する。考えられない。言葉選びが、夏目漱石のそれを遥かに凌駕している。メイドこそ、日本を代表する文豪なのかもしれない。
・オヤイデ電気
かろうじて一軒、秋葉原の変化について話を聞くことができた。
昭和27年創業・オヤイデ電気。
電線や各種プラグ、オーディオケーブルなどを専門に取り扱っている。
今でこそアニメ、サブカルの色が強くなってしまった秋葉原だが、一昔前はこのような電機部品を専門に扱うお店が軒を連ねる「電気街」としての繁栄があった。
オヤイデ電気さんは貴重なその生き残り。
平成のサブカル分野台頭に伴い、電気街としての盛り上がりはこの30年で段々と衰退してきているのだ。
「街全体が盛り上がってくれるのは有難いけど、プロフェッショナルなお店が少なくなっていくのは、やっぱり寂しいなあ。」
少し苦い笑みを浮かべて、そう語る。
「何もかもが便利になったし、街が人であふれているのは良いことだと思うんだけどね。」
電気街としては勢いが落ち込む中、オヤイデ電気は個人に欲しい分だけ小売したり(電線は100m単位など業務用として売られている場合が多い)、オーディオケーブルなどもう一つの軸を設けることで生き残ってきたという。
平成の光と陰。その間で葛藤しながらも逞しく店を守り続ける男の、生き様を見た気がした。
ところで電線の専門店で雑談をするというのは、果たして観光と呼べるのだろうか。
まあ、次行きましょう。
Lv. 156 渋谷
山手線で30分。渋谷。
巨大なスクリーン。最新のファッションに身を包んだ若者。最近の流行を取材するテレビ局の記者。小太りのドンキホーテ・ドフラミンゴ。
無理だ。完全に平成の街だ。
ONE PEACE 連載開始:1997年(平成9年)
・こどもの樹
泣きながら20分程歩いた先、一際異彩を放つ芸術作品とエンカウントした。
1985年(昭和60年)、国立総合児童センターのシンボルとして設置されたモニュメント。制作は太陽の塔などで有名な芸術家・岡本太郎が手掛ける。
これは個人的な解釈となるが、本作品は「世界中のこどもは皆多種多様、十人十色である」というメッセージ性を孕んでいるのではないかと思う。
一人一人のこどもが樹木の枝の如く、どこまでも成長する可能性を秘めている。それを岡本らしい大胆な構図で表現した作品であり、それぞれのこどもが自分の個性を雄弁に語りかけてくる。
中央に力強く伸びる顔の赤いこどもは、熱き情熱。
その右下に位置する顔の青いこどもは、確固たる信念。
目が飛び出た緑のこどもは、尋常でない驚愕。
舌を出した黄色のこどもは、飲みサーのウェイ。
目にシソの葉を付着させたこどもは、えーと、あのー、飲みサーのウェイの、お友達かな?
・編み物一筋50年のオバさん
駅からかなり歩いた住宅街の裏の路地に入り、さらに奥の角を右に右折したり左折したり二段階右折して辿り着く鬱蒼としたコンクリートジャングルの最深部にて、編み物教室を営んでいるオバさんに出会った。
ここで教室を開いたのは13年前とのことで、編み物体験などは出来なかったが、少し話しを聞いてみることに。
まず、この30年間で渋谷は変わったと思いますか、と聞いたところ、そりゃあもう!と堰を切ったように語り始めた。
「空が無くなったもん。」
空が、消えた。その言葉は渋谷の都市開発の激しさを物語る。
「人だって、あんなには居なかったからね。いま外国人もいっぱい居て。」
人の通行量もあそこまで増えたのはここ5年くらいらしい。
「原宿駅前なんて、私が子供の頃はタヌキとかキツネが歩いてたんだから。」
これも驚く。60年くらい前だろうか。原宿駅にはタヌキとキツネが歩いていたらしい。それが今やJKとYoutuberが歩いている。ものすごい変化だ。
「今のは流石に盛ったけどね。ギャハハ。」
盛ったのかよ。今のは忘れてほしい。
「これ、食べてく?!」
愉快なオバさんは最後に饅頭をくれた。薄皮で中にたっぷりとこしあんの入った、美味しいヤツ。すみませんありがとうございますと言って受け取る。
「毒は盛ってないからね。ギャハハ。」
悔しいが、ちょっと、うまかった。
Lv. 2073 原宿
そのまま歩き続けて15分ほど。原宿に到着。
ファッションの流派として「原宿系」が生まれるほど、流行には敏感な街。60年前、タヌキやキツネは、多分、居なかった。
絶対に老人とか歩いてないし、当たりの強そうなJKがそこらかしこにウロついている。観光もできなそうだし、多分SPOT編集部の悪ふざけだし、全然取材したくない。
・東郷神社
奇跡か。若者でごった返す原宿のど真ん中に、東郷神社なる東郷平八郎を祀る神社が。いや、なぜ? 東郷平八郎は意外とそういう趣味があったのだろうか。あの顔でキャピキャピだったのだろうか。
まあ何はともあれ、よかった。これで原宿はなんとかなる。
閉まってました。
・竹下通り
仕方なく原宿のランドマーク・竹下通りへ。
竹下通り自体は1976年(昭和51年)に商店街化しているので、入るのは全然セーフ。
しかしギャルの店しかねえ。
たまに道端で屈強な黒人男性がキャッチをしている。大体3人組とかでおり、一人が怪しげなメニュー表を片手に通行人に声を掛ける。また一人は後ろで意味不明な言語を操って多分ジョークを飛ばしており、あとの一人はアホみたいに爆笑している。
私も声を掛けられそうになったが、麻薬の密輸を強要させられるような気配を感じたので、歩調を速めて、通りすぎた。もう夕暮れ。私には密輸をしている時間など無いのだ。
しかし、このまま手ぶらで帰る訳にもいかない。どうにかインタビューをしなければ。
人々はみな忙しそうにしているが、こちらも仕事だ。プロのジャーナリストとして、いくつも修羅場を越えてきた。原宿ギャルから爆笑エピソードを聞き出すなど造作もない。
森:こんにちは、少しお時間よろs……。
タピオカ女子:スッ……(目を逸らしながら)
森:こんにちは、あの、平say……!?、!
クレープ女子:スッ……(肩で風を切りながら)
森:あっあnn、hysっtt……!、、!、ら?
わたあめ女:スッ……(時速230km)
次の街、いきましょう。
Lv.7億5800万 豊洲
明治神宮前から千代田線、半蔵門線、有楽町線を乗り継いで30分。豊洲。
ゴリゴリの高層タワーマンションやらクソデカいイオンやらが静かに林立しており、その鋭い眼光で圧倒的な高みからこちらを威圧してくる。この佇まい、まさに金剛力士像。
京都を訪れずして、その趣きを感じることが出来る唯一無二の観光地、それが豊洲。その情緒は、本家のそれを上回ると言っても過言ではない。都内で京都観光をしたいという方は是非豊洲に足を運んでみてほしい。
さて、豊洲は、こんな感じでいいだろう。
最近築地から市場が移転してきてどうのこうの的なネット受けしそうな話を聞こうとも思っていたが、この際もはや、どうでもいい。
なんだか暗くなってきたし、この記事も相当な長文になっているし、正直、疲れている。
【移動】
せっかく豊洲まで来たのでお台場に行こうと思ったら、なんと、ゆりかもめが使えない。
ゆりかもめ 開業:1995年(平成7年)
そして残念ながら、りんかい線もアウト。
りんかい線 開業:1996年(平成8年)
ここに来て不便の極み。
仕方ないので豊洲から、死ぬ気で歩く。
うおお。
おおおお。
おおおおお。
自動販売機の概念:古代エジプト
オロナミンC 販売開始:1965年(昭和40年)
所持金:5160円→5030円
おおおおおおハツラツううおおおおお。
…………。
……………………々………々
………………々…々……々…………0?
Lv.∞ お台場
豊洲駅から徒歩1時間、お台場。ついに難易度が無限遠方へ発散、地平線の遥か彼方へと飛び立ってしまった。
お台場は平成に入ってから開発が進んだ、まさに平成っ子 of 平成っ子。その前には何があったかと言えば、シンプルに、海だろう。母なる大海原。タマちゃんが迷い込んだ、東京湾。
アゴヒゲアザラシのタマちゃん 来日:2002年(平成14年)
そんな場所で観光をしていた猛者、それはおそらくタマちゃんもしくはその才能の全てを水泳に全フリした米津玄師ぐらいだろう。天才が、更にその天賦の才を全て投げ捨ててようやく得られる程の力。
それほどに遠い、我々凡夫には到底到達できないステージ。
時刻は、21時を回った。
私はこんな時間にこんな所で何をしているのだろうか。もはやスタッフも、観光客も、誰もここにはいない。
あるのは、埋め立てた土地と、巨大なガンダムと、大いなる静寂。それと、シンプルに、海。
私たちはもう、そのどこまでも深い静けさ、そして夜空と混じった漆黒の海に話しかけることしか、為す術はなかった。
「平成は、どうでしたか?」
返事をするかのように吹いた風が、少し、しょっぱかった。
Epilogue. 新宿
旅の全行程を終えた取材班一行は新宿のゴールデン街、その一角に店を構える居酒屋・「ひしょう」のテーブル席に陣取っていた。
身体はキンキンに冷えたビールを欲していたが、ママのおススメで何故かブラジル産の焼酎を飲むことになってしまった。赤ワインよりは美味しかった。
ここ「ひしょう」は店主が変わりながらも40年以上続いてきたお店だ。現在の店主は、80歳を超えてなお元気なおばあちゃん。優しく柔らかな物腰で、昔よく旧札をくれたおばあちゃんにちょっと似ていた。
おばあちゃんは、口数は多くないが常に客の側に座っており、笑顔でこちらの話を聞いてくれる。ひとしきり話しを聞くと、ゆったりとした口調で所見を少しだけ述べ、また静かに笑う。バーというよりは、まるでおばあちゃんの家。
「あなた達、写真撮らせてもらえる?」
おばあちゃんは、写真を撮る。店に来た客を、片っ端から撮る。5月には写真集も出すらしい。偶然にも今日私が使っていた「写ルンです」を使い、その人の笑顔を撮る。
「やっぱり笑った顔が一番いい。その人がどんな辛い状況にあったとしても、笑っている時だけはきっと幸せだからね。」
そう言って、満足そうに笑う。笑顔の写真を撮っているおばあちゃんもまた、幸せそうだった。
ここで話題を平成に移してみる。彼女にとって平成とはどんな時代だったのだろうか。
「うん、ブラジルに移住してたり、日本に戻ってきたり、またここでバーを始めたりね。」
この顔でサラっとワイルドなことを言い始めて驚いた。彼女はしばらくブラジルに移住しており、そこでバーを開いたり、図書館を作ったりしていたらしい。
さっき、ブラジル産の焼酎が出てきたのはそのせいだ。あとブラジル産のハチのエキスとかも飲まされた。赤ワインより不味かった。
「色々やって、色々辞めてきたけど、ずっとカメラだけはやってたなあって。」
そんな彼女の激動の人生に、常に寄り添っていたものはカメラだった。
「わたし飽きっぽくて何か始めてもすぐ辞めちゃうんだけどね。カメラだけはやってたなあ。なんか、人の顔って面白いなあって思う。似てる顔はあっても、同じ顔の人っていないもの。面白いよね。」
そしてこの旅最後の会計を支払い、店を出た。
所持金:5030円→30円
店を出ると、長い旅を終えた達成感、徒労感、そして少し寂しさのようなものがこみ上げる。きっとこの先の人生で、お釣りが昭和か平成かと気にすることも、もうないだろう。
外には次の店へ急ぐ男女があちらこちらに見えたり、夜はまだまだこれからと言わんばかりの奇声が聞こえてきたりする。
そんな新宿の喧騒を歩きながら、平成という時代に思いを馳せる。
すると今日の出来事が次々と蘇って、濁流のように渦を巻いた。
「おじいちゃん、おばあちゃん世代の人たちは前よりずいぶんと見なくなったね。」
「昔のような人付き合いも無くなってきたな。前はどこどこに行ってきたからお土産だ、なんていって物を渡し合う文化があったけど、それも最近では減ったねえ。」
「そりゃそうや。焦って結婚して、もっとええ女が現れたらどうすんの。」
「人間に生まれて良かった。」
「tgmW<○・÷→1:5*☆☆○「>>>,haha!」
「宣伝広告の、ネオンの光だけは輝きを増したけど、かつての人のパワーって言うのかな、それはあんまり感じないね。」
「自分はもう親の介護があるが、君達まだまだ何でもやれる、頑張れよ。」
「街全体が盛り上がってくれるのは有難いけど、プロフェッショナルなお店が少なくなっていくのは、やっぱり寂しいなあ。」
「何もかもが便利になったし、街が人であふれているのは良いことだと思うんだけどね」
「空が無くなったもん。」
「スッ……(時速230km)」
「平成は、どうでしたか?」
「やっぱり笑った顔が一番いい。その人がどんな辛い状況にあったとしても、笑っている時だけはきっと幸せだからね。」
「人の顔って面白いなあって思う。似てる顔はあっても、同じ顔の人っていないもの。面白いよね。」
今日一日、平成の恩恵を実感したのは勿論だが、それ以上に出会った人たちの、平成30年間の歩み方が心に残っていた。進歩を喜ぶ人、嘆く人。時流に乗る人、変わらない人。笑う人、笑えと言う人。
それらは人の顔さながら、似て非なるものであり、また樹木の枝のような生命力も感じ、その一つ一つが生き生きと輝いていた。まるでそれぞれの30年間が枝や花となり、平成という一本の樹を形成しているかのようだ。
きっと、平成に涙の卒業式はいらない。惜別の校歌斉唱もいらない。在校生挨拶は「ほお、まじか。」くらいで多分いい。
そのかわり、深く礼をしよう。
あとは貰った第2ボタンを強く握りしめ、笑って、前に進むのだ。
のびのびとした枝が生え、笑顔の花が咲く。
次の年号も、そんな樹に育ってほしいから。