四国の全駅制覇とお遍路を同時にやったら大変なことになった【愛媛・香川編】[PR]
「四国全駅制覇をしつつ、お遍路を同時に達成する」という謎の旅の続きに、新年早々でかけてきたpatoさん。今回の旅でも、旅の記録にアプリ「駅メモ!」を使用。前回の徳島・高知編に続き愛媛・香川編を配信させていただきます。(7ページ)
【4日目】1月5日 4:47
お遍路の朝は早い。というか松山から今治まで行く列車の始発が5:05という正気の沙汰とは思えない設定なので、こんな時間に起きることになった。性格上、ぐっすり寝て適当に起きて準備してそれから適当な時間の列車に乗ればいいや、ということができないのでどんな悪魔的な設定であれ、始発があるならそれに乗るという選択をしてしまう。
昨日も遅くまで駅を取りに行ったりしていたので、ほとんど眠れなかった。体調は最悪である。前編から通算して最悪のコンディションで4日目を迎えた。おまけに、とんでもない事実が追い打ちをかける。
雨だ。
ついにやってきてしまった。ついにこの日がきてしまった。幸運なことに、この旅で本格的に雨に降られることはなかった。一瞬、徳島と高知の県境で危ない場面があったが、列車に乗っているうちに晴れ渡って事なきを得た。ただ、これはもう完全に手加減なしの降雨である。雨具はない。
体調最悪、寝不足、降雨、全ての悪条件が重なり、最悪、死すらありえるぞ、そう思いながらJR松山駅に向かう。
どうあがいても雨。やばい。本当にやばい。
5:05発の列車は特急列車なので特急券も購入する。特急に乗れることは嬉しいね。
5:05発 特急しおかぜ4号 岡山行き
こんなクソ早朝の列車に誰が乗るんだと思っていたが、車内にはけっこう乗客がいた。まだ1月5日だというのに出張に行く感じのサラリーマンなどいて、世間はもう動きだしているんだと実感した。
特急列車は普通列車に比べてシートも良いものを使っているし、なにより速い。あっという間に今治駅まで到着してしまった。ただ、速いということは駅メモ的にはあまり得策ではなく、ちょっと気を抜いていると途中の通過駅にチェックインできなくなってしまうのだ。特急列車は普通列車以上に気を張ってチェックインしなければならない、駅メモにはそんな鉄の掟があるのだ。
列車に乗っているうちに雨止まないかなと思ったが、止むどころか僕の願いをせせら笑う如く空はますます激しく踊り狂う。
5:45 今治駅
今治駅は、四国の玄関口となる街だ。広島県の尾道から延びるしまなみ海道を有し、伝統的に今治タオルという高品質なタオルが特産となっている。
これはバリィさん。今治市のゆるキャラで、確か「ゆるキャラグランプリ」を取ったこともあるはず。なかなか著名なキャラクターだ。
さて、今治市に到着したのはいいけど、まだ真っ暗だ。おまけに雨がさらに激しくなってきた。ただまあ、何がどうなろうと先に進むという選択肢しかないので、とりあえず自転車を組み立てて次の札所を目指す。
ファルコン号も初めての雨にちょっと恐れおののいているようだ。とりあえず、なんとかなるだろうと雨の中を出発する。ちなみに、次の札所は駅から2駅戻るくらいのちょっと遠くにあるみたいだ。そこまで自転車で行ってしまう。
いやー、雨を舐めてましたわ。きっついわー雨きっついわーと言いつつも、雨、濡れるくらいでしょ、大丈夫大丈夫くらいに思っていたんですけど、走り出して1分で全身びちょびちょ。5分で下着まで貫通してきて完全に体温を奪われた。体温を奪われると体温の維持にエネルギーを取られるので通常の3倍くらい疲れやすくなる。
僕の通るルートが悪かったのか、コンビニの類が全然見当たらないんですけど、30分くらい北に向かって走行した時でしょうか、しまなみ海道の入り口みたいな場所の近くでやっとこさコンビニを見つけ、雨具を購入しました。このコンビニから次の札所が近いみたいなので、雨具を着て頑張って進んでいきましょう。
いやーこの雨具がとにかく脆弱だった。もともとサイズがあってなかったからなんでしょうけど、次の札所まで持たず、ビリビリと破れてきた。結果、雨具としての機能を失って、ただの半透明のマントみたいな状態になっていた。
もともとこの寺は円明寺という名前だったが、それだと一つ前の53番と同じ寺名になってしまい、混乱するため、俗称であった延命寺に改めたらしい。まだ太陽も出ていない早朝なので誰もいないかなと思ったが、境内には早速何かを祈願するおばさんの姿があった。僕もその横で必死の懇願とばかりに雨が止むように祈願しておいた。
ちなみに、この寺の山門、もともとは今治城の城門だったらしく、城の取り壊しの際にこちらに譲り受けてきたらしい。そんなことはどうでもよくて本当に雨をどうにかしないと死んでしまう。ただまあ、先に進むしかないのでマントを翻し、次の札所へと向かった。
ちなみに、次の札所は今治駅のすぐ近くだ。本当なら駅からそっちの札所を先に取り、延命寺までくるルートの方が効率的だが、なぜか寺院は順番に回るという鉄の掟があるので、仕方なく駅近くの寺を後回しにした。
今治駅に向かっていると、僕の祈りが通じたのか、心なしか少しだけ雨が弱まったような気がした。これならいけるかもしれない。
さきほど通ってきた道を引き返し、今治の繁華街を抜けて次の札所を目指す。やっと太陽が出てきて走りやすくなったけど、相変わらず雨は降り続いていた。
88カ所霊場の中で唯一「寺」ではなく「坊」とつく寺院だ。今治の中心地にあり、目の前を交通量の多い道路が通っているが、境内を背の高い塀が囲っているので中は静かだ。雨だというのに散歩がてらにやってくる人の姿がちらほら見える。おそらく近所の人だろう。
全身がずぶ濡れすぎて完全に怪しい人になっているので、その近所の人にものすごく訝しい目で見られた。こんなずぶ濡れの男が境内にいたら賽銭でも盗みに来たかと思われてしまう。通報される前に次の札所へ旅立つことにしよう。今治市周辺の札所も比較的距離が近いので巡りやすい。このまま寺院を取りつつ、徐々に香川県方面へと移動していく作戦だ。
祈りが通じたのか、ほぼ雨が上がった。これは助かった。早速半透明のマントをしまいこむ。まだ小雨みたいなものが降ったり止んだりしているけど、もうずぶ濡れなのでこんな小雨、誤差の範囲でしかない。
結構近いと思っていたが予想外に距離があり、1時間近くかかってしまった。泰山寺はもともと水難から人々を救う目的があった、といわれている。この寺の周辺は近くを流れる川の氾濫に悩まされており、人々はこれを悪霊の仕業だと考えていたのだ。それらを大師様が住民と協力し、堤防を築いて秘法を授け、人々を水難から救ったという逸話が残されている。
全身ずぶ濡れの僕もある意味水難なのでなんとかして欲しかった。ちなみに、入口のこの階段。
真新しくて光り輝く階段なのだけど、雨で濡れてむちゃくちゃ滑る。思いっきりすっ転んで腰を強打した。これも水難である。
さて、次の札所もまあまあ近いらしい。少し道に迷っているうちにまた雨がポツポツと降り始めてきた。もうここまで濡れたらあまり変わらない。ただ、服が重い。あと、カメラが壊れそうでそれが心配だ。
途中、大きな川を渡った。これが氾濫で住民を苦しめていた川だろうか。そしてこの堤防も立派なものだけど、その基礎は大師が築いたのだろうか。歴史を知ると同じ川でも見え方が違ってくるから面白い。
この寺に到着した瞬間にさらに雨が激しくなった。もはやどうにでもなれ、好きにしてくれという状態だ。もう寺のこととかあまり考えられない。とにかくカメラを守りつつ先に進むしかない。
駐車場で呆然としていたら、車で巡っていると思われる老夫婦が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。余計な心配をかけてはいけないととっさに思い「雨に濡れるの好きなんで」と良くわからないことを言っていた。気分的には雨に打たれるハードロッカーだったけど、客観的にはずぶ濡れの気持ち悪いオッサン、だったと思う。
さて、次の札所を目指すわけだが、単刀直入に結果だけ言ってしまおうと思う。地獄だった。そう激しい登りだ。おまけに雨。
ここのところずっと市街地の札所が続いていて完全に油断していたのだけど、進んでいくとどんどん登りになっていって、あ、これやばい奴だって思ったときにはもう手遅れだった。
まず手始めに、あまり道案内とか見ずにこっちの方角であっているだろうと適当に進んでいって地獄を見た。
行き止まり。
今時ここまで完全な行き止まりってなかなかないですよ。さらに進んでいくとどんどん勾配がきつくなっていって、さらに雨がどっかんどっかん降り注いでくる。もう濡れすぎてやばい、とにかく体を拭きたい、そう思いながら進んでいたら目の前にタオル工場が現れた。もしかしたら今治タオルを作っているのかもしれない。
むちゃくちゃ大量にタオルがある。欲しい。体拭きたい。あんなにあるんだから1枚くらい。朦朧とする意識の中で考える。あんなにあるんだから1枚くらい……。というところで我に帰る。泥棒、ダメゼッタイ!
山道をどんどん登っていく。まさかこんな過酷なルートだったとは。完全に油断していた。
分岐点にさしかかった。左に行けば次の札所である仙遊寺で、あと1.5キロあるらしい。登り坂で1.5キロはなかなかに過酷。おまけにその下にはさらに案内があって、
「本堂まで徒歩約45分」と書かれている。大変親切でありがたい案内なのだけど、これを見て「よし、あと45分かかるのか頑張ろう!」とはならない。「うへー、あと45分もあんのかよ」となる。おまけに、こういう案内はとても頭が固い。なんというか生真面目すぎるのだ。
「あと45分」と掲示されたら本当に45分かかる。そこに遊び心はない。例えば、これが「あと45分」と掲示されているのに、本当は5分くらいで到着とかだったらどうだろうか。
「あれ、あと45分って書いてあったのに5分で到着しちゃった」
「へへー、びっくりした!? 本当は5分でしたー! ベロベロバー!」
「もう!」
こういう遊び心があってもいい。全員が幸せになるシステムだ。誰も不幸にならない。どうして45分ってそのまま書いちゃうかな。本当に45分だもんな。遊び心ないわー、そんなことをブツブツ呟きながら雨の中、結構な傾斜の坂を登っていく。
かなり登ってきたらしく、景色がいい。それでもまだまだ道は続いていく。とにかく死に物狂いで登っていく。
なんか見えた! 何かの建造物が見える! 絶対にこれ本堂だ!
うおー絶対に仙遊寺だー! 最後の力で駆け寄ったら、ただの休憩施設でした。いつものパターンですけど完全に心を折りにきている。
看板があった。興味深い看板で、「仙遊寺まで0.1km」と書かれている。つまり100mじゃん。もうゴールじゃん、と思うがなぜかその下に「本堂まで徒歩20分」って書かれている。こいつらは本当に頭が固いのでそう書いてあるということは本当に20分かかる。なのに距離は残り100m、どういうことだろう。まさかロッククライミングみたいな切り立った崖を登らされるのだろうか。それが100mあったら20分では無理だろ、そう思っていたら普通の答えだった。
まず普通に山門があった。これがあそこの看板から100mで仙遊寺到着という根拠なのだろう。ただここから本堂まではまだまだ普通に過酷な道がある。そういうことだった。本当に頭の固い案内通り、20分かけて本堂まで登りきった
今治市内を一望できる高台に存在する寺だ。標高は300mくらいらしい。このお寺にはある逸話が残っている。飛鳥時代ごろにある仙人が40年間ほどこの寺に住み、様々な堂を整えた。しかしながら、その仙人がある日忽然と姿を消してしまい、その様子がまるで雲と遊ぶかのようだったことから「仙遊寺」と名前になったそうだ。
ちなみに、ここは天然温泉が湧き出るらしく、天然温泉付きの宿坊(お遍路さんが泊まる寺の施設)があるらしい。登ってくる途中で見た側溝から吹き出る湯気はこの温泉のものだったみたいだ。完全に冷え切った体を温泉で温めたかったが、時間がないので諦めて先に進むことにした。
ちなみに、多くは語らないが、
この有様だ。
地獄の山登りが終わると、お楽しみの下りが待っている。45分かけて登ってきたあの修羅の道も自転車で下ると10分とかからない。愉快痛快。そのまま一気に麓の街まで降りてきた。
麓まで降りて行って振り返ってみて分かったのだけど、たぶんさっきまでいた仙遊寺がこれ。
かなり高い位置まで登らされていた。正気の沙汰じゃない。
大きい国道に出た。広い道路で交通量もかなり多い。路面が濡れているが、雨自体はちょっと前から上がっていた。これなら戦える。途中、道路脇にリサイクルの空き缶回収用の袋が置かれていたのだけど、とんでもないことになっていた。
これ全部ストロングゼロだわ。とんでもねえモンスターがこの地区に住んでいやがる。絶対に解き放ってはならないモンスターがいる。恐れおののきながら進んでいくとあまり苦労することなく次の札所に到着した。
雨は止んだが気温がかなり低下してきて濡れた体が冷える。とにかく寒い。
また濡れそぼった階段が目の前に現れる。転んで腰を強打した身としては恐怖でしかない。恐れながら登ると、滑りにくい材質でできていたのか安全に登ることができた。ただ、なんかこの階段、全体的に歪んでいるような気がする。
さて、ここまで今治市から西条市方面に南下しながら札所をとっていった。予讃線に沿う形で同時に駅にもチェックインしていった。どうやら今治周辺の札所はこれで終わりのようで、次の札所までは距離があるようだ。なので列車に乗って移動することにする。最寄り駅である伊予桜井駅に向かうことにした。
10:56 伊予桜井駅
タイミングの悪いことにギリギリ間に合うかと思われた10:58発の西条方面行きの列車が目の前で出発してしまった。うおー、間にあえーと鬼の速さで自転車を折りたたんでいたが、無情にも彼は行ってしまった。次の列車は1時間くらい待つらしい。大きなロスだ。
まあ、今日は日の出前から休憩なしでずっと動いていたのでここらで休憩もいいかと駅舎内のベンチに腰掛けるが、5分くらいで飽きてしまう。ちょっと駅周辺を歩いてみたけど何もなくて本当に退屈だった。
ただ、この伊予桜井駅、実は終着駅だった時代もあるようだ。予讃線は香川県の高松市と愛媛県の宇和島市を結ぶ路線だが、高松側から徐々に伸びて部分開業を繰り返してきた歴史がある。大正12年の開業時にはここ伊予桜井駅が愛媛側の終着駅であったようだ。その3か月後には伊予桜井―今治間が開業しているのでかなり短い期間だけ終着駅だったようだ。
そんなことを調べて暇を潰していると、騒がしい声たちが駅舎の中へ乱入してきた。
「ほらみろー! だから無理してでも前のやつに乗るべきだったんだ!」
「だって正確に時間覚えてなかったんだもん」
制服を着たお調子者っぽい男子高校生と、けっこうかわいい感じの女子高生だった。たぶんこの近くに高校があるのだろう。おそらくまだ冬休みだと思うので部活か補習か何かで学校に行っていて、普段は乗らない午前中の早い時間の列車に乗ることになったのだと思う。
その後に続いてちょっと大人しそうな女子高生3人組もやってきてお調子者男子1人を女子高生4人で囲んで会話していた。会話の内容から察するにたぶん最初のかわいい感じの女子高生も後の大人しそうな感じの女子高生も、このお調子者のことが好きなんだと思う。
モテモテでいいですなー、とその様子を伺っていたのだけど、会話自体はテストのこと、学校の行事のこと、イケメンクラスメイトのことと他愛のないものが続いていた。
「あーあ、すげえ待ち時間じゃん、暇だわー」
みたいなことをお調子者が言った時、かわいい感じの女子高生がちょっと勇気を出した感じで言った。
「ねえ、シオリと付き合ってるの?」
唐突に切り込んできた。たぶん、シオリとはこの場にはいない女の子で、お調子者とねんごろな関係なのだと思う。どういうことなのかハッキリさせたくて女の子は切り出した。その言葉を受けてお調子者は明らかに狼狽していた。僕が言われたわけでもないのに僕も狼狽していて、頭の中にB‘zの「BAD COMMUNICATION」が鳴り響いていた。意味深な言葉でカクシンニセマラナイデ。
こういった言葉は開戦の合図である。便乗して大人しそうな子たちまでもが「はっきりさせたほうがいいと思う」「付き合ってるの?」「どうなの?」と一歩前に出る。お調子者はもうタジタジだ。頭をフル回転させてどう切り返すか考えている。
「じゃあ、お前は俺と園田が付き合ってると思う?」
お調子者はかわいい感じの子を指さしてそう言った。お前はどう思うんだ、と質問を質問で返す手法だ。あまり男らしくない。
「付き合ってると思う!」
かわいい子はそう即答した。
「じゃあお前は?」
お調子者は隣にいた大人しい感じの子を指さす。
「私も付き合ってると思う」
こうして次々と指名してどう思うか質問していく。僕はそれを盗み聞きしているだけのずぶ濡れのドブネズミみたいなオッサンなのだけど、「僕も指名されたらどうしよう、どう答えるべきか」と一人でドキドキしていた。
「おっさんはどう思う?」
ともし指名されたら、僕はたぶんすっと立ち上がるだろう。そしてこう言う。
「小僧、よく聞きなさい。いいからいいから、よく聞きなさい。そもそも付き合うってのはどういうことなんだろうか。おっさんはこの歳になってもわからんよ。付き合ってるつもりだったのに高価なラッセンの絵を買わされただけだったやつ、おっちゃんは何人も見てきた。何が付き合うなのか、彼氏彼女ってなんなのか。もうわからんよ。でもな、一つだけ言えることがある。このお嬢さんたちは少しはお前のことを好いてくれているわけだ、それは見ていたら分かる。お嬢さんたちの反応をみていたら分かるよ。小僧だって薄々気づいてるんだろ? そりゃ自分がモテるのは気分が良いさ。このまま園田さんと付き合っていることを有耶無耶にして、モテている状況をキープしたい気持ちもわかる。でもな、不誠実なのはダメだ。ちゃんと園田さんと付き合っていることを認めるべきだと思う。それがこの子たちに対する誠意、園田さんに対する誠意、なんだと思う。若いうちはいい。むちゃなこと不誠実なこともある程度仕方がない。でもな、年取ると誠意だけが大切なものになってくるんだ」
まあ、この辺くらいまで演説した頃に、大人しそうな子の一人が泣きだすでしょ。そう思っていたら、まあ普通に考えて当たり前ですけど、やはり指名はされませんでした。
ちなみにその後の話の展開としては、じつはカワイイ子がその園田さんの方から「付き合ってる、とても幸せ」という供述をとっていたらしく、お調子者が渋々認める感じになっていました。
なかなかエキサイティングな待ち時間を経て、やっと西条方面に行く列車がやってきました。楽しい待ち時間だった。
11:44発 JR予讃線 高松行き
距離自体はたいしたことなく、すぐに目的の駅へと到着した。ちなみに車内には当たり前だけど先ほどの高校生軍団も乗っていて、まだ付き合ってる付き合ってないの話で盛り上がっていた。
12:02 伊予小松駅
次は60番ときりのいい札所である横峰寺はこの駅からアクセスするといいらしい。ただし、ちょっとこの寺については深く作戦をたてて挑む必要がありそうだ。まず横峰寺、この名前が良くない。これまで59個の寺院を攻めて得た知見がある。「名前に峰とか頂がつく寺はやばい」すでに名前の時点で山の上やでと自白してしまっている。
前半戦でも峰がつく寺の山登りで死にそうになり、その後、トラウマで知人の峰岸さんと腹を割って話せなくなったほどだ。そんな峰がつく横峰寺が僕の前にたちはだかる。そんな事情もあるので、とりあえず色々なサイトで横峰寺までのアクセスを調べてみるのだけど、ここで衝撃の事実が明らかになった。
「横峰寺は四国霊場3番目の高さの標高にあり、へんろころがしの最難所だった」
また「へんろころがし」だ。足が震えてくる。ただその説明には続きがあった。
「ただし昭和59年に林道が開通してからは参拝しやすくなった。バスも通っている」
なるほど、この林道を通れば「へんろころがし」を避けることができるらしい。バスに乗ればかなり楽をすることができる。ただ、その救いの言葉にも続きがあって、
「ただし、冬季期間(12月下旬~2月)はこの林道は不通となる」
とんでもないことだ。今は1月でどストライクで不通期間となる。ただここで問題となるのは、林道が不通であるということはもちろんバスも運休になっているのだろうけど、この林道を歩いて通ることができるのか、という点だ。やはり「へんろころがし」の山道を登るより整備された林道の方が難易度は低い。「冬季期間、林道は不通」の程度が分からない。車両がダメなのか、それとも一切の通行がダメなのか。どこのサイトを見てもその辺の情報がハッキリしない。
しかも、林道を登る場合はけっこう遠回りして山を周りこむようなルートを通らねばならず、行ってみてダメだった場合に大幅なロスになる。それならば最初から「へんろころがし」ルートに行った方がいいのかもしれない。「へんろころがし」に行かねばならない。そう脳が理解した瞬間、足が震えてきた。
「そろそろ僕は自分に向き合わなければならない」
そんな言葉が頭の中に浮かんできた。僕はこれまでの旅程で意識的に「へんろころがし」を避け続けてきた。前半戦、徳島での焼山寺への道で、初めて「へんろころがし」に遭遇し、その絶望から本当に転がされ、泣いてしまうという失態を見せた。工事現場のおっちゃんに助けられてことなきを得たが、あのトラウマは旅を中止にしてもおかしくないレベルだった。
その後も遍路ルートには「へんろころがし」が何回か登場してきた。その度に僕はあの焼山寺の絶望を思い出し、震えていた。そして、「時間もないし効率的にいかないとね」と言い訳をしてタクシーやバスを使い、「へんろころがし」を避けてきた。
けれども本当にそれでいいのだろうか? このまま「へんろころがし」を避け続けていていいのだろうか。このままでは一生涯、あのトラウマを克服できない。「へんろころがし」に負けた一人の男ができあがるだけじゃないだろうか。このままでは渋谷のスクランブル交差点の真ん中で「へんろころがし」という文字を見ただけでトラウマが再発し、うずくまってしまうことになりかねない。
「僕はへんろころがしを克服しなければならない」
これはもう、難所がどうこうという話ではない。旅の効率どうこうという話ではない。自分に打ち克てるのかという話だ。僕は行く。「へんろころがし」を攻略してみせる。そして自分を攻略してみせる。やってやろうじゃないか。そう決意して進み始めた。まずは、登山道の入り口まで行かなければならない。
駅には周辺の地図があった。横峰寺も載っているのでこれで登山口までの道は分かる。ただ、どうしても文句を言いたいのだけど、この地図をズームしてみると、
ここが超絶クソ難所の「へんろころがし」のはずなのに、こんな爽やかなルート描写しないでくれるかな。いくらなんでもデフォルメしすぎ。これじゃあめちゃくちゃ楽な道のりにみたいに勘違いしちゃうでしょ。スペースの都合で短く描かざるをえなかったのなら、もっとこう、ガイコツとか死神のイラストを描いて過酷さを伝えるべき。
全然関係ないけど、伊予小松駅は駅舎に公文式の教室が入っている。
登山口に向かって進んでいると、62番札所の真横を通った。今は60番を目指していて、順番どおりに進むという鉄の掟があるのでこの寺院を取ることはできない。ただ、今日中に取っておきたいので山を降りてきてから取ることになると思う。
ここからは泣く子も黙る「へんろころがし」だ、何が起きても不思議ではないので途中にあったラーメンショップでラーメンライスセットを食べ、腹を満たしておいた。これで遭難しても1日はもつだろう。
いよいよ勾配がでてきた。着実に「へんろころがし」が近づいてきている。
おそらく正面の山を越えていく感じで「へんろころがし」が展開されていくのだろう。次第に山道ゾーンへと侵入してきた。
13:05 登山口
いよいよ登山口みたいな場所に到着した。ここから本格的に「へんろころがし」が始まるようだ。横峰寺まで6.9キロ。言い換えれば6.9キロの「へんろころがし」だ。ここまできたのだからもう行くしかない。
決意も新たに登ろうとすると、ちょうど上から外国人二人が下山してきた。どうやら60番横峰寺を終えて下山してきてそのまま61番を目指すみたいだ。前編を読んでいただいた方は分かると思うが、変な成り行きがあって僕は旅の間、外国人お遍路を見かけたら話しかけてウクライナ人か訊ねなければならないという鉄の掟を有している。
あまり気乗りしないが話しかけてみると、やはりウクライナ人ではなかった。そこからちょっと雑談みたいになって、横峰寺へのルートの話になった。今から登るのか? みたいに驚かれて、その後は英語が早口すぎて聴きとれなかったのだけど、何度か「インフェルノ」って単語が出ていたような気がするので、たぶん地獄のようなルートなのだろう。
外国人と別れ、勾配のきつい道を登っていく。ただまあ、ぶっちゃけるとこの手の山道は仙遊寺でも登ったし、なんとなく慣れてきている。こんなアスファルト舗装されたルートなら比較的楽だ。ずっとこの舗装道路が続けばいいのに、と思いつつ結構な距離を登っていく。
しばらく登ると「舗装道路は楽だ」という前言を取り消したくなってきた。むちゃくちゃきつい。あまりに勾配がきつく、その距離も長いので死にそう。山道で周りに誰もいないので大声で「負けるな」「頑張れ」「絶対いける」と自分で自分に励ましの声をかけつつ自転車を押して登っていった。
死にそうになりながらしばらく登ると、目の前にさらに無慈悲なる光景が待ち構えていた。
横峰寺はここを曲がれという案内表示。おまけに、「自由につかっていいよ」と何本か杖が置かれていた。これまでの経験で、こういったご自由にお使いください杖がある場合、その先には想像を絶する過酷なルートが待っている。指示された方角のルートを確認する。
完全無欠の山道。ここまでも結構死にそうになりながら登ってきたというのに、今までのものは序章、ここからが本当の「へんろころがし」だぜと言わんばかりの無慈悲なる光景。とんでもない道が待ち構えていやがった。やはり「へんろころがし」は普通じゃない。
それでも前に進むしかないので山道を登っていく。呼吸は荒れ、足はガクガクしている。
とんでもなく山深い場所まで入っていく。
14:10 登山道休憩所
案内看板が見えた。横峰寺まであと何キロか書いてあるっぽい。あの外国人とすれちがった登山口で残り6.9キロだった。あそこから1時間は登ってきている。舗装道路を経て山道を1時間だ。かなり進んできたという自負があったので4.5キロは進んだんじゃないか。ということは残り2.5キロか、もうひと頑張りだぞ、と看板を凝視する。
残り4.9キロ。うそ。
死に物狂いで1時間登ってきて、2キロしか進んでない。というか、もう限界に近いのにまだ半分も来ていないという事実に目の前が真っ暗になった。やはり「へんろころがし」に挑戦すべきではなかったのかもしれない。僕にとって「へんろころがし」はあまりに巨大で強大なものだったのだ。
こういう時は、共に旅する「でんこ」に励ましてもらうべきである。駅メモ!と連動した「おでかけカメラ」というアプリを使えば、所持する「でんこ」と写真を撮影することができる。苦しい時はこれを使わなければならない。ここらで「なつめ」と共に写真を撮っておこう。
お、なんかいい感じ。こうして「なつめ」をフレームインさせると地獄の「へんろころがし」も彼女と共にハイキングに来たみたいに感じる。「なつめ」が持っている無邪気な恋人的な天使感がなせる業だろうか。ただ、画像をこうやると。
地獄の「へんろころがし」で行き倒れて、ついに天からお迎えが来た感じになる。「なつめ」に別な意味の天使感がある。
(おでかけカメラ 【iOS版】【Android版】)
登山道がどんどん過酷になっていく。
霧が出てきて幻想的な感じになる。幻想的なのはいいけど、これ本当に大丈夫なんだろうか。素人が手を出してはいけない山なんじゃないだろうか。
14:30 残り3.6km標識
1時間半登ってきて半分に満たないという事実。情報が錯綜していて横峰寺に至るルートをいろいろ調べた時に「比較的楽なルートで60分くらいで登れちゃいました♪」とか書いてあったサイトもあったけど、全然嘘じゃねえか。たぶん別のルートのこと言ってたんだろうけど、ほんと、インターネットに書いてあることを鵜呑みにしてはいけない。というか、日が落ちるまでに登れるのか不安になってきた。登りきって下山してくるまでに日が落ちてしまったら危険すぎる。計算によると、なんだかギリギリな気がする。急がなければならない。
霧と雨雲が晴れて太陽が顔を覗かせた。もう雨の心配はいらなさそうだ。ここで大雨きたらたぶん遭難する。
登れば登るほどルートがめちゃくちゃになってくる。木が倒れ、岩肌みたいな場所を手探りで登るロッククライミング状態だ。とっくに限界は超えているのだけど、ここで座りこんだらもう立てなくなって、ガチで遭難しそうなので休憩もせずに登っていく。
「頑張れ」「まだいける」「お前ならやれる」また自分で自分を励ましながら登っていく。担いでいる自転車が重い。そしてついに登り始めから3時間、過酷な「へんろころがし」を登りきり、ついについに横峰寺へと到達した。
うそ。
横峰寺は真っ白に染まっていた。そこにはただただ静かな世界だけが広がっていた。
冬季は林道が閉鎖されるため、訪れる人がほとんどいないのかとにかく静かな場所だった。ただ雪がしんしんと降りつもり、時折、屋根に積もった雪がドサッと落ちる音が響き渡るだけだった。下界では雪なんて完全に無縁の気候だったのに、こんな積雪がある場所まで登ってきたという事実に驚愕した。
とにもかくにも、ついに「へんろころがし」を克服することができた。初めて自分に向き合い、負けなかったような気がする。ただただありがたい。僕らは常に試されているのだ。
雪が降るレベルで寒いけど、死ぬ気で登ってきたので喉が渇いて仕方がない。でもこんな山の上だし、飲み物とか買えないんだろうな、その辺の雪でも食ってやろうか、そう考えていると、なんと、目の前に自動販売機が。
このフォルムは完全に伊藤園の自動販売機。まずはお茶を買って喉の渇きを癒し、ついでに何らかのホットな飲みもので温もりを得よう。そんな算段で自動販売機に近づく。
もう! なによこれ。
本当に僕らは試されているのだ。なんともありがたいものだ。
さて、日が落ちるまでに山を降りなければならない。日没まではあと1時間くらいだろうか。3時間かけて登ってきたものを1時間かけて降りなければならない。まあ、ギリギリいけそうな感じだ。
どんどん日が傾いてくる。登ってきた時と全く同じルートを降りているのだけど、この途中で日没になったらたぶん何も見えない。登山用のヘッドライトを持っているけど、道が見えなくて滑落とか遭難とかになると思う。性根を入れて降りていかなければならない。
とにかく急いだ甲斐があって、なんとかあの本格的「へんろころがし」の始まりの地、自由に使っていいよ、と杖が置いてあったポイントまで日没と同時に戻ってくることができた。本当にギリギリだった。ここまでくれば舗装された道路なので自転車で一気に下ることができる。ヘッドライトに合わせて自転車のライトもあるので暗い道でも安心だ。そのまま位置エネルギーに身を任せて恐ろしい速さで下り、小松の街まで戻ってきたのだけど、勢いそのまま次の札所を取りに行ってしまった。
暗すぎて何が何やら分からなかったが、どうやらここ香園寺はあの聖徳太子が開いたとされるお寺で、四国霊場の中でも屈指の歴史を持っているらしい。境内には本堂と大師堂を兼ねたかなり巨大で近代的な大聖堂がある。これは暗くても分かるレベルの圧巻の迫力だった。あまりにでかくてお寺っぽくないので、本当にお寺なのか、市民会館とかそんなのじゃないかと思ったほどだった。
また、昼間はかなりの人出があるらしく、特設テントが建てられていた。たぶん正月用のお守りとかおみくじなどを販売するテントなのだろうと思う。
真っ暗でお寺も閉まっているけど、取れるものは取ってしまおうと国道11号線をさらにひた走る。これまでの旅では日が出ている間に寺院を巡ることがほとんどだったので日没後に巡るとなんだか残業している気分になってくる。
さきほど「へんろころがし」に挑む前に横を通った寺である。残念なことに完全閉鎖となっていて入ることができなかった。こんなことなら順番飛ばしてでもさっき行っておくべきだった。ちなみに、この寺は悲しい歴史があり、JR予讃線が開通する時に、邪魔だからと移転させられ、ついでに国道11号線ができる時も邪魔だからと敷地の一部を削られたらしい。周りの交通インフラに翻弄され続けた歴史ともいえる。
さて、元気が有り余っているのでまだまだいけそうだ。次の寺院も行けない距離ではないので自転車で国道11号線をひた走る。
幸いなことにまだ中に入れるようだった。この吉祥寺は非常にハイカラな寺で、四国霊場で唯一、毘沙門天を本尊としている。毘沙門天といえばインドの神だ。その関係なのか画像にも写っているが、山門の前にはどこかインド風の象の像が置かれている。
また、非公開ではあるが、この寺にはマリア像が安置されている。なんでも土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったものらしく、元親はそれをマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像だ、と代々伝えたそうだ。そんな事情もあって江戸時代のキリスト教禁令においても難を逃れ、現存するらしい。
まだまだいける。今日はもう一個いっちゃおう! と頑張って国道11号をさらに東へと進む。けっこう歩道と路肩の状態が良くないので自転車の夜間走行は危険がいっぱいだ。ほどほどにして切り上げなくてはならない。
しばらく、東に向かい国道から少し奥に入った場所に次の札所があった。
標高1982mと西日本最高峰である石鎚山の麓にある寺だ。トチ狂って石鎚山の頂上に作ろうとか言い出した人がいなくて本当に良かった。かなり規模が大きく、そして広い寺院だ。ただ真っ暗すぎてもはや何が何だか分からなかった。やはり日没後に寺院を攻めてはいけない。
さて、ここまで寺院を取っておくと後の展開が非常に楽になる。次の寺院はついに愛媛県最後の札所であり、ここから結構な距離の場所にある。列車で移動し、明日の朝一番で愛媛県制覇といきたい。
19:17 JR石鎚山駅
19:27発 JR予讃線 多度津行き
けっこうすぐに列車が来る感じだったので急いで自転車を収納した。ここまでくるとかなり手馴れてくる。1分もあればカバンに入れることができる。列車に乗って伊予三島駅を目指す。
香川県との県境にあたる四国中央市にあり、伊予三島の駅前から次の札所付近まで行くバスが出ているっぽいので、今日のうちにそこまで移動しておき、朝一番でバスに乗る作戦を立てた。
20:23 伊予三島
伊予三島までの駅だけでなく、キリが良いので県境の駅である川之江もレーダーで取っておいた。これでついについに愛媛県の全駅制覇となった。
長かった。とにかく長かった。愛媛の駅を取っていて感じたことは、とにかく「伊予〇○」という駅名が多い、ということだった。146個の駅の中、23個に「伊予」とつく。伊予市や北伊予など市の名前からとった伊予を除いたとしても21個と多い。もちろんこの「伊予」は愛媛県のことを表しているが、こういった名称は他の県の駅名とかぶった場合に、ちょっと駅の力が弱い方につけられる、という傾向がある。もしくは後発の駅につけられるということもある。まあ、そもそも後になって駅ができるということは力が弱いことが多い。
愛媛県の場合、その力関係で負けてしまうのか、それとも他とかぶりやすい地名が多いのか定かではないが、本当に混乱するくらい「伊予〇○」が多かった。といったところで4日目は終了。まとめはこちら。
総評:朝起きて雨だった時はどうしようかと思った。結果的には途中で止んでくれたが、それでもかなり体力を奪われたので、できることなら残りの日程では降らないで欲しい。そしてついに「へんろころがし」を攻略し、自信が付いた。愛媛県の全駅を制覇し、残すはお遍路最後の県、香川県のみ。ついにここまでやってきた。残り24の寺院と香川県の全駅を前向きに取っていきたい。
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