【ロシア9,288 km】シベリア鉄道に乗って東京の一戸建てをアピールしてきた【6泊7日電車】PR
「ロシアのシベリア鉄道にのってみたい」と言ったライターpatoさん。ウラジオストクからモスクワまでの全行程、移動も宿泊も全部電車の果てしない旅に出ました。 ※記事読了時間目安 : 45分
目次
最終日 1:03 キーロフ駅 モスクワまで917 km (乗車時間131時間53分)
キーロフという駅に到着したらしく、真夜中の1時にたたき起こされた。また寝ている間にタイムゾーンを二つ飛び越したので、3時に起こされたような感覚だろうか。ここまで、駅に停車しようが、地獄の咆哮のようなイビキを聴こうが、サラミが落ちてこようが動じず眠り続けるスキルを手に入れたのだが、あまりにも騒がしくて起きてしまった。
キーロフ駅で乗ってきた乗客、エキゾチックな感じの女性乗客が、自分の座席で眠るサラミを発見し、けっこう怒った感じになったのだ。またサラミは上の段へと追いやられることになり、大騒ぎだった。それで目が覚めてしまった。
ただ、消灯した後の電車内はほんとうにやることがないので、ボーっと知らない天井を眺めていたらいつの間にか眠りに落ちており、二度寝に成功した。
7:00 シャフニヤ駅を過ぎたあたり モスクワまで701 km (乗車時間137時間50分)
シベリア鉄道最後の朝は激しい雨だった。もうモスクワまで700kmとかなり近づいており、よく整備された道路が線路に並行するように伸びていた。行き交う車も多い。かなりモスクワに近づいていると実感した。
大きな集合住宅が見え始め、それを合図のようにして、サラミも、夜中に来たエキゾチックな女の人もシーツを片付け始めた。次の駅で降りるのだ。周りを見ると、シーツを片付け始めている人が多い、次の駅でかなり降りるのだろう。
「ニジニ・ノヴゴロドでお前も降りるか? うちに来るか? それならシーツを片付けるんだぞ」
まだシーツを片付ける素振りすら見せない僕に、サラミが冗談めかして言う。
「まさか、モスクワまで行かないといけない。使命があるから」
僕がそう答えると、サラミは不思議そうな顔をした。
「使命?」
と言わんばかりに首を傾げる仕草を見せる。即座に答える。
「東京で家を買おうという人向けにシベリア鉄道で東京の家をPRするんだ!」
スマホの翻訳アプリにそう入れて伝えたが伝わっただろうか。
「なんで?」
「(それは僕にもわからない)」
そんなやり取りをしていたら、電車が減速を始めた。都会的な街並みが見えてきた。なんかポップなお城みたいな建物も見える。この手の城っぽい建物が登場すると、通路側の金髪のおばちゃんが写真にとれと僕に促してくる。僕が城を撮りたがっていると思っているようだ。おばちゃんはシーツを片付けていないので、たぶんモスクワまで行くのだろう。
電車はさらに減速をした。ついに、ニジニ・ノヴゴロド駅に到着するようだ。サラミとお別れの時がきたのだ。
7:34 ニジニ・ノヴゴロド駅 モスクワまで461 km (乗車時間138時間24分)
降り立ってみて驚いたのだけど、ホームが高い駅だった。高いというか、日本式の駅だった。ハシゴを下りるようにする必要がなく、フラットにホームに出られる。普通のことだが、シベリア鉄道では初の経験だったのでかなりの違和感があった。あと、ホームに屋根があるのもすごいことだ。
降り立ったホームの向かいには最新の車両みたいなのが停まっていた。かなり近代的だし、めちゃくちゃかっこいい。車両の中は寝台ではなく山手線みたいになっていたので、この近郊を走る列車なのだろうと思う。通勤と思われる乗客が何人かいた。
ニジニ・ノヴゴロドはかなりの大都市らしく人口は133万人ほど。ただし周辺の人口も加えた都市圏人口は200万人以上にもなるそうだ。その大都市っぷりは確実に駅に反映されている。
この駅でシベリア鉄道の旅を終える人はかなり多かった。そして、それを出迎える友人や親族、家族などもかなりて、ホームは賑やかになっていた。もちろん、サラミの親族と思われる人も出迎えに来ていて、抱き合って再会を喜んでいた。
そんな出迎えの親族を置いといて、サラミがこちらにやってきた。いよいよ別れの時である。
固く握手をし、抱き合う。
「じゃあな、楽しかったよ」
「じゃあ」
正直に言ってしまうと、僕にはどこか夢の中にいるような感覚だった。ここでサラミとお別れすると分かってはいるのだが、なんとなくそうでないように思う自分がいるのだ。だから固く抱き合うという行為もどこか現実じゃないような気がしてくるのだ。
ただ、心の底でそう感じられないのだけど、長く一緒に過ごしてきた友人との別れの場面である、深刻なのであると理解しなきゃいけないという強迫観念みたいなものもあって、心の中が妙にざわついているのだ。簡単に言うと、別れに現実感がないのに、感じなければいけないと焦っているのだ。
「なにか日本語を教えてくれ」
もう一度、握手しながらサラミがそう言った。思い出に何か日本語を覚えたいらしい。普段の僕ならこういう場面では「さようなら」という言葉を教えると思う。それは別れの場面だからじゃない。最も美しいと思える日本語だからだ。
「さようなら」は「さようであるならば」が変化した言葉であり、接続語である。別れの場面で接続語を使う言語は世界でも類を見ない。別れなければいけないのならば仕方がない、お別れだ、という潔い意味を含んでいるのである。また会おうでも、お幸せにでもない、仕方がない、なのである。これは実に美しい。
そういった意味と共にこの言葉を贈りたかったが、頭の中がパニックになっている僕はそれが浮かんでこない。えーと、何か気の利いた言葉、気の利いた言葉、と考えがぐるぐる回る。そして途方もない言葉を紡ぎだす。
「インティライミ」
「インティライミ?」
「太陽の祭りという意味」
「インティライミ」
サラミが頷きながら繰り替えす。冷静な今だから言える。インティライミは日本語じゃない。ナオトインティライミがケチュア語からとってきた言葉だ。なにやってんだ僕は。そもそもなんでこの場面で太陽の祭りなんだ。ちょっと雨降っとるしな。
サラミとの別れを終える。電車のドアが閉まり、走り出す。手を振っているサラミを見ながら「最後までサラミ食わなかったな、なんのために持ってきたんだろう」などと考えていた。
自分の席に戻る。ガランとしていた。
まだ通路側に金髪おばちゃんはいるが、窓際のこの4人用のブース、この旅ではじめてここでひとりになった。
「あ、ひとりなんだ」
そう思った瞬間、妙な寂しさが爆発するかのように心の奥底から湧き上がってきた。早い話、別れたことが僕の中で急に現実となったのだ。
僕はここにひとりなのである。
走馬灯のように、数々のことが思い起こされた。
夜中に足を踏まれたこと、ジュースのパックとサラミが落ちてきたこと、コーラを飲まれたこと、謎の甘いお菓子と謎のパンを際限なく食べさせられたこと、サラミが落ちてきたこと、スルメを全部食われたこと、胸焼けがするからというジェスチャー、ウェットティッシュを食べるサラミ、サラミが2個落ちてきたこと、女の子が撮影に来なくてがっかりした、一緒に犬から逃げた、一緒に車掌に怒られた、酔っ払いから助けてもらった、カバンが破裂した、直した、そして、寂しい帰り道にお前がいてくれて良かったと言ってくれた。
「いてくれてよかったって言うべきなのは僕じゃないか」
そう思うと涙があふれてきた。サラミがいてくれて、良かったのだ。
サラミがいたから僕は一人ぼっちにならず、周りの乗客とも打ち解けられていたのだ。ロシア人の中に日本人がひとり、きっと見えないところで山のように助けられていたに違いない。そんな彼と別れた、たぶんもう二度と会えない、そんな実感が今になって出てきたのだ。
僕はいつだってそうだ。重大な場面でそれが重大であると気づけない。
そして後になってそれに気づき、後悔する。僕はいつだってそうなのだ。こんなにも寂しく悲しい気持ちになるってわかっていたなら、もっとちゃんと別れるべきだった。インティライミとかじゃなく気の利いた言葉を言うべきだったのだ。「さようなら」と美しく言うべきだったのである。
あまりに僕が泣いているものだから、通路側の金髪おばちゃんが心配して話しかけてきた。
「ほら、お城よ、撮りなさい」
いつもの調子で促してくれる。それがなんだか嬉しかった。
「ふぁい」
良く分からずに泣きながら城を撮ったのち、金髪おばちゃんが言った。
「みんな帰る家がある。私にも彼にも、あなたにも。だから旅に出るんじゃない」
たぶんそんなことを言っていたと思う。
「家」とはなんであろうか。ただ単に寝る場所であろうか、ご飯を食べる場所であろうか、家族がいる場所であろうか。もちろんそれらは家を構成する要素であるように思う。もちろん帰る場所でもあるように思う。けれども、究極的には「生きる場所」なのだろうと思う。
それは単に寝起きして食事して呼吸するという意味での「生きる」ではない。人生をどう過ごすかという意味合いでの「生きる」なのである。
「家を買う」という行為は、単に大金を払って住む場所を手に入れる、寝起きをする場所を手に入れる、ということではない。生き方を「決断」する行為と言い換えることができるのだ。
その土地にずっと住み続けると「決断」し、地元に家を買った。家族と共に生きていくと「決断」し、あの街に家を買った。年老いた親の世話をしていこうと「決断」し、親と住める家を買った。家を買う行為には人生の決断が付随する。
サラミが言った「子供の決断でもあり、自分の決断でもある」という言葉はそういう意味だ。人は常に生き方を決断する。その途中過程で家を買うなり借りるなりの行為がついてくるだけだ。
僕はこの先の人生で、そんな「決断」ができるだろうか。いつもその場面の重要度わからず、後になって後悔する僕が、そんな大それた「決断」をできるだろうか。果たして僕がそんな風にして生き方を「決断」できるだろうか。すこしだけ不安な気持ちがモヤモヤと内在していた。
車窓の風景は驚くほど都会的なものに変わっていった。沢山の集合住宅が立ち並ぶ。もうモスクワは間近だ。きっとこの集合住宅の窓ひとつひとつにも住んでいる人の決断があるのだろう。
列車は最後の減速を行った。ついに、シベリア鉄道の旅が終わったのである。
14:13 ヤロスラフスキー駅(モスクワ) モスクワまで0 km (乗車時間144時間3分)
ついにモスクワへと到着した。モスクワ市内のヤロスラフスキー駅がシベリア鉄道の終着駅となる。長かった。本当に長かった。気が狂うかと思った。
走り切った電車。ホームに到着すると、あれだけ共に時間を過ごした乗客たちが他人となり、ホームを歩いて去っていった。みんな電車内で見せただらけた服装ではなく、パリッとした服に着替えていたのが印象的だった。
ついにモスクワに到着した。6泊7日を乗り切ることに成功したのだ。9,000キロ以上を6泊7日、144時間に渡って走破、本当にとんでもない鉄道だ。
長距離列車はしばし人生に例えられることがある。
終着駅に向けて走る間に、様々な駅に停車し、転機が訪れる。誰かに出会い、誰かと別れる。何かを考え、何かを思い出す。その様はやはり人生に似ているのだろう。
シベリア鉄道に乗り、言葉の通じない様々な人に出会い、笑い、泣き、怒った。それらはとてもかけがえのない経験だったように思う。窓から見えたロシアの風景たちはまた一つ、僕の人生のエッセンスになるのだろう。そして、そこで僕は「決断」の大切さを知ることになった。
多くの人は、決断をもって長い列車に乗る。人生も決断を伴って生きていく。そしてどこかで「決断」をする。いつかは僕も家を買うだとかそういった大それた決断をする時が来るのかもしれない。ただ、それは忙しなく走る日本の列車のような、まるで駆り立てられるような中での決断である必要はないのだ。シベリア鉄道のように、膨大な距離をゆっくり走り、時間すらも意味もなさい緩やかな流れの中でゆったりと決断してもいいのだ。
何があろうと、誰に何をいわれようと、決断は自分が行うものである。せかされるものでもなく、ゆったりと考えたうえで決断をしたいものだ。もしかしたらそれが僕の中での「家を買う」ということなのかもしれない。そう、ゆっくりと決断すればいいのだ。
「さようなら」
モスクワの空に向かって小さくそう呟いた。
死ぬ思いで辿り着いたモスクワ、赤の広場で見た太陽は脳が焼けるほど眩しかった。それはまるで太陽の祭りのようで、一生涯忘れられない景色となったのだ。
おわり
ロシアのお土産プレゼント
さて、欲しい人がいるとは思えないけれども、旅が終わって帰ってきてから「読者プレゼントやりましょう、お土産提供してください」と鬼の編集部に言われたので、急遽、友達用に購入したお土産を供出することになった。あいかわらず狂った編集部である。
提供するお土産は、まずウォッカだ。こちらは明らかに成人という人にしか当たらないようにするので注意されたい。同じ酒をもう1ビン買って飲んだが、死ぬほど美味かったので完全におススメだ。さらにグラスまでついている。
あと、モスクワのスタバのお姉さんが吉高由里子みたいでかわいかったので購入した、ロシア限定のスタバタンブラー、こちらはマトリョーシカ柄となっているかわいいものだ。仲の良い女の子にあげて好感度を上げようと思っていたものなので、僕の怨念がたくさん詰まっている。
そして最後はプーチン大統領柄のTシャツだ。これを着て歩けばあなたもプーチンという逸品になっている。ぜひともゲットして欲しい。
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