【聖地巡礼】大谷翔平の生まれ育った街を巡ってきた【岩手・奥州市】

昨年末、あれは寒い冬の日だった。

朝、布団にくるまれながらおもむろにYahoo!ニュースを見ると、大谷翔平がメジャーリーグ球団・エンゼルス(正式にはロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムだ)への移籍を決めたということを知った。

ちょうどその日は仕事で栃木に行かなくてはならない理由があり、「大谷はロサンゼルスに行くのに、俺は栃木かぁ」なんて思ったこともあって、この時の出来事をよく覚えている。(念のため言っておくが、栃木は良いところである)

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大谷翔平のことは、野球にさほど興味がない人でも最近は連日テレビやネットでその活躍が伝えられているので、名前くらいは聞いたことがあるだろう。

彼は日本生まれのプロ野球選手。23歳、独身。投手だけでなく野手としても出場する「二刀流」として活躍する、世界でも極めて珍しいタイプの選手だ。投手としても打者としても超一流という万能ぶりから、「100年に1人の超逸材」「まるで野球マンガの主人公のようだ」「いや、漫画の主人公ですら『流石に盛りすぎだろ』と叩かれるほどの天才」などと言われるほどである。

そんな彼が今、アメリカ・メジャーリーグという大きな舞台で二刀流に挑戦し、シーズンが始まるやいなや、予想以上の大活躍をしている。あの寒い冬の日、この事態を一体誰が想像できたであろう。野球評論家は軒並み「アメリカでの二刀流は難しい」と豪語しており、素人の僕でさえニュースを見て「さすがに日本と同じような活躍は無理だろうな」と思ったほどだ。

連日報道される大谷フィーバー。ニュースではその活躍自体のことがフォーカスされるが、僕はなぜかここまでの才能を世界という大舞台で発揮できる彼自身のことが気になった。彼がどんな生い立ちで、どんな場所で生まれ育ったのか、が。

 

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気が付いたら僕は、東北新幹線に乗っていた。大谷さん(ここからは敬意と愛情を込めて大谷さんと呼ぶ)の生まれ育った場所をどうしても見てみたく、自分の足でそれを確かめたいと思ったのだ。急に思い立ち行動に移すなんて、もしかしたらこれは恋と似たような感情なのかもしれない、なんて思いながら。

なおWikipediaには大谷さんがどこの小学校に通い、どこの中学校を出て、どんな高校に入って甲子園を目指したのかが事細かく書いてあった。本当に便利な時代である。それによると彼のふるさとは岩手県奥州市。東京から東北新幹線に乗り、一ノ関駅で下車。そこからJR東北本線に乗って水沢駅に向かえば良いらしい。

ただその前に、水沢駅に向かって大谷さんの生まれ育った街を巡る前に、僕には行っておかなかければならない場所があった。

 

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それは、世界遺産・平泉である。

ここに立ち寄ったのには大きな理由があった。大谷さんの「翔平」という名前は、この場所によって生まれたからだ。

大谷さんのお父さまは、奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って、名前を「翔平」と名付けたらしい。そんな大谷さんの名前の由来になった場所となれば、訪れないわけにはいかないだろう。

 

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平泉は中尊寺金色堂や中尊寺本堂など、歴史的遺産が点在する場所であるが、僕が向かうのはここではない。

 

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行くべき場所はここ、「弁慶堂」である。
「弁慶の立ち往生」の武蔵坊弁慶、「その時義経少しも騒がず」の源義経。言い伝え通りの両人の姿がこのお堂の中に祀られているのだ。

僕は義経に挨拶をした。「あなたの名前をもらった大谷翔平という人物が、現代・平成の時代に野球選手としてアメリカで活躍しています。悲劇的な最期を遂げた義経さんでしたが、あなたの意思はちゃんと受け継がれていますよ」と。これで義経も弁慶も、報われることだろう。本当によかった。弓矢が全身に刺さったままの弁慶が天国から叫んでいる。

「翔平!ナイスピッチング!」

 

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なお、近くでおみくじを引いたらなんと大吉だった。考えてみると、生まれて初めて大吉を引いた。もしかしたら源義経からの恩返しかもしれない。もしくは大谷さんのパワーを少しもらったのかもしれない。

 

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その後、いよいよ大谷さんの故郷、奥州市・水沢にやってきた。僕はやってきたのだ、大谷さんが生まれた町に。

到着した時は「水沢の文字が虹色に光って見える……」なんて思ったのだが、後から写真を見返してみたらそうでもなかった。

 

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水沢は、日本によくある地方都市のひとつだった。駅のロータリーを中心に商店街が伸びており、そこではパラパラと住人が買い物をしていた。地方とは言え活気のある店が多いのは印象的である。これも全部大谷さんパワーの影響だ。

 

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駅のロータリーには「オイカワスポーツ」というスポーツショップがあった。ここで大谷さんは野球道具を買ったのかもしれない。

翔平「お父さん、バットに書いてある『JSBB』ってなに?」
パパ「これはな、全日本軟式野球連盟のことなんだ。この表記がないと、公式戦で使うことができないんだよ」
翔平「そうなんだ! パパ詳しいね! あとさ、このローリングスとミズノのグローブって、どういう風に違うの?」
パパ「これはな……」

なんていう、ド真面目な会話をしたのだと思う。
将来の夢や希望を語り合う中学生のように、時にはお店の中で3時間近く野球道具について語り合ったのだろう。
「早く帰れよ」そんな目をして店員さんが大谷さん親子を見ていたと思う。

 

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その後は大谷さんの試合登場曲である、Olly Mursの「Wrapped Up」を聞きながら水沢の街を歩くことにした。

が、地方の都市によくあることだが、この街は東京のように地下鉄がどこもかしこも通っているわけでもない。ゆえに歩いて回ることができるのは、駅の近くだけなのだ。

そう考えると、大谷さんが生まれた街を一通り回るには、車が必要。だが大谷さんは小さい頃免許を持っていなかったので、自分自身で街を回る際には車を使っていない。

では何を使っていたか。

 

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答えは簡単、自転車である。

大谷さんは、お父さまに買ってもらった自転車に乗って、この街を回っていただろう。野球の練習をする時も友達と遊ぶ時も、自転車に乗っていたのだと思う。ということで僕も駅近くでレンタサイクルを借りて、様々な場所を巡ってみることにした。

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どのくらい経っただろうか。グーグルマップで目的地を入れ、自転車を漕いで30分。この日は風が強かったので、思うように進まなかったので40分くらいかかったのかもしれない。初めての土地なので、ちゃんと到着するか心配になった。

 

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諦めようと思った矢先、目の前に小学校が現れた。畑の中にどーんと構えるその校舎。
大谷さんが育った小学校としてふさわしい大きさだ。

 

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近づいてみると、垂れ幕があった。「頑張れ!大谷先輩 僕らの希望」と書いてある。
日本の、いや世界の希望がここから生まれたのだ。20年後にはイスラム教におけるメッカのように、大谷教の聖地として世界中から毎年600万人の巡礼者を迎えることになるだろう。

 

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校庭には、小学校にしては見事なバックネットが立っていた。この場所で大谷さんは野球の練習や試合をして、今はアメリカ・ロサンゼルスで活躍しているのである。なぜだか少し泣きそうになった。っていうか泣いた。

グラウンドの神様に「大谷さんを育ててくれてありがとう」としっかり挨拶をして、この場を去ることにする。
涙を流しながらグラウンドに頭を下げる僕を見て、散歩中のおじさんが変な顔をしていた。

 

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なお、小学校の近くには駄菓子屋があった。大谷さんは小さい頃ここで駄菓子を買ったに違いない。

 

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大谷さんが買った駄菓子と言えばもちろんチョコバットだろう。僕も大谷さんにあやかって買ってみた。

僕は残念ながらホームランもヒット(チョコバットのあたりはホームランやヒットという表記なのだ!)も出なかったが、大谷さんが小さい頃はホームランを量産して駄菓子屋を出禁になっていたかもしれない。

 

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小学校の近くにあった廃車。これは大谷さんが小さい頃から放置されているかもしれない。いや、むしろ大谷さんがバットでフルスイングして廃車にしたのかもしれない。大谷さんのスイングには自動車だって勝てないのである。

 

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小学校から自転車で30分ほどの場所には、大谷さんが通った中学校もあった。

 

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あの校舎で大谷さんは数学を学んだ。連立方程式を学び、二次方程式を解いていたのだ。三平方の定理では、解き方が難しかったから苦労したかもしれない。歴史の授業では歴史上の偉人と野球の偉人を混同してみんなを笑わせたりしたのだろう。

先生「黒船に乗って浦賀に入港し、当時鎖国をしていた日本に開国をせまったのは誰だ?」

大谷さん「ベーブ・ルースです」

先生「まったく! 大谷はすこし野球から離れなさい!」

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あの桜を、大谷さんも毎年春に見たのだろう。「綺麗だ」なんて思ったりしたのだろうか。
いや、大谷さんはそんな陳腐な感想ではなく、桜の木に金属バットを打ち込んですべての桜を散らせたに違いない。
金属バットを桜の木にフルスイングする大谷さん。やりすぎて桜の木を折ってしまった時は「僕がやりました」といさぎよく名乗り出ただろう。大谷さんはその辺も偉人たるふるまいをしていたに違いない。

中学校を後にし(名残惜しいが仕方ない)、今度は街中から離れたところを巡ってみようと思う。
この旅をするにあたり、絶対に行かなければならない場所があるからだ。

それは…

 

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バッティングセンターである。

 

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奥州市周辺にはこの「前沢バッティングセンター」しかない。少年野球をしていて、地元のバッティングセンターに行かないやつはいない。

要するに、大谷さんはここでバットを握ったのだ。

 

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もちろん、僕も大谷さんと同じようにバットを握る。

小学生の頃にここで打ったと考えると、大体速さ100kmくらいのボックスに入ったのだろう。ゆえに、このバットは大谷さんが握ったことになる。こんにちは。大谷さん。東京からはるばるやってきたよ。僕も、大谷さんみたいにホームランを打つよ。

 

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一球も打てなかった。ただ、バット握ることによって大谷さんとひとつになれた気がした。

 

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バッティングセンターに置いてあった、わたがし。大谷さんは甘いものが好きなので、ここでお父さまにおねだりをしたのかもしれない。ピエロも大谷さんにわたがしを作ってあげることができて、さぞかし嬉しかっただろう。

その後バッティングセンター以外にも、水沢の街を色々探索した。

 

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駅の近くにはTSUTAYAがあった。ここで大谷さんは映画を借りたのかもしれない。それとも流行っている音楽を聞きたいと思い、初めてCDを買ったのかもしれない。そう考えると、ここは大谷さんにとって青春の思い出のTSUTAYAである。年頃には謎のカーテンの向こうに消えたのだろうか。

 

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国道沿いによくあるラーメンチェーン店第1位(私調べ)の「くるまやラーメン」。

大谷さんもお父さまに連れて行ってもらったことがあるはずだ。ほろほろのチャーシューに舌鼓を打ち、帰りにバッティングセンターでホームランを打ったのだろう。

 

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駅の近くにあった「ショッピングとコミュニティの生活交流館・メイプル」。大谷さんはここで洋服をお母さまに買ってもらったと思う。PIKO派だったのか、それともタウンアンドカントリー派だったのか。もしくはBadBoyが好きだったのか。

 

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夜は水沢駅の近くで一泊。

夕飯は蕎麦屋に行ったのだが、おかみさんに野球の話をもちかけると、「うちは主人も私も大のジャイアンツファンだから。東北の楽天も、大谷君がいた日ハムも、そんなに興味はないのよ」と言っていた。蕎麦は美味しかったが、言っている意味がわからなかった。「ここに、邪教徒がいます」と警察に通報しようかと思った。

次の日、朝起きてすぐに向かった場所がここだ。

 

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奥州市伝統産業会館である。

名前を見る限り大谷さんには全く関係ないかと思うかもしれないが、ここも絶対に行かなければならない場所なのだ。

なぜかというと…

 

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ここでは大谷さんと握手ができるからである。

大谷さんの手から型を取って作った、「大谷翔平選手握手像」が設置されており、だれでも無料で大谷さんと握手することができるのだ。要するに、大谷さんの右手からパワー(Power)をもらうことができる。

大谷さんの右手は、暖かかった。ぬくもりを感じた。エネルギーが満ち溢れていた。
真鍮で作られているので固いのだが、その手はなぜか柔らかかった。そして、もっとひとつになれた気がした。

なお余談だが、僕が握手をしている際、TBSの「ニュースキャスター」という番組が、取材をしているということで話しかけてきた。

「握手をしているシーンを撮影したい、なぜこの場所に訪れたのかを聞きたい。よければテレビに使ってもいいか」と。これはもしかしたら、大谷さんと共演できるかもしれないということで、ぼくは即答で「もちろんです」と答えた。

「なぜ大谷選手と握手を?」という問いに対し僕は、「最近は仕事もプライベートも上手くいっていないので、大谷さんの二刀流のパワーを借りて僕も二刀流で頑張りたい」と、超テレビ的なコメントをすることに成功。

無事に使われるかと思ったが、放送では完全にカットされていた。
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その後は電車に乗り、花巻駅へ向かった。水沢駅から数駅だ。

なぜ花巻にきたのかというと、ここには大谷さんの母校である花巻東高校があるからである。

 

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駅の近くにあったモスバーガーで軽い昼食を食べた。花巻東高校の近くのファーストフード店はここだけなので、大谷さんもここには一度は行ったことがあるだろう。もはや「大谷バーガー」と改名した方が良いのではないか。

 

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大谷さんが歩いたであろう道を歩いて、花巻東高校に向かう。

一見普通の道だが、大谷さんが歩いたという事実があるので、僕にとっては歩いているだけで元気になる道だ。

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この道 ずっと ゆけば

あの街に 続いてる 気がする

オオタニロード

 

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オオタニロードを歩いて約10分。立派な学校がそこにはあった。

 

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この高校に入って彼は甲子園に行き、活躍をして、プロに入った。

大谷さんはこの高校に通っていた頃、彼女はいたのだろうか。もしいたとしても、クラスのマドンナと付き合っていたというよりは、クラスの中でも控えめだけどよく見ると本当に可愛い子を持ち前の選球眼で見抜いて彼女にしていたに違いない。ミーハーギャルには目もくれない。さすが大谷さんだ。この先も女子アナウンサーなんかに引っかからないで欲しい。でもその、本当に可愛い子と仲良くする大谷さんを想像すると、ちょっと嫉妬した。変な感情が心を駆け巡っていくのがわかった。これはなんなのだろう。

 

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高校に併設されている球場は大きかった。もちろんここでもグラウンドの神様に「大谷さんを育ててくれてありがとうございます」と挨拶をする。少しでもエネルギーを貰おうと、グラウンドの砂をポケットに入れる。そしたらポケットが砂まみれになった。

 

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大谷さんは高校の頃は「寮」に入っていたというから、街にはそんなに出歩かなかったと思う。
なので僕もあえて探索はしない。大谷さんの思い出の場所にしか訪れる必要がないからである。

 

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こうして僕は岩手の地を後にし、東北新幹線に乗って東京に帰ってきた。大谷さんからたくさんのパワーをもらったと感じながら。

大谷さんの生まれ故郷、岩手県奥州市。訪れる前はこの街のことを全く知らなかったが、世界遺産はあるし食べ物は美味しいし、自然は豊かだし、人も温かいし、とてもいい街だった。この街で生まれ育ったからこそ、今の大谷さんがある。そう心底感じた。奥州市、ありがとう。大谷さんを、ありがとう。

 

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そして帰りの新幹線で、僕はアメリカ行きのチケットを買った。

大谷さんが育った場所を巡ったからには、今の大谷さんが暮らしている場所にも行きたいと思ったからだ。嘘かと思うかもしれないが、本当に購入した。もちろん仕事は関係なく、プライベートで1人分のチケットを。

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でもなぜニューヨークに行くのかと思うだろう。それは大谷さんがこの期間、ニューヨークでヤンキースと試合をするからだ。ヤンキースタジアムに向かい、大谷さんの勇姿をこの目に焼き付け、応援をしたいと思っている。

「アメリカに行きたい」とこれまで生きてきて思ったことはなかったが、大谷さんはそんな僕の気持ちを簡単に動かしてしまった。僕は本当の意味で大谷さんに恋をしているのかもしれない。

がんばれ大谷さん。大谷翔平聖地巡礼の旅は、まだまだ続く。

(取材・文・カメラ 長橋 諒