※本記事は『駅メモ! – ステーションメモリーズ!-』の提供でお送りいたします。
1日目 6:30
寒々しい漁港の風景からおはようございます!
もう3月も半ば、いつ春が来るのかとせわしない気持ちになる時期ですが、そんなものは無関係とばかりに寒い、めちゃくちゃ寒いです。なんならちょっと雪の予報とか出ているくらいです。
雪とまではいきませんでしたが、先ほどからなかなか雨が激しく、おまけに風も強いです。東京のコンビニで買った「風に強い!」と力強く書いてあったビニール傘が4秒で壊れました。それほどの強風です。
寒い、風が強い、雨、とおおよそ取材向きでない天候もさることながら、この場所、まったく人の気配がありません。夜が明けたばかりの早朝ということもあるのですが、通りを歩く人もいなければ、車もほとんど通りません。時が止まったかのような漁港にウミネコの鳴き声だけが響いています。
ここは石川県の能登半島、その先端近くに位置する場所です。能登町の真脇という地域のようです。
東京からは北陸新幹線で終点の金沢まで。そこからバスで3時間ほど移動した場所にあります。ついでに1時間くらいの徒歩までついてきました。まあ、ここまで来るの、控えめに言ってもむちゃくちゃ大変でした。
さて、このような場所になぜ降り立っているのか。それもこんなにも早朝に、と疑問は尽きないのですが、それを説明するには少し時間を巻き戻さねばなりません。ちょっと入り組んだ話になりますが説明させてください。あれはSPOT編集部とのやり取りからはじまりました。
編集部
「patoさん、patoさん」
編集部からのコミュニケーションはいつも突然だ。
pato
「なんですか?」
こういう展開はたいていロクなことがないので、適当に受け流しつつ、それでも完全無視するわけにはいかないので無難に返事します。
編集部
「もう少しで平成が終わっちゃいますね。patoさんにとって平成ってどんな時代でした?」
話題は2019年、今年の5月に控えた改元の話でした。30年以上も続いた「平成」という時代が終わり、次の元号の時代がやってくるのです。
pato
「そうですね。僕なんかは昭和生まれですけど、多感な時期から青年期、働き盛りなど人生の大部分は平成でしたからね、気分は平成生まれですよ」
どさくさに紛れて平成生まれってことにしていますが、なんだか普通に雑談になってきたので、胸を撫で下ろします。また狂った旅に駆り出されるんじゃないんだ、大丈夫なんだ、と安堵の気持ちがありました。
編集部
「新元号の時代になっても色々と頑張っていきたいですね」
pato
「そうですね」
編集部
「昔は飢饉や災害などの凶事があると改元することがあったようです。改元によって前の時代を忘れるリセット装置としての役割もあったらしいんですけど、それではいけないと思うんです。温故知新、しっかりと古い時代のことも知って新しい時代を生きなければなりません」
pato
「そうですね」
なんか真面目っぽいことを言い出したので、ちょっと悪い予感がするのですが、ここまできたら突然無視、というわけにはいきません。気分的にはやりたいですけど、引き返すわけにはいかないのです。話を続けなければならないのです。
編集部
「そこでですね!」
ほうら、おいでなすった。きましたよ、きましたよ。どうせ訳わからない旅の提案ですよ。
編集部
「新しい時代の到来に備えて古い時代を知る。そんな旅をしましょうよ」
pato
「といいますと?」
何が言いたいのかさっぱり分かりませんが、一つだけ分かることがあります。どうせ地獄みたいな旅の提案です。
編集部
「patoさんはこれをご存知でしょうか?」
平成最後の冬に、今までやってみたかった乗り方をやっとできた。
平成が終わる前でよかった。 pic.twitter.com/vzZP4pVu2Y— 𝘾𝙍埼京線 (@shining_ray48) January 12, 2019
pato
「あー、神奈川県にある昭和という駅から熊本県にある平成という駅に行ったというやつですよね。すごいですよね、これ」
編集部
「patoさんには是非ともこれをやっていただこうと」
pato
「はあ、大変そうっすね。きついなー、死んじゃう(しめしめ、神奈川から熊本に行くだけなら、今までの旅に比べれば楽そうだぞ、日本縦断とか真冬に北海道全駅とかシベリアとかじゃないぞ)」
ちょっとだけ邪(よこしま)な気持ちが生まれつつありました。正直に言うと、これだけならそこまで大変な旅じゃない。やろうと思えばできる。
編集部
「ただ、平成と昭和だけじゃ古い部分を知ることができない! ということでいきましょう! 全ての元号の駅へ!」
は? なに言ってんのこの人。
みなさんはまあ、マジの頭のおかしい人ってあまり見たことないと思うんですよ。言うほど見たことないでしょ。でも、僕はこうしていつも頭のおかしい人と対峙していますからね。昭和と平成じゃ物足りないという思考回路も謎ですが、全部の元号とか、何考えてるんだ。寺島。何食って育ったらこんな思考回路になるんだ。
落ち着いて考えてみてください。これが大化から平成までの元号一覧です。とんでもない数ですよ。これら全部の駅を探して行ってこいとか言うてるんですわ。あるわけないだろ。四文字元号の「神護景雲」を冠した駅とか絶対にないですよ。
これらを駅が存在するのか調べるのも大変ですし、それを巡るとなると生涯を賭けた仕事になりかねません。ちょっとしたライフワークになってしまう。そんなもの通るか。
pato
「ちょっと元号全部はやめましょうよ。どうせ存在しない駅とか大量でしょうし」
編集部
「うーん」
なんだかお気に召さないご様子。召す召さない以前の問題だろ。何喰って育ったらこんなことになるんだ。こんな頭おかしい旅に駆り出されてたまるか、という強い想いがありました。
編集部
「じゃあ、社会の時間に習った時代区分ならどうでしょうか? 〇〇時代、とか、あれを冠した駅を巡っていきましょう!」
pato
「うーん、まあ、それなら」
というわけで、最初にとんでもない要求をしておいて、妥協してラインを下げていき受け入れやすくするという交渉術の基本みたいなスキルを見せつけられましたが、日本の時代区分全てを冠した駅を巡る、ということになってしまいました。一体それが何になるのかよく分かりませんが、とにかくやってみることにします。
旅のルールは以下のようになります。
【時代巡りの旅のルール】
1.日本の時代区分の名称が入った駅を全て巡る。対象の時代はWikipediaの区分より、以下の時代とする。
元号全部に比べたらかなり数が減りましたが、それでも常軌を逸していると言わざるを得ない。
2.移動手段は何を用いても良い
当然のことながら移動手段は鉄道、新幹線、飛行機、バス、船、タクシー何を使っても良いそうです。
3.旅の記録には「駅メモ!」を使う
僕の地獄旅ではおなじみとなった「駅メモ!」を用いて旅の記録をとっていきます。
駅メモ!-ステーションメモリーズ
https://ekimemo.com/
「お出かけをもっと楽しく」をコンセプトにした位置情報ゲーム。アプリ内に登録された9,100の駅を独立思考型ヒューマノイド「でんこ」と共に旅をしながら収集する。収集だけでなく、駅にリンクする陣取りゲームとしての楽しみ方や、「でんこ」育成ゲームとしても楽しめる。もちろん、旅の行動ログとしても活用可能だし日々の行動ログも取れる、大変有意義で楽しいアプリだ。(アプリのインストールはこちら)
4.各時代の駅ではその時代にちなんだものを探してくること
よくわかりませんが、そういうルールみたいです。縄文時代の駅では縄文時代にちなんだもの、ということでしょうか。もう全然意味わからないんですけど、このルールでいきます。
そんなこんなで時代巡りの旅、スタートです。
縄文時代
ということで、この旅のスタート地点、縄文時代ということで、ここ、石川県能都町真脇地区にやってきました。
調べてみたところ、現存する駅では「縄文」を冠する駅は存在しませんでした。いきなり出ばなをくじかれた格好になり、やめやめ、この旅終わりという気分になるのですが、なんでも、過去に廃駅になった駅なら存在するそうです。
それがここ真脇地区に存在した「縄文真脇駅」です。
昭和38年に真脇駅として開業したこの駅は、周囲で縄文時代の遺跡が出たことから、「のと鉄道」に移管される際に「縄文真脇駅」と名称を改めました。しかしながら平成17年、能登線廃止に伴い、廃駅となったそうです。これが縄文を冠した駅、ということでやってきたわけです。
さて、その駅がどこにあったのか、地図を片手に探します。だいたい、こういった廃駅は道路の形状を探れば容易に探すことができます。廃駅となっても町の造りを急に変えることはできませんから、ちょっと商店が集中している通りがあるとか、真っすぐな道路があるとか、ロータリー状になっているとか、そういうのを手掛かりに探していきます。
完全にこれ、駅前通りです。このまっすぐ伸びる道路はほかの道路から見ても異質ですから、おそらく駅前道路として使われていたのでしょう。もはや廃駅ハンターみたいになってますが、この通りから駅を探します。
ありました。
廃駅から13年も経っているので何の形跡もないかもしれないと危惧していましたが、ちゃんとそのまま駅が残されていました。
7:02 縄文真脇駅(廃駅)
それにしても植物に侵食されてとんでもないことになっている。人類が滅んだあとを描いたSFとかに出てきそうな駅だ。
ちなみにこれが線路跡。完全に植物に侵食されている。とにもかくにも、これで縄文時代クリアです。
【縄文時代ってどんな時代?】
今から約15000年前から2300年前くらいまでの期間(諸説あり)。縄文土器が発明されたことにより、保存などができるようになり、食生活が一気に改善されることとなった。狩猟や漁、採取を行って生活の糧とし、竪穴式住居に居住して集団で生活していたと考えられている。
【縄文時代の主な出来事】
・集落の形成
・縄文土器の発明
・貝塚の形成
「駅メモ!」はこのように画面右下に「でんこ」が常駐しており、時にはリンクした駅を守ってくれたり、時には様々な手助けをしてくれる。今回の旅では、これまで登場した「でんこ」および新たに入手した「でんこ」を総動員してお送りしていく。きっとアナタが気に入る「でんこ」がいるはずだ。
チェックインボタンを押すと、その時にいる位置から最寄りにある駅にチェックインする。そうやってチェックインした駅はたいてい別のユーザーの「でんこ」が守護しており、自分の「でんこ」と駅を取り合うことになる。
ちなみに、駅メモはもう廃止になった廃駅にも対応していることがあるので、ここ縄文真脇駅も取れるかと思ったのですが対応していない様子。というか、旧のと鉄道の配線区間は対応していないようです。それでも駅メモはその場所から最も近くにある対象駅を取りますので、一番の最寄り駅であるのと鉄道穴水駅が取れました。
たぶんここから25キロくらい離れています。ここまで来るのマジで大変でしたから、駅メモ様は是非ともこの廃駅にも対応して、駅メモユーザーを震え上がらせて欲しい。
さて、これで縄文時代の駅はクリアということで、あとは縄文時代ゆかりのものを周囲から見つける必要があるのですが、縄文時代ですよ、んなもん現存してるのかよと思いつつ探してみたらありました。
廃駅の眼下には縄文遺跡公園みたいなものが広がっており、その公園内に、しっかりと再現された竪穴式住居らしきものがあります。これは完全に縄文時代ゆかりのものでしょうよ。これで縄文時代クリアでしょう。
ということで次は「弥生時代」ということで、弥生駅を目指していきます。
弥生時代
ここにはかつて「のと鉄道」という鉄道が走っていましたが、穴水駅以降の区間が廃線、完全に鉄道空白地帯になっています。バスは通っているようなので、そのバス停を探します。
バス停は廃駅から近い場所にありました。ちょうど海の近くのようです。そこには朝の早い時間にもかかわらず、バス通学をしているらしい高校生が立っていました。坊主頭で野球部っぽいカバンを持っていましたから、おそらく野球部なんでしょう。
「おはようございます!」
めちゃくちゃ元気に挨拶されました。こういうまっすぐな挨拶をされると僕のような汚れた存在はたちまち狼狽してしまう。
それにしても空腹です。朝から1時間くらい歩いてきたのですが、朝食を食べていません。その辺に食べる店とかコンビニとかないかなと探したのですが、まあ、あるような雰囲気じゃなかったです。
おお、バス停の近くに弁当屋がある! と興奮したのですが、どう好意的に解釈しても営業してない感じでした。「奥さん」というネーミングセンスもなかなか良くて期待が持てそうな弁当屋だけに残念です。
それでも、もしかしたらこの周辺に漁師だけが知る定食屋みたいなものがあって、漁師の朝は早いと言わんばかりに営業している可能性があると思い、高校生に聞いてみました。
「この辺にご飯食べられるお店とかあるかな」
「ないッス!」
めちゃくちゃ爽やかに言われました。これだけ爽やかに言われると諦めもつく。
バス停の裏はすぐ海みたいになっていて、荒れ狂う海の波の音と、大量に待機しているウミネコの鳴き声だけが響いていました。縄文時代、この辺りに暮らしていた人々もこの海をみていたのでしょうか。そんなこと考えながらバスを待ちます。
7:24発 北鉄奥能登バス 珠洲宇出津特急 縄文真脇温泉口バス停→金沢駅東口
定刻より少しだけ遅れてバスがやってきました。車内の乗客はまばらで、だいたい2割くらいの乗車率。ここから約3時間かけて金沢駅まで移動します。途中、穴水駅からは「のと鉄道七尾線」の駅が取れると思いますので、駅メモでチェックインしつつ移動していくことにします。
バスは容赦ない海沿いのワインディングロードを走り、容赦ない山道を走っていきます。海に山にと大忙しのルートだ。
寒いはずだよ。雪が残っている場所がある。3月も半ばにさしかかろうというのにこの状況だ。能登半島はけっこう寒い、覚えた。
途中、能都町役場前みたいなバス停でけっこう多くの人が乗ってきたのですが、その中の一人のおばちゃんがめちゃくちゃ元気よく全ての乗客に挨拶していました。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます。お邪魔します」
後ろの席へと移動しながら挨拶していく。めちゃくちゃ礼儀正しくて律儀なおばちゃんだなあと思いつつ、ちょっとした緊張感が僕を包み込んだ。僕のところに挨拶に来たらどうしようと思ったからだ。
さっきからおばちゃんはほとんどの乗客に無視されている。突然知らないおばちゃんに挨拶されてもみんな戸惑ってしまうのだろう。でも、僕だけは満面の笑みで挨拶を返してあげたい。それが人と人とのコミュニケーションだ。
おばちゃんは順番に挨拶をしていく。
くるぞ、くるぞ。
なぜか僕だけ飛ばされる。
なんで?
え、なんで?
ずっとそんな思いが悶々と駆け巡り能登半島の景色が車窓を流れていった。なんで?
良く分からない戸惑いの気持ちを乗せてバスは走っていきます。いよいよ車窓から見える家々が増えてきて、近代的な街並みが見えてきました。金沢駅に到着です。
10:19 金沢駅
チェックインした駅 穴水、能都鹿島、西岸、能登中島、笠志保、田鶴浜、能登部、金丸、千路、羽咋、南羽咋、宝達、免田、高松[石川]、横山[石川]、宇野気、内灘、粟ヶ崎、北間、大河端、三ツ屋、磯部[石川]、上諸江、金沢 (24駅、総移動距離132km)
金沢駅は威風堂々かつ厳かに建つ鼓門が特徴的な駅だ。このシンボルは平成27年の北陸新幹線金沢延伸を見越し、平成17年に完成したものだ。世界で最も美しい駅14選に日本の駅で唯一選ばれたこともあり、まさに平成を代表する建造物のひとつといえる。
ここからは特急サンダーバードに乗車して関西方面へと移動する。ただ、ちょっと時間があるようなので駅内をうろついてみることにした。
金沢駅構内は人の往来が激しく、かなり賑わっていた。ちょっと寂れているんじゃないのー? と見くびっていた僕は完全に面食らってしまった。
構内を歩いていると、目の前に「金沢百番街」というショッピングゾーンが現れた。どうやら土産物とか売っている場所らしい。どれどれ、なにか美味しそうな和菓子とかありますかな、と中に入ってみると、その和菓子を売っているゾーンのあたりで店員の女の子とおっさんが会話していた。
「そうそう、もう明日はホワイトデーだ」
おっさんは思い出したかのようにそう言った。奇しくも、今日は3月13日、明日はホワイトデーだ。
「そうですね。ホワイトデーの贈り物にも最適ですよ」
店員の女の子は笑顔で対応し、それとなく商品を勧める。
「そうだなあ、仕事場でバレンタイン貰ったからお返ししないとダメなんだけど」
おっさんはいまいち歯切れが悪い。まるでお返しをしたくないような口ぶりだ。
「きっと喜ばれると思いますよ」
笑顔でまた商品を勧める女の子、その言葉におっさんは激しく首を横に振った。
「いんや、おれは嫌われている!」
そんなこと激しく言われてもけっこう困る。
「そんなあ、嫌な人にはバレンタインあげたりしませんよ」
「いいや、嫌われてる!」
「そんなことないですよ」
良く分からない問答が続いていた。なんでそこまで嫌われていると主張するのかちょっとよくわからなかった。僕が一通りお土産を見終わった後に通りかかると、まだ話し込んでいた。
「ホワイトデーだからって和菓子を渡して誘ってみたらいいじゃないですか」
「そうかな?」
「そうですよ。当たって砕け散ろですよ」
いつの間に恋愛相談になっていて、女の子は両手の拳を握りしめて「ファイト!」みたいなポーズをとってそう言っていた。当たって砕けるならまだマシだけど砕け散っちゃダメだろ、爆散してるやん、とか思いながら通り過ぎた。
10:56発 特急サンダーバード18号 大阪行き
サンダーバードの車内は静かだった。多くの人が乗っていたけど、車窓から入ってくる陽の光が心地よかったのか、大部分の人が居眠りをしていた。僕もかなりの眠気に襲われたのだけど、淡々と駅メモでチェックインをしなければならないので、眠るわけにはいかない。いつもながら地獄みたいなルールだな、これ。もう慣れたけどさ。
サンダーバードは福井、敦賀と抜けていく。
近江塩津駅を通過したあたりで、山の合間からちょろっと湖みたいなものが見えた。
「もしかしてあれ、琵琶湖のはじっこなのかな」
気になって調べてみたらやっぱり琵琶湖の端っこだった。
琵琶湖だ。めちゃくちゃでかい。
しばらく走り、いよいよ京都が近づいてきたという段階になって、何でもない場所で急に停車した。
「本日、車両トラブルのためダイヤが大幅に乱れております。列車が詰まっている状態ですのでしばらく停車します」
立ち並ぶ民家が見えるだけの場所で30分くらい停車していた。全然知らない民家を裏側から30分眺めるなんてなかなかない経験だった。
14:11 新大阪駅
チェックインした駅 松任、西金沢、野々市[JR]、加賀笠間、美川、小舞子、能美根上、明峰、小松、粟津[石川]、動橋、加賀温泉、大聖寺、牛ノ谷、細呂木、芦原温泉、丸岡、春江、森田、福井[福井]、足羽山公園口、赤十字前、花堂、ベル前、江端、大土呂、越前花堂、泰澄の里、三十八社、北鯖江、水落、東鯖江、鯖江、武生、王子保、南条、湯尾、今庄、南今庄、敦賀、西敦賀、新疋田、近江塩津、永原、マキノ、近江中庄、近江今津、新旭、安雲川、近江高島、北小松、近江舞子、比良[滋賀]、志賀、蓬莱、和邇、小野[志賀]、堅田、おごと温泉、比叡山坂本、松ノ馬場、唐崎、滋賀里、南滋賀、近江神宮前、京阪大津京、大津京、山科、京都、西大路、桂川、向日町、長岡京、山崎、島本、高槻、摂津富田、JR総持寺、茨木、総持寺、茨木市、茨木、宇野辺、千里丘、正雀、岸部、吹田[JR]、吹田[阪急電鉄]、南吹田、東淀川、新大阪 (114駅、総移動距離396km)
30分以上遅れて新大阪駅へと到着した。ここからは新幹線に乗り換える予定なので新幹線ホームに移動する。いつもはやれ青春18キップだとか、やれローカル線だと新幹線に乗る機会がないので、ちょっとテンションがあがる。
新幹線ホームに行くと、珍しいことに500系新幹線(写真左)がホームにいた。500系新幹線は平成8年に導入された新幹線で、旅客機かと思うほどの近未来的なデザインが特徴だ。500系こだまとして現役で走っており、まさに平成の時代を駆け抜けた新幹線と言えるだろう。その隣にいるのがレールスターひかり(写真右)で、これもまたまあまあ珍しい新幹線だ。導入は平成12年。500系、レールスターいずれも大阪より西でしか見られない新幹線だ。僕にとって平成といえる2つの新幹線を同時に見ることができた。
14:25発 のぞみ109号 広島行き
いまさら言うことでもないけど、新幹線はめちゃくちゃ早い。とんでもない速度で移動する。さぞかし駅メモのチェックインも捗るかと思ったが、あまりの速さに僕のスマホのGPSが追い付かず、あまりチェックインできなかった。あと、トンネルが多すぎて苦戦した。
15:30 岡山駅
チェックインした駅 新神戸、播磨町、高砂[兵庫]、曽根[兵庫]、西明石、姫路、相生、備前三門、岡山 (123駅:総移動距離525km)
あっという間に岡山駅だ。死ぬほど早い。あと、北陸ではめちゃくちゃ天気悪かったのに、こっちは快晴だ。あまりに天気が違いすぎる。
15:36 山陽本線 三原行き
ここからは山陽本線に乗り換えて西へと進んでいく。目指すは倉敷だ。いつも思うが、岡山まわりの普通列車、特に山陽本線のそれは乗客の数に対していつも車両数がしょぼい。めちゃくちゃ人が待っているのに平気で2両とかでやってきやがる。
結果、車内は大混雑だ。岡山から乗るときはいつも大混雑、みたいなイメージがついてしまった。
15:53 倉敷駅
チェックインした駅 北長瀬、庭瀬、中庄、倉敷 (127駅、総移動距離539km)
倉敷が誇る観光地、美観地区の外壁をイメージした和風なホームが特徴的な駅だ。しかしながら、その和風な佇まいも北口へと移動すると一変する。
一変して洋風な佇まいの駅舎になる。実はこれは、平成9年に開園した倉敷チボリ公園を意識した造りになっている。ここ倉敷駅北口を出てすぐの場所にデンマーク・コペンハーゲンにある世界最古のテーマパークともいわれるチボリ公園をモデルにした都市型テーマパークが開園したのだ。
開園直後は多くの来場者がおりディズニーランドに次ぐ来場者数を記録したこともあったが、年々減少し、平成21年、ついに閉園となった。僕が学生だった時代はよくこの倉敷チボリ公園に来ていて、暖かい夜景が綺麗だった思い出がある。それだけにもうなくなってしまったのを残念に思う。
駅構内には、チボリ公園にマッチするように建てられた時計台が残され、稼働しているが、その背景にもうチボリ公園はない。後ろに写る商業施設がかつてチボリ公園だった場所だ。なんだか栄枯盛衰の儚さみたいなものを感じてしまう。
そんなチボリ公園に想いを馳せつつ、逆側の駅出口にいくと、ちょっと歩いた場所に「水島臨海鉄道」の乗り場があった。
水島臨海鉄道は、名前の通り臨海地区にある水島工業地帯と倉敷市を結ぶ路線として昭和45年に開業した鉄道だ。その特徴として、第三セクター方式の鉄道には珍しく、貨物を取り扱っている点がある。それだけでなく、沿線住民の足としても現役で、昭和後期から平成へとずっと乗り継がれてきた路線だ。この沿線に目指すべき弥生時代がある。
16:05発 水島臨海鉄道 水島行き
ラッキーなことに、切符を買ってホームに躍り出るとちょうど電車が出るところだった。時刻表を確認してみると、そう本数は多くなく、多い時間帯で1時間に3本ほど、少ない時で1本だ。これを逃すとけっこう待たされるところだった。
車内はゆったりとした時間が流れていた。通勤通学の足なのだろう、学生やサラリーマンが主な乗客だ。ゆっくりと動く電車に、車窓から流れ込むやや黄色い西日。もう夕方だ。ボックス席に座る高校生カップルは、イヤホンを片方ずつ耳に差し込み、手を繋いで眠っていた。
でも、どうやら二人とも寝たふりをしているだけらしく、お互いに繋いだ手の位置を巡っていちゃつき始めた。どちらの手が上にあるか、を巡って彼女の方が上にして握ると彼氏が負けじと上にする。そうやって延々とお互いの手の位置を入れ替えている。そのうちお互いにパッと目を開けて彼女の方が「もう!」って感じで膨れてみせる。
こっちが「もう!」ですよ。お互いに手と手がぶつかり合って複雑骨折でもしねーかなーという気持ちで眺めていました。
まあ、カップルが複雑骨折することもなく、ただただまっすぐ鉄道は走っていく。そうこうするうちに目的の駅へと到着した。
16:23 弥生駅
長かった。本当に長かった。朝7時台に縄文時代を出発してから実に9時間余り。やっとこさ弥生時代に到達した。
チェックインした駅 球場前[岡山]、西富井、福井[岡山]、浦田[岡山]、倉敷市、弥生 (133駅、総移動距離548km)
【弥生時代ってどんな時代?】
紀元前10世紀から紀元後3世紀ごろまでを指す時代区分。水稲耕作が定着し、青銅器や鉄器、石包丁などが使われ始める。魏志倭人伝によると、弥生時代後期には数十の国が存在して国王がおり、統一国家へと動き始めていた。
【弥生時代の主な出来事】
・水稲耕作の定着
・弥生土器の使用
・部族的な小国家の発生
降り立ってみて分かったけど、弥生駅、ゴリゴリの住宅地だ。高架駅を降りると、本当に一般家庭の住宅しか存在しない。住民しか降りないだろ、これという駅だ。ここで弥生時代ゆかりのものを探さなければならないのだけど、これ、無理だろ。弥生なんてあるわけない。そもそも弥生時代からつけた地名ではない可能性だってある。
そもそも、「弥生」という地名の多くは、東京都にある東京大学本郷キャンパス近くにある地名に由来するようだ。明治時代辺りにそこから縄文土器とはちょっと違う土器が出てきたぞ、ということで地名から「弥生土器」と名付け、全国各地で同じような年代の土器が出てきた場所が「弥生」という地名になっていったらしい。土器が先ではなく、地名が先だったというわけだ。
そう言った意味では、かつてこの周辺で弥生土器が見つかり、地名となり、そのまま駅名となった可能性が高い、けれども残念ながら、駅周辺にそれを示す史跡などの類はなかった。
まあ、それでも弥生ゆかりの物だけは探さないといけなので周囲を見渡します。
この弥生駅、先ほども「ゴリゴリの住宅街の駅」と申しましたが、本当にその通りで、駅前には広場に意味不明なオブジェがあるだけで、あとはほとんど住宅だ。時間を潰すのもかなり難易度が高そうなこの駅は近所の子供たちの遊び場になっているらしく、小学生と思われる女子の集団がキャーキャー言いながら高架駅の階段を昇ったり下りたりして遊んでいました(改札のない無人駅なので自由にホームに昇ることができる)。
何が面白いのか分かりませんが、叫びながら階段を昇り、また降りてきてケタケタ笑う。逆側のホームでも同じことをしてケタケタ笑う。岡山の小学生って頭おかしいのかな、と思いましたが、まあ子供ってそういうものでしょう。
その頭おかしい小学生女子集団のなかで一番トロい感じの子が
「はやくきなよ、やよいちゃん!」
とか呼ばれていました。弥生時代、ゲットです。
古墳時代
弥生時代の次は古墳時代ということで、「古墳」を冠した駅名を探すのだけど、実はちょっと、移動中に調べてみたんですけど、そういう駅名がないんですね。どこかの古墳とかの近くに「〇〇古墳前駅」とかありそうなものなのに、そういうの全然ないの。
その辺を編集部に突っ込んで、どういうことだ、ないじゃないか、そんな状態じゃこんな旅はやれないね、とねじ込んでやったんですけど、「普通にあるよ、行ってこいよ」と、とある駅を示されてしまいました。
それは本当にそこに行くのかよ、と言いたくなるような駅なのですが、まあ、言われたからには行くしかないのでしょう。たぶん、本日中には途中までしか行けないですが、頑張って行きます。
いくしかない! 当たって砕け散ろ! だ。本当に砕け散るわ、と思いつつ、古墳時代に向けて動き出します。
倉敷駅に舞い戻るべく、先ほどとは逆のホームに昇ります。
やってきた電車に乗り、倉敷駅へと舞い戻り、ここまで何も食べていなかったので駅構内にあるサイゼリアで食事をすることにしました。
チェックインした駅 浦田[岡山]、福井[岡山]、西富井、球場前[岡山]、倉敷市、倉敷 (139駅、総移動距離557km)
ここでステーキなどを食べながら、「古墳時代、めちゃくちゃ大変だぞ」と決意を新たにします。すると、隣のテーブルから携帯電話で会話する声が聞こえてきました。見ると、アメリカの連続ドラマ「24」でキムのカウンセラーだった男みたいなやつがどこかに電話していました。
「はい、ええ、そうです。駅までは来たんですが急に体調不良で、はい、今日は休ませていただけたらと、はい、あいすみません。はい、ええ、明日は大丈夫です」
と体調不良で仕事を休むと思われる電話をした直後に、運ばれてきた生ビールをプハーッとやってました。めちゃくちゃ美味いだろうな。ズル休みしてそれって最高だな。あんた最高だぜ。
さて、ここから大阪へと戻るのだけど、その先にある古墳時代の駅はどうせ今日中にはたどり着けないので新幹線では戻らず、節約して在来線で戻ることにする。ただ、今日はあちこちで列車のダイヤが乱れているらしく、ちょっと移動に苦労しそうな感じだった。
17:30発 山陽本線 播州赤穂行き
在来線の山陽本線で移動することにした。
車内は帰宅を急ぐ人で混み合っていた。特に、同じ制服を着た高校生がかなりの密度で乗っていた。卒業式でもあったのか、そのうちの何人かは胸ポケットにゴージャスな飾りをつけていた。
途中の駅でその高校生たちがワーッと降りていき、これで少しは車内の人口密度が減るわ、と胸を撫で下ろしていると、同じ駅で別の制服を着た高校生たちがワーッと乗り込んできた。高校生にかなり使われている路線なんだと痛感する。結局、終点の播州赤穂までずっと混雑していた。
18:58 播州赤穂駅
チェックインした駅 北長瀬、庭瀬、中庄、西川緑道公園、城下[岡山]、西川原、高島[岡山]、東岡山、岡山、大多羅、西大寺、大富、邑久、長船、香登、伊部、西片上、備前片上、伊里、西片上、日生、寒河、備前福河、天和、播州赤穂 (164駅、総移動距離622km)
本来なら、ここから新快速に乗り換えて大阪を目指すのだけど、なんでも今日は朝から関西周りの鉄道ダイヤがめちゃくちゃらしく、すぐ来るはずの乗り換え電車が来なかった。
「本日は、京都線における車両トラブル、神戸線沿線の火災トラブル、湖西線強風の影響で新快速のダイヤが大幅に乱れております」
とアナウンスされていた。あらゆる厄災が一斉に関西の鉄道に降りかかったみたいな状態になっている。
19:42 新快速 姫路行き
本来は19時ちょうど発くらいの野洲行きが来る予定だったけど、ダイヤが乱れに乱れて大幅に遅れ、さらにこれから来る予定の電車も終点の野洲まで行かず、かなり手前の姫路までらしい。
やっと電車がやってきたが42分遅れ。大幅な遅れによって車内はかなり混みあっていて、座れないほどだった。それでもなんとか進んでいき、やっと座れた! というところで姫路駅へと到着した。
「ここまでか、乗り換えないと」
と席を立とうとすると、また車内アナウンスが流れた。
「やっぱり野洲まで行きます」
けっこうアバウトなものなんだなと痛感した。
21:37 大阪駅
チェックインした駅 坂越、西相生、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、姫路、山陽姫路、加古川、東加古川、西明石、明石、宝殿、西江井ヶ島、大久保[兵庫]、朝霧、西舞子、山陽垂水、垂水、東垂水、滝の茶屋、塩屋[兵庫]、須磨浦公園、須磨、須磨海浜公園、高速長田、兵庫、新開地、高速神戸、ハーバーランド、神戸[兵庫]、みなと元町、旧居留地・大丸前、三ノ宮、三宮[神戸三宮]、灘、摩耶、六甲道、石屋川、住吉[JR]、摂津本山、甲南山手、芦屋[JR]、打出、さくら夙川、西宮[阪神電気鉄道]、阪神国道、甲子園口、立花、尼崎[JR]、塚本、東梅田、大阪[JR] (219駅、総移動距離857km)
ということで、かなりダイヤが乱れていて遅くなったけど、大阪駅に到着したところで1日目の移動は終わり。
やはり大阪駅はめちゃくちゃ都会だ。そんな都会の中を宿泊場所を求めて彷徨い歩く。
途中、HEP FIVEの観覧車が見えた。ちなみにこの観覧車は平成10年建設。阪急ファイブからHEP FIVEに改称する際の改装で設置された。平成初期の代表的建築と言えるだろう。
僕なんかはガチの田舎者だったので、大阪に来てこのビルの上の観覧車を見た時などは、腰が抜けるほど驚いたものだった。ビ、ビルの上に観覧車、こんなことをして神の怒りをかわないのだろうか、とバベルの塔みたいなことを考えたのを今でも鮮明に覚えている。
本日のお宿は、とある極悪系旅行サイト編集長おススメのカプセルイン大阪。さすがにおススメされるだけあってリーズナブルでサウナも素晴らしい。ちなみにここはカプセルホテル発祥の地だ。
子のカプセルホテルは昭和54年、未来のホテルをコンセプトに開業されたらしい。
当時のポスターや、新聞記事などが店内にも飾られている。こういった宿が昭和後期から脈々と続いているかと思うとなかなかに感慨深い。
ということで、1日目の旅はここまでで終了。旅のまとめはこちら。
1日目まとめ
制覇した時代:縄文時代、弥生時代
総アクセス駅数:219駅
総移動距離:857 km
果たして古墳駅は存在するのか。いったいどこに存在するのか。本当にたどり着けるのか。2日目に続く!
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