縄文から平成まで全ての時代の駅を巡ってみた_PR【駅メモ】 ※追記「令和コスタ行橋駅」が誕生

3日目

6:30

 3日目の朝はとても常識的な時間で迎えた。ゆっくり眠ることができた。ただ、昨日は「古墳時代」しかクリアしていないが、それだけでもかなりの疲労がでてしまい、サウナに宿泊したのにサウナに入らないという体たらくを見せてしまったほどだ。

 

 今日は「古墳時代」の次ということで「飛鳥時代」をクリアせねばならない。飛鳥を名に持つ駅だ。幸い、ここ「なんば」から遠くないようなので一気に片付けてしまおうと地下鉄駅に向かう。

 

大丸心斎橋店の本館をめちゃくちゃ工事していた。どうやら建て替えのために閉館しているらしい(北館と南館は営業中:2019年秋リニューアル予定)。調べてみると、ここ心斎橋の大丸はものすごく歴史があるらしく、古くは江戸時代、享保の頃から始まるらしい。

 

工事中の外壁には、その江戸時代から歴史を振り返る展示がされていた。

 

江戸、明治、大正、昭和、平成、と各時代の歴史を振り返っている。この大丸はこうやって時代を駆け抜けてきた。そうだよ、やるなら江戸からでいいんだよ。縄文からやるバカいるかよ。古墳で大変なことになっとるし。

 

7:17発 大阪メトロ 御堂筋線 なかもず行き

思いっきり通勤ラッシュにぶちあたってしまったらしく、ギュウギュウ詰めで移動することになってしまった。僕は各時代の駅を巡るとか意味不明な旅しているのに世間の皆さんはちゃんと働いている、そう思うと妙に胸が苦しかった。

 

7:30 天王寺駅(大阪メトロ)

チェックインした駅
心斎橋、四ツ橋、大国町、恵美須町、動物園前、天王寺駅前、天王寺 (7駅/のべ319駅、総移動距離5km/のべ2,844km)

 

ここからは近鉄に乗り換えるため、大阪阿部野橋駅まで徒歩で移動する。かの有名なあべのハルカスがあるところだ。ちなみにあべのハルカスは平成26年開業。平成後期を代表する建築物といえる。

ちなみに、この天王寺駅の看板だが、一点だけ注目して欲しい場所がある。

あれえ? これ昭和じゃないかなー。そうかー、天王寺駅の隣は「昭和町駅」かあ。こりゃあ昭和時代のときに行ったりするのかな。ということは、今行っておけば昭和クリアじゃないですか? どうですか? なに、ダメ? 順番に行かないとダメ? そうですか。

よくわからない「順番縛り」という謎ルール、これがここから僕を苦しめ始めるのでした。

 

7:36 大阪阿部野橋駅 

改札をくぐった瞬間に大変なことが起こった。まあ、色々と言葉を濁して遠回りにお伝えすることも可能だけど、あえて直球で言わせてもらうと、うんこを漏らしそうになった。普通は尋常じゃない腹痛を伴い、完全に心が折れて敗北という言葉を噛みしめながら漏らす、それがうんこだが、このうんこは違った。

普通に、ピッ、と改札をくぐった瞬間にどさくさに紛れて飛び出してきそうなさりげなさがあった。たいしたもんだよ。こっちに全く気付かせず、まるで僕らが呼吸で二酸化炭素を吐き出すかのごとく「いよっ!」と当たり前に出てきそうになった。こんな爽やかなウンコありえないでしょ。これ、普通の人だったらそのまま漏らしてたんじゃないかな。

だけど僕は違った。即座にその流れを堰き止め、トイレに駆け込んだ。この駅は改札くぐってすぐのとこにトイレがあった、これも幸運だった。ただ、トイレに駆け込むと、大便ブースは満員御礼ソールドアウト、大渋滞で長い列を形成していた。

 

「ここは地獄か」

 

思わずそう呟いた。たぶん、みんな並んでいるんだからうんこをしたいんだと思う。漏らしそうなんだと思う。けれども、僕とみんなは違う。多分みんなのやつは苦悶と戦ううんこだ。それすなわち、戦うことが可能ということを意味している。気合を入れればうんこを止めることができる。けれども、僕のうんこはなぜか当たり前のように出てこようとする。この当たり前を止めることは難しい。抗う術を持たないのだ。つまり、いちばん深刻度が高い。

 

「このままではうんこ漏らして各時代を巡ることになる。各時代の人もびっくりするんじゃないか」

 

そんなことを悶々と考えながら並んでいた。何度も言うように苦痛がないのだ。でも、苦痛がないことが危険なのだ。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているのだ。勝手に部屋に入ってくる隣の家の幼馴染くらい自然に出てこようとしている。

 

まあ、なんとか爆発することなく、悲しみの十字架を背負うこともなく、解決することができた。なんだったんだ。爽やかに出てこようとしやがって。

 

7:50発 近鉄南大阪線 急行 吉野(奈良)行き

僕もまあ色々な電車に乗ってきたけど、なにげに近鉄に乗ったのは初めてかもしれない。別に避けていたわけではないけど、乗る機会がなかった。

見慣れない近鉄電車からの車窓の風景を眺めながら考えた。さっきのうんこはなんだったのだろうか。まるで、古くからの幼馴染のように当たり前に出てこようとしていたけど、あんなの人生で初めてだ。体調がかなりおかしいのかもしれない。

いいや、もう精神にも異常をきたしているのかもしれない。だいたい、こういった異常な旅をしていると、5日目くらいに異常をきたしてくる。けれども今回はまだ3日目だ。早すぎる。そんなはずはない。まだ精神は大丈夫だ。そう言い聞かせるが、大丈夫じゃなかった。

 

この急行の吉野行き、おそらく大阪阿部野橋を出たときは8両編成くらいだったのだけど、なんでも途中の「尺土」という駅だったかで、後ろ側の4両を切り離すらしい。切り離されるので尺土より先に行く方で後ろ4両に乗車の方は車両を移動してください、としきりにアナウンスされていた。

それを聴いていて、ああ、後ろ側だこれ、移動しなきゃ、とわかっていたのに移動しなかった。なんでか分からないけど、移動しなかった。移動しなきゃって脳の8割くらいが理解していたのに、移動しなかった。なんなんだよ、こいつ。

それどころか、他の乗客もみんな移動してしまって空っぽになった車両を見て、人間が滅亡した後も動き続ける車両、それが近鉄……! とよく分からない近未来SFを考えて一人で興奮していた。結局、駅員さんに言われるまで移動しなかった。完全に精神に異常をきたしはじめている。

 

8:33 飛鳥駅

チェックインした駅
大阪阿部野橋、美章園、北田辺、河堀口、今川[大阪]、針中野、矢田[大阪]、河内天美、布忍、高見ノ里、河内松原、恵我ノ荘、高鷲、藤井寺、土師ノ里、道明寺、古市[大阪]、駒ヶ谷、上ノ太子、関屋[奈良]、二上山、二上神社口、当麻寺、磐城、尺土、高田市、浮孔、橿原神宮西口、坊城、岡寺、橿原神宮前、飛鳥 (39駅/のべ358駅、総移動距離53km/のべ2,892km)

 

【飛鳥時代ってどんな時代?】
奈良県明日香村飛鳥周辺に宮都が置かれていた時代を指す。具体的には592年から710年までの118年間。聖徳太子などもこの時代。大化の改新が起こり、最初の元号である大化が始まったのもこの時代で、国号も倭から日本へと改められたとされている。現在の日本という国の基盤がこの時にできた。

【飛鳥時代の主な出来事】
・聖徳太子が摂政となる
・大化の改新
・遣隋使の派遣

 

奈良県の明日香村にある駅で、大手私鉄では唯一、「村にある駅」らしい。緑が綺麗で陽の光が眩しい、そんな場所にある駅だ。

ここで飛鳥時代ゆかりのものを探さなければならないが、この駅の場合はそう困ることはない。なにせここに飛鳥時代の中心があったのだから。きっとゴロゴロと飛鳥時代の痕跡があるに決まっている。

 

駅舎自体は和風の造りで、なんとなく古代のロマンを感じさせるような造りになっている。

 

駅の前は広場になっていて、なんとなく古墳を思わせるような感じになっている。

 

広場にあった案内看板は、この周辺に飛鳥時代を思わせる遺跡やら古墳やら数多くあることを示していた。特に高松塚古墳の壁画は有名ではないだろうか。是非とも見に行きたかったのだけど、やや距離があるみたいなので断念。この看板が飛鳥時代ゆかりのものということにした。

 

 

これで「飛鳥時代」クリアだ。次は「奈良時代」、これはもう簡単だ。しかもここからそこそこ近いらしい。最高のボーナスゾーンだ。最高だな、奈良時代。

 

奈良時代

8:39発 近鉄吉野線 特急 大阪阿部野橋行き

逆方向の特急に乗る。といっても乗り換えのためにすぐ降りるので座席には座らなかった。

 

8:42 橿原神宮前駅

ものの3分ほどで乗換駅だ。ここから京都方面へと延びる橿原線へと乗換をする。また、この駅で謎の爽やかさを持ったうんこが「やあ」って出てきそうになったけど、なんとか食い止めた。おまけにトイレというか、駅自体がかなり閑散としていたので並ぶことなく、処理することができた。なんなんだよ、こいつ。

 

8:55発 近鉄橿原線 特急 京都行き

近鉄の特急は特急券が必要だ。ここ橿原神宮前駅ではその特急券をホームの自動販売機みたいなもので売っていた。それを買うと自動的に指定席となるようだ。

指定された車両の指定された座席に座る。後ろはお母さんと小さな男の子の親子連れで、会話を聴いているとどうやらこれから京都のおじいちゃんの家に行くらしい。

ただ、男の子のほうがどうやら何にでも疑問を持つ年頃らしく、車窓から見える全てのものに対して質問していた。

 

「あれはなあに?」

僕だったら死ぬほど面倒になって適当に答えてしまいそうだが、お母さんは偉いもので、そのすべての疑問に対して真面目に向き合い、しっかりと分かりやすい形で答えていた。

 

「あれは工場だよ。お菓子とかおもちゃとかトシくんがお店で買うもの作ってるの」

「あれは?」

「煙突だよ、ほら煙が出てる。ああやって煙を出すの」

「どうしてそんなことするの?」

「それはね、トシくんの遊ぶお部屋が煙だらけだったら困るでしょ。だからあの煙突でお空の高いところに煙を出すの」

すごい大変だなあ、お母さんって大変だなあと思いながら聞いていると、トシくんの疑問はお父さんに移っていったようだった。

 

「今日はどうしてお父さんこないの?」

「それはね、お父さんは仕事だからなの」

「どうして仕事してるの?」

「それはね、トシくんやママがご飯を食べたり、欲しいものをかったり、こうやって電車に乗るためだよ。感謝だよね」

それでもトシくんの悩みは尽きない。

 

「みんな仕事してるの?」

「そうね、だいたいの人はしてるよ」

「へえ」

「じゃあさ、僕の仕事はなあに?」

「そうねえ、元気に遊んで、ご飯を残さず食べて、おもちゃをお片付けするのがトシくんの仕事かな」

本当に大変で、ただ子供の疑問に答えるだけでなく、分かりやすい形で、それも平和でピースフルなほんわかとした感じで答えるんですよ。間違っても、みんな働いているかの質問に、ニートの話とかはしない。

 

「じゃあママの仕事は?」

「うーん」

尽きないトシくんの質問、それがママの仕事という部分に及びます。きっとこのママならほんわかとした感じで答えてくれるでしょう。そう期待していると、予想外の答えが聞こえてきました。

 

「この世の矛盾とか闇をブログにまとめることかな」

お母さん、ブログでどんな活動してるんだ。めちゃくちゃやべえブログやってないか。なんでそこだけ現実感ありありなんだ。トシくん、あまり理解してないやんけ。

結局、尽きることなくトシくんの質問は続いたのですが、黒い返答があったのはそこだけだった。

 

9:16 大和西大寺駅

チェックインした駅
畝傍御陵前、畝傍、大和八木、八木西口、新ノ口、笠縫、田原本、西田原本、石見、結崎、ファミリー公園前、平端、筒井[奈良]、近鉄郡山、九条[奈良]、西ノ京、尼ヶ辻、大和西大寺(57駅/のべ369駅、総移動距離78km/のべ2,917km)

 

ここからは近鉄奈良線に行くことになる。そこで奈良時代クリアだ。最高。近い。まあ、近いというのはこの旅のルール的にも嬉しいところがあるけれども、裏を返せば、こうして関西近郊に日本の中心があった時代が多い、ということを表しているわけだ。

 

9:20発 近鉄奈良線 急行 近鉄奈良行き

車内で考えた。

これから奈良時代である奈良駅を攻めるわけだが、この先にあるのはあくまで「近鉄奈良」だ。別に「奈良駅」というJRの駅があるので、どちらを奈良時代の駅として扱うかという問題が出てくる。調べてみると、近鉄奈良駅と奈良駅は離れて存在しているらしい。

今後もこう言う展開があると思うので、今ルールを決めておこう。時代の名前を含む駅が複数ある場合、より時代の名前に近い方を正式に採用する。決めた。つまり「近鉄奈良」と「奈良」では「奈良」の方が近鉄の分だけ名称が奈良時代に近いので、そちらを採用する。この自分で勝手に決めたルールが後の僕を苦しめることになることをこの時の僕はまだ知らない。

どうせ離れているといってもそう遠くないだろう。ついでに大仏とかも観光してやろう、そう決意した。

 

9:26 近鉄奈良駅

チェックインした駅
新大宮、近鉄奈良(59駅/のべ371駅、総移動距離82km/のべ2,921km)

偽物の奈良駅、じゃねえや、そんなこと書いたら近鉄の人に怒られる。本物の奈良駅だけど、近鉄の駅に到着した。

 

駅舎も立派で綺麗、完全に本物だ。

 

駅を出てすぐの場所からアーケード通りが伸びていて、食事をしたり土産物を買ったりできるようだ。かなり活気がある。

とりあえず、本物の奈良駅に行く前に、奈良時代ゆかりということで先に大仏を見に行くことにする。

 

めちゃくちゃ鹿がいる。

奈良の街を歩いているのは外国人の方が圧倒的に多く、みんな鹿に大興奮の様子だった。

 

駅から大仏までけっこうな距離があるみたいだ。歩いていくのは少々苦しい距離だ。中学校の時の修学旅行でこのあたりに来たことがあると思うのだけど、さすがにあまり覚えていない。

 

けっこうな距離を経て、ついに東大寺までやってきた。奈良の大仏がある場所だ。かなり人でごった返していて、まともに歩けないほどだった。ここも確実に修学旅行で来たはずなのに、何も覚えていない。

 

東大寺大仏殿だ。本当に僕、ここに来たことあるんだろうか。全然記憶にない。

 

奈良の大仏。正式名所は東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)といい、完成は752年とされている。この時は四文字元号の天平勝宝4年である。大仏と大仏殿はこれまでに2度焼失し復元されているが、これを奈良時代ゆかりのものとする。

 

現代でもこの大仏は修学旅行の定番コースらしく、大仏殿内にはそれと思わしき集団がいた。なにやらワイワイ盛り上がっている。これは、柱に大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴があけられている場所だ。ここをくぐれるかどうかで盛り上がっている。

だいたい、クラスのお調子者が通り抜けようとして盛り上がり、デブキャラが続いたりして盛り上がる。僕が通りかかったときもそのようにして盛り上がっていた。懐かしいな。なんだか僕もこれをやったような気がする。そう、やった気がする。こうして盛り上がった気がする。でも思い出せない。

 

大仏殿を出ると、その先にちょっとした売店みたいなものがあった。その光景を見て、記憶の中の何かが弾けた。

 

あああああああああああああああああああ、思い出した!

 

そう、僕はやはりここに来たことある。大仏を見て、鼻の穴もくぐった。そしてここで買い物をしたのだ。

平成2年のことだ。平成という時代が来てすぐ、ここに修学旅行にやってきた。その時、「小遣いは3,000円」までと決められていて、みんなそれを破って1万円だとかお小遣いを持ってきている中で、僕は律儀に守って3,000円持ってきていた。

で、ここの売店に来た時、何をトチ狂ったのか、ここで木彫りの般若の面を買った。3,000円した。小遣いを全部投入して般若の面を買った。欲しかったわけじゃない。でもなぜか買った。全財産を投じてだ。

その後はジュースすら飲めないひもじい修学旅行が続き、女子には「あの人、般若のお面買ったらしいよ、全財産で、うっそー、きっもー」と噂されて散々だった。よそのクラスでも噂され、バスガイドにもネタにされた。そうだ、般若の面を買ったんだ。何考えてんだ、平成2年の僕。

思いがけず記憶の蓋が開いてしまった。さらに売店を眺めてみたが、現代ではさすがに般若の面を売っているわけではなさそうだった。あったら買ってやろうと思ったのに。もっとこう、木彫りの面専門店みたいなのがあったんだよ、当時は。

思い出したくもない記憶が蘇ったところで、奈良ゆかりクリアということで本物の奈良駅を目指す。けっこう距離があるみたいだけど、まあ行くしかない。この奈良の観光エリアでシェアサイクルみたいなものが展開しているようだったので、使うとかなり効率よく観光できるかもしれない。

 

10:59 奈良駅

チェックインした駅
奈良(58駅/のべ370駅、総移動距離85km/のべ2,924km)

 

【奈良時代ってどんな時代?】
平城京に都が置かれた時代を指す。710年から794年までの84年間。律令国家・天皇中心の専制国家・中央集権を目指した時代であり、天平文化が華開いた時代でもあり、古事記、日本書紀、万葉集などが登場したのもこのときとされている。

【奈良時代の主な出来事】
・遣唐使の派遣
・古事記、日本書紀、万葉集などが編纂される
・墾田永年私財法

奈良駅には、リニアの駅が来るかもしれない! みたいな熱気溢れる横断幕とかあった。

これで奈良時代をクリア。だいぶ現代へと近づいてきた。次は「平安時代」なので平安を冠する駅だ。これも同じく関西なので、まあ、そこまで苦労しないだろう。

そういえば、ここ奈良県は代表的なゆるキャラとして「せんとくん」が有名だが、あまり見なかった。奈良の街にはそんなにいないのかなって思っていたら、駅のエスカレーターを上がるときに目撃した。

 

いた。

存在感がありすぎる。

 

平安時代

平安時代に向かうため、ここ奈良駅から木津駅を経て、六地蔵という駅まで行くのだけど、この路線図に注目されたい。

問題は目指すべき六地蔵駅の隣の駅だ。

 

この「桃山駅」絶対に安土桃山時代で行くでしょ。絶対行くでしょ。なんなら今行っとけばいいんじゃない? ほら、順番とか固いこといわないでさ。先回りしてさ。だめ? そうですか。ダメですか。絶対に行くこと分かり切っているのに、その1つ手前で降りる。この不毛感はかなり精神的にキますよ。

 

11:23 みやこ路快速 京都行き 

京都行きの電車に乗り込む。ここでこれまでのおさらいをしておきたい。縄文時代から出発したこの旅は、なぜか韓国に行き、そして奈良時代までを終えた。次は平安時代の駅だが、調べたところ「平安」を冠した駅は現存していないようだった。

ただし、廃止になった駅ならあるようで、「平安神宮前駅」という駅が、文字通り平安神宮の前に、京阪電気鉄道京津線の駅としてあったようだ。そこにいくために平安神宮に向かっているのだけど、悪いことにこの「平安神宮前駅」ほとんど駅としての痕跡が残されていないらしい。

まあ、平安神宮の前にあったことは確実なので、この辺にありましたよー、でもいいのだけど、平安神宮だってかなりでかい。どの入口にあったのかで大きく変わる。できることならきっちり場所を特定しておきたい。どうしたものかと思案しながら電車に揺られていると、六地蔵駅に到着した。桃山駅の一つ手前。どうせまた来ることになる桃山駅の手前の駅だ。

 

12:02 六地蔵駅

チェックインした駅
平城山、木津[京都]、上狛、棚倉、玉水、山城多賀、山城青谷、長池、城陽、新田[京都]、JR小倉、宇治[JR]、宇治[京阪電気鉄道]、三室戸、黄檗、木幡[JR]、六地蔵[JR](75駅/のべ388駅、総移動距離116km/のべ2,955km)

 

桃山駅の1つ手前、六地蔵駅だ。もう一度言うけど、桃山駅の1つ手前だ。

1つ手前なのに別路線に乗り換えなくてはならない。駅を出て、少し歩いた場所にある地下鉄の六地蔵駅を目指す。移動ルートは雨の日でも安心と言わんばかりに屋根がついている。

 

12:07発 京都地下鉄東西線 太秦天神川行き

12:28 東山駅

チェックインした駅
醍醐[京都]、石田[京都]、小野[京都]、椥辻、東野、山科、京阪山科、御陵、蹴上、東山[京都](85駅/のべ398駅、総移動距離127km/のべ2,966km)

 

平安神宮の最寄り駅である地下鉄東山駅までやってきた。

地上に出てみて分かったが、まあ、平安神宮前駅、完全に駅舎とかは残されていないだろうし、駅の跡地も分からない感じだった。もし、駅メモがこの駅を登録していれば、廃駅の場所も登録されているので分かるのだけど、平安神宮前駅は駅メモ未登録だ。駅メモさんは是非ともこの駅にも対応して京都の駅メモユーザーを震え上がらせて欲しい。

そもそも、「平安神宮前駅」が廃駅になったのは昭和19年、いまから70年以上前だ。駅舎とかが残っているわけない。

石碑とかそういうのでもいいんだ。何か痕跡をと探したけれども、何も見つからぬまま平安神宮に到着してしまった。

平安神宮は別に平安時代に造られた神宮ではない。明治28年に平安遷都1100年を記念し、平安宮を規模を縮小して復元する形で、平安遷都を行った天皇である第50代桓武天皇を祀る神社として創祀されている。

その前を京阪電気鉄道京津線が通り、平安神宮前駅があったはずだが、その痕跡は見当たらない。なにか古文書とかあればわかるのになあと、何かのヒントがないかと大鳥居の先に足を踏み入れ、歩き出した。何かないか。何かないか。ズンズンと歩いていく。

 

何かあった。

これもしかして当時の車両とかじゃないの。というか、絶対にそうじゃないの。すごいよ、本当にヒントがあった。

近づいてみると、この車両は「岡崎・市電コンシェルジュ」となっていた。市電に詳しい人が常駐しているのだろうか。いいや、市電を根城にしてこの辺の観光情報を伝える場所らしい。けれどもこれも運命だ。聞いてみよう。

中に入ってみると、いかにも「市電に詳しいぞ」という感じの剛の者っぽい人がいた。コンシェルジュだ。その人に質問してみる。

「すいません、平安神宮前駅の痕跡を探してるんですけど、何かないんですかね」

「うーん、実は正確には分かってないんですよ。ここを通っていた路面電車自体が何度かルート変えてましてね、ただ駅の位置は変わってなくて、だいたいこの辺だろうという目安はあるんですが」

「そうですか、正確にはわからないですか」

「ただ、当時の線形を予想すれば絞り込めると思いますよ」

「なるほど」

たとえ70年以上前の話であっても、駅なんかはまとまった土地なので綺麗になくなり、他の活用があるが、線路があった場所はそう変わらないらしい。建物を縫うようにして走っていた場合、廃線によって空いた場所は建物と建物の間の細長い地形となり、そうそう活用できるわけではないようだ。そうして謎のスペースとして残されることも多いときく。

 

例えば、細い路地ばかりなのに不自然に広いこういったスペースが周囲にいくつかある。僕はこれを路面電車の跡地の名残りではないかと考える。そうしてこの周囲をくまなく捜索し、路面電車のあった線形を地図に書き込んでいく。そうして突き止めた僕なりの解釈の「平安神宮前駅」の跡地がここだ。

 

たぶん、ここに「平安神宮前駅」があったはずだ。きっとそうだ。そう、ここを「平安神宮前駅」跡地とする。

 

12:58 「平安神宮前駅」跡地


(駅メモでは東山駅が取れる)

 

【平安時代ってどんな時代?】
794年から鎌倉幕府が成立するまでの期間。平安京に都が移されてから約400年の長きにわたって日本の中心であった。形式的には律令制度が続いたが,藤原氏が進出し,初期荘園が展開して,律令国家の基礎が解体したのもこの時代。

【平安時代の主な出来事】

・最澄が天台宗を開く
・空海が真言宗を開く
・「古今和歌集」が撰進される
・源氏物語、枕草子

平安時代ゆかりのものだが、目の前にある平安神宮がまさに平安宮を復元したものなのだから、これでよい。よって平安時代クリアだ。

 

鎌倉時代

 さて、次は、「鎌倉時代」えー、うそー、鎌倉―!?

だって鎌倉って鎌倉でしょ? 神奈川県の鎌倉でしょ? めちゃくちゃ遠いじゃないですか。

まあ、遠くまで移動するということは、実はこの「平安時代」から「鎌倉時代」で大きな変革が起こった、ということでしょう。だいたい平安時代の終わりまでを日本における「古代」とする分類もあるようで、ここでの変化はかなり大きかったのではないでしょうか。具体的に言うと、武士の力が強くなっていった中世の時代ということでしょうか。

とにかく、ここから鎌倉まではめちゃくちゃ遠いので新幹線になります。京都駅まで地下鉄で移動しましょう。

 

13:12発 京都市営地下鉄東西線 太秦天神川行き

13:17 烏丸御池

チェックインした駅
三条京阪、京都市役所前、二条城前、烏丸御池(89駅/のべ402駅、総移動距離131km/のべ2,970km)

この京都市営地下鉄は昭和56年開業。平成9年に2つ目の路線である東西線が開業している。その際に2つの路線がクロスするここ烏丸御池が御池駅から改称し、同時に地下街であるゼスト御池がオープンしている。

 

13:21発 京都市営地下鉄烏丸線 竹田(京都府)行き

13:27 京都駅

チェックインした駅
四条、五条、京都(92駅/のべ405駅、総移動距離134km/のべ2,973km)

確かに長距離移動は堪えるけど、単純に新幹線に乗れることは嬉しい。かなりテンションがあがる。

新幹線内はそこそこに混みあっていた。自由席においても全ての座席が埋まっていたのであやうく座れないところだったが、なんとか通路側の座席に腰を滑り込ませることができた。

その横は出張帰りのサラリーマンと思わしき3人組が缶ビールやらハイボールで酒盛りを始めていた。出張が終了し東京に帰るだけの解放感。その新幹線内で酒盛り。流れる景色を眺めながらの酒盛り。一番楽しいやつだ。いいなあ。

サラリーマンたちの話題は仕事の愚痴から始まり、次第に家族へのお土産に変わっていった。

 

「ちょっとこのプロジェクトになってから関西出張多いじゃないですか」

「かなり来てるなあ」

「もう家族がお土産に飽きちゃいましてね。また? とか言われるんですよ」

「ああ、なるほど」

どうやら、あまりに同じお土産ばかりでマンネリだからどうしたらいいか、みたいな話だった。そこにハイボールを飲んでいた一番上の立場っぽい人が助言する。

 

「下手に関西の土産物を買うより、どこでも買えるけどおもちゃとかの方が子供が喜ぶんだよな。うちのが小さいときはそうだった」

「何がいいっすかね、お面とか買って帰ればいいですかね。ピカチュウとかドラえもんのお面」

若手のその言葉に、僕はずっと心の中で「般若の面、般若の面」って呟いていた。

 

13:35 東海道新幹線 のぞみ128号 東京行き

15:34 新横浜

 

チェックインした駅
十条[京都市交通局]、十条[近畿日本鉄道]、丸太町、福、七条、東福寺、唐橋前、石山寺、瀬田[滋賀]、南草津、草津[滋賀]、栗東、手原、守山[滋賀]、野洲、篠原[滋賀]、近江八幡、武佐[滋賀]、平田[滋賀]、河辺の森、五個荘、愛知川、豊郷[滋賀]、尼子、スクリーン、芹川、ひこね、坂田、米原、鳥居本、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、江吉良、新羽島、岐阜羽島、国府宮、玉野、萩原[愛知]、新清洲、大里、奥田、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、近鉄名古屋、名古屋、名鉄名古屋、日比野[名古屋市交通局]、栄生、東海通、六番町、尾頭橋、南大高、大高、本星崎、道徳、重原、一ツ木、逢妻、共和、三河安城、東刈谷、野田新町、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、下地、西小坂井、幸田、相見、二川、豊橋、船町、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、高塚、舞阪、弁天島、天竜川、浜松、新浜松、袋井、磐田、豊田町、西掛川、愛野[静岡]、菊川[静岡]、掛川、掛川市役所前、藤枝、六合、島田[静岡]、安倍川、用宗、焼津、西焼津、県総合運動場、東静岡、静岡、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、清水[静岡]、桜橋[静岡]、浦原、由比、興津、新富士[静岡]、富士、富士川、岳南江尾、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、緑町、熱海、来宮、中里[神奈川]、国府津、長後、倉見、宮山、西谷、いずみ野、高座渋谷、新横浜(220駅/のべ533駅、総移動距離998km/のべ3,837km)

 

この旅において2回目の新幹線、しかも長距離移動となった。新幹線は好きなのでかなりテンションが上がったのだけど、それどころじゃないレベルで大変だった。駅メモで駅にチェックインしながら移動しなければならないのだけど、新幹線は尋常じゃない速さなので最寄り駅がクルクル切り替わる。結果、常にチェックインボタンを連打している状態になってしまった。たぶん、これでも沿線の駅を全部取り切れていない。とんでもねえな、新幹線。

ここから鎌倉までの移動である。

新横浜駅から横浜線に乗り換えて横浜方面へと向かうことになる。ちなみに、この横浜線、逆方向に行けば我が家がある八王子だ。そっちに乗り込んで帰りたい気持ちがかなり強かった。

 

15:48発 横浜線直通 快速 桜木町行き

 そういえばだいぶまえに早朝に横浜線に乗っていた時に朝帰りと思われる酔っぱらった若者が豪快に座席を占拠して寝ていたことがあった。豪胆な若者もいるものだと眺めていたら、その若者、次第に我が家で寝ていると勘違いしだしたのか、靴とか脱ぎ始めた。

その靴を近くにいたサラリーマンが「迷惑なんだよ」と言いながら駅で蹴り出していた。横浜線とはそんな路線である。

 

16:01 横浜駅

チェックインした駅
菊名、東神奈川、神奈川、横浜(224駅/のべ537駅、総移動距離1,005km/のべ3,844 km)

横浜駅は数々の路線が入り乱れる巨大ターミナルだ。それだけに人の出入りも激しく、駅メモ的にも競争が激しい。この駅で奇跡的にリンクすることができたが、リンクした瞬間に他のユーザーに倒された。めちゃくちゃ激しすぎる。

 

16:09発 横須賀線 逗子行き

ここらはとにかく鎌倉を目指していく。僕の記憶の中の鎌倉は横浜からけっこう遠い感じだったが、こうして移動してみると案外近い。とても助かる。

 

16:35 鎌倉駅

チェックインした駅
本郷台、保土ヶ谷、舞岡、東戸塚、西横浜、星川[神奈川]、富士見町[神奈川]、戸塚、大船、北鎌倉、鎌倉(235駅/のべ548駅、総移動距離1,023km/のべ3,862km)

 

【鎌倉時代ってどんな時代?】
1185年ころから1333年までの時代。幕府が鎌倉に置かれて武家政権による統治が開始した時代。鎌倉時代の開始年としては、僕らなどは1192つくろう鎌倉幕府で習ったが、最近では1185年または1183年説が有力となっている。

【鎌倉時代の主な出来事】
・承久の乱
・六波羅探題の設置
・御成敗式目の制定

 

鎌倉駅はかなり賑わっていた。夕刻も近いということもあり、そろそろ家路へつこうかという観光客が多いように思えた。

ここで鎌倉時代ゆかりの物を探さなければならない。なんといっても鎌倉大仏になると思うのだけど、駅からは少し距離があるらしい。はっきり言わせてもらうと、もう今日は奈良で大仏を見たし、そこまで移動する気力もない。

それでも探さなければならず、どうしたものかと途方に暮れていると、たったいま鎌倉に到着したっぽい女の子の集団が、キャイキャイ写真を撮りながら鎌倉駅の駅舎をながめ、「すごい鎌倉時代っぽいね!」「そうだね」と言っていたので、どこが鎌倉時代っぽいか全然分からないけど、そういうもんかとそう信じることとし、この駅舎を鎌倉時代とした。

 

これで「鎌倉時代」クリア、次は室町時代。室町時代は近いといいなー、だいぶ先が見えてきたぞ、と検索してみると、とんでもないことに気が付いてしまった。

 

「室町駅、ない」

いくら検索しても、「室町」を冠した駅がないんですよ。これはどういうことかと、ここまでやってきて韓国まで行って、「室町ありませんでした」では済まないぞ、と。徹底的に編集部にねじ込んでやろうと思いましてね、連絡したんですよ。場合によっては損害賠償も辞さない、そんな覚悟で電話したんです。絶対に誤魔化されない。僕だって言う時は言うんですよ。

 

pato
「あれれー!? おかしいなあー? 室町駅存在しないなあ! 変だぞー」

 

編集部
「あー、それ、それ。そうなんですよ、いくら検索しても出てこないですよね」

 

pato
「どういうことですか! ここまでやってきて」

 

編集部
「安心してください! ちゃんとあります!」

 

pato
「また韓国とか言わないでくださいよ」

 

編集部
「大丈夫、国内です! “室町駅”で検索すると出てこないじゃないですか、でも“もしかして宝町駅ではないですか?”みたいにでてくるんですよ。字が似てますからね。ですから宝町駅でどうでしょうか!?」

それはもう、室町時代の駅ではない。

どうでしょうか? じゃねえよ。無理やりすぎるだろ。こんなの世間が許さないだろ。

 

編集部
「大丈夫ですよ。Googleもおすすめしてくれていますし」

 

pato
「そういうものでしょうか」

 

編集部
「そういうものです」

 

なんだかそんな気がしてきた。きっと宝町駅は室町駅なのだ。ここ鎌倉からそう遠くないみたいだし、いっちょ行くか。

こうして、室町時代の駅として宝町駅へと行くことになった。

 

室町時代

16:30発 JR横須賀線 津田沼行き

宝町と室町のイリュージョンにより、動揺が見られるのか、このあたりは乗る電車の撮影を全くしていない。しかしなぜかカメラには写真が残されていて撮影した意図が全く分からない、鎌倉駅ホームから見た謎の鳥居を掲載しておく。

ここから引き返して横浜方面へと向かう。

 

16:42 戸塚駅

チェックインした駅
戸塚、大船、北鎌倉(238駅/のべ551駅、総移動距離1,026km/のべ3,866 km)

戸塚駅から上野東京ラインに乗り換えることに。

 

16:50発 JR上野東京ライン 小金井(東京経由)行き

やはり動揺しているのか電車の写真を撮っていない。

 

列車内は比較的混みあっていて、座席に座れなかった。川崎あたりではさらに混んできて、目の前にいる少し大きな荷物を抱えた若者のスマホの画面が丸見えだった。それくらいの混雑っぷりだ。

その若者は妙に汗をかきながら必死に「国際線 チェックイン 間に合わない 裏技」と検索していた。何をしたいんだ。いや、何をしでかしたんだ。裏技ってなんなんだ。

 

17:25 新橋駅

チェックインした駅
本郷台、保土ヶ谷、舞岡、東戸塚、西横浜、星川[神奈川]、富士見町[神奈川]、和田町、天王町、平沼橋、横浜、子安、新子安、日の出、片倉町、妙蓮寺、大口、神奈川新町、仲木戸、東神奈川、京急新子安、生麦、川崎、武蔵小杉、泉岳寺、田町[東京]、三田[東京]、浜松町、汐留、品川、新橋(269駅/のべ582駅、総移動距離1,040km/のべ3,880km)

 

サラリーマンの街、新橋だ。

ここからは地下鉄に乗り換えることになる。17時を超えて完全に帰宅ラッシュのようで、駅構内を歩くのも一苦労だった。

 

17:36発 都営浅草線 印旛日本医大行き

やっと正気を取り戻したらしく、かろうじて電車を撮影している。

 

17:40 宝町駅

チェックインした駅
東銀座、宝町[東京] (271駅/のべ584駅、総移動距離1,042km/のべ3,882km)

ついに室町時代の駅であるところの宝町駅に到着した。完全に室町時代である。誰が何と言おうと室町時代である。

 

【室町時代ってどんな時代?】
1338年から1573年までの235年間、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代を指す。京都の室町に幕府があったことから室町時代と呼ばれる。宝町は関係がない。戦乱が続く時代だったが、経済面においては農業・工業ともに技術が向上し、生産性も増大、流通が盛んになり、独自の文化が花開いた時代でもある。

 

【室町時代の主な出来事】
・応仁の乱
・金閣寺建立
・桶狭間の戦い

 

地上に出てみると、完全無欠のオフィス街だった。近代的なビルが立ち並んでいる。やべえな、室町時代のカケラすら存在しそうにない。

 

宝町の表示だけが悲しく咲き誇っていた。そう、ここは宝町、室町ではないのだ。そんな場所に室町時代ゆかりの物などあるわけがない。落胆し、さらに周囲を見回した。だいたい、こんな場所にそう都合よく室町時代ゆかりのものがあるわけないだろ。だって宝町だもん。あるわけない。

 

あった。

 

ハンコの歴史は古い。日本においては大化の改新の頃の大宝律令によって官印が導入されたあたりが本格的に使われるようになった最初のものと言われている。しかし、それらも時代の流れと共に次第に使われなくなっていき、鎌倉時代辺りには使われなくなっていた。しかしながら、室町時代には禅宗の僧侶たちを通じて復活し、広まっていったという。つまり、ハンコと言えば室町時代だ。

 

「これ、完全に室町時代だ」

もう、宝町駅という表示も室町駅という表示にしかみえない。

 

 

安土桃山時代

いよいよ近代に近づいてきた感がある。もう日が暮れてしまっているが、まだまだいけるっぽいので安土桃山時代を取りに行く。また関西方面に行かなければならないっぽいので新幹線でとんぼ返りだ。

関西方面からやってきて、鎌倉駅行って、意味不明に宝町駅いって、新幹線でとんぼ返りだ。なにやってんだ僕は。

 

17:44発 都営浅草線京急本線直通 特急 三崎口行き

新幹線に乗るために品川駅へと移動する。

 

17:57 品川駅

チェックインした駅
東銀座、新橋、大門[東京]、三田[東京]、泉岳寺、品川(278駅/のべ590駅、総移動距離1,047km/のべ3,887km)

 

 

品川駅は後になって新幹線ホームができた駅なので、乗り換えでまあまあ歩く。京急から新幹線までだとかなりの距離になってしまう。ちなみに新幹線ホームが開業したのが平成15年のこと。これにより山手線の西側から新幹線を使う際の利便性が格段に向上した。

 

18:27発 JR東海道新幹線 のぞみ249号 新大阪行き

まさか日帰り新幹線になるとは思わなかった。かなり気が重いけど、基本的に新幹線が好きなのでテンションは高い。

ちなみに、自由席を用いて東海道新幹線に乗る場合、よほど混雑する時期でなければ、東京駅から乗る場合は指定席を買う必要がない。東京駅は始発駅なので、何本か待てば必ず席に座れるからだ。かなり早くから車両が待機している場合もあるので、待つのも苦痛ではない。

しかし、これが品川駅となると微妙だ。東京駅で自由席が埋まるので品川駅では空いていないこともある。時間帯にもよるが50%くらいの60%くらいの確率で空いている。窓際を取るのはやや厳しいかもしれない。

これが新横浜となると深刻だ。品川でほぼすべての自由席が埋まる。確実に座りたいなら指定席を取るしかないのだ。のぞみに乗車して新横浜で座れなかった場合は、名古屋までの長時間を立って過ごすことになるので、それだけは避けなければならない。

今回は品川駅からの乗車ということで、ほぼ五分の賭けになってしまったが、なんとか自由席が空いていて座ることができた。それでも新横浜では空いていなかったので、やはり新横浜から乗車で自由席は厳しいのだ。

 

19:59 名古屋駅

チェックインした駅
品川、下新明、沼部、元住吉、日吉[神奈川]、希望ヶ丘、綱島、菊名、新横浜、西谷、南万騎が原、いずみ野、高座渋谷、長後、倉見、宮山、中里[神奈川]、国府津、緑町、熱海、来宮、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、岳南江尾、比奈、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、新富士[静岡]、富士、富士川、浦原、由比、興津、清水[静岡]、桜橋[静岡]、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、県総合運動場、東静岡、日吉町、静岡、安倍川、用宗、焼津、西焼津、藤枝、六合、島田[静岡]、菊川[静岡]、掛川、掛川市役所前、西掛川、愛野[静岡]、袋井、磐田、豊田町、天竜川、浜松、新浜松、高塚、舞阪、弁天島、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、二川、南栄、豊橋、船町、下地、西小坂井、幸田、相見、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、三河安城、東刈谷、野田新町、重原、一ツ木、逢妻、共和、南大高、大高、本星崎、道徳、東海通、蒲郡競艇前、新川橋、山王[愛知]、六番町、米野、尾頭橋、近鉄名古屋、名古屋(376駅/のべ688駅、総移動距離1,502km/のべ4,341 km)

 

ここから先は、のぞみの停まらない「米原駅」に行く予定なので、名古屋駅で「ひかり」に乗り換える。

ちなみに、東海道新幹線においては遅い種別である「こだま」と速い種別である「ひかり」が存在したが、航空機に対抗するために最も速い種別として「のぞみ」が導入された。それが平成4年、平成が始まってすぐのことだ。

当時、遅い新幹線は「こだま」で音速を連想させ、速い新幹線は「ひかり」で光速を連想させ、それより速い新幹線はなんだろうか、光より速いものないだろうと考えていたら「のぞみ」で人間の精神世界いっちゃったかー、と思ったものだった。完全に関係ない余談で自分でもびっくりした。

 

20:08発 JR東海道新幹線 ひかり525号 新大阪行き

この時間帯、新幹線に乗っている人は基本的に疲れている。それも信じられないレベルでだ。おそらく出張帰りの人とかが多いのだろう。むちゃなスケジュールで組まれた出張だったりするのだろう。まあ、僕ほど理不尽理由で移動している人もそうそういないと思うけど。

 

20:36 米原駅

チェックインした駅
栄生、丸ノ内、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、新清洲、大里、奥田、国府宮、玉野、萩原[愛知]、江吉良、新羽島、岐阜羽島、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、清州、坂田、田村、米原(400駅/のべ712駅、総移動距離1,561km/のべ4,395km)

 

20:43発 JR東海道山陽本線快速 姫路行き

ここからは在来線に乗り換えることになる。いよいよ夜の闇が深くなってきて眠たくなってきた。

 

21:06 安土駅

チェックインした駅
彦根口彦根、南彦根、河瀬、稲枝、能登川、安土(407駅/のべ719駅、総移動距離1,476km/のべ4,311km)

 

安土桃山時代の駅として「安土駅」にやってきた。でも、もう一個「桃山駅」もあるので、そちらにも行って2つに1つで安土桃山駅クリアとしたい。

安土駅に降り立ったのはいいのだけど、この駅、人がいなくてむちゃくちゃ怖い。もともと無人駅ではないようなのだけど、夜になると全ての駅員が帰ってしまい、窓口がクローズしてしまう。闇夜にひっそりと浮かぶ駅みたいな感じだ。

何人かはこの駅で降りたのだけど、その人たちもスッと闇に消えていって、無人の駅に一人取り残されたみたいな感じになってしまった。

 

駅前も闇が広がっているだけで何もなく、人の気配も音も何もない世界で、駅だけが煌々と明かりを灯している。それがアンバランスで妙に怖かった。おそらく、観光地であるので昼間はかなり賑わっているのだろうと思う。けれども、夜ともなるとこれだ。

 

もちろん、この「安土」は織田信長が建設した安土城ゆかりの地であり、駅のすぐ横には「安土城郭資料館」なるものがある。もうこれが安土桃山時代ゆかりのものでオッケーだろう。

かなり織田信長を推しているようで、駅前には銅像もある。

妙に陽気な織田信長がいるかと思ったら、

 

飛び出し注意の坊やもちょっとそれっぽい。

次の電車まで30分くらいの待ち時間があったのだけど、誰一人として他の人間に会わなかった。

 

21:36発 JR東海道山陽本線快速 姫路行き

さて、闇の中で待つこと30分、やっとやってきた電車で京都方面に向かう。お昼ごろにいたあの京都だ。

 

22:16 山科駅

チェックインした駅
近江八幡、篠原、野洲、守山、栗東、草津、南草津、瀬田、石部、甲西、石山、瓦ヶ浜、膳所、膳所本町、中ノ庄、錦、膳所、石場、大津、上栄町、四宮、山科(429駅/のべ741駅、総移動距離1,627km/のべ4,462 km)

 

また京都に戻ってきてしまった。ここから地下鉄に乗り換えて六地蔵を目指す。やはり予想した通り、あの、今行かせろよと懇願した桃山駅に行くことになるのだ。

 

22:27発 京都市営地下鉄 東西線 六地蔵行き

今日の午前中もこの路線に乗って、今もこうして乗っている。その間に鎌倉に行って宝町に行ったと考えると、まるでそれが幻のように感じてくる。もしかしたら本当に鎌倉や宝町は幻で、僕はずっとこの東西線を行き来していただけなのではないだろうか。そうだった場合、宝町を室町と読み替えた僕の罪もなかったことになるのではないか。そう、これは贖罪なのである。

どんどん訳の分からないことを考え始める自分がいた。

 

22:42 六地蔵駅

チェックインした駅
東野、椥辻、小野、醍醐、石田、六地蔵(435駅/のべ747駅、総移動距離1,634km/のべ4,469km)

 

ここからは地上に出てJRの六地蔵駅に乗り換える。移動ルートは雨の日でも安心と言わんばかりに屋根がついている。

 

22:56発 JR奈良線 京都行き

どうせ1駅だ。たったの1駅だ。だから、昼間にここに来た時に取っておきたかったのに、順番とか訳の分からないこと言い出すから、こういうことになる。

 

23:01 桃山駅

チェックインした駅
桃山(436駅/のべ748駅、総移動距離1,636km/のべ4,471 km)

 

【安土桃山時代ってどんな時代?】
織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代を指す。織田信長の居城であった安土城と豊臣秀吉の居城である伏見城のあった桃山丘陵地域からとってこのように呼ばれる。特に豊臣家が全国支配を担った後半を桃山時代ともいう。

【安土桃山時代の主な出来事】
・大阪城築城
・本能寺の変
・関ヶ原の戦い

 

これで安土桃山時代クリア。まさか安土駅、桃山駅両方あって、一気に行けるとは思わなかった。

もう23時なのでさすがにここから移動は無理なので、京都駅へと行ってそこで3日目を終了しようと思う。ただし、桃山駅から京都駅に向かう電車はかなり待ち時間があるっぽいので、歩いて近鉄線の桃山御陵駅まで向かい、そこから京都駅へと向かうことにする。1キロも歩けば到着しそうなのでたぶんこっちのほうが早い。

 

桃山駅もひっそりとしていた。ただ、駅の前にはタクシーが列をなして待機していたので、安土城のように人類が滅亡した後の世界、みたいな感じではなかった。

 

桃山御陵前駅に到着した。やはり歩けるくらい近い。

時期から考えて送別会なのか、駅の近くで開催していたらしく、その酔っ払いどもが別れを惜しむ感じで駅前にたむろしていた。

 

「元気でね」

「がんばってね」

などとおそらくいなくなってしまうであろう人に口々に声をかける光景が見られた。

 

「元気でな! 君は宝だ!」

みたいな発声が聞こえたところで、「ううっ、宝……」宝町と室町がフラッシュバックしてきて気を失うかと思った。

 

23:12発 近鉄京都線 普通 京都行き

 

23:26 京都駅

チェックインした駅
桃山御陵、近鉄丹波橋、伏見[JR]、竹田[京都]、上鳥羽口、十条、東寺、京都(444駅/のべ756駅、総移動距離1,646km/のべ4,481km)

 

めちゃくちゃ長い一日だったなあと思いつつ、京都のホテルまでやってきた。安いという理由だけで取ったホテルが死ぬほど駅から遠く、歩いて行ったので歩き殺されるかと思った。

 

なんとか安土桃山時代までやってきた。明日はいよいよ江戸時代!

 

3日目まとめ
制覇した時代:飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代
総アクセス駅数:444駅(のべ756駅)
総移動距離:1646km(のべ4481 km)

 

>4日目につづく

 

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