4日目江戸時代
4:30
京都の朝は早い。というか、安いという理由だけでとったホテルが気を失うレベルで駅から遠かったため、こうして早起きをして駅まで歩いている。始発の新幹線に乗るためには仕方がないことなのだ。
今日は江戸時代を攻略していくことになるが、そのものズバリ、という「江戸駅」は存在しないようだった。副次的な「江戸川橋駅」「江戸川台駅」「江戸川駅」「江戸橋駅」などがあるようで、どれでも江戸度合いはほぼ同じなので、どれに行っても良かったのだけど、厳正なる抽選の結果、「江戸川橋駅」に行くことに決めた。そしてそれが東京にあるので、これから新幹線に乗って行かなければならないのである。
まあ、単刀直入に言うともう新幹線はうんざりだ。昨日だって意味不明に往復したじゃないか、なのになんでまた乗って行くんだ。運賃だって大変なことになっとる。誰が責任とってくれるんだ。ああん?
5:14 京都駅
気合を入れて早く来すぎてしまったようで、駅自体は開いていたけど新幹線ホームがまだ開いていなかった。画像に写っている警備員さんに聞いてみたところ、あと30分くらいは開かないらしい。まさかシャッターの前で新幹線の開店待ちをする日が来るとは思わなかった。
5:46 京都駅
30分ほど待つと厳かにシャッターが開き、新幹線ホームに入ることができた。開くと同時にダッシュしていく人とかいたからセールの時みたいでビックリした。ダッシュしていって自由席の列に並ぶのだろうか。
6:14発 JR東海道新幹線 のぞみ200号 東京行き
新幹線からの風景は完全に見慣れたものになっていた。昨日も見たじゃん。という感じで、さながらデジャヴみたいな感じだ。本当に、本当に、もう新幹線はいいんだ。いいんだ。もう乗らなくていいんだ。
8:16 品川駅
チェックインした駅
京都、四条大宮、十条[京都市交通局]、十条[近畿日本鉄道]、丸太町、福、七条、東福寺、唐橋前、石山寺、瀬田[滋賀]、南草津、草津[滋賀]、栗東、手原、守山[滋賀]、野洲、篠原[滋賀]、近江八幡、武佐[滋賀]、平田[滋賀]、河辺の森、五個荘、愛知川、豊郷[滋賀]、尼子、スクリーン、芹川、ひこね、坂田、米原、鳥居本、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、江吉良、新羽島、岐阜羽島、国府宮、玉野、萩原[愛知]、新清洲、大里、奥田、大垣、東大垣、亀島、ささしまライブ、豊田本町、笠寺、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、近鉄名古屋、名古屋、名鉄名古屋、日比野[名古屋市交通局]、栄生、東海通、三ヶ根、六番町、尾頭橋、南大高、大高、本星崎、道徳、重原、一ツ木、逢妻、共和、三河安城、東刈谷、野田新町、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、下地、西小坂井、幸田、相見、二川、豊橋、船町、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、高塚、舞阪、弁天島、天竜川、浜松、新浜松、袋井、磐田、豊田町、西掛川、愛野[静岡]、菊川[静岡]、駅前、金谷、古庄、掛川、掛川市役所前、藤枝、六合、島田[静岡]、安倍川、用宗、焼津、西焼津、県総合運動場、東静岡、静岡、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、清水[静岡]、桜橋[静岡]、浦原、由比、興津、新富士[静岡]、富士、富士川、岳南江尾、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、緑町、函南、熱海、来宮、中里[神奈川]、国府津、長後、倉見、宮山、西谷、弥生台、二俣川、いずみ野、高座渋谷、鶴ヶ峰、上星川、新横浜、菊名、綱島、元住吉、日吉、品川(157駅/のべ913駅、総移動距離466km/のべ4,957km)
また品川駅だ。いい加減にして欲しい。
ここから山手線に乗り換えて東京駅方面へと向かう。社会は本当に動いていて、働くサラリーマンで駅も電車もごった返している。その中で意味不明に新幹線に乗り続け、品川駅を訪れ続けている自分という存在が分からなくなる。本当にいいのかこれで、という気分になってくる。
8:27発 山手線 東京・上野方面
山手線の品川から東京までの区間は、新幹線が並行して走っているので、けっこうチラ見えする。どれくらい新幹線にうんざりしているかというと、そこでちょろっと車体が見えるだけで「ひっ」と視線を逸らすレベルだ。
8:38 有楽町駅
チェックインした駅 田町[東京]、浜松町、新橋、有楽町(161駅/のべ917駅、総移動距離472km/のべ4,963km)
有楽町は東京駅からほど近い場所にある駅だ。皇居にも近い。ここから地下鉄に乗り換えるためにホームを歩いていたが、ホームからは東京国際フォーラムが見えた。
東京国際フォーラムは東京を代表するコンベンションセンターで、もともと都庁があったその跡地に建てられたものだ。平成9年の開館。まさに平成と東京の顔ともいえる場所だ。
8:45発 東京メトロ有楽町線 和光市方面 小手指行
正直に言ってしまうと、駅メモは地下鉄が苦手だ。というか、位置情報を扱うアプリ全般に言えることだと思う。これは僕のスマホのGPSが脆弱なことも関係していると思うのだけど、やはり地下になると位置情報が取りづらいようだ。ポイントは駅に着いたときに速やかにチェックインすることだ。暗闇の中を走っているときより、駅にいるときの方が位置情報を取りやすいようなのでそこで取るしかない。たまにGPSが狂って位置飛びし、「松戸」とか「羽田空港第二ターミナル」とか異常な駅が取れてしまうが、まあその辺はご愛敬だ。
8:58 江戸川橋
チェックインした駅
桜田門、市ケ谷[市ヶ谷]、永田町、麹町、松戸、羽田空港第二ターミナル、飯田橋、小竹向原、江戸川橋(169駅/のべ917駅、総移動距離504km/のべ4,995km)
やけにポップな壁をした地下鉄駅だ。正直に言うとこういう色使い、結構好き。とにもかくにもこれが江戸の駅なので、とりあえず地上に出てみる。
地下鉄駅の場合、駅舎が存在しないのでこういう写真になってしまう。それにしても、予想していたけどやはり思いっきり街中にある駅だ。
【江戸時代ってどんな時代?】
江戸幕府が置かれ、徳川将軍家が統治していた時代。日本各地に藩が置かれていたことから藩政時代ともいわれる。1603年から1868年まで続き、封建制時代ともよばれる。経済的には商工業の発展に伴って町人の力が高まり,元禄,化政期を頂点とする町人文化が繁栄した。朱子学が官学として栄え,国学,蘭学も中期以降に興隆し,自然科学の萌芽や農業・手工業の着実な技術的進歩もみられた。
【江戸時代の主な出来事】
・江戸大火
・生類憐みの令
・ペリー来航
・桜田門外の変
・大政奉還
駅を出てすぐの場所に、駅名の由来となった「江戸川橋」がある。
これが江戸川橋だ。深く考えなくとも、「江戸」からきている名称なのは明白なので、これが江戸時代ゆかりということでクリアとしたい。
ただ、この江戸川橋という名称には疑問が残る。てっきり江戸川に架かる橋だと認識していたが、よくよく考えたらこんな場所を江戸川が通っているはずがない。江戸川はもっと東京の東側を流れる川だ。この川は神田川だ。
じゃあ、なぜ江戸川橋という名称がついているのか、気になって調べてみると、どうやら神田川は昔は3つの名称がすいていたらしいということが分かった。井の頭公園から始まる上流を「神田上水」、中流域を「江戸川」下流域を「神田川」と呼んでいたようだ。その「江戸川」部分に架かる橋、ということで江戸川橋だったが、川の名前を統一しましょう、というときに神田川となり、江戸川の名称は消滅。橋の名前だけ残ったようだ。
東京という街は、このように川の上を高速道路が走る光景が多い。これは昭和30年代後半にかけて東京での道路渋滞が深刻な問題となっており、高速道路を通そうと計画したときにはすでに過密な都市、東京が成立しており、用地買収がままならないという理由から、川の上に造られた経緯がある。これによって景観が損なわれたという意見もあるが、これはこれで趣があって良い。
明治時代
さて、ついに明治時代だ。現代は近い。明治の名前を冠する駅は京王線の明治大学最寄りである「明大前」かな、と思ったが、あれはよく見たら「明治」とは入っていなかった。あくまで「明大」だ。本当に「明治」の名前を持つ駅があるんかいな、と思ったらあるらしい。しかもここからそう遠くないようだ。最高。
9:09発 東京メトロ有楽町線 和光市行
またもや有楽町線に乗って池袋を目指す。それにしてもやっぱりこの江戸川橋駅の壁の色使い、好きだな。
9:17 池袋駅
チェックインした駅 護国寺、小竹向原、東池袋、池袋(173駅/のべ921駅、総移動距離507km/のべ4,998km)
池袋駅は何度来ても慣れない。駅の構造は大変分かりやすく、中央に改札群があり、それを囲むように通路が存在する。まるで回廊のようになっていて分かりやすい。迷路のような駅と比べたらずいぶんと親切だ。
ただ、その分かりやすさが逆に働き、僕はいつもその回廊をグルグルまわってしまう。あと、東口に西武があって、西口に東武があるのが完全にブービートラップで、行くたびに腹が立つ。そんな池袋駅から副都心線に乗り換える。
この東京メトロ副都心線は比較的新しい地下鉄路線で、池袋―渋谷間に限れば平成20年開業となっている。
9:22発 東京メトロ副都心線 東急東横線直通 元町・中華街行き
9:36 明治神宮前<原宿>
チェックインした駅
鬼子母神前、雑司ヶ谷、西早稲田、東新宿、新宿三丁目、北参道、明治神宮前<原宿>(180駅/のべ928駅、総移動距離515km/のべ5,006km)
なるほど、明治神宮前駅か。確かに「明治」が入っている。こんな近くにあったなんて。日本の歴史においては江戸から明治への変革はかなり大変で困難なものであったはずだが、僕の旅においてはサクッと進んでしまった。あえて困難を上げるなら、乗ってきた電車が人身事故の影響でちょっと遅れたくらいのことだ。
この駅は名称に<原宿>とついているように、本当にJR原宿駅の真横にある。というか、もう原宿でいいんじゃないの? という位置関係だ。調べてみたら、もともと千代田線のみが運航していた時代から「明治神宮前駅」という名称だったが、もっと原宿であることを強調しようと、平成22年に<原宿>を付け加えたそうだ。
【明治時代ってどんな時代?】
1868年から1912年までを指す。元号を君主の在位中には変えない制度である一世一元の制が導入された最初の元号。これまでは天皇の在位中でも災害などを理由に元号が変わっていたり、逆に新たな天皇が即位しても元号が変わらなかったりしていたが、これ以降は天皇一代につき一元号となる。明治維新によって江戸時代が終わり、新政府が発足。天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指して、江戸を東京と改めた。この時代は欧米列強の植民地化を免れるために近代化を推進した時代であり、世界史的に見れば、日本の産業革命時代である。
【明治時代の主な出来事】
・大日本帝国憲法制定
・日清戦争
・日露戦争
さて、明治時代ゆかりのものを探さないといけないけれども、これはもう駅名通り明治神宮でいいのではないだろうか。明治神宮前という駅名は伊達ではなく、本当に目の前にあるので、そういや明治神宮っていったことないや、と歩いて行ってみることにした。
原宿から徒歩2分くらい。本当に都心のど真ん中にこれだけの緑があるのは脅威だ。
明治神宮明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神宮で、毎年、日本で最も多い初詣客を記録する神社だ。
めちゃくちゃ歩くんだな、これ。大丈夫か。
正直に言うと、このよくわからない旅も4日目だ。かなりの疲労が体に蓄積している。おまけに僕はもうそう若くはない。あまり体力を使うとあとあと尾をひく。できればあまり体力を消耗したくない。
すげえ歩くみたいなんですけど。早くも後悔し始めた。
さっきも鳥居があったのにここにもある。
ちなみに、この鳥居がちょっとした撮影スポットらしく、外国人の方々がかなりの勢いで撮影していた。
僕が通りがかると、その中の家族連れっぽい外国人に呼び止められた。どうやら家族で撮りたいから撮影してくれと言っているようだ。
「オッケーだよ」
そう言ってスマホを受け取ると、思いっきり画面がロックされていた。よく分からない山がロック画面だった。色々触ってみたのだけど、どうやらロック中は撮影できない機種のようだ。
「あのロックがかかってて……」
というのだけど、言葉が通じない。家族全員、めちゃくちゃ良い笑顔で立ってやがる。早く撮れよと無言の圧力だ。えいままよ! と適当な数字を何回か入れたけどダメだった。解けた方が逆に怖いわ。
神宮内はこのようにして明治天皇が残した言葉が掲示されている。これは
「ちはやふる神のひらきし道をまたひらくは人の力なりけり」
とある。神が開いた道を開くのは人の力なんだなあということで、おそらく運、不運とかそういうのもあるけど、最終的には人の力だよ、とうことが言いたいのではないでしょうか。
やっと本殿に到着した。めちゃくちゃ歩いた。
結婚式をやっていた。めちゃくちゃ厳かな感じで雰囲気があって良かった。ちょっと感動してしまった。こんな何も関係ないおっさんが感動するレベルの良さですよ。みなさんも明治神宮で結婚式どうでしょうか。
明治時代、クリア。
クリアはいいけどまた同じだけ歩いて駅まで戻らなくてはならない。ただ、来るべき東京オリンピックに備えて外国人参拝者の増加を予想しているのか、どうやら原宿駅からちょっとショートカットできるルートを建設しているっぽい。それができるとちょっと近くなる。
さて、この次は大正時代だ。ただ、もう楽勝なんでしょ、この旅。言うても江戸、明治と東京にあったわけですし、言ってしまえば江戸以降、日本の中心はここ東京だったわけです。それぞれの時代を象徴する駅も東京にあるんじゃないですか? つまりこれ以降はみんな近いはず。いけるでしょう。
次の大正時代の駅はどこですか?
大阪?
ふっっざけんなよ! 朝まで京都にいたっちゅーねん、さきにそっちいかせろや。あれか、なにか? また新幹線に乗って大阪にいくんけ? 旅費どんだけかかってるかわかってんのか? なんだよそれ、本当になんだよそれ。
なかばゾンビみたいになりながら大正時代へと向かった。
大正時代
単刀直入に言うと、また新幹線だ。もう本当に新幹線は勘弁してほしい。とにかく、新幹線に乗るべく、原宿駅から山手線に乗車する。
チェックインした駅 原宿、渋谷、恵比寿、目黒、五反田、大崎、品川(187駅/のべ935駅、総移動距離524km/のべ5,015km)
また地獄の品川駅だ。何回目だよ、ここに来たの。
10:37発 JR東海道新幹線 のぞみ25号 博多行き
品川駅は後になって新幹線ホームができた駅なので、乗り換えでまあまあ歩く。山手線から新幹線までだとかなりの距離になってしまう。ちなみに新幹線ホームが開業したのが平成15年のこと。これにより西側から新幹線を使う際の利便性が格段に向上した。
ちなみに、品川駅から新幹線自由席に乗る場合、大きな賭けとなる。東京を出た時点で自由席がすべて埋まっているという事態もありえ、だいたい60%くらいの確率だとみている。今回、見事にその賭けに負けてしまい、完全に自由席が満員だった。
新横浜を過ぎても席が空くわけではなく、名古屋まで立って移動することが確定してしまった。車内を見渡すと、なぜかうちわを持った若い娘さんが多かった。何かのコンサートでもあるような雰囲気だった。
名古屋駅に到着すると、幸いなことにうちわをもった女の子たちがゴソッと降りて行った。たぶん名古屋でライブがあるのだろう。あれだけ混みあっていたのに難なく座ることができた。誰だか知らないがライブの人、ありがとう。
13:03 新大阪駅
チェックインした駅
西大井、馬込、西馬込、洗足池、御嶽山、新丸子、向河原、下新明、沼部、元住吉、日吉[神奈川]、希望ヶ丘、綱島、菊名、新横浜、西谷、南万騎が原、いずみ野、高座渋谷、長後、倉見、宮山、中里[神奈川]、国府津、井細田、小田原、箱根板橋、緑町、熱海、来宮、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、岳南江尾、比奈、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、新富士[静岡]、富士、富士川、浦原、由比、興津、清水[静岡]、桜橋[静岡]、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、県総合運動場、東静岡、日吉町、音羽町、静岡、安倍川、用宗、焼津、西焼津、藤枝、六合、島田[静岡]、菊川[静岡]、掛川、掛川市役所前、西掛川、愛野[静岡]、袋井、磐田、豊田町、天竜川、浜松、新浜松、高塚、舞阪、弁天島、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、二川、南栄、運動公園前[愛知]、愛知大学前、大府、新豊橋、蒲郡、豊橋、船町、下地、西小坂井、幸田、相見、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、三河安城、東刈谷、野田新町、重原、一ツ木、逢妻、共和、南大高、大高、本星崎、道徳、東海通、蒲郡競艇前、新川橋、山王[愛知]、六番町、米野、尾頭橋、近鉄名古屋、名古屋、栄生、丸ノ内、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、新清洲、大里、奥田、国府宮、玉野、萩原[愛知]、江吉良、新羽島、岐阜羽島、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、清州、坂田、田村、醒ヶ井、米原、南草津、瀬田、山科、京都、フジテック前、彦根、高宮[滋賀]、御陵、東淀川、山崎[京都]、新大阪(335駅/のべ1083駅、総移動距離1,076km/のべ5,567km)
おかしい。絶対におかしい。朝に京都にいたのに、江戸川橋いって明治神宮行って、それで1時に大阪だ。なんかおかしい。絶対におかしい。こんなの絶対におかしいよ。
まあ、文句ばかり言っても始まりませんので、大阪にあるという大正の駅を探しに行きます。
13:19 大阪駅
チェックインした駅 西梅田、梅田、中崎町、中津[OsakaMetro]、中津[阪急電鉄] 、大阪(341駅/のべ1,089駅、総移動距離1,080km/のべ5,571km)
ここ大阪駅に来たのはじつに2日ぶりです。韓国に行く前にめちゃくちゃ早朝に来て、全く人がいなかったのですが、さすがに真昼間のこの時間はめちゃくちゃ人がいます。
ここからは環状線に乗り換えていきます。
13:26発 大和路快速 加茂行き
大阪の環状線はちょっと難易度が高くて、山手線みたいに全ての車両がグルグルと環状部分周回しているわけではなく、途中からどっか別のところに行ってしまう、という車両が多い。下手したら訳の分からないところに連れていかれることもあるので注意が必要だ。
途中、西九条から乗ってきた女の子が乗るや否や「くっさ!」って言ってたので、やはり大阪の女の子は車両が臭いことを声に出さずにはいられない、ということが証明された。というか、やけに高確率で遭遇するけど、もしかして僕が臭いのか?
13:38 大正駅
チェックインした駅
福島[大阪]、野田[阪神電気鉄道]、野田[JR]、九条[大阪]、ドーム前、弁天町、西九条、大正[大阪](349駅/のべ1,098駅:総移動距離1,087km/のべ5,578km)
ついに大正時代の駅に到着した。
ちなみに、この大正駅であるが、由来はこの駅がある地区が「大正区」であることからつけられている。ではなぜ、この一帯を大正区と呼ぶようになったかなのだが、どうやらこの近くにある木津川に架かる橋、「大正橋」からきているらしい。大正4年に竣工されたこの大正橋はこの地区の象徴的な橋だったらしく、区名制定の際に「大正橋区」がいいという声が多く、ちょっと長いので「大正区」となったようだ。
【大正時代ってどんな時代?】
1912年から1927年までの15年間で、日本史における時代区分の中で最も短い区分となっている。2度にわたって護憲運動が起こり、明治以来の超然内閣の政治体制が揺らいで、政党勢力が進出することになった。それらは大正デモクラシーと呼ばれて、尾崎行雄・犬養毅らがその指導層となった。
【大正時代の主な出来事】
・第一次世界大戦
・シベリア出兵
・関東大震災
大正駅の特徴としては、京セラドーム大阪が近くにあるということと、沖縄料理屋が多いということだろうか。大正初期以来、沖縄からの移住者が多く移り住んだと言われ、リトル沖縄とも呼ばれているようだ。
そうかそうか、大正初期からそういう感じか。ということは、この大正駅前の街並みこそが大正時代からの贈り物、そもそも地名も大正時代にできた橋→大正区ですから、完全に大正時代ゆかりのものですよ。決して探すのが面倒だったとかそういうわけではなく、この街全体が大正時代ゆかりですよ。素敵じゃないですか。決して探すのが面倒になったわけではありませんよ。この街こそが大正ロマンですよ。
さて、探すのが面倒だったのでゆかりの品探しをとっとと切り上げることに成功した。次はいよいよ「昭和」だ! それから「平成」でこのトチ狂った旅もおしまいだ。次の昭和駅は
どこ? は? 神奈川? は?
ふっっっっっっざけんな! それなら先にいかせれろりゃいsでゅふぇh!
さっき明治終わった後に行けば済んだ話だろ。鎌倉の時とか、宝町のときでもよかったろうが。何回行くチャンスあったと思ってんだ。新幹線、また新幹線だぞ。どうなってんぢyshうぇうふぇvkr♠g、
ちょっとまて! まだ救いはある。きっと救いはある。思い出せ。思い出すんだ。そう、確かに「昭和駅」は神奈川県にある。ここ大阪から遥か彼方にある神奈川にある。それは間違いないことだ。けれども、2日前にすごいものを僕は見つけてるはずだ。そう、救いの糸を見つけているはずだ。
そう、天王寺の隣の駅は「昭和町駅」これを昭和の駅じゃないとは言わせない。天王寺ならここからハチャメチャに近い。いける、いけるぞー! ありがとう! 昭和町駅!
と思ったのだけど、さらに1日前、昨日のことを思い出した。そう、お前らが近鉄奈良駅を偽物とまで言ったあの事件のことだ。あそこで「時代名を冠する駅が二つある場合は、より時代名に近いものをその時代の駅とする」というやつだ。
つまり、「昭和町駅」と「昭和駅」どちらが「昭和」に近いか。間違いねえ、神奈川の「昭和駅」の方が近い。
わかってます。わかってますよ。ルールだから仕方がない。わかってます。でもね、今日はもう1往復してるんですよ、それに上乗せしてさらに行くなんて暴挙でしょ。分かってはいるんですけど、どうしても体が動かない。もう、どうしていいのか、道が見えない。その時、僕の脳内である言葉が響きました。
「ちはやふる神のひらきし道をまたひらくは人の力なりけり」
明治天皇……!
神は道をひらいた。それは大正駅から昭和駅という長い道だ。けれども、その道を開いていくのは人の力なのだ。
人の力……、僕の力……。道を開くのは……僕の力……。
昭和時代
14:31発 JR東海道新幹線のぞみ168号 東京行き
チェックインした駅 西九条、弁天町、ドーム前、九条[大阪] 野田[JR]、野田[阪神電気鉄道]、福島[大阪]、大阪、西梅田、梅田、中崎町、中津[OsakaMetro]、中津[阪急電鉄] 、新大阪(362駅/のべ1,111駅、総移動距離1,099km/のべ5,590km)
また関東に向かっていくのか。
なんとか自由席に座ることができたものの、ここまで全く食事をしていない。さすがに腹が減ってきたので、ここは一発、車内販売が来たら駅弁でも買ってやろうかと企んでいた。けれども、新大阪を出てすぐに無常なる車内放送が響く。
「本日は車内販売が1台のため、自由席にはまいりません」
そんなハッキリとした物言いではなかったけど、そういった趣旨の放送だった。通常は複数いる車内販売が1台だけなので、グリーン車とか指定席とかに行く、みたいな放送だった。
もうめちゃくちゃ空腹で目が回りそうで、隣の女性が駅で買い込んでいた牛タン弁当食べていたんだけど、トイレ行った隙に1枚くらい食べてもバレないんじゃ? って思ったほどだった。
空腹を紛らわすために車窓から景色を眺める。もう何度も見た景色だ。これだけ乗っていると、完全に景色を記憶してしまって、例えばあの看板が見えたらワンテンポあとに「まもなく名古屋」の放送が入る、と記憶していた。車内放送のタイミングを完全にマスターしているので、入る前に小さく手拍子をしていたら、あまりに完璧なタイミングなものだからまるで僕が車内放送を召喚しているみたいな感じになってしまい、隣の牛タン女が異世界からの怪物を見るような目つきで僕を見ていた。いいから牛タン寄越せよ。
16:45 新横浜駅
チェックインした駅
南方[大阪]、玉川[大阪]、京都、東福寺、唐橋前、石山寺、瀬田[滋賀]、南草津、草津[滋賀]、栗東、手原、守山[滋賀]、野洲、篠原[滋賀]、近江八幡、武佐[滋賀]、平田[滋賀]、河辺の森、五個荘、愛知川、豊郷[滋賀]、尼子、スクリーン、芹川、ひこね、坂田、米原、鳥居本、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、江吉良、新羽島、岐阜羽島、国府宮、玉野、萩原[愛知]、新清洲、尾張星の宮、知立、大里、奥田、大垣、東大垣、亀島、ささしまライブ、豊田本町、笠寺、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、近鉄名古屋、名古屋、名鉄名古屋、日比野[名古屋市交通局]、栄生、東海通、三ヶ根、六番町、尾頭橋、南大高、大高、本星崎、道徳、重原、一ツ木、逢妻、共和、三河安城、安城、三河三谷、三河大塚、愛知御津、小池、春日町、東刈谷、野田新町、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、下地、西小坂井、幸田、相見、二川、豊橋、船町、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、高塚、舞阪、弁天島、天竜川、柚木[静岡鉄道]、草薙、須津、下土狩、三島、三島二日町、浜松、新浜松、袋井、磐田、豊田町、西掛川、愛野[静岡]、菊川[静岡]、駅前、金谷、古庄、掛川、掛川市役所前、藤枝、六合、島田[静岡]、安倍川、用宗、焼津、西焼津、県総合運動場、東静岡、静岡、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、清水[静岡]、桜橋[静岡]、浦原、由比、興津、新富士[静岡]、富士、富士川、岳南江尾、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、緑町、函南、熱海、湯河原、早川、小田原、来宮、中里[神奈川]、国府津、長後、倉見、宮山、西谷、弥生台、二俣川、いずみ野、高座渋谷、鴨宮、二宮[湘南軌道]、大磯、平塚、伊勢原、門沢橋、花月園前、鶴ヶ峰、上星川、新横浜(533駅/のべ1,282駅、総移動距離1,629km/のべ6,120km)
ここか横浜線に乗り換えて横浜方面へと移動する。もう日が暮れてきた。本当に今日は始発からの時間の9割を新幹線で過ごしている。どういう生活だ。
ちなみにこの横浜線、逆方向に乗ると、
八王子にいける。マイホームタウンだ。心の底から帰りてえ。
16:52発 横浜線 普通 東神奈川行き
そういうわけにはいかないので、やはり横浜方面に乗る。
17:01 東神奈川駅
チェックインした駅 菊名、大口、東神奈川(536駅/のべ1,285駅、総移動距離1,636km/のべ6,127km)
17:03発 京浜東北線 普通 南浦和行き
さらに乗り換えていく。完全に帰宅ラッシュと重なったようで、ホームに人が多い。
17:11 鶴見駅
チェックインした駅
新子安、鶴見(538駅/のべ1,287駅、総移動距離1,642km/のべ6,133km)
ここからは鶴見線に乗り換える。この鶴見線、前にも一度来たことがあるけど、都会のローカル線、都会の秘境と呼ばれる路線だ。横浜駅からもそう遠くなく、東京にだって近い場所にありながら、京浜工業地帯内の臨海部を走ることから、沿線の事業所の従業員以外、ほとんど利用しない路線だ。
よって、ダイヤも朝夕以外は都市部とは思えないくらいスカスカで、駅も起点の鶴見駅以外すべてが無人駅。外に出ることができない駅やら、廃駅のまま放置された駅舎などがある路線だ。大正時代の終わりである大正15年に開業してから、昭和と平成の間、ずっと存在した路線だ。そんな場所に昭和駅はある。
鶴見線がやってくる鶴見駅3番ホームだ。起点となっているので線路の終端が見られる。
ただ、ここで向い側に「4番ホーム」があることに気が付く。しっかりと「4番ホーム」があるのに、そこに人の気配はない。というか、そもそも、電車は来るのだろうか。
4番ホームには3番ホームから階段でいくようなのだけど、その階段は見事に封鎖されている。なんなんだ、これは。
あくまで仮説なのだけど、基本的に鶴見線はやってきた電車が3番ホームに入ってきて、そのまま折り返して出ていく。ただ、朝とかのラッシュ時にはそれでは捌ききれなくなり、その時だけ4番ホームが使われるのではないだろうか。鶴見駅で4番ホームを使えたらけっこうレア、ということだろうか。
17:26発 鶴見線 普通 扇町行き
鶴見線は工業地帯の中を駆け抜けていく。日が暮れそうな夕刻になって工業地帯に行く人はいないのか、乗客は3人くらいだった。
少し暗くなった景色に工場の明かりが灯り、縦横無尽に走る武骨なパイプたちを照らしていく。それはまるでファイナルファンタジー7の冒頭のようであった。
17:45 昭和駅
チェックインした駅 京急鶴見、国道、鶴見小野、弁天橋、浅野、安善、武蔵白石、浜川崎、昭和(547駅/のべ1,296駅、総移動距離1,649km/のべ6,140km)
ついに昭和駅へと到達した。
さすが、都会の秘境と言われる鶴見線にある駅だけあって、本当に誰もいなかった。耳をすませば車の音と、近くの工場の操業音が聞こえる、それだけの場所だった。
駅舎というか特に建物でもなく、よくよく見たら物置程度のものなのだけど、それ自体は比較的新しい。おそらく最近になって改装されたんだと思う。
めちゃくちゃ味のある写真を撮影できる。そんな駅だ。
【昭和時代ってどんな時代?】
昭和天皇の在位期間である1926年から1989年までの時代。日本の元号の中で最も長く続いた元号である。他の時代のように単一のイメージで語りづらい時代であり、敗戦を境にして戦前と戦後によって明確に異なった時代背景を持っている。
【昭和時代の主な出来事】
・世界恐慌
・第二次世界大戦
・東京オリンピック
・日航機墜落事故
・青函トンネル開通
・瀬戸大橋開通
駅を出てすぐの場所に昭和電工がある。どうやら「昭和」という駅名も、この昭和電工からきているらしい。そもそも昭和電工は、昭和3年に設立された昭和肥料と、日本電気工業が合併してできた会社だ。おそらく昭和肥料は昭和時代からとった社名だろう。そう言った意味では、この昭和電工が完全に昭和ゆかりのものだ。ということで昭和時代クリア。
ちなみに、大きい工場があるのに本当に人の気配がほとんどなくて、野良猫ばかりたくさんいるんですけど、けっこう寒かったので、暖かい飲み物買いたいなと歩いて探しましたよ。
まあ、そしたら自動販売機がありましてね、やった120円で買える温もり! と駆け寄りましたよ。
暖かい飲み物、ほとんど売り切れ。ジュースの補充すらあまりきてない感じだった。さすが、都会の秘境。
ということで、昭和まで終わり、次はいよいよラスト。平成だ。
うん、そうそう、平成、熊本にあるんだっけ? 今から新幹線? そうだよね、そうだと思ってた。わかった、いこういこう。新幹線最高! 新幹線大好き! 行くぞ! 平成!(やけくそ)
平成時代
18:03発 鶴見線 普通 鶴見行き
また鶴見線に乗って引き返し、鶴見で乗り換えて京浜東北線で品川に向かう。
18:41 品川駅
チェックインした駅
浜川崎、武蔵白石、安善、浅野、弁天橋、国道、京急鶴見、鶴見小野、鶴見、鶴見市場、八丁畷、川崎、京急川崎、六郷土手、雑色、蒲田、大森町、大森[東京]、立会川、大井町、新馬場、北品川、品川(570駅/のべ1,319駅、総移動距離1,671km/のべ6,162km)
“品川”と書いて“じごく”と読む。もう何度目だよ、ここにくるの。品川駅はあとから新幹線が停まるようになった駅なので、なんちゃらかんちゃら、自由席に座れる確率は60%なんちゃらかんちゃら。
来た時のように新横浜から新幹線に乗っても別に良かったのだけど、わざわざ品川から乗ったのにはちゃんとした理由がある。
これがまあ、この行程の乗車券で、しっかり「昭和→平成」と印字されているけれども、普通に購入すると、昭和駅が横浜市内の特定都区市内乗車エリアに含まれてしまうため、「横浜市内→平成」という表記になってしまうらしい。
そこで品川から新幹線に乗ることで、いったん横浜エリアから出てまた入ることになるので、特定都区市内乗車が効かなくなり「昭和→平成」という表記になる。ちょっとした小技だ。
18:57発 JR東海道・山陽新幹線 のぞみ159号 博多行き
東京―大阪間を新幹線で二往復どころか、大阪とび越えて九州までだ。もうめちゃくちゃだ。
車内では完全にふさぎ込んでいた。どうも人間は300キロ以上の高速での移動に耐えられるように体ができていないらしく、この一日の大半を新幹線で移動する、という状態に体が参っている。あれだけ空腹で牛タンを盗もうとしていたくらいなのに、もう食欲がないくらいだ。
岡山を過ぎたあたりだったろうか、あらゆるものが限界に達した。いうなれば自分の横にもう一人の自分がいて、そいつは僕よりもやや色が薄い感じがしてきた。そいつはおそらく僕のゴーストで、般若の面をつけながら当たって砕け散ろ! 道を作るのは人だ! と説教した後、宝町とだけ言い残してスーッと消えていくのである。うわああああとそれに頭を抱えると、またさらに色が薄くなったゴーストが現れ、宝町と言い残して消えていく。つくづく宝町を室町としたことは業が深いと思う。
本当に色々と過酷な旅をしてきたけど、この新幹線連発くらい精神的に追い込まれた行程はなかったように思う。新幹線に乗れるとはしゃいでた数日前の自分は本当にバカだと思う。
23:39 小倉駅
チェックインした駅 下新明、沼部、元住吉、日吉[神奈川]、綱島、菊名、新横浜、西谷、いずみ野、高座渋谷、長後、倉見、宮山、中里[神奈川]、国府津、緑町、熱海、来宮、大岡、沼津、片浜、原[静岡]、岳南江尾、岳南富士岡、ジャトコ前[ジヤトコ1地区前]、新富士[静岡]、富士、富士川、浦原、由比、興津、清水[静岡]、桜橋[静岡]、狐ヶ崎、御門台、県立美術館前、県総合運動場、東静岡、静岡、安倍川、用宗、焼津、西焼津、藤枝、六合、島田[静岡]、菊川[静岡]、掛川、掛川市役所前、西掛川、愛野[静岡]、袋井、磐田、豊田町、天竜川、浜松、新浜松、高塚、舞阪、弁天島、新居町、鷲津、アスモ前、新所原、二川、豊橋、船町、下地、西小坂井、幸田、相見、桜井[愛知]、堀内公園、碧海古井、三河安城、東刈谷、野田新町、重原、一ツ木、逢妻、共和、南大高、大高、本星崎、道徳、東海通、六番町、尾頭橋、近鉄名古屋、名古屋、栄生、東枇杷島、西枇杷島、枇杷島、新清洲、大里、奥田、国府宮、玉野、萩原[愛知]、江吉良、新羽島、岐阜羽島、美濃青柳、荒尾[岐阜]、垂井、関ヶ原、柏原[滋賀]、近江長岡、坂田、米原、鳥居本、ひこね芹川、スクリーン、尼子、豊郷[滋賀]、愛知川、五個荘、河辺の森、平田[滋賀]、武佐[滋賀]、近江八幡、篠原[滋賀]、野洲、守山[滋賀]、手原、栗東、草津[滋賀]、南草津、瀬田[滋賀]、石山寺、唐橋前、東野[京都]、東福寺、七条、京都、東寺、梅小路京都西、西大路、桂川[京都]、向日町、西向日、長岡京、西山天王山、大山崎、水無瀬、上牧[大阪]、高槻市、枚方公園、光善寺、沢良宜、摂津、南摂津、井高野、瑞光四丁目、上新庄、下新庄、淡路、新大阪、西中島南方、三国[大阪]、十三、神崎川、加島、園田、猪名寺、稲野、新伊丹、武庫之荘、甲東園、新神戸、伊川谷、大蔵谷、人丸前、明石、西新町、西明石、中八木、江井ヶ島、魚住、東二見、西二見、別府[兵庫]、浜の宮、尾上の松、荒井[兵庫]、伊保、ひめじ別所、御着、東姫路、姫路、手柄、播磨高岡、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生[兵庫]、伊里、備前片上、伊部、香登、東岡山、高島、西川原、法界院、岡山、中庄、新倉敷、西阿知、金光、大門[広島]、東福山、福山、備後本庄、備後赤坂、松永、新尾道、三原、本郷[広島]、河内、白市、東広島、向洋、天神川、安芸中野、猿猴橋町、広島、家庭裁判所前、白島[広島電鉄]、新白島、城北、横川[広島]、横川一丁目、観音町[広島]、周防高森、勝間、周防久保、大河内、生野屋、周防花岡、櫛ケ浜、防府、大道、四辻、周防下郷、新山口、新岩国、徳山、小野田、宇部、厚東、本由良、嘉川、小月、新下関、長府、埴生、厚狭、小倉[福岡](832駅/のべ1,581駅、総移動距離2,558km/のべ7,049km)
チェックイン数も移動距離もどえらいことになっとる。
実に5時間40分の乗車を経て小倉へと到達した。終電の関係で今日中に熊本まではいけないので、ここで降りることにした。
小倉で降りたのはちょっとした理由があって、そもそも終点である博多まで行けばよかったのだけど、博多は現在、慢性の宿泊場所不足に陥っているのだ。観光客の増加、イベントの増加などの理由により、圧倒的にホテルが不足しており、その余波はサウナやネカフェにまで及んでいる。いきなり行って泊まる場所を探すとなると、かなり苦労するか、かなり不経済な場所に泊まるか、となってしまう。
それを避けるために1つ手前の小倉で降りた。ここならいくらでも宿泊場所があると考えたからだ。
本当に今日は疲れた。長い一日だったように思う。18時間くらい新幹線に乗っていたような気がする。降りて歩いてるのにまだ新幹線に乗っているような感覚がしてくる。
といったところで4日目が終了。ついに明日は平成駅だ。
4日目まとめ
制覇した時代:江戸時代、明治、大正、昭和
総アクセス駅数:832駅(のべ1,581駅)
総移動距離:2,558km(のべ7,049km)
「駅メモ!」と一緒に旅にでかけよう!
>>アプリをダウンロード