【続・耳をすませば】 聖蹟桜ヶ丘が生んだ破天荒、オレ、天沢聖司

ライターのミスで生まれたジブリ映画「耳をすませば」のアフターストーリー。わざわざ聖地である聖蹟桜ヶ丘に取材に行ったのに、オッサンが聖蹟桜ヶ丘の中心で自分勝手に叫ぶ謎の小説になってしまいました。セカチューではなくジコチューです。それなのに「耳をすませば」と言われましても。……まあでも、写真はジブリ感があってステキですよ。写真は。

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……。

 

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……。

聖蹟桜ヶ丘の駅は、あの頃のままだ。

何年ぶりだろう? ここに来たのは。

 

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ふらりと目的もなく駅で降りてみたけど、このまま改札を出てウロウロしてみるか。

それにしても、やっぱりここに来ると、昔のことを思い出してしまう。

 

 

 

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……

 

「雫、俺と結婚してくれ!!」

 

初めての恋愛に興奮し、我を忘れて雫にプロポーズしたあの日から、かれこれ21年が経った。俺ももう、36歳だ。

いくらなんでも、常識的に考えて、あそこは「付き合ってくれ」だっただろうと、今でも時々思い出しては反省している。キスすらもしたことがない状態で突如として婚約を迫ったワイルドな童貞は、世界広しと言え俺くらいのもんだろう。

 

しかし、プロポーズを受ける方も受ける方だ。雫は「うん!!」と言った。雫は雫で、初めての恋愛に興奮して我を忘れた処女だったのだ。

当然のことながら、俺たちは同学年でも最速の婚約者となった。雫のことを気に入っていた爺ちゃんですら、突然の婚約宣言には腰を抜かしていた。無理もない。俺たちは中学3年生だったのだから。

 

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中学を卒業して日本を離れ、伯父の知り合いが営むクレモナの工房で修業を積むことを許された俺は、壮大な希望を胸に抱きイタリアでの生活をスタートさせた。世界一のバイオリン職人になる。俺は燃えたぎっていた。

 

当時の俺は15歳。技術も海外経験も無いただの若者がイタリアでバイオリン職人を目指す道のりは、決して平坦ではない。語学の壁から友人も出来ず、疎外感を感じる毎日。

俺はすぐにホームシックになった。日本を思い出しては、あのブイブイいわせていた中学時代を思い出しては、夜な夜な枕を濡らした。ウォンウォン泣いた。

 

そしてイタリアで出会った、バイオリン職人を目指すライバル達の存在が、俺の失意を加速させた。同年代くらいの奴らの中に、俺が何年かかっても到達できそうにないレベルの技術者が、ゴロゴロいる。

多少腕があるというだけで夢をみた俺は、自分が井の中の蛙だったことをすぐに思い知った。バイオリン作リッテ、コンナニ奥ガ深イノ?

 

何でもそこそこ出来て器用に生きてきた俺は、初めて挫折を経験した。

 

 

今思えば、あそこで諦めずひたむきに努力を積んでいれば、数年後は全く違った結果になったかもしれない。自分が夢見た通りとまではいかなくても、それなりの職人になった可能性はある。

しかし当時の俺は多感な時期でもあったし、何もかも上手くいかない現状に直面して、腐った。金を盗んで工房を飛び出し、単車で夜のイタリアへ消えた。行き先も、分からぬまま。

 

 

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俺は喧嘩や盗みを繰り返し、ボロボロになりながらイタリアの夜を生きた。中学を卒業して急に体が大きくなった俺は、やたらと喧嘩が強かった。街のゴロツキをワンパンでKOし続けた。

俺はストリートで見つけたイタリアのバッドな奴らとつるむようになり、そいつらの家を転々とした。何度警察の世話になったか分からない。やり場の無い怒りが俺を支配し、俺は目につくもの全てを破壊しようとした。

 

 

喧嘩を繰り返すだけでは食ってはいけないと気付いたある日、仲間の1人がバンドをやらないかと言い出した。良いアイデアだと思った。バンドで売れてやる。ガッツり成功してやる。

俺達はすぐにメンバーを集め、バンドを組んだ。『デンジャラス・アリゲーター』。もはや厨二病とすら言えない、圧巻のバンド名。しかし当時の俺たちはそのダサさに気付けなかった。

俺たちは路上ライブを繰り返し、そのたびに猛然と怒り、猛り、叫んだ。ファック・ユー。ゴー・トゥー・ヘル。

 

デンジャラス・アリゲーターの斬新なスタイルは閉塞感に包まれたイタリアでうずく若者達の心を鷲掴みにし、イタリアの常識を覆し、インディーズで発売した1 stアルバム『エンドレス・フォーエバー』はカルト的な人気を誇る。そのはずだった。

しかし、そんなシンデレラストーリーは現実世界には存在しないようだ。1年近い活動を経てCDが14枚しか売れなかった現実を真摯に受け止め、俺たちの黒歴史は幕を閉じた。俺は再び、心に傷を負った。

 

その後も色々とあったが、結局それから数年間はイタリアで暮らし、19歳の時に日本に戻った。それからプロボクサーを目指したが、ほどなく挫折した。高い技術を誇るボクサーを前に、俺のストリートファイトで培ったワンパンは全くと言って良いほど通用しなかった。

ボクシングジムを去った後、俺は吉本興業に入り芸人を目指した。テレビで活躍する芸人が、ほんの一握りの存在であることを知った。鳴かず飛ばず。ボクサーの道も芸人の道も、甘くはない。人生は、甘く無いんだ。

 

紆余曲折を経て、今では、不動産の営業をしている。ノルマに追われる毎日は警察に追われる毎日よりもしんどかったが、それにもいつしか慣れてしまった。

 

 

 

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イタリアで荒れ狂った俺は、日本に戻るや否や、海外で培ったワイルドな思想に身を任せて、爺ちゃんにトチ狂った提案をした。もう十数年も前のことだ。

 

「爺ちゃん、こんな、『地球屋』なんていう古びれたアンティーク・ショップを経営しても、一円にもならんだろう。こんな店はさっさと閉じて、ここをホストクラブにした方が良い。爺ちゃんもホストをやるんだ。楽器を演奏していた爺ちゃんの友達がいたろう?彼らもホストとして雇うんだ。

ほんで近所の婆さん達を客として集めて、毎晩、バイオリンを演奏しながら、シャンパンを飲むんだ。高齢化社会に対応した、画期的なホストクラブだ。絶対儲かる。面白いだろう!?」

 

爺ちゃんは、荒れ狂った孫のトチ狂った意見を眉一つ動かさず仁王立ちで聞いてから、何かを決意したように言った。「やったろうやないか。」

 

死期迫る老人とは思えない、圧倒的な決断力。俺のワイルドさは、爺ちゃんからの隔世遺伝だったのかもしれない。

 

それから爺ちゃんは何かに取り憑かれたように、この「老人の老人による老人のためのホストクラブ」作りに夢中になった。店の雰囲気はどうするのか、酒はどうするのか、マーケティングはどうするのか。

時々家に戻ってきてはだんだんとホストクラブになっていくアンティークショップを見て、俺は自分の提案といえ恐ろしくなった。

 

こうして『地球屋』は、『ディープキス・オン・ジ・アース』として生まれ変わった。時計を修理していた頃の、渋くていぶし銀な爺ちゃんはもうどこにもいないが、彼は今でも、レジの横に置いてあるバロンと一緒に、楽しそうに婆さん達を接待している。

振り返れば、俺には2つの誤算があった。爺ちゃんの並外れた接客技術と、爺ちゃんの卓越した経営手腕。店は大繁盛。燃える老人は、俺の想像を遥かに超えていった。「ドンペリ二ヨン頂きましたあああ〜〜!!」

オーナーでありながらナンバーワンホスト。御歳、101歳である。

 

 

 

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雫が小説家として有名になるのに、そう長い年月は必要なかった。幻想的な世界観が売りの作品は処女作から大ヒットし、日本中を席巻した。「バロンのくれた物語」「猫の恩返し」「ユメノ街」「不毛地帯」「走れメロス」「燃えよ剣」「新約聖書」「東海道中膝栗毛」。

数々の名作を世に残し、雫は名実共に日本一の小説家になった。

 

当時の俺は認めようとしなかったが、雫の早過ぎる成功はイタリアにいた俺の絶望に追い討ちをかけた。表面的には一緒に喜び、最高の文章だよと誉め称えた。雫は雫で、俺のために書いているんだよと言ってくれた。しかし、何もかも上手くいかない俺は、何もかも上手くいく雫をみて、絶望に近い劣等感を味わった。

 

夢を追いかける素晴らしさを彼女に印象づけたのは、きっとバイオリン職人になるためにひたむきだった、当時の俺だろう。「海外に行って、バイオリン職人になるために修行するんだ。」

その時雫は、進路も決まらず、受験に迷い、姉や母に叱られる毎日。「聖司くんって本当に凄い、私なんて…」と、自信なさげに話していた雫の姿が懐かしい。すぐに俺に追いつき、さらりと追い越した彼女は、今では多くの物書きに崇拝され、「小説の神様」と呼ばれている。

 

彼女はもう、途方も無く、遥か先に行ってしまった。

 

 

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数年前、テレビのインタビューで、「良い小説を書くための秘訣は何か」と聞かれ、雫は「心の声に従って書くことです。雑音に流されず、自分にしか聞こえない心の声に従って、直感だけを頼りに書けば、誰だって素晴らしい文章が書けると思います。」と答えた。

俺はこれをモニター越しに見て、ブチ切れた。

 

なんというメチャクチャな回答だ。そんな方法で良い作品ができるほど、アートの世界は甘くない。お前には才能があったんだ。それだけだ。

俺だって、俺だって自分の直感に従ったよ。その結果、俺にしか聞こえない心の声が言ったのさ。「バンド名はデンジャラス・アリゲーターだ」と。どうすれば良い?どういうことだ?あの心の声は何だったんだ?俺達は、誰一人としてインスパイアできなかった。どうやって説明をつけるんだ?

 

それは、長い間、ずっと長い間俺が悩み続けていたことだった。才能。才能のあるやつが成功する。雫も、爺ちゃんだってそうだ。才能のあるやつが勝つ。世の中はそれだけであり、それ以外ではない。

でもそういう才能のある奴は言うんだよ。「成功の秘訣は才能じゃない」と。努力だとか、自分の感性に従ってとか、希望に溢れたことを言うんだ。きっとそう言った方が、才能の無い奴からリスペクトされるから。でも俺は信じない。事実、俺は、何をやっても上手くいかなかった。

 

雫は泣きながら、自分の感性に従ったのなら、それは全て素晴らしいんだと反論した。その時の聖司くんが本気だったのなら、デンジャラス・アリゲーターだって間違いなんかじゃなかったんだと言った。俺は怒った。嘘だ、デンジャラス・アリゲーターは糞だった、あんなものは思い出したくもない。

怒りに我を忘れる俺に対して、雫は「違う、違う」と言い続けた。やがて、雫はそれを証明するため、俺への愛を込めて、「危険なワニ」という小説を書いた。テーマは、圧倒的な情熱がありながら時代が追いつかなかった無名のロックバンド。何をやっても上手くいかず、しかし葛藤の中で何かを探す主人公。正に当時の俺。そんな作品だった。

 

 

そして、これがまた飛ぶように売れた。「危険なワニ」は、ここ数年でも最高の作品だという。映画化も決定した。さすがだよ、雫。さすがだ。

 

しかし、この「危険なワニ」という話が、はたして俺の傷を癒すことにつながったんだろうか?いいえ。「危険はワニ」は俺の古傷をこれでもかという程にエグり、俺は、絶対に触られたくない弁慶の泣き所をコン棒でフルスイングされたような感覚すら覚えた。

しかし不器用な天才は俺の過去を肯定するため、精一杯それを書いたのだ。俺は色々な思いを噛み締め、ただただ、「ありがとう」と言った。

 

 

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……

 

「雫、俺と結婚してくれ!!」

 

振り返れば色々なことがあったけど、雫と俺は、俺たちはあの日のあの誓いだけを信じて今日までやってきた。きっと「付き合ってくれ」と言っていれば俺たちは付き合っていただろうけど、「恋人」という関係だけでは、あの壮絶な遠距離恋愛を乗り切ることはできなかっただろう。

一体、何度喧嘩したんだろう?振り返れば「結婚する」という特別な誓いは、なんだかんだ最後の砦となり、幾度となく別れようとした2人を繋ぎ続けた。あそこはやっぱり「結婚してくれ」じゃないといけなかった。俺は正しかった。

 

こうやって振り返ってみると、あの無我夢中のプロポーズが、我を忘れた童貞による興奮気味のプロポーズこそが、俺の人生における最大の成功だったと言っても過言ではない。

あの時の俺は凄かった。半端じゃなく勢いがあった。目の前にいた、まだ右も左も分からない、可愛い女性……。しかも圧倒的文才を秘めた女性……その女性を、パクリと一飲み。

 

そう、俺はあの時、若干15歳にして、すでにデンジャラスなアリゲーターだったのだ。

 

 

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ふう。そろそろ帰らないといけない。営業途中でふらりと地元に立ち寄って、ずいぶんと時間を使ってしまった。聖蹟桜ヶ丘の景色は、いつだって、良い。

 

何事にも全力だった当時の俺が、今の俺を見たら何て言うだろう?

10代の俺は怖いもの知らずで、メラメラと燃えたぎっていた。非常にバーニングだった。デンジャラスでバーニングだった。何も上手くはいかなかったけど、何も怖くはなかったんだ。

 

俺は、いつから自分の人生に折り合いをつけるようになったんだろう。いつから、現実を見ろと自分に言い聞かせて、心の炎を消してしまったんだろう。

 

 

 

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もう一度

もう一度だけ挑戦しよう。

 

イタリアの仲間達に連絡をとって日本に呼び寄せ、再び、バンドを組もう。中年の怒りを、リーマンの怒りを、俺達の憤怒を爆発させるんだ。

 

社会に出たからこそ、今だからこそ歌える歌がある。今なら、時代が俺達を求めるかもしれない。社会に、閉塞感のある日本に一石を投じてやる。

俺はボーカルをやりながら、自分で作ったバイオリンも演奏する。ボーカル兼バイオリンだ。1stシングルは、コンクリートロード・パンクver.。

再来年…いや、来年には武道館を満員にしてみせる。そこに雫を呼ぶんだ。やるぞ。やってやる

 

..

おお、何か楽しくなってきたぞ?!!hahaha!!

 

 

ハッハッハ!!!

ハアアア〜っはっは!!!

 

 

っっっしゃあああやっったるでえええ〜!!!みとけよぉぉお日本の音楽シーン!!!!!ファック・ユー!!ゴー・トゥー・ヘル!!!ひゃゃ〜っはっはっはぁあぁああああぁああ〜!!!!!!!!

 

ぶぅぅあああああはああっはははっははははははおいj:わふぉえkぱlpげあw」えk」がkw:おぺfかwlfpわl」pdけ:k:おK:アwぇ:ポワエファkポアポア、ポアああああ!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

(天沢聖司はスーツを脱ぎ捨て、営業用の資料を投げ捨て、大声で叫んだ。それは負け続けた男の、人生を賭けた逆転劇の始まりだった。「デンジャラス・アリゲーターズ・リベンジ」。後に日本のロックシーンを変える伝説のバンドが、閑静な住宅街で産声を上げた。)

 

〜終〜

 

 

※ 旅行情報をお届けする本メディア「SPOT」の主旨に沿い、本記事では、「聖蹟桜ヶ丘への旅のプランの提案」という企画を掲載する予定でしたが、ライターの不手際により「伝説のロックバンドの爆誕秘話」となってしまいましたこと、謹んでお詫び申し上げます。

※ 「耳をすませば」本編に登場する天沢聖司と本記事に登場する天沢聖司とは全くの別人であり、両者には一切の関係が御座いません。ご理解ご了承の程、何卒宜しくお願い申し上げます。(ロケ地:聖蹟桜ヶ丘駅 周辺)

※しかるべき所から怒られた場合は謹んで拝受し、謝罪と共にこちらの記事を削除させて頂きます

ライター:熊谷(twitter、 facebook

ブログ:もはや日記とかそういう次元ではない