JR西日本が発表した”維持困難な17路線30区間”ぜんぶ乗ってきたので狂ったように紹介する_PR【駅メモ!】

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【2日目】 6:45 山口県長門市 JR長門市駅

2日目の朝は、昨日の大雨が幻であったかのような快晴だった。あの旅程を大崩壊させた大雨だ。本当に幻だったら良かったのに。

さて、ここからは始発に乗って益田まで舞い戻り、その先の出雲市まで維持困難路線を乗っていく予定だ。

長門市駅のちょっとサイコな鳥居群も朝日を浴びて光り輝いている。昨日はあまりの大雨や旅程大崩壊に動揺して気が付かなかったけど、こうやってみるとここには小ネタが仕込んであるな。

ちょっと分かりにくいけど、鳥居があるホーム、123番線になっていた。おそらくこの鳥居のモチーフになった元乃隅神社に123基の鳥居があることにちなんでいるんだと思う。

8本目 7:01 長門市発 山陰線 益田行き

2両編成

乗客20名ほど

車内にはこれから部活に行く感じの高校生の姿があった。おそらく平日はここから萩市までの通学需要があるのだと思う。昨日の夜よりは乗客が多い。

ここで皆さんに、本数が少ない区間を乗り継いでいくにはどうしたらいいかという攻略法を伝授したい。みなさんも、もしかしたら維持困難路線をぜんぶ乗ってこいなどと理不尽に命じられるかもしれないので、その際には是非とも役立てて欲しい。

基本的に本数が少ない区間は始発を狙うべきである。つまり、本数がやばそうな区間の開始駅でその日の移動を終えるように設定し、次の日に始発でやばそうな区間を始める、これは大切なことだ。1日に1本、2本しかしかないとかそういうのは論外だけれども、数本の設定がある場合、その日中のダイヤ設定はまちまちでかなり難易度が高い。けれどもほとんどの場合が始発電車だけはしっかりと5時台から7時台に設定されている。これを狙う旅程を組めば、本数が少ない区間を難なくクリアできる。僕もそれで旅程を組んでいたけど、初日に崩壊した。

さて、攻略法通り、本数の少ないこの区間をしっかりと始発で攻略し、益田駅へと向かっていく。昨日も通ったけど、ここも維持困難とされる路線だ。

山陰本線(長門市~益田市)
営業係数1,314 輸送密度238人/日

益田駅と長門市駅間の山陰本線では、以前は福岡県の小倉駅まで行き九州へとつながる特急列車「いそかぜ」が運行されていたが、2005年に廃止された。現在ではこの区間で特急列車は設定されておらず、普通列車も益田-長門市を通しで運行するものは日に6本と少ない。そのほとんどが通勤および通学時間にあわせて朝夕の運行になっている。沿線には歴史的な観光地を多く有する萩市がある。

長門市駅を出てすぐに海が見えてくる。日本海に突き出した2つの半島に囲まれている区間なので穏やかな海だ。あまり日本海っぽくはない。

しかし、その区間が終わるとアホみたいに波が荒ぶる。これが日本海だ。

長門三隅駅-山口県長門市(無人駅):山陰線

進行方向左手に見える海が終わり、内陸に入ったところに存在する駅。田畑を中心とした場所に集落があり、そこに駅がある。周囲には三隅出身で長州藩においてその手腕を発揮した村田清風の記念館がある。

飯井駅-山口県萩市(無人駅):山陰線

長門三隅駅から内陸を走り、また日本海が見えてきたところで飯井駅が存在する。三方を海で囲まれ残り一方が海という要塞のような漁港を望むように駅が存在する。ここでは国道191号線も海岸線を離れて山の中をトンネルを駆使して走るため、あまり交通量も多くない静かな漁港になっている。近年では日本一短い駅名?という名目でこの駅をPRする動きがある。

小さな駅舎の中にも「日本一短い駅名?」と手作りっぽいポスターが貼られていた。最初はよく意味が分からず、なに言ってんだ、津駅とかあるだろ、と思ったのだけどどうやらローマ字表記でいちばん短い駅名ということらしい。確かに津は「Tsu」で、こちらは「ii」で1文字ぶん短い。他にもローマ字2文字の駅名は粟生駅(Ao)などあるのけど、それらに比べて「i」が2つのこの駅名はその幅も短い、iって細い字だからね。ということらしい。僕はここまでこじつけてPRすることはとてもいいことだと思う。もっと大々的にやってほしい。

三見駅-山口県萩市(無人駅):山陰線

駅からコイン精米機が見えた。

車内はいつの間にか高校生が多くなっていた。とはいってもボックス席に各1人ずつ乗っているような状態だ。やはりいずれもジャージ姿なので休日の部活動なのだと思う。

玉江駅-山口県萩市(無人駅):山陰線

住所的には1つ前の三見駅から萩市となるが、実質的には玉江駅から街並みが萩市街のものとなる。利用者も多く、何人かが降りて何人かが乗ってきた。城下町として知られる萩市だが、萩城跡や城下町は萩駅よりもこの駅の方が近い。

玉江駅から見える、このポコッとした山がおそらく萩城跡がある山だ。その手前に城下町が広がっている。そう考えてみると城を建てるためだけにあるような形状の山、それにしか見えなくなってくるから不思議だ。

萩駅-山口県萩市(無人駅):山陰本線

萩駅と市の名前を名乗る駅だが、市役所などのがある市の中心部には次の東萩駅の方が近く、そちらのほうが乗降客数も多い。そのせいで萩市の中心駅を東萩駅とする時刻表もある。

ずいぶんと前に、萩市を周遊するコミュニティバス「まぁーるバス」がとても好調で、利用者が多いというニュースを聞いたときに、そのバスの東回りのコースの愛称が「松陰先生」西回りのコースの愛称が「晋作くん」と聞いてなぜか爆笑してしまった。

今となってはなぜ爆笑したのかまったく理由が分からず、その時の自分の精神状態を心配するほどだ。萩市ゆかりの偉人である吉田松陰と高杉晋作にちなんだ良い愛称じゃないか。失礼にもほどがある。

だからずっと、萩市の循環バスに出会うことになったらあの日の無礼を謝りたいと思っていた。何もおかしくないのに自分の精神状態がおかしいだけで爆笑してしまってごめんなさいと謝りたかった。

ただ、萩市に行く予定はなさそうだし、それだけのために萩市まで行くのも完全に狂ってるし、この取材だって、萩市を観光するわけではなく通りすぎるだけだ。コミュニティバスに出会うことはないんだろうなと萩の街並みを眺めていた。

おった。

「あのときは本当にどうかしていたので爆笑してごめんなさい」

これで心のつっかえが取れた。ちなみにこれ、走っている位置から考えるにおそらく東回りコースなので「松陰先生」だ。

このあたりは完全に萩の市街地なので駅の間隔が短い。萩市を出てすぐ、次の東萩駅へと停車した。

東萩駅-山口県萩市:山陰本線

萩市の中心駅であり、中心市街地に最も近い駅だ。かの有名な松陰先生の「松下村塾」や「書院神社」からもこの駅からのアクセスとなる。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつである萩反射炉もこの駅からのアクセス。いずれも駅から循環バスまぁーるバスの「松陰先生」が便利だ。

東萩駅は格調高い感じに造り替えられていた。他の駅はそうでもないのに、なんでこの駅だけと思うのだけど、その装飾を見るに、どうやらTWILIGHT EXPRESS 瑞風(トワイライトエクスプレス みずかぜ)に合わせて駅を造り替えているようだ。

瑞風とはJR西日本が運行する周遊型寝台列車だ。寝台列車というと、雑多な列車に並ぶベッドみたいなものを想像する人もいるかもしれないが、そうではなく、高級ホテルと見紛うほどの内装を持った列車を使用するものだ。これを使って山陰や山陽の名所をまわる。値段もかなりお高い。完全に富裕層向けだ。その山陰コースの停車駅として東萩駅があり、その格式高い列車を迎えるために駅舎も格式高くしているのだろう。山陰線の沿線にはこの瑞風を歓迎する横断幕があちこちに掲げられていた。

ここ東萩駅では萩市が近づくにつれて増えていた車内の高校生がぜんぶ降りた。また車内がガランとしてしまった。おそらくではあるけど、長門市から萩市の間では山陰線を使った通学需要がけっこうある。けれどもこれが萩市から益田市の間だと少なくなる。それは山口県と島根県の県境があるからだ。

高校においては県を超えた越境通学はあまり考慮に入らず、通学重要が減るのかもしれない。ここまでの乗車で分かったけれども維持困難路線は維持困難でありながらそれでも通学需要が下支えをしていることが多い。早い話、高校生しか乗っていないというやつだ。それが極端に減ってしまう県境越えの路線はさらに苦しくなるということなのかもしれない。

越ケ浜駅-山口県萩市(無人駅):山陰本線

駅の周辺にはマリーナ萩がある。マリーナ萩ではレンタルボートを行っており、1級もしくは2級船舶操縦免許を持っていれば借りて釣りなどを楽しむことが可能(初回のみ講習が必要)。このボートは魚群探知機などを備えた本格的なやつだ。

ちょうど越ケ浜駅があるあたりから突き出た半島にオシャレな建物があった。なんだろうと調べてみると、萩女子短期大学という大学みたいだった。半島まるごとかという勢いで校舎を建て、異国かと思うほどの美しいキャンパスを実現していたらしい。ただし、2000年をもって廃校となっているようだった。

長門大井駅-山口県萩市(無人駅):山陰本線

この周辺は海岸と山が入り組んだ地形をしている。山と山の間に海岸を望むわずかな平地があり、そこの集落が形成される。その中心に駅が置かれるパターンが多い。この長門大井駅もその典型のような駅だ。

このあたりの海岸線は総じて美しい。長門大井駅近く、この写真の少し手前くらいの場所には“玉音の浜”と呼ばれる砂浜がある。名前の通り丸い石がたくさんある砂浜で、波が引くときにカラカラと音がするとかなんとか。かなり景色が綺麗な隠れスポットだ。

綺麗な砂浜の少し先には小さな島が見える。そこにはまるで島の入口と言わんばかりに鳥居があった。

小さな島に鳥居がある光景はなんだかワクワクしてしまう。鹿島神社という神社がこの島にあるようだ。

よくよく見ると中央の島だけでなく、左側にあるさらに小さな島にも鳥居がある。調べてみると、大きい方が男鹿島で、小さいほうが女鹿島で、仲良く2つ並ぶ姿から夫婦島として親しまれているらしい。この日本は岩が2つ並んでいれば夫婦岩にする。この島にちなんだ夫婦円満祈願みたいなモニュメントが近くの道の駅にある。

奈古駅-山口県阿武町(無人駅):山陰本線

海岸をのぞむ山間にある駅だ。先ほどの夫婦島をのぞむモニュメントがある道の駅もこの駅が最寄りとなる。道の駅はなかなか立派なもので温泉施設や温水プール施設も備えている。

この奈古駅という名称は、つい最近になって別のアプローチで調べて「へえ、奈古駅って場所が最寄りなんだ、町名じゃないんだね」と考えたはずなのに、なぜこの駅を調べたのかきっかけが思い出せずにモヤモヤしていた。

駅の手前には先ほどの道の駅があるぞと構えて撮影をしていた。夫婦島をのぞむ夫婦円満モニュメントがあるあの場所だ。

立派な道の駅は「道の駅 阿武町」というらしい。阿武町。ぜったいにどっかできいた。それでもまだ思い出せない。そんなときに車内のおっさんの会話が聞こえた。

「4630万円が間違って振り込まれて……」

あー、あの給付金がドカッと振り込まれて返す返さないで揉めているところか(取材時は返す返さないで揉めている状態だった)。意外なところで意外なニュースの舞台に出会ってしまった。阿武町は給付金だけでなく立派な道の駅や夫婦島など見所がありますので、是非とも訪れてみてください。

「発祥の駅に湧く温泉」の表記からも分かるように、「道の駅 阿武町」は道の駅の発祥であることを掲げている。僕の知る限り道の駅の発祥を名乗る駅は3つくらいあり、阿武町は道の駅が正式化する前の社会実験段階で設置された駅で、その後も正式な道の駅として残っている施設の1つなので発祥を名乗っているようだ。発祥の地の石碑もある。

木与駅-島根県阿武町(無人駅):山陰本線

こちらも阿武町にある駅だ。海岸線に細長く続く集落があり、その集落から少し外れる位置にこの駅がある。近くには清ヶ浜海水浴場がある。美しく白い砂浜にエメラルドグリーンの海。夏でもそこまで混みあうわけではない穴場の海水浴場として知られており、絶好のサーフィンスポットにもなっているようだ。

この寄与駅の見どころは、なんといってもこの駅舎の雰囲気だろう。しっとりと落ち着いたレトロな感じがとても良い。これは相当にいいぞ。キップ回収のボックスもいい味を出している。阿武町の見どころは給付金だけじゃない。綺麗な砂浜やレトロな駅舎も見どころだ。

木与駅を超えると、またしばらく海の景色が続く。片側が日本海、その反対側が棚田、その隙間に境界線のようにひかれた山陰線、そこをひた走っていく。

防波堤の上で釣りを楽しむ人たちがいた。うらやましい。本当は僕もこうやって釣りでもしながらゆっくりとした休日の時間を過ごしたい。旅程崩壊に苦しみながら狂ったように維持困難路線を乗り継いでいる場合ではない。

海沿いに立ち並ぶ赤い屋根の家々はとても美しい。ここにきてさらに統一感が増してきた。

宇田郷駅-山口県阿武町(無人駅):山陰本線

宇田郷駅は、海沿いに佇む小さな駅だ。なぜこの場所に駅を設置したのだろうかと不思議になるほど周囲の集落からも外れた場所に存在する。かつては2つのホームがあり列車が行き違えるようになっていたが、現在は片方だけを使用し、ホームを繋ぐ跨線橋も撤去されている。駅舎も解体され、いまは小さな待合室があるのみだ。目の前すぐの場所に国道191号線が通り、その先は海になっている。

駅からすぐの場所が海で、間に民家もない。駅からそのまま綺麗な海が臨める駅として古くから人気の場所だが、現在はまるで様子が違う。

かなり物騒な感じの壁が駅と海の間に築かれている。暴動でも食い止めようとしているのかしら。

おそらくこれは荒天時の高波を防いでいるのだと思う。あまりに海が近すぎて波しぶきにより駅前を通る国道が通行止めになることが多かったようだ。波を食い止める必要性は理解できるけどもうちょっとなんとかならなかったものか。あまりに無骨すぎる。

次の須佐駅が近づくと、海の様子が一変する。複雑に入り組んだ入り江と、隆起した山々とで構成される須佐湾が形成され、穏やかな海が広がるようになる。ついさきまで無骨な鉄板で波を防いでいたのに、ここではそんな鉄板すら不要そうだ。

湾内には七つの入り江があり、海上には大小70以上の岩礁が見られるため、西の松島と呼ばれて親しまれている。遊覧船が運行しており、各種のマリンスポーツを楽しむことも可能だそうだ。最高じゃん。

須佐駅-山口県萩市:山陰本線

萩市から阿武町に入ったと思ったらまた住所表示が萩市に戻ってしまった。地図で見ると阿武町を取り囲むようにして萩市が勢力を広げているようだ。

須佐駅周辺はもともと須佐町という自治体で合併により萩市となった。須佐という名前はスサノオノミコトからとっている。

須佐駅の周辺は前後の駅と比べると大きな町の中心にあるので比較的に大きい。たぶん駅以外の何かと複合された駅舎だ。どんな大きさの駅であっても、駅とはその町の顔だ。ホームには町のアピールポイントを看板として掲げていることが多い。

この須佐地区の場合、やはり須佐湾の眺めとか、遊覧船、マリンスポーツとかをアピールしているのかな。それともスサノオノミコト伝説になぞらえた地名から、神話みたいなものを推しているのかな。そんな想像をしながら看板を見る。

地質の宝庫 須佐!

須佐が選んだのは地質だ。須佐ホルンフェルスという地層がかなり有名で、観光地にもなっている。この特徴的な地質は遊覧船に乗れば間近で見ることができる。だったらもっと遊覧船とかをアピールしたほうが良いのではないか。「地質の宝庫!」はちょっと遠回しすぎる。

8時半を超え、かなり空腹になってきた。朝食を食べていないからだ。本日の出発地である長門市駅の周辺は、コンビニなどもなかったため、朝食をとることができなかった。どこか乗り換え待ちの駅でバシッと朝食をとる必要がある。

地質の宝庫である須佐駅を超えると、列車は内陸部を走るようになった。

江崎駅-山口県萩市:山陰本線

山口県最北端の駅である。つまり山陰本線の山口県最後の駅だ。京都から山口県の幡生駅までの山陰線は在来線として日本最長であり、駅が161駅ある。そのうちの35駅が山口県の駅で27個が維持困難路線の中にある。山陰本線は161駅のうち半分の80駅が維持困難路線の中にあるので、山陰線だけに限定してもまだまだ先が長い。こんなにやったのにまったくもって序盤だ。やっぱりこのミッションは狂っている。あいつら狂ってんぞ。

江崎駅も古めかしい木造駅舎でとても味がある。きっと木造駅舎マニアにはたまらない感じだと思う。僕は僕でたぶんあのキップ回収ボックスが好きなんだと思う。あれは味があってとても良い。

飯浦駅-島根県益田市(無人駅):山陰線

島根県最西端の駅。ちなみに最東端の安来駅とは約200 km離れている。島根県の細長さが窺い知れる。2006年の映画「旅の贈りもの 0:00発」において架空の「風町駅」としてこの駅が登場する。海に面した小さな集落を望む高台に駅がある。

戸田小浜駅-島根県益田市(無人駅):山陰本線

ここまでずっと海の景色と山の景色が繰り返される地域を走っていた山陰線が、やっと開けた場所に出る。あまりアピールされていないと思うけど、この駅から内陸に入った場所に戸田柿本神社があり、そこに偉大なる歌人、柿本人麻呂生誕の地の碑がある。なぜそんなことを知っているかというと、もうずいぶんと昔の話になるのだけど、何かにとりつかれたかのように柿本人麻呂のおっかけをしていた時代があって、その時にその神社を訪れたことがあるからだ。

戸田小浜駅は益田駅の隣の駅といっても、その駅間が10 kmくらいある。徐々に商店や家々が増える市街地の街並みをゆっくりと益田駅に向けて進んでいく。

8:55 益田市(2回目)

2度目となる益田駅に到着して驚いたことがある。昨日、夕方に山口線からこの駅に到着したときに降りていった剛の者っぽい人が、今朝もこの駅のホームにいた。たぶん益田に宿泊したんだと思う。剛の者っぽい人もローカル線の乗り潰しをしているんだと思う。たぶんここからの経路も同じなんじゃないかな。向こうも、「おまえ、昨日もおったやん」という顔をしているけど、まさか君が益田に泊っている間に僕が長門市との往復を終えていたとは思うまい。

ここ益田でよい乗り換え時間があれば朝食でもと企んでいたのだけど、この先に進んでいく浜田行きは乗り換え時間2分でやってくるとのことだった。なかなか慌ただしい。さすがに2分ではなにもできない。

9本目 8:57 益田発 山陰本線 浜田行き

2両編成

乗客4人

益田市と浜田市を結ぶ路線なのでもう少し乗客が多いかと思ったら2両編成に4人だけだった。おそらく通学の時間から外れているためだと思う。もちろん、ここから浜田までを含む出雲市駅までの区間も維持困難路線だ。

山陰本線(益田~出雲市)営業係数446

益田駅より東のこの区間は鳥取市へと向かう「まつかぜ」米子市へと向かう「スーパーおき」などの特急が設定されているため、これまでの山陰本線に比べて便利になる印象だ。営業係数そのほかの区間に比べると小さい。しかしながら赤字額は発表された維持困難路線のなかで最大で34.5億円にもなる。出雲市からは岡山方面へと向かう伯備線の特急なども乗り入れ大幅に本数が増えることを考えると、かなり冷遇されているともいえる。また出雲市まで乗り継ぎなしで行く列車は4本しか設定されておらず、特急料金を払って特急に乗らない限り、かなりの不便を感じることになる。

益田駅をでた列車は市街地を抜けていく。途中、イオンの看板が見えたりして、うおー、昨日あっち側に行けばさまようことなくご飯にありつけたな、などと後悔した。そのまま次の石見津田駅へと到着した。

石見津田駅-島根県益田市(無人駅):山陰線

益田駅は比較的に海から離れた内陸部にあった。そこに行くために大きく迂回していた山陰線がまた海岸線へと戻ってくる。その戻った地点に石見津田駅がある。海沿いを走る国道も益田市からは国道9号線となる。白い壁が眩しい駅舎が特徴的な駅だ。益田からの区間はシーナが担当。

益田の市街地はさすがに新しい家が多く、そもそも瓦屋根ではないことが多いので屋根の色が統一されていない。けれども市街地を外れて小さな海沿いの集落になり始めると面白いように赤瓦の屋根で統一されていく。

かと思ったら、ぜんぜん統一されていない地区もあったりする。

山側の家々はほとんど統一感のない屋根だ。この差はなんなんだろうと思うのだけど、海沿いほど統一されている傾向がある気がする。古くから存在する海近くの集落で石州瓦が使われ、内陸になるほど新しい家になるので屋根が統一されていないのかもしれない。もしくは、石州瓦は塩害にも強いという特徴があるため、海に近いほど必要とされているのかもしれない。

鎌手駅-島根県益田市(無人駅):山陰本線

鎌手の駅から山を一つ越えた先にある岩肌の海岸に「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」と呼ばれる場所がある。波によって浸食された火山性の岩々がまるで大蛇がうねっているように見えるからだ。その横には唐音水仙公園があり、季節になると大漁の水仙が日本海の白波と岩々を彩るようにして咲き乱れるらしい。なぜそんなことを知っているかというと、この駅で降りていった貴重な乗客2人が、これからそこに歩いていくと話しながら降りていったからだ。ちなみにその人の話によると、荒磯を眺めながら入浴できる荒磯温泉がおすすめとのこと。

さすがに位置的に厳しいので「唐音の蛇岩」を見ることはできなかったけど、荒磯温泉は見ることができた。画像中央にある建物が荒磯温泉だ。もうちょっと拡大して見てみよう。

本当に間近で荒い磯を眺めながら入浴できそう位置にある。これはいつか入浴しに行きたい。

次の岡見駅の手前ぐらいの場所に、入り組んだ砂浜があり、そこにサーファーがいた。おそらく、地形の関係でこの砂浜に大きな波が来るのだろう。まったくサーフィンを知らない僕ですら「いい波がきてるぜ」と言いたくなるほどのいい波がきていた。

岡見駅-島根県浜田市:山陰本線

近くに巨大な発電所がある。中国電力三隅発電所(火力発電所)だ。一般の旅客駅だけでなくかつては貨物駅も備えていた。貨物駅を利用して当駅と美祢駅との間で炭酸カルシウムやフライアッシュの輸送を行っていた。

やはり岡見駅周辺の特徴は三隅発電所だろう。サーファーがとか磯を眺める温泉がと自然豊かな風景を楽しんでいたら突如として巨大な発電所が出てくるので本当にビックリする。急に工業的な景色になる。気分的にはミッドガルで新羅カンパニーの魔晄炉を見上げたときの心情に近いものを感じる。

今は使われていないっぽいけど、岡見駅から枝分かれする専用の支線があり、それが発電所のほうに伸びていた。この発電所で生じた石炭灰が専用線を通じて岡見駅、美祢駅を経由し、最終的に宇部興産セメント工場に運ばれて再利用されていたらしい(現在は廃止)。どこにでも顔を出してくるな、宇部興産。

海を離れ、内陸を走っていても発電所のでかい煙突がずっと見えている。

三保三隅駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

三隅発電所は、三隅の名前がついているが三隅の町から外れた場所に立っている。よって発電所の最寄り駅は三隅の名前が入った三保三隅駅より、1つ前の岡見駅となる。駅名に三が重なっていてややこしいのだけど、どうやら三隅町の中に三保という地区があって、それを合わせた地名らしい。駅名は三保三隅だけど、郵便局は三隅三保郵便局だったりとまあまあややこしい。

折居駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

海が近い駅。真新しく塗り替えられた駅舎を抜けると、本当に目の前が海で他に何もない。近くに折居海水浴場がある。山側を並行して走る国道9号線には「ゆうひライン」という名称がつけられており、三隅町の道の駅は「ゆうひパーク三隅」この先にある浜田市の道の駅は「ゆうひパーク浜田」、三隅町と浜田市の区間でかなり夕日を推している印象だ。

周布駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

この周布駅周辺より民家が増えてきて、大きな商業施設も見えるようになって、浜田市の市街地へと入っていく。駅の周辺は特に何もないし、利用客はいなかったけど、駅には自転車を停めるスペースがけっこうあったので、普段はここから浜田市中心への通学需要があるんだと思う。

西浜田駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

浜田の市街地へと入っていく海沿いにある駅。小さな木造の駅舎が特徴。駅から少し行くと海を隔てて福井埠頭やセメント工場を眺めることができる。

海沿いの道路の先に大きな船と工場群が見えてきた。浜田市は港湾都市なので立派な港を有している。いよいよ浜田市が近い。

9:46 浜田駅-島根県浜田市:山陰本線

運賃:2,310円

浜田市の代表駅であり中心駅。全ての列車が停車し通過する列車はない。現在の駅舎は2009年に改築され3代目。駅前からは広島行きの高速バスが発着している。駅の北口には浜田医療センターがあり駅と直結しているほか、駅舎の1階にはセブンイレブンが入っている。

まずは次の列車をチェックしなければならない。それが最優先だ。時刻表を見る。赤で囲われている列車が特急列車だ。現在は9時46分なので次の列車は11時5分発の特急のようだ。特急に乗ってはいけないというルールはないのでもちろん乗るのだけど、そうなると停車しない途中駅の様子がなかなか分からないという点だけが心配だ。まあ、それでもここまでずっと普通列車に乗ってきて脳がとろけそうになっているので、ここは何があろうと絶対に特急に乗る。

次の特急までは1時間半ほどの待ち時間だ。完全に朝飯チャンスだ。

浜田駅の駅前は綺麗に整備されていてホテルや店が立ち並んでいる。益田市で僕の窮地を救った目利きの銀次の看板も見える。これなら食事はなんとかなりそうだ。さっそうと歩き出す。

歩きだしてすぐに良さそうなラーメン屋を見つけた。

「ラーメンもいいな」

近寄ってみるも、残念ながら時間が早すぎて準備中だった。まあ、この調子ならまだまだ食事をするところはあるよ。

ごはん処があった。ディスプレイされているオムライスがめちゃくちゃ美味しそう。

「オムライスもいいな」

喜び勇んで近づいてみる。

さらに真っすぐ進んでいく。

大阪王将だ!

チェーン店だから少しくらい朝が早くても開店している可能性が高い。それにドアが開いていて完全に営業している雰囲気だ。営業しているオーラが出ている。

「餃子もいいな……」

急いで店内に駆け込む。

だめだ。どこもお昼が近くになるまで開店しないようだ。これ以上、駅から離れるのも嫌な感じがするので結局、近くのコンビニで弁当を購入して食べることになってしまった。

コンビニ弁当は別に嫌いではないのだけど、こういった長い乗り換え待ちの時にはなるべく避けたいものだ。鉄道をメインにミッションめいた移動をしていると、食事をしたいのに乗り換え待ちが20分しかない、そういった場面が多発する。終着駅についたら夜が遅すぎてコンビニしか開いていない。始発が早すぎてコンビニしか開いていない。そんな場面が多発する。そうなるとコンビニ弁当を食べるしかなく、3日目くらいから飽きてくる。見るのも嫌になってくる。だからなるべく長い待ち時間の時はコンビニ弁当以外を食べたい。けれどもその希望は叶わなかった。

1時間半の待ち時間は、どこかの店に入ってゆっくりと食事をして、適当に食後の散歩をしながらフラフラと駅に戻るにはベストな待ち時間だが、コンビニで買った弁当をかっこんで駅に戻るには持て余してしまう時間だ。あまりに時間が空いたので、駅前の散髪屋で髪を切ってやろうかと思ったけど、冷静に考えたら乗り換え待ちの間に髪を切る理由がなに一つ説明できないのでやめておいた。

駅にあった特殊詐欺被害を防ぐ注意喚起のポスター。「騙されるな、正気に戻れ!!」のコピーが良い。こんな怖そうないでたちの人に言われたら正気に戻ってしまう。

ちなみにこの怖そうな人は石見神楽に登場する鍾馗(しょうき)だ。疫病を退治するお話なので、どちらかと言えば特殊詐欺より新型コロナ対策とかのほうが適材適所だ。

浜田駅はみどりの窓口が廃止され、みどりの券売機プラスが導入されている。浜田駅に駅員さんはいるけれども切符の販売には関与しない。本来は改札の横に見える窓口で切符を販売していたけど今はみどりの券売機プラスに集約されている。JR西日本ではこのように有人のみどりの窓口を廃止し、みどりの券売機プラスへと置き換える動きが急速に進んでいる。2030年ごろまでにはJR西日本管内の有人みどりの窓口を30ぐらいまで減らすつもりのようだ。

ちょっとでも操作に手間取ったり、複雑な切符を買おうとするとこのようにすぐに行列ができてしまう。操作が分からない時はオペレーターに繋がり、会話をしながら切符を購入できるのだけど、大型連休などの混雑時は「オペレーターに繋がるまで20分待ち」とか平気で出てくる。そうなると目的の列車に乗れない事態もでてくるので、なるべく早い段階で切符を購入しておく必要がある。

 

ホームに出て特急を待つ。それにしても昨日の大雨が嘘かと思うほどに快晴だ。基本的に曇り空が多い山陰地方でこの快晴はかなりのラッキーだ。

10本目 11:05 浜田発 特急スーパーおき 米子行き

やってきた特急列車の自由席は混んでいた。満席とまではいわないけどほぼ座席は埋まっていて、相席を嫌った数人がデッキに立っている状態だった。僕は運よく座席に座ることができたのだけど身動きが取れないでいた。前の座席の人が「椅子倒していいですか?」ときいてきたので「いいですよ」と答えたら、尋常じゃないレベルまで椅子を倒してきたからだ。このまま寝るの? ベッド? というレベルで倒してきた。っていうか、この椅子、そこまで倒れるんだ。

僕の長い人生においてもここまで前の人に座席を倒されたことがないというレベルで倒されあまり身動きができなくなっていた。降りる予定の宍道駅までこの状態だったらかなり苦しい。

下府駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

特急に飛ばされる駅。あまりの速さで飛ばされるし、前の座席が完全に僕をロックしているし、反対側だしで、駅の様子をみることはできなかった。かつてはこの駅からは幻の路線と呼ばれる今福線が建設されていた。広島の可部線まで繋がる陰陽連絡線だ。下府から石見今福まで着工され、かなり完成に近づいたが、戦争のために中止となったそうだ。いまでもその遺構が随所に残っているらしく、山中に奥深く入った場所には今福線の橋脚群を眺める展望台もあるらしい。

久代駅-島根県浜田市(無人駅):山陰本線

特急に飛ばされる駅。あまりの速さで飛ばされるし、前の座席が完全に僕をロックしているし、スマホで競馬中継を見始めて動く様子もないし、駅舎は座席の反対側だしで、駅の様子を見ることができなかった。この駅を通過しているであろう瞬間は僕の座席からは草しか見えなかった。

こんな感じ。

波子駅-島根県江津市(無人駅):山陰本線

特急の停車駅。もともとは小さな駅で無人駅となっていたが、2000年にしまね海洋館アクアスが開業したことに伴い、最寄り駅となったことから綺麗に改装され簡易委託駅員が置かれ、特急停車駅となった。2022年には再度、無人化されている。

僕も何度か行ったことがあるけど、しまね海洋館アクアスはおすすめの水族館だ。シロイルカのバブルリングショーは是非とも見て欲しい。ただし、一度だけ最寄り駅だといってこの波子駅で降りて歩いて向かったけど、けっこうな距離があったので歩いていく場合は注意した方が良い。

波子駅から遠くに波をモチーフにしたアームが見える。あれがアクアス前にある橋を支えるアームなので、あそこまで歩いていく必要がある。けっこう遠い。ヒーヒー言いながら歩いた記憶があるもの。

敬川駅-島根県江津市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。あまりの速さで飛ばされるし、前の座席が完全に僕をロックしているし、スマホで競馬中継を見始めて動く様子もないし、何か飲み始めたし、だんだん腹が立ってきたしで、駅の様子がちょっと分からなかったけど、江津の市街地が近くなってきて民家の数が増えてきたような印象を受けた。というか、そろそろちょっと座席を戻してもらいませんかと言いたいのだけど、なかなかタイミングが掴めない。

都野津駅-島根県江津市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。席が倒れてきすぎ。この駅の横には大きな工場がある。これは極東興和の工場で、PC(プレストレスコンクリート)マクラギを製造している。線路に使うためのマクラギなので、製品はそのまま都野津駅から工場のほうに伸びる線路をつかって保線用の貨車で運ばれていく。

都野津駅周辺には北緯35度の最西端の地という看板がある。日本を通る北緯35度線のもっとも西に当たるのがここで、ここから広島県と伸びていき静岡県まで35度線が続く。いったん海に出て、千葉県の房総半島にかかるところまで延々と続く線だ。

例えば、この35度最西端からどれだけ正確に35度線を移動していけるか、みたいなことをやると面白いのかもしれない。けっこういけるんじゃないか。うそ、いまのウソ。そういうの書くと本当に良くないのでウソ。いまのウソ。

江津駅-島根県江津市:山陰本線

特急停車駅。開業時は「石見江津駅」の名称だった。これは北陸本線の郷津駅が同じ読みだったためだ。1970年に郷津駅が廃止になったことで邪魔者はいなくなったと江津駅に改称した。かつてはここから三次まで続く三江線が走っていたが2018年に廃線となった。

懸命な読者の方ならご存じだろうけど、僕はこの記事(三江線徒歩の記事、廃線後の三江線を125kmくらい歩いて制覇する狂気の沙汰みたいな記事(https://travel.spot-app.jp/sankosen_again/)の時にこの駅を訪れている。だから黄色新駅なのだ。

そういや、あの地獄の様に三江線を歩いていたのはいつだっけ、ずいぶんと遠い昔のような気がする、となった時も駅メモ!があれば安心だ。

駅メモ!ではこのように過去にアクセスした駅の記録が残っている。これによると2018年のゴールデンウィーク、まさしくちょうど4年前に三江線を死ぬほど歩いたというわけだ。廃線を歩いた4年後に維持困難路線を全部取るなんてやっているのだから、全く成長していないことが伺える。とにかく、駅メモ!は過去の移動履歴を調べるときも絶大な効力を発揮するアプリなのだ。

かつてはあの駅名標の向こう側に三江線の車両がきていた。見た感じでは駅周辺は4年前とあまり変わっていないようにも見える。

廃線後に歩いたときに何度も見た「立入禁止」の看板も健在だ。本当に4年前に歩いた時から時間が止まっているのかもしれない。また歩いてみるか? うそうそ、いまのウソ。ぜったいウソ。

江津本町-島根県江津市(廃駅):三江線(廃線)

このように駅メモ!ではもう廃線になってしまった路線のいくつかも対象駅になっている。もちろん三江線もその対象駅で、ここから三次駅までかつてあった三江線の駅をすべて取ることができる。もうここに鉄道はないのでこの三江線を駅メモ!で取ることはかなり難易度が高く、多くのユーザーが苦慮している。どうせならみんな徒歩で取ればいいのに。

浅利駅-島根県江津市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。駅の周辺にいくつかの工場が見えたが、あまりの速さで通過するのでどんな工場なのかわからなかった。ついに意を決して前の席の人に「すいません」と話しかけた。椅子を倒してもいいと言ったけどさすがにそこまでは想定していなかったのでちょっと戻してほしい、と言いたかったのだ。ただ聞こえてなかったようで反応はなかった。もしかしたらイヤホンで競馬中継を聞いているのかもしれない。

この駅を通過したあたりであることに気が付いた。

「3人おるな」

なにが3人かというと、同業者が3人いるのだ。その気配をビンビンに感じる。

駅メモ!では、チェックインをして最寄りの駅にアクセスすると、駅とリンクすることができる。その時にすでにリンクしている他ユーザーの“でんこ”とのバトルになり、相手の“でんこ”のHPを0にするとその駅とリンクすることができる。リンクしている時間が長いほどポイントと経験値が入るのでみんな少しでも長くリンクしたいし、奪ってでもリンクして駅を保持したい。いかにして取るか、いかにして奪うか、みたいな駆け引きになってくる。

もちろん、あまり人が訪れることがない駅を保持している場合はあまり攻撃されないし、多くの人がアクセスする巨大ターミナルではすぐに攻撃される。ただ、こういった地方の路線で、数少ない本数の列車に乗っていると、同じ列車に乗っている同業者の駅メモ!ユーザーの存在に気が付くのだ。

こちらが駅にアクセスしてリンクしたとしても、ものの数秒で取り返されてしまう。逆にこちらが取った場合も、相手も数秒しか保持していなかったという結果が見える。取りつ取られつを繰り返すうちに相手の名前を憶えてしまい、絶対に同じ列車だわと気づいてしまう。逆に今度はそこでも駆け引きが発生して、すぐに取っても数秒で取り返されちゃうからここはあえてタイミングをずらして駅を通過した後にアクセスして、うわー待機しすぎて取り逃した、みたいな感じになってくる。

とにかく、この特急内には3人の同業者がおり、僕を含めて4人の駅メモ!ユーザーが熾烈に駅を取り合っている。

黒松駅-島根県江津市(無人駅):山陰本線

特急が通過する駅。黒松海水浴場が広がる海岸線に赤瓦の集落が並ぶ。その集落を望むように黒松駅が存在する。黒松海水浴場の沖合200mほどに秀具利(ヒデグリ、オシテグリ)と呼ばれる小さな岩礁がある。神聖な小島のようで、例大祭の前には2本の木が植えられて門のようになる。本当に小さな岩礁なので波が高い日は砂浜から見えない。この日も見えなかった。

石見福光駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。このあたりは砂浜がある場所に狙って駅を設置したかのように駅と砂浜がセットになっている。この駅の目の前にもしっかりと福光海水浴場がある。よくよく考えると駅と砂浜がセットになっているのは当たり前で、この周辺では隆起した山の隙間が入り組んだ入り江になっており、そこに砂浜が形成されている。そこは低地となるので自然と集落が形成され、人が住んでいるから駅が設置されることになる。

温泉津駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。温泉津と書いて「ゆのつ」と読む。このネーミングで温泉がないことなど絶対に許されないが、しっかりと温泉津温泉という期待を裏切らない名前の温泉街が存在する。その温泉街への入口となる駅だ。温泉津温泉は世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されている。

個人的にこの温泉津温泉は思い出深い。だから前の座席にロックされて身動きできないながらも、爆速で通過する列車にも負けず、なんとか駅の撮影を試みた。

ほーら、頑張った。

あれはミレニアムが世間を騒がせた2000年のことだった。温泉津は現在では大田市と合併して大田市の一部となっているが、当時は温泉津町という町だった。人口4000人ほどの小さな温泉町だ。その小さな町の若者有志が当時、人気絶頂だったモーニング娘。を温泉津に呼ぼうと決起し、本当に実現させてしまったのだ。人口4000人の町の野外ライブに1万人以上の人が訪れた。

当時大学生だった僕は、どうしてもこれに参加したく、あまり仲良くなかった同じ学科のモーニング娘。好き誘って広島から車で向かった。今でも覚えている。行きはぎこちなかった車内が、帰りにはとても盛り上がったことを。そんな新しい友情と、熱気をくれた場所がこの温泉津だ。すごい速さで通過していく駅のホームを眺めながらそんなことを思い出した。

湯里駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。以前はかなりレトロな木造の駅舎があり、木造駅舎好きからも高い評価を得ていたが、現在は取り壊され、簡易的な待合室とトイレを備える駅舎が建てられている。湯の里という名前で付近に温泉がないなんて許されないと思って、いつもこのパターンで行くとしっかりと温泉があるのだけど、ここ湯里に限ってはこんな名前なのに本当に付近に温泉がない。

馬路駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。またもや砂浜と駅がセットになった場所だ。ここ馬路駅の目の前に広がるのは鳴き砂で有名な琴ヶ浜海水浴場だ。漫画「砂時計」の舞台でもある。また、石見銀山の銀を船で運んでいた鞆ヶ浦港も周囲にある。鞆ヶ浦港は世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産のひとつになっている。

この琴ヶ浜は僕も行ったことがある。国道からアクセスすると、ちょうどいま通過している山陰本線の下を潜るトンネルがあって、それを抜けると白い砂浜がパーッと広がって感動する場所だ。鳴き砂自体はその日のコンディションにもよるけど、けっこう小刻みな感じで素早く踏むとキュッキュッと鳴る。

身動きできないながらも頑張って撮影したよ。

仁万駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。ギネスにも登録されている一年砂時計で有名な砂の博物館、仁摩サンドミュージアムの最寄り駅。世界遺産「石見銀山」の最寄り駅でもあるけど、10キロほど離れているので駅からバスの利用が必要。

五十猛駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。五十猛駅付近は延々と海岸線に砂浜が続く。海水浴場の宝庫だ。五十猛という地名はスサノオの子である五十猛神(イソタケル)にちなんでいる。五十猛がこの地に上陸したという伝説が伝わることから地名となり、駅名となった。

静間駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急が停車する太田市駅のひとつ前の駅だ。もし、前の座席に座る常軌を逸した角度で座席を倒す人が大田市駅で降りるなら、そろそろ降りる準備をしなければならないタイミングだ。なんだか荷物をゴソゴソしだしたのでもしかして降りるのかと淡い期待を持ったのだけど、単にカバンからモバイルバッテリーを取り出しただけだった。引き続き降りる気配がない。

大田市駅-島根県大田市:山陰本線

特急停車駅。大田市の代表駅で、市街地の北端に位置する。世界遺産である石見銀山と大山隠岐国立公園である三瓶山にアクセスできる駅として「世界遺産・国立公園のまち」としてPRしている。石見銀山への距離的な最寄り駅は仁万駅だが、大田市駅からのほうがバスの本数が多く便利が良い。駅自体も世界遺産登録と同時に観光案内所を設置するなど、我こそが世界遺産の最寄り駅という自負がある。

大田市までくるといよいよ出雲市が近い。

久手駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。久手港を望む少し大きめの集落がある。昔ながらの漁港といった雰囲気を受ける街並みに細い路地、それを抜けた先に海が見える。そんな、体験したことないのに体験したことあるような港町の雰囲気がある。駅から見て海の反対側には山陰地方で唯一の自転車競技場である大田自転車競技場がある。

波根駅-島根県大田市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。大田市最北の駅。周囲には「波根西の珪化木(波根とついているが久手駅の方が近い)」や切り立った棒状の岩である「掛戸松島」など海岸線に見所が多い。もちろん、駅のすぐ近くに海水浴場もある。漫画「砂時計」のドラマ版であるTBS「愛の劇場・砂時計」のロケ地として使用された。ただし、作中では「江田」という名称で登場する。

田儀駅-島根県出雲市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。国道を挟んですぐの場所が海であるが、これまでの駅と異なり、その海は砂浜ではなく岩場に近い。周囲に民家は少なく、山と海に挟まれた隙間に駅が存在する。そのため、2016年には駅裏手のがけが崩れ、1番線に土砂が流入し使用不能となった。

ついに出雲市入りした、出雲市まで行けば山口から続いていた山陰本線の長い長い維持困難区間がいったん終わる。あと、たぶん前の座席のヤツも出雲市で降りてくれると思う。きっとそうだと思う。そうであって欲しい。さすがにそろそろ苦しい。

小田駅-島根県出雲市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。この小田駅周辺は合併によって出雲市となっているが、その前は多伎町という町だった。僕の記憶が確かならば“いちじく”が特産品だったはずだ。多伎のいちじくは美味いよ。本来はその町名から「多伎駅」としたかったが、隣の「田儀駅」とややこしいということで小田地区からとって小田駅としたようだ。ただし、それでも4つ前の「大田市駅(おおだしえき)」とこれまた似ているために稀に間違う人がいるらしい。田儀駅から小田駅までの区間は列車撮影の名スポットとして一部で有名らしい。

次の江南駅の手前あたりから、出雲大社近くの砂浜が遠くに見えてくる。

おそらくではあるけれども、うっすらと弁天島のような小島が見えるので、赤で囲ったあたりが「稲佐の浜」になるのだと思う。そこから1キロほど内陸に入ったところが出雲大社だ。

稲佐の浜で採取した砂を出雲大社に持っていき、本殿の後ろにある素鵞社(そがのやしろ)にもっていくと清めの砂と交換できる。この清めの砂を家の四隅に置いておくと厄除けになると言われている。出雲大社参拝の際には是非とも手に入れておきたい。

この稲佐の浜は出雲大社を語る上で重要な浜だと言われている。出雲大社の本殿は他の神社と同じく南向きに造られている。ただし、本殿の周りをまわってみるとわかるけれど、本殿の西側に小さな拝礼所が設けられている。これは、本殿は南向きだけど、その中にある御神座が西を向いていると言われており、その正面にくるように小さな拝礼所が設けられている。その御神座が向く西側の先には稲佐の浜があり、そこから大国主大神や八百万の神々がやってくるから、そちらを向いているという説がある(他にもさまざまな説があります)。

まあ、とにかく、稲佐の浜らしきものが見られて良かった。

江南駅-島根県出雲市(無人駅):山陰本線

江南駅が近づくと、出雲平野へと入ったのか景色がパッと開ける。出雲平野は山陰地方でも最大級の広さを誇る平野だ。住所表示だけでなく、地形的にも出雲に入ったと実感できる。周囲には田畑が多く、近くに神西湖がある。神西湖は単位面積当たりのしじみの収穫量が全国の湖沼中1位である。名前どおり出雲大社から見て西にある。出雲に来るとだいたいのことが出雲大社中心になることがよくわかる湖だ。

出雲神西駅-島根県出雲市(無人駅):山陰本線

特急通過駅。島根県内のJR駅としてはもっとも後にできた駅(昭和57年開業)。開業当時は「神西駅」の名称だったが、出雲市駅から出雲大社近くの大社駅を結ぶ大社線が廃線になったことから、出雲大社の名前を関するJR駅がなくなるという懸念から出雲市と大社町(現在は出雲市と合併)の要望をうけて「出雲大社口駅」と名前を改めた。しかしながら、大社口とは言うもの出雲大社への交通アクセスが乏しく、私鉄の一畑電鉄を利用したほうが出雲大社へのアクセスが安くて便利という理由から、大社口を名乗るなという観光客の苦情を受けて現在の名前に改められた。

西出雲駅-島根県出雲市(無人駅):山陰本線

山陰線においてはこの駅より東側で電化されている。ただし、この駅に停車する列車の多くは気動車となっている。周囲にはホテルなどが立ち並ひ、都市的な風景が形成されている。駅から少し出雲神西駅側に行った場所に車両基地である(後藤総合車両所 出雲支所)があり、回送状態のサンライズ出雲の車両を見られるなどファンにとって穴場的な存在になっている。

風景がどんどん都会的になってきた。完全に出雲市駅が近い。それにしても本当に山陰本線は長かった。

出雲市駅—島根県出雲市:山陰本線

 

山陰本線の主要な列車が発着する駅。定期運行の寝台特急が発着する日本最西端の駅(サンラインズ出雲)。一畑電車北松江線の電鉄出雲市駅も隣接する。岡山方面からやってくる伯備線特急の終着駅となっている。出雲市の中心部に位置する駅であるため、もともとは出雲市の隣であった大社町(現在は出雲市に合併)にある出雲大社は遠い。この駅から一畑電車に乗り換え出雲大社駅へ向かう方が便利。

山口の幡生から延々と続いた山陰本線、そして小串から延々と続いた維持困難路線がここで一区切りとなる。ここからは松江市や鳥取県の米子市などへと向かう路線で、伯備線特急などが多く運行されており、利用者も多い。ただし、また鳥取駅以降の山陰本線が維持困難路線となるため、どこかでそこを取りに行く必要がある。

ちなみに、あれだけ期待したのに前の席のヤツは出雲市駅では降りなかった。微動だにしなかった。結果、次に僕が降りる宍道駅までこのままロックされることが決まった。思えば浜田市から出雲市まで延々、100kmほど前の座席にロックされた状態だった。

出雲市駅をでた特急列車は出雲平野をひた走っていく。ほどなくして次の特急停車駅である宍道駅に到着した。ここで降りなくてはならない。なんとか座席からも脱出できた。

12:45宍道駅-島根県松江市:山陰本線、木次線

運賃:3,810円(自由席特急券1,200円を含む)

特急停車駅。宍道湖の端からほど近い場所に位置する駅だ。周囲には出雲縁結び空港もあるが、この駅から移動しようと思うと車で15分ほどかかってしまう。空港へは松江駅や出雲市駅からの空港連絡バスを利用したほうが良い。山陰本線に所属する駅だが、島根県内を南下し、備後落合駅へと至る木次線の起点駅でもある。ちなみにこの駅からはレーノが案内する。僕のいちばんお気に入りの“でんこ”だ。夜になると強くなるというスキルがなんか妖艶でかっこいいから気に入っている。

木次線へと乗り換えるために宍道駅で下車した。ちなみに完全に行き当たりばったりなので乗り換え時間は調べていない。綿密に調べていたって旅程が大崩壊したら水泡に帰すので調べることをやめた。

山中へと入っていくローカル線はかなり本数が少ないことが予想される。ちょっと怖い気持ちを感じながらもおそるおそる時刻表をチェックした。

お、おもったより本数がある、だいたい2時間に1本くらいあるじゃんと思った人は甘い。まだローカル線のことが分かっていない。この一見するとそこそこにありそうなダイヤだけどよくよく見ると途中の「木次」や「出雲横田」で打ち切りになる列車ばかりだ。終点の「備後落合」までいく列車は11時19分と14時ちょうどのみ。一日に2本だ。めちゃくちゃ難易度が高い。

現在は12時45分なので、1本目は行ってしまったけどなんとか2本目には間に合う。しかも待ち時間が1時間15分ほどある。朝飯チャンスだ。ここまで伸ばしに伸ばされてきたけどついにゆっくりと食事をとる時間ができそうだ。ただ、駅前にそういった飲食店があるかどうか、そこが問題だ。

宍道駅の駅舎は小綺麗で新しい感じだった。駅の中にもたくさん表示があったんだけど、あの高級な周遊型寝台列車であるトワイライトエクスプレス瑞風の停車駅になっているらしく、たぶんそれに合わせて改修している。駅の周辺は決して栄えているというわけではないが、多くの家があり、いくつかの商店や定食屋が営業しているのも確認できた。とりあえず食事の心配はなさそうだ。

駅からまっすぐ伸びる道路を進んで街並みを眺める。和風の建物が多く、なんとも落ち着く佇まいだ。幹線道路からも外れているので交通量も少なく、本当に静かな昼下がりの雰囲気を楽しむことができる。

さらに先に進んでいくと、道路が突き当たり、その先が開けている雰囲気の場所に行き当たった。もしかしてあの感じは宍道湖ではないだろうか。もしそうなら駅から徒歩5分くらいで宍道湖だ。近い。

宍道湖だった。

でかい。山陰出身の僕は幼いころから何度となくこの宍道湖を見ているのだけど、こんなに大きかったっけ、と思うほどに大きい。そしてこんなに濁ってたっけってほどに濁っている。東西17 km、南北6 km、周囲が47 kmあるらしい。完全なる湖ではなく、中海を介して海と接続している。そのため湖の水は淡水ではなく汽水であり、おおよそ海水の1/10くらいの塩分濃度を持っている。宍道湖および中海は日本では珍しい連結汽水湖となっている。

さて、宍道湖も見たし食事だ、と思ったら、宍道湖が見えた場所から近い場所に雰囲気の良さそうな店があった。

くじら軒というお店らしい。昼時ということもあるのだろうけど、とても人気があるみたいで店内は満員、店の外にも2,3人が並んでいた。まだまだ時間があるし、ちょっとくらい行列に並んでも大丈夫だろうとこの店で食べることにした。

週替わりランチ 720円

唐揚げやひとくちカツなどの揚げ物が人気のお店のようだ。店内は若い人のグループや家族連れが多い。週替わりランチを頼んだら人気のひとくちカツの入ったプレートだった。カツにかかるタレが濃厚であり、カツは柔らかく味わい深い。衣も柔らかく仕上げているのですぐに口の中でタレと混ざり合う。スープは深い味わいながらサッパリめになっており、カツで満たされた口内の濃厚な味わいをリセットしてくれる。自家製と思われるプリンも甘さが控えめで美味しい。

とにかく美味しいのだけど、僕が座った席の真横にはカメが入っている水槽があって、そのカメがずっと溺れているみたいに泳いでいたので集中できなかった。

さて、腹も満たされたし、時間もちょうど良い頃合いだ。駅へと舞い戻って木次線を進んでいかなくてはならない。

駅にはトワイライトエクスプレス瑞風の次の停車日がいつになるかという看板が掲げられていた。宍道駅の瑞風停車に賭ける意気込みみたいなものを感じる。この感じからすると瑞風はそんなにしょっちゅうやってくるというわけではなく、だいたい月に1回くらいの頻度で来るんじゃないだろうか。

駅舎内には瑞風のちぎり絵みたいなものまで掲げられている。完全に熱狂状態だ。

さきほどは座席ロックから解放された喜びで興奮気味だったので気づかなかったけれども、この駅には2つの改札がある。ICカード機の奥側にあるのが一般の改札で、その手前がトワイライトエクスプレス瑞風の乗客専用の改札だ。なぜ改札を分ける必要があるのかは分からない。それも月に1度くらい来るかもみたいな列車用に作る必要があるのかもわからない。ともかく高級寝台列車に乗らなかった我々はここまで差別されなければならないのである。

駅舎内の待合所みたいな場所には3人くらいの人がいた。いずれも山陰線の列車がやってきても微動だにしないのでおそらく木次線を待っているのだろう。ただ、その雰囲気から、普段から生活の足として木次線を使っているわけではなく、どこか遠くからローカル線に乗りに来たぞという感じだった。まあ、早い話が同業者もしくは剛の者みたいなものだ。

跨線橋を渡り、木次線の車両がやってくるホームに向かう。

木次線でいかこい! である。“いかこい”とはこのあたりの方言で、さあ行こうよみたいな意味合いだ。

木次線では「奥出雲おろち号」というトロッコ列車が走っている。後ろの車両がオープン状態でトロッコ風になっている列車だ。これに途中駅ででも出会えるといいのだけど、この列車は運行時期と運行日が限られているらしいのでかなりレアだ。おそらく出会えないと思う。

11本目 14:00 宍道発 備後落合行き

1両編成

乗客20名ほど

最初は車内に乗客が4人しかおらず、そのほとんどがローカル線を乗りに来たと思われる乗客だった。しばらく待つと、宍道駅にやってきた山陰線の車両からの乗り換えで20人くらいまで増えていった。通学需要もあるようで、早めの帰宅なのだろうか、何人かの高校生もいた。

さて、この木次線は宍道から終点の備後落合まで全線で維持困難路線に指定されている。宍道~出雲横田からの区間は営業係数が1323とべらぼうに高い。100円稼ぐのに1323円を必要としている路線だ。もうなにがなにやらわからない状態だ。

木次線(宍道~出雲横田)営業係数1323 輸送密度 277人/日

島根県松江市の宍道駅から広島県庄原市の備後落合駅までを繋ぐ路線。山陰と山陽を繋ぐ陰陽連絡路線として機能していた時代もあったが、現在ではその役割はほとんど失われている。2018年に三江線が廃止されたことにより、島根県と広島県を結ぶ唯一の路線となっている。1980年代初頭の「第2次特定地方交通線」に指定され、廃止対象となる予定であったが、沿線道路が未整備である(当時)として対象から除外され廃線を免れた。

列車が動き出して気が付いた。車内にいる1人の人間に目が留まる。たぶんだけど、ここまで制覇してきた維持困難路線のどこかで会っている。ちょっと詳細には思い出せないけどどこかの路線で会っている。おそらく彼も、休みを利用してこういったローカル線を乗り潰す旅をしているのか、もしくは彼もまたSPOT編集部の口車に乗せられて巡る羽目になっているのかもしれない。

南宍道駅-島根県松江市(無人駅):木次線

駅名通り、宍道駅から南に向かった場所に存在する。列車が走りだしてすぐにあれよあれよという間に山間の景色へと変わっていくので驚く。山間の集落の中心にある駅で、周囲にはいくつかの民家と田畑があるだけの場所だ。

平地の湖から険しい山へと移り変わりが激しい。

南宍道駅を出た列車はさらに山深い場所へと突き進んでいく。この木次線は中国山地越えのコースになるので、ここからはほとんどこういった状況になるのだと思う。午前中は海岸線づくし海づくしで、午後は山づくしだ。

加茂中-島根県雲南市:木次線

山越えが終わり、川沿いの開けた場所にでるとすぐに加茂中駅に到着する。周囲に民家も多く、大型のスーパーまで見える。生活に不便はなさそうな場所だ。周囲には大量の銅鐸が出土したことで話題となった弥生時代の遺跡、加茂岩倉遺跡があるが、駅からは遠く離れた山の中にあるのでこの駅から行くのはかなり苦しい。

木次線が宍道駅を出発して2駅ほどなのだけど、ここまでですでに気が付いた。

「おる」

なにがいるかというと同業者だ。同じ列車に乗って駅メモ!で駅を取る同業者がいる。

「それも4人くらい」

さっきから4人くらいが入り乱れて僕がリンクする駅に粉かけてきているので、たぶん同じ列車に乗っている。

ここまでの山陰本線では明らかに同じ列車に乗っている同業者がいても、複数車両だったし、座席の配置的に全乗客を見渡せないしで、まあ、他の車両にいるんだろう程度の感覚なのだけど、この車両では違う。なにせ、1両しか車両がないし、座席もロングシートのみなので全ての乗客を見渡すことができる。

「あの人が同業者だろうか」

「あ、チェックインしてきた、いまスマホ触っていたあの人かも」

「あの人もさっきから怪しい。同業者では?」

みたいな、ちょっとした人狼状態になる。僕がそう思うのだから他のユーザーもそう思っているわけで、こっちもなんか同業者だとバレてはいけない、といった心情になって心なしかこっそりとスマホを操作してチェックインするようになる。

幡屋駅-島根県雲南市(無人駅):木次線

もともとは木造の駅舎があったが、取り壊され現在ではかなりコンパクトな待合所がホームに設置されている。駅の北側に民家が密集しており、郵便局も見える。南側は線路と並行に川が流れている。この川は赤川といい、ちょうどこの駅周辺の流域は河津桜が有名。河津桜の見ごろは3月くらいなので、この時期は少し遅かった。

幡屋駅の待合所は本当にコンパクトと事前調査に出ていたので、どれほどコンパクトだろうと期待していたら本当にコンパクトだった。自転車置き場を流用して壁をつけたようなコンパクトさだ。あと、あの銀の回収ボックスがある。

ここからはそこまで密集していないものの、比較的に大きな集落が広がっているようで、次の駅まで赤川と並行して伸びる線路と共に集落を眺めながら進む。

出雲大東駅-島根県雲南市:木次線

2007年に島根県の5つの町と1つの村が合併し、新設された雲南市は島根県で9番目に成立した市でもっとも新しい。合併前の大東町の中心にあったのがこの出雲大東駅だ。駅前にはいくつかの商店があり、病院や公的機関の建物もある。

駅舎が大きく、そして新しい。どうやら雲南市の発足時期に合わせて2007年くらいに改築されたようだ。駅舎の大きさと綺麗さが分かるような写真を撮りたかったのだけど、列車と駅舎との距離があまりに近いのでうまく撮影できなかった。

木次線の各駅には、愛着を持ってもらえるようにと伝説にちなんだ愛称がつけられている。ここ出雲大東駅は看板にも掲示されているとおり、「神阿多津姫命(かむあたつひめのみこと)」だ。もしかしたらサクヤヒメという呼び方のほうが有名かもしれない。非常に美しい女神でサクラの花の名前にもなっている。だから看板のイラストに桜の花びらが描かれている。

利用者が多い駅のようで、車内の乗客の何名かが下車し、また何名かが乗車してきた。いずれも通学や買い物など日常使いをしている地元の人のようだ。この出雲大東駅は乗降客数が木次線内でもっとも多い。

南大東駅-島根県雲南市(無人駅):木次線

木次線内でもっともあとになって作られた駅。といっても昭和38年開業なのでそこそこに古い。旧大東町と旧木次町のちょうど中間の山間に位置する。周囲に民家も少ない。愛称は「佐世の髪飾り」。これは駅のある佐世地区の地名の由来となった伝説から。

木次駅-島根県雲南市:木次線

木の次と書いて「きすき」と読む。地味に難読な駅名だ。木次線という名称からもわかるように、この路線における中心的な駅だ。旧木次町の中心であり、合併後の雲南市の中心でもあるので、駅から少し離れるが旧木次町内に雲南市役所が置かれている。駅のすぐ近くには斐伊川が流れており、そこの桜並木が有名だが、残念ながら取材時は5月なのでとっくに終わっていた。

木次駅はギャルっぽい感じで「き♡」をPRしている。「き」に「ハート」で「きすき」とけっこう無理のある読ませ方をしてくる。上手く撮影できなかったけれども、この横断幕に描かれているイラストと同じ「き♡」の駅名板がある。なんでもバレンタインデーや七夕には特別バージョンになることもあるようだ。

ぜんぜん関係ないけど、むかしは、ネットにこの「ハート」のような機種依存文字を使うと烈火のごとく怒られたものだったけれども、現在はどうなのだろうか。これも烈火のごとく怒られるのだろうか。

ここでドッと乗客が降りた。地元の人っぽい日常使いの人はすべて降りてしまって、車内には4人程度の歴戦の猛者っぽい風格の者たちだけが残った。顔つきが違う。みんな何かの目的をもってこの木次線に乗りに来た者たちだ。たぶん全員、剛の者だろう。

日登駅-島根県雲南市:木次線

かなりレトロな雰囲気の木造駅舎が残っている。事前に集めた資料によると無人駅ではなく、駅舎内には建設会社の事務所が入っており、その事務所が切符を販売してくれるため簡易委託駅という扱いのようだ。

レトロな木造駅舎に、レトロな駅名標。もしかしたら開業時(昭和7年)そのままの駅名標なのかもしれない。

ここまでの木次線は、少しだけ山の中を走ることはあったけど、基本的にはある程度は開けた山間の集落を走っていた。ただ、ここからは本格的に山の中に入っていくようだ。ところどころけっこうな登り坂や危険な個所があるようで、徐行運転を行っていた。列車がうなりをあげて登っていく場面もあった。だから実際の距離に比べて次の駅まで時間がかかるようだ。

徐々に山深くなっていく。車内の剛の者たちは微動だにしない。どうやら景色を楽しむタイプでもなく、写真を楽しむタイプでもなく、ただただ乗ることだけに特化した剛の者たちばかりのようだ。本当に微動だにしない。車内にはなぜか重苦しい雰囲気が漂っており窒息しそうだった。

ぜんぜん関係ないけど、この文章を書きながら貼り付ける画像を整理していたら、この日の前半戦はサムネで見ると青ばかりなのにここから緑ばかりに変わっていて笑ってしまった。

下久野駅-島根県雲南市:木次線

駅舎は小さく、周囲に民家も多くはないので無人駅でもおかしくないのだけど、簡易委託駅という位置づけらしい。どうやらJRから委託された地元のグループが駅を管理しているようだ。駅構内で野菜を作っており、下車したお客さんに駅構内で作った新鮮野菜を収穫してもらい、無料で配るという取り組みをしていたため、2019年には「アットホームな駅」としてナニコレ珍百景で紹介され、賞金3万円を獲得している。

こういった取り組みが現在はどうなっているのかとても気になっていた。いまも駅構内で野菜を作っているのか、とても気になった。

ただ、僕の位置からはホーム上の小さな待合所しか見えず、どうなっているのかわからなかった。剛の者たちによって醸される重苦しい雰囲気によって身動きもできず、この写真も決死の思いで撮影したものだ。パシャパシャやっていたら一喝されそうな雰囲気があった。そうやってみるとこの写真にはなんだか鬼気迫るものがある。戦場で撮ったみたいな写真だ。

下久野駅を超えると木次線は大きくカーブして山越えルートに入る。全長2.2 kmの長いトンネル経て1つの山を越えるので、この駅間はほとんどが暗闇だった。

出雲八代駅-島根県奥出雲町:木次線

雲南市が終わり住所表示も奥出雲町となる。かなりレトロな木造駅舎がある。松本清張の長編推理小説を原作とする映画「砂の器」において出雲八代駅のホームが撮影に使われた。

出雲三成駅-島根県奥出雲町:木次線

木次線開業時は終着駅として開業している。駅舎は周囲の駅と比べると比較的に新しくモダンなデザインをしている駅舎で、中央から突き出したガラス状の塔が周囲の駅にはない近代的な雰囲気を醸し出している。

出雲三成駅では列車が行き違い待ちをしていたようで、ホームに滑り込むと同時に目の前に見慣れない青い列車が現れた。

あれはまさか!

思いがけず身を乗り出す。

トロッコ列車、奥出雲おろち号だーー!

会えないと諦めていたのにまさかこんな場所で会えるとは思わなかった。鮮烈な青いボディが眩しい。

後部車両がオープン状態のトロッコ列車になっている。これであのダイナミックな山道を走るのだ。乗っていた子どもたち、みんな笑顔だった。そりゃこんな臨場感のある列車、楽しいに決まってる。天気もいいし。

駅にはトロッコ列車を見に来た人がたくさんいた。普通の1両編成の列車であるこちらの列車を見ている人は誰一人いなかった。

なぜこんなにトロッコ列車に興奮しているかというと、このトロッコ列車は使用車両の老朽化のために2023年を最後に運行終了になることが決定しているからだ。気になる人は乗りにいかないと乗れなくなってしまうぞ。

トロッコ列車の興奮で忘れそうになるけど、この駅、やけに近代的すぎる。周囲の駅に比べてあまりに近代的すぎる。

近代的な駅を出発すると、すぐに景色は近代的でない自然豊かなものに切り替わる。川が細くなり流れが急になった。川石も大きく角ばっている。川が上流になってきた証拠で、それだけ山奥に入ってきたということだ。

亀嵩駅-島根県奥出雲町:木次線

木次線の山間部にある多くの駅は、無人駅でもおかしくないシチュエーションなのにそのほとんどが簡易委託駅となっている。ここ亀嵩駅も同様で、駅舎に入る蕎麦屋、扇屋そばが駅業務の委託を受けており簡易委託駅となっている。何とか工夫して駅を無人化させない気概みたいなものをこの区間の駅から感じる。この蕎麦屋は名物の奥出雲そばを販売しており、列車内でも食べられる蕎麦弁当も販売している。

駅舎内に蕎麦屋があるのは都会の駅では珍しくないけど、こんな場所でその形態に出会うとは思わなかった。おまけに駅業務を担っていて切符を売ってくれるらしい。蕎麦屋のノボリが見えるのでこの日も営業中のようだ。待ち時間や長い停車時間などあれば是非とも食べてみたかったのだけど、残念ながら列車はすぐに発車してしまった。ちなみに、「おかえりなさい!おろち号」という横断幕は、災害によって運休していたトロッコ列車が再開したことを祝うものだ。

水を張られた田んぼがなんともいえない美しさを放っていた。なんかいいな、こういう光景。

出雲横田駅-島根県奥出雲町:木次線

出雲大社を倣った駅舎が特徴。駅周辺は合併によってできた奥出雲町の前身である旧横田町の中心地であり、街並みを形成している。店舗や民家もある程度はある。近くに「そろばんと工芸の館」があり、伝統工芸品である雲州そろばんの製造過程を見学できる。そろばんの展示・販売、オーダーメイド製造もおこなっている。

維持困難路線の公表においても同じ木次線で出雲横田駅以前と以降に分けられていることからわかるように、ここでいったん区切りとなる駅のようだ。列車はこのまま終点の備後落合駅まで行くけど、この駅で16分ほど停車するらしい。ちょっとした区切りだ。

ということで、木次線 宍道~出雲横田クリア。

ここからは同じ木次線の維持困難路線(出雲横田~備後落合)へと入っていく。

出雲横田駅の駅舎の入口には大きなしめ縄がある。これは出雲大社を模したものだ。

暇なので時刻表を眺める。ここから木次や宍道に戻る列車に比べてここから先に行く列車は半分以下の本数だ。トロッコ列車を除くと3本。かなり難易度が上がる。

16分の停車が終わり、いよいよ動き出すようだ。ここからかなり過酷な区間に入るのでまた貸し切り列車になるレベルで乗客が減るかと思いきや、意外なことに車内は全ての座席がほどよく埋まる程度に乗客が増えていた。出雲横田駅でかなりの人が乗り込んできたようだ。その多くが観光客風の方々だった。

出雲横田駅の時点でかなりの山奥だったのに、列車はさらに山深い山奥へと進んでいった。いったいどんな場所に連れていかれるのか。

さて、ここから新たな維持困難路線に切り替わりである。

木次線 出雲横田~備後落合 営業係数6596 輸送密度37人/日

ついに輸送密度が二桁になってしまった。中国山地越えをするために30度を超える勾配があり、スイッチバック方式を採用している区間がある。またJR西日本内でもっとも標高が高い駅(727m)もあり、かなりの山越え路線ともいえる。この区間は1日に3本のダイヤ設定であり、こちらも鉄道のみでの通過難易度が高い路線とされている。朝8時を逃すと午後2時まで列車がなく、最終列車は16時と途方もない難易度だ。

木次線のここからの区間は営業係数6000越えの途方もない区間になるらしい。単純に100円稼ぐのに6000円以上を要する区間だ。すさまじい。ここまでの木次線の営業係数1300の実に5倍だ。途方もない。赤字という概念すらも突き抜ける“何か”みたいな区間だ。

八川駅-島根県奥出雲町:木次線

八川駅の駅舎が映画「砂の器」で亀嵩駅という設定で使われている。手元のデーターによると2011年あたりから1日あたりの平均乗車人数0が続くので、鉄道駅としてはほとんど使われていないのだろう。駅前の「八川そば」はかなり人気があり、おいしい出雲そばを楽しむことができる。ここからの区間は“りんご”がお供を担当。

ここ八川駅までは山の谷間の平地部分に線路が通されているようで、ある程度はフラットな地形が続いていた。それがここで終わり、本格的な山越えが始まる。広島、島根、鳥取の県境がクロスし、その近くに岡山との県境もある山深い地帯へと入っていく。

出雲坂根駅-島根県奥出雲町(無人駅):木次線

周囲には数件の民家があるのみである。駅舎は2010年に建て替えられたため新しい。駅舎隣には天然の湧き水である延命水を無料で汲める設備がある。

さきほども出雲横田駅で長い停車があったばかりなのに、2駅移動したここ出雲板根駅でも長い停車があるようだ。その時間は18分。特に行き違い待ちというわけでもなさそうだけどそれだけ停車するようだ。まるで牛歩のようにちょっとずつ進んでいく。

時間があるので真新しい木造の駅舎を探索していると「延命水源泉」という案内が目に留まった。

天然の湧き水である「延命水」を無料で汲めるらしい。ちょうど地元の人が大量に組んでいるところだった。ペットボトルなど持っていれば飲んでみるのも良いかもしれない。

そろそろ発車の時間だ。列車に戻らなくてはならない。

実は、この出雲板根駅に到着した時、ちょっとだけ車内が慌ただしい感じになった。到着するとすぐに運転手さんが運転室から出てきて、何やらバタバタと準備を始めた。

前方の運転室を出て、そのまま後方の運転室へと入る。逆方向に進むつもりのようだ。この出雲板根駅は終着駅ではない。まだまだこの先も進んでいって備後落合駅まで行くはずだ。それなのに運転手さんはまるで引き返すかのごとく逆方向に出発する準備を進めている。

これは。もしや……。

「この駅は三段式スイッチバックの停車駅です」

やはりそうだ。スイッチバックだ。

スイッチバックとは、列車が大きな山越えの急勾配など標高差の場所を登っていくときに用いられる方式だ。僕は以前にも全く違う場所でこのスイッチバックを経験したことがあるので、その時の図を流用して説明したい。

列車はその動作機構から急勾配を登ることにあまり向いていない。図中の点線で示したような、一気に目的の高さまで登っていく経路は現実的に難しい。そこで図のように、緩やかになった勾配を何度か繰り返すことで徐々に登っていく方式が採用される。その際にZ字状に建設し、列車は前進と後進を繰り返して登っていく。これがスイッチバックだ。

このスイッチバック形式の線路は日本中に鉄道網を張り巡らせたときに山越えの手段として数多く建設されたようだが、停車と逆進が必要なため、高速化の妨げになるといった点からトンネルへの切り替えが進められ、この日本内でも現存するものはそう多くないらしい。

さきほど登ってきた線路を引き返すように走り出す。やはりスイッチバックだ。

これには車内も大興奮で、ほとんどの乗客が固唾を飲んでスイッチバックを見守っている。中でも親子連れのお父さんも大興奮で「おい、タダシ! みろスイッチバックだぞ!」と子どもの肩を叩いて説明するのだけど、子どもはタブレットに夢中であまり興味ない様子。「ふーん、そんなことよりSwitch買ってくれや。有機ELのやつな」といった感じだった。

勾配を緩和するためのスイッチバック方式といっても、やはり一つ一つの勾配はきつく、列車はうなりをあげてゆっくりと登っていく。

1 kmくらい後進すると、さきほど登ってきた線路を横に見ることがでる。ここからは別の線路に切り替わり、さらに登って高度を稼いでいく。

木々に囲まれた林の中、何もない場所で線路は終わっていて列車はそこで停車する。ゲームだったら奥から中ボスが出てきそうなシチュエーションだ。

運転室から運転手さんがまた出てきて、バタバタと逆方向の運転室に入り込む。三段式のスイッチバックなので2回の方向転換があるわけだ。

こうして見事にスイッチバックを成し遂げ、かなりの標高を登っていくことに成功した。ただまあ、これが普通に路線内にあると、そこまで列車の本数は増やせないし、時間もかかってしまう。確かに珍しくて面白い大興奮の方式だけど、利便性という面ではかなりマイナスなのかもしれない。

そうやってスイッチバックを経て勾配を克服した先になにがあるのか。

山々を望む絶景だ。ここでは列車も危険回避なのかそういったサービスなのか分からないけど、ゆっくりと進んでくれるようになる。景色を楽しむ時間たっぷりだ。山間に見える赤い大きな橋は奥出雲おろちループだ。山と山とを結ぶかなりダイナミックな橋で、そのスケール感に圧倒される。

この大迫力のおろちループ、どこが「おろち」なのかというと、たぶん橋の手前の構造に起因している。この橋もスイッチバックに似た方式を道路で行っているようなのだ。赤い橋は山と山を結ぶ橋で、かなり高い位置にある。とうぜん、この橋まで登っていくこと自体が大変になる。

それを克服するため、橋の手前にはグルグルと回りながら標高を稼いでいくループ橋がある。立体駐車場で登っていくときにこういう構造をしたものがあるけど、それのどでかいやつバージョンだ。このループでゆっくりと標高を稼ぎ、あの赤い橋を渡る。たぶん、このループのところが大蛇みたいだから「おろちループ」なのだと思う。列車も車もこうやって高さを稼いでこの場所を克服していく。それだけの難所なのだろう。

三井野原駅-島根県奥出雲町(無人駅):木次線

JR西日本でいちばん標高が高い駅(726m)である。もともと、出雲板根駅と次の油木駅の間には駅はなかったが、その駅間が12 kmと長く、その間にある三井野原の住民はどちらかの駅に移動せねばならず、どうしても三井野原に駅が欲しかった。そこで、駅を呼び込むために三井野原にスキー場を作り、誘致したのだ。それが実って駅も作られることになった。

目の前にスキー場がある。三井野原に駅を作るために建設したものだ。駅のためにスキー場を作るとはなんとも豪気な話だ。

油木駅-広島県庄原市(無人駅):木次線

広島県最北端の駅。周囲には数件の民家と田畑がある。

ついに島根県が終わり駅の住所が広島県庄原市となった。広島入りだ。山陰線、山口線、木次線と長い戦いだったけれども、これで島根県の維持困難路線はすべてクリアしたはずだ。

油木駅の周囲は、ほとんどなにもなく、駅周辺にも広い空間があったようなのだけど、その空間にソーラーパネルが置かれていた。おそらく最近になって空きスペースの有効活用として置かれたのだろう。

木次線では古い駅名標を掲げるのが流行している。ここまでもいくつかの駅であり、ここ油木駅にもあった。おそらく開業当時(昭和12年)のものじゃないだろうか。

油木駅周辺の景色はこのような感じだ。小さな川に小さな道路、そこに点在する民家、そんな光景を眺められる場所だ。

そして、列車はついに終着駅である備後落合駅に到着した。

17:01 備後落合駅-広島県庄原市(無人駅):木次線、芸備線

芸備線所属駅で、木次線との接続駅でもある。落合とは駅周辺の地名ではなく、木次線と芸備線が落ち合う場所であることからつけられている。中国地方の中心の交通の要所として意味合いが強く、一時期は200名以上の職員が勤務し、駅周辺にもそれらに向けた商店が進出し、活況を示したが、現在では利用客も減少し、職員も減少、無人駅となっている。

降りてきた乗客の動きを見るに、この駅周辺に用事があって乗ってきた人はいない。全員がここからの乗り換えを待つ状態だ。

時刻表を見て次の乗り換えを考える。ここからは芸備線が接続していて、新見方面に行くか三次方面に行くかの選択を迫られる。三次方面が1日に5本、新見方面が一日に3本。それも朝昼晩に1本ずつと大変に潔い。どちらを選択したとしても、双方が維持困難路線なので両方とる必要がある。つまり、もう一度この駅に戻ってくることになるのだ。

三次行きは14分の乗り換え待ちで17時15分発、新見行きは20時12分発なのでおおよそ3時間待ちだ。この駅に3時間はほぼ精神と時の部屋なので迷うことなく三次行きを選択する。新見-備後落合の維持困難区間はまた取り来なくてはならないのだけど、3本しかない列車をどう攻略するかがカギになりそうだ。

12本目 17:15 備後落合発 芸備線普通 三次行き

1両編成

乗客10人くらい

三次行きの列車に乗る。車内の乗客のほとんどは先ほど木次線に乗ってこの駅へと降り立った人たちだ。ただし少しだけ人数が減っているので、あの駅で3時間待つ覚悟をして新見方面に向かった人もいるのかもしれない。

芸備線 備後落合~備後庄原 営業係数4157 輸送密度 62人/日

芸備線は岡山県新見市の備中神代駅から広島県三次市の三次駅を経て広島県広島市の広島駅に至る路線だ。中国地方でもっとも長いローカル線である。その区間によって乗車人員や列車の本数に大きな格差がある。備後落合から備後庄原のこの区間は住所的には庄原市内の移動となる。沿線に大きな町がないため乗客も少なく、営業係数が4157とかなり高い路線となっている。

列車が動き出してすぐに山深い部分を走りはじめた。列車がかなりの唸りをあげながらゆっくりと木々の隙間を走り抜けていく。あまりに容赦ない山奥なのであっという間にスマホの電波が圏外になった。このままずっと圏外が続くと駅メモ!の駅アクセスができなくなってしまう。なんとか次の駅までには電波を拾うようになって欲しい。

備後落合駅と比婆山駅との間は、5.6kmの間を徐行しつつ15分あまりかけて進んでいく。崖のような場所とトンネルが繰り返される。

川が間近に迫る区間を走行する。その際にかなり慎重な徐行運転が行われる。

やっと徐行運転をする区間を抜けて列車がスピードを上げ始めた。こころなしか地形も少し穏やかになったように感じる。

比婆山駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

開業時は備後熊野駅の名称だったが、その後に現在の駅名に改められた。備後落合駅と比婆山駅との間は芸備線内でも屈指の険しい路線であり、そのほとんどを徐行運転するため5.6 kmの移動に16分かかる。駅の周辺には田んぼが多い。

比婆山といえばヒバゴン伝説だ。ヒバゴンとは、1970年ごろに比婆山周辺で目撃された類人猿型の未確認動物だ。いわゆるUMAの国内におけるさきがけみたいな存在だ。一時期、日本中でご当地UMAみたいなものが流行し、全国各地でそういった未確認生物が騒がれるようになった。そのずっと前からヒバゴンはこの地域で騒がれていた。今ではすっかり町おこしに使われており、比婆山周辺の看板などにヒバゴンが登場する。ちなみにここからは「もえ」が担当。

「なんだっけ、このへんにいたなんとかゴン」

車内では4人組のおじさんとおばさんがけっこうな勢いで会話していた。○○駅は趣き深い駅舎だったみたいな会話をしていたので、おそらくこうしてローカル線を巡っている4人組なのだと思う。

「えーっとなんだっけ」

すぐにヒバゴンのことを指しているとわかった。けれども4人組は思い出せない様子。

「そうだ、ヘキサゴン!」

それはなんかおバカなタレントがでてくるクイズ番組だろ。

 

この駅周辺は、田植え前の状態のようで、水が張られた田んぼの風景が美しい。空と山を反射してなんとも言えない風景を作り出している。

備後西城駅-広島県庄原市:芸備線

庄原市と合併する前の旧西城町の中心に位置する駅だった。駅の周辺には町の施設だったものも多い。西城という地名は、この地の領主が戦国時代に五本竹城と大富山城を築いたことに始まっている。前者を西城、後者を東城と呼んでおり、それがそのまま地名となっている。ちなみに東城があった東城町も現在は庄原市に合併されている。

平子駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

田んぼがある。

もうちょっと駅の紹介なんかあるだろうと思ったけど、本当に田んぼしかなかった。ただ、その水を張られた田んぼが本当に美しい。

このあたりは延々と似たような景色が続く。

朝からずっと列車に揺られること2日目である。こういうことをすると脳が過度にシェイクされているためかクラクラしてくる。フワフワと浮いているような感覚がして、おまけに目の前の風景は田んぼに空が映し出されているので、どちらが空なのかわからなくなる。いよいよ危ない状態になってきたけれども、まだ自覚できているので大丈夫だ。

 

高駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

 

田んぼがある。

日が傾いてきたので列車に差し込む光の角度が変わり、窓ガラスが反射するようになってしまった。なかなか車内からの写真撮影が難しい。

このように光を入れない角度で撮影する必要があるけど、なかなかそうはいかない。

備後庄原駅-広島県庄原市:芸備線

庄原市の中心駅だ。庄原市からは隣の三次市や、広島の中心である広島市への移動需要があるが、バスの方が便が良いため鉄道を使うことは少ない。そのため列車の本数はあまり多くない。駅舎は2020年にリニューアルされている。

これで芸備線の備後落合-備後庄原の区間クリアだ。

この駅で降りる人はいなかったが、ドッと乗客が乗ってきて車内は満員になった。立っている人もいたくらいだ。おそらくこの区間は庄原市と三次市の間での需要、それも通学需要がかなりあるのだと思う。時間的にも高校生の下校時間のようで、車内は高校生が多かった。

この備後庄原駅では列車の行き違い待ちのため4分の停車時間があるようなので列車を降りてみた。

広島県に入り完全に広島カープの勢力圏に入ったようで、ホームではカープ選手の人形がお出迎えしてくれた。

左から前田智徳選手、鈴木誠也選手、菊池涼介選手、ドラフト会議で大瀬良を引き当てたときの田村スカウト、だろうか。最後はマニアックすぎるだろ。いずれもマツダスタジアムに展示されていたものが庄原市を通じて駅に贈られたらしい。

少し離れた場所にもカープ人形があった。赤松選手と天谷選手のスーパープレイの瞬間がそのまま人形になっている。これもマツダスタジアムに展示されていたものだ。

人形を眺めていたら、反対方向の列車が入ってきた。行き違いも終わり、こちらも出発するらしい。いよいよ日が沈み始めてきた。

芸備線の維持困難路線はここ備後庄原駅で一区切り。そしてここから新たな区間となる。

芸備線  備後庄原~三次 営業係数871 輸送密度 371/日

広島県北部の市である三次市と庄原市を繋ぐ路線だ。市間の距離もそう離れていないため、通学需要などがある。ただし、住民は車移動が中心で、公共の交通機関としてもバス利用が便利なため、利用状況は芳しくない。この区間は営業係数871と芸備線の他の区間に比べたらそこまで大きな数字ではないが、それでも深刻な赤字であることは変わりない。

満員になった車内は賑やかだった。特に帰宅途中の高校生は元気でやたらにテンションが高い。通学列車の中はさながらもう1つの教室のようで、それを使って通学している子にしか分からない世界がある。そして、地方のローカル線はこうしたもう1つの教室に支えられている。そう実感する。

備後三日市駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

駅舎は存在せず、直接ホームに入る形の無人駅だ。周囲の集落や田んぼを少しだけ見下ろす高い位置に駅があるが、高架駅というわけではなく、単に地形の都合でそうなっただけである。

庄原市と三次市が続くこの区間は開けているという印象だ。沿線の風景もすぐに山が迫っているというわけではなく、延々と平地が続いてその先に山が見えるといった印象だ。

七塚駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

中国地方唯一の国営公園である国営備北丘陵公園の最寄り駅。とはいっても徒歩で20分ほどかかるのでタクシーなどを利用する必要がある。国営備北丘陵公園の大芝生広場は野外コンサートの会場としてしばし利用され、過去にMr.Children、SMAP、モーニング娘。などが野外ライブを行った。

山ノ内駅-広島県庄原市(無人駅):芸備線

県立広島大学庄原キャンパスの最寄り駅。とはいっても徒歩で30分ほどかかるので、あまり通学には向いていない。駅からは中国自動車道の七塚原SAが近い。この七塚原SAは裏手から徒歩でも入ることができるので、もし、この山ノ内駅で食事をとらなければならないとなったら七塚原SAが便利だ。僕はそれをしたことがある。

下和知駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

何もない駅。駅から田んぼしか見えない長閑な風景が広がる。3キロほど離れた場所に「電光石火みよしパーク」というエキサイティングな名前のスポーツ公園がある。ただし、徒歩ではかなり遠いので別の場所からバスの利用が便利。

塩町駅-広島県三次市(無人駅):芸備線、福塩線

この駅より、府中を経由して福山まで向かう福塩線と分岐する。近くに高校があるため高校生の利用が多い。この駅に停車する福塩線の車両は、ここから三次駅まで乗り入れており、三次駅を発着するため、この駅の分岐点としての意味合いは薄い。

いよいよ三次市が近づいてきた。この塩町駅は芸備線と福塩線が分岐する駅だ。そしてその3方向すべてが維持困難路線になっている。そう、つまり、もう一度ここに戻ってくる必要があるわけだ。

もういちど来た時にどれだけの待ち時間があるのかわからないけど、この風景から見てあまり長い待ちは苦しいと思う。

ここで、前述の4人組などいくつかのローカル線マニアみたいな人たちが下車した。みな、ここから福塩線を攻める選択をしたようだ。降り際に4人組の1人のおっさんが「ここでまつのきついな~」と言っていた。たぶん次に来た時に僕も同じことを言っていると思う。

神杉駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

芸備線の駅だが、福塩線の列車が三次駅を発着するため、そのためこの区間の芸備線の駅の中では本数が多い。福塩線の列車も停車する。かつては貨物も取り扱っていたので駅構内が広い。

ここ神杉駅では、しっかりと使えそうな画像を撮影しておいたのでみなさんで是非とも使って欲しい。

これだ。

あなたの推しの神絵師が、Twitterであなたの好みにピッタリのイラストを上げたときなどに、そのレスポンスに張り付けて欲しい。

アップバージョンも作っておいたので是非とも貼ってほしい。

車窓に映る風景が徐々に街並みになっていった。もう三次駅が近いようだ。

八次駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

三次駅のひとつ隣が八次なのでまあまあややこしい。駅名は旧村名からきている。こちらにも福塩線の列車が乗り入れる。三次市の市街地にはいるため、民家や商店が増えて賑やかになってくる。

18:35 三次駅-広島県三次市:芸備線

運賃:2,310円

芸備線の駅。広島方面に向かう列車の起点でもある。福塩線も発着し、かつては島根県江津市の江津駅とこの駅をむすぶ三江線が通っていたが、2018年に廃線となった。中国地方中央部の交通の要衝の駅であり、駅の周囲は三次市の中心市街地である。現在の駅舎は2015年に完成した新しいもの。

ついに三次駅に到着した。これで該当区間クリアである。

懐かしい三次駅の駅舎。僕は過去に2度、ボロボロになりながらこの駅に徒歩で到達している。

駅舎内のこのスペースは僕の記憶が確かならばセブンイレブンの売店だったと思う。歩いて到達した果てに食料と水を購入したからよく覚えている。どうやら撤退してしまったようだ。

すっかりと日が暮れてしまい、かなり空腹だ。特に動くわけでもなく、ただ列車に乗っているだけで腹がすくのだから人間は不思議だ。大きな町の駅前なので飲食店もあるだろうから完全に夕食チャンスなのだけど、残念ながら乗り換え待ちが30分ほどしかない。30分で夕食はかなり厳しそうだ。おまけにあてにしていたコンビニ売店も撤退している。我慢するしかない。

駅前の施設に「たむ商店」という広島風のお好み焼きを出す店があるのだけど、さすがに30分の乗り換え待ちで広島風お好み焼きは厳しい。諦めることにする。

13本目 19:05 三次発 芸備線普通 広島行き

2両編成

乗客は8人ほど。

2両編成でありながら乗客は8名と少なかった。隣の車両まで数えに行ったので確かだ。三次からしばらくの区間では完全に持て余す車両数なのだけど、おそらく乗客が増えてくる広島市近郊を見越して2両編成にしているのだと思う。

芸備線  三次~下深川 営業係数671 輸送密度 888人/日

芸備線の三次からの区間も維持困難路線に指定されている。芸備線は広島市が近くなる区間以外はすべて維持困難路線だ。ただし、この区間は広島駅まで向かう旅客の需要もあるのか列車の設定も多く、営業係数も4桁、5桁といった熾烈なものではない。それでも赤字としては大きい。

ここからは皆さんに謝らなければならない。なるべく維持困難路線の様子を報告したいとの思いから、車窓からの風景が完全なる闇になる夜間には維持困難路線を通らないような旅程を組んでいた。けれども初日に旅程大崩壊をかまし、完全に行き当たりばったりの旅程になってしまったので、ここからは維持困難路線でありながら、夜の闇が広がってしまう事態となった。ずっと闇が続くことが予想されるので、ほとんど駅の様子が分からない。とても残念だ。

西三次駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

開業当初はこの駅が「三次駅」を名乗っていた。かつては旧三次町の玄関口として利用されていたが、その後、三次市が成立し、その中心駅である備後十日市駅が三次駅に改称されるときに現在の名前に改称された。つい最近(2021年)に駅舎が解体されている。ここからの担当でんこは「みゆき」にお願いする。

志和地駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

隣の西三次駅との駅間距離が長い。8キロの距離があり、8分ほどの時間を要する。駅にトイレがないらしく、車を運転していて駅にならトイレがあるだろうと駆け込んだ人の生々しい経験談が車内で語られていた。トイレがないと分かった瞬間にニュルンと出そうになった、あたりはかなり臨場感のある語り口だった。

夜が深くなり、駅から見えるのは家庭の灯りだけになってしまった。

皆さんは、こういった過酷な旅を経ると人間がどうなるとお考えだろうか。どこかで最初に肉体に歪が出て、次に精神に歪が出ると書いた気がする。もうとっくのまえに肉体には歪が出ていてこのあたりから完全に精神に歪が出ている。

精神に歪が出るとどうなるか。狂ったように叫びだすか。意味不明な雄たけびを暴れまわるか。そんなことはない。そんな分かりやすい反応は見せない。もっと意味不明な感じになる。

精神に歪が出てくると異常に感傷的になってしまうのである。なぜか、この駅から見える家庭の灯りを見て、その灯りの下で夕食を食べる家族を想像し、「中辛にしては辛くないね、ほんとに中辛?」「いつもと同じよ」「甘口じゃない?」「甘いの好きー!」という会話を想像してボロボロ泣いている。いいね、家族でカレーいいね、とボロボロ泣いている。完全におかしくなっとる。

上川立駅-広島県三次市(無人駅):芸備線

開業時は川立駅の名称だったが国有化される際に現在の名前に改称された。なぜ「上」をつけたのかはよく分からなかった。

甲立駅-広島県安芸高田市:芸備線

旧甲田町の代表駅でその中心部が駅の周辺に形成されている。甲立(こうたつ)とは「かふたち」で「川立(かわたち)」が変化したものとされている。川立とは川が真っすぐ流れる場所という意味だ。ということは甲立も川立も本来は同じ意味なので、1つ前の駅は上流にあるということで「上」をつけたのかもしれない。ひょんなことから謎が解けてしまった。

吉田口-広島県安芸高田市:芸備線

毛利元就の居城である吉田郡山城の城下町を由来とした旧吉田町の入口として作られた駅。ただし吉田町の中心部や吉田郡山城跡までは山を一つ迂回する必要があり不便。旧吉田町の中心には新たに設置された安芸高田市の市役所があり、そちらでバス網が集約されるなど交通の中心としての地位も失っている。

向原駅-広島県安芸高田市(無人駅):芸備線

旧向原町の中心だった駅で周囲に民家や商店が多い。乗降客もこの区間の中では多い方だ。駅の北側に分水界泣き別れと呼ばれる場所がある。日本海側に流れこむ江の川水系と瀬戸内海側に流れこむ太田川水系とを分ける境界線(分水界)である。本来は険しい山の中にあることが多く分水嶺と呼ばれるが、低い位置にある分水界ということで有名。芸備線からも注意して観察していれば地形が変化する瞬間がわかるとのこと。

井原市駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

ついに住所表示が広島市となった。維持困難路線内の駅住所で「区」をかいたのは初めてかもしれない。政令指定都市の駅であっても維持困難になるのだ。「井原市」とあるので井原市と勘違いしてしまいそうになるが、「いばらいち」と読む。おそらく、岡山県に井原市があり、そちらにも「井原駅(井原鉄道)」との被りを気にしたと思ったけど、井原駅の方がずっと後になって開業していた。調べてみると、開業当時は広島の玄関口として駅前に多くの商店が連なっていたことから、この名称になったようだ(たくさんの店があるところを「市(いち)」と呼ぶ)。

志和口駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

個人的には芸備線のこの位置に「志和」という名称があることに違和感を覚える。志和とは現在の東広島市にあった町名であり、東広島市は山陽本線上にある街だ。何の関係もないのになぜここに志和口があるのだろうと考えたが、地図を見てみると、東広島市志和とこの志和口駅は山を挟んでいるものの近い。ただ、さすがに地域的な繋がりが少ない両土地なので「志和の入口」とここに名付けるのはやはり違和感がある。もう少し経緯を調べればなにか分かるのかもしれない。

上三田駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

戦争時に廃止となったが、その後、住民の復活運動を経て復活した駅だ。周囲には工場が多い。

闇の中をひた走る芸備線は乗客が少ないこともあって基本的に無音だ。ガタンゴトンと列車が揺れる音だけが定期的に鳴り響いていてそれ以外の音は存在しない。車窓から覗く幹線道路の光景も音はない。まるでこの世には列車が揺れる音しか存在しないんじゃないかと思うほどになにも存在しない。まるでこの先は死の世界に繋がっているんじゃないかと錯覚するほどに静かな世界がそこにある。銀河鉄道の夜のような雰囲気があるのだ。そうなるとこの闇もさながら銀河の星空のようだ。

そこに突如としてものすごい酔っぱらいが乗車してきた。グデングデンに酔っぱらったおっさんが乗り込んできた。SMAPの「ダイナマイト」を音程を外して口ずさみながら乗り込んできた。静かだった車内に緊張が走る。まさに存在自体がダイナマイトだ。死の世界に突如として生々しい生が放り込まれた感覚があった。

こうした酔っぱらいの来襲は都市部の電車ではそう珍しいことではないだろう。週末、終電間近の中央線などは酔っぱらいしかいない。けれども、このようなローカル線でここまでの酔っぱらいは珍しい。なぜなら、どの駅を切り取っても駅周辺に酒を飲めるような施設がないからだ。

駅周辺はどこもこのような光景だ。酔うほどの酒場が存在しない。

そうなると、どこかの民家でしこたま飲まされた説が有力となる。ここまで飲ませたなら泊めてやるか、それとも飲んでいない人が送迎してあげるべきで、寝過ごしたからといって簡単に引き返せるわけではないローカル線に押し込めるのはまあまあに酷い。

「ダイナマイトなhoney」

とか歌っている場合じゃないよ。

中三田駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

上三田駅、中三田駅とくるが、その次は下三田駅ではない。芸備線のこの区間は三篠川と芸備線が並行している。ずっと川の風景が続くが、個人的にはこのあたりの風景が落ち着いていて良い。ただ、いまは圧倒的な闇の中なのでその風景も見えない。

白木山駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

民家の数が増え、駅から少し離れた道路沿いには大きなスーパーやホームセンターもある。駅名にもなっている白木山があり、休日ともなるとハイキング客が多い。登山口は駅から近い。次の狩留家駅と間に架かる橋が2018年の豪雨災害で橋脚ごと流され広島方面への列車が不通となった。復旧には1年3か月を要した。

狩留家駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

芸備線においてはこの駅からICOCAなどの交通系ICカードが利用できる。ただし無人駅であるので通常の改札形式ではなく、直立式のカードリーダーとなる。ここまであまり注意してこなかったけど、終点と始点をのぞく維持困難路線の駅でICカードが使えるのはここが初めてかもしれない。

上深川駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

春になると駅のホームに桜が咲き広がる。ホームに覆いかぶさるように咲く姿は圧巻だとか。桜の駅として知る人ぞ知る人気の駅になっている。季節は外れているし、闇だしで、残念ながら桜を見ることはできなかった。

中深川駅-広島市安佐北区(無人駅):芸備線

本格的な広島市の市街地が始まり、周囲の民家が増えてくる。大きなショッピングセンターもあり、沿線から見える看板の数も増えてくる。かなり栄えている印象だ。

下深川駅-広島市安佐北区:芸備線

広島駅から運行し、ここ下深川駅で降り返す列車が多く設定されているため、ここから広島駅へと向かう列車が大きく増える。川を一つ隔てればJRの可部線が通っており、川を隔ててほぼ並行して走る可部線の区間を廃止し、この駅から可部へと分岐させる案が浮上したこともあった。周囲は完全に街並みが形成されている。

といったところで、闇を抜けそろそろ街の明かりがポツポツと見え始め、これから広島市の都市部に入るぞといったところで芸備線の維持困難区間が終わった。

維持困難区間を抜けた途端、あからさまに乗客が増えだした。完全に広島市の生活エリアであり、これから夜の街へ繰り出す感じの乗客が増えていく。都市と繋がるローカル線においては都市近郊でだけ乗客が増えるパターンがある。芸備線のこの区間はまさにその典型で、広島市近郊でだけあからさまに成り立っている。

やはり広島は大都会だ。車窓から見えるビルがあまりに高く、その数が多い。無数の灯りが星空の様に流れていく。ずっとローカル線の光景を眺めていたので都会の光景に恐ろしさみたいなものを感じるようになってしまった。

20:56広島駅-広島市南区:山陽新幹線、山陽本線、芸備線

運賃:1340円

中国・四国地方最大の都市である広島の玄関口となる駅。乗車人員数は中国・四国地方で第1位であり、JR西日本管内でも7位となる巨大ターミナルだ。新幹線の全車両が停車するが、広島駅を発着する定期特急列車は1本も設定されていないという珍しい駅。広島市は中心繁華街が駅から離れており、JR駅から路面電車を利用したアクセスが中心となる。

もう夜も9時となり、ローカル線なら終電が早く、次の列車がないのでここで移動は終わりとなるが、ここは大都会広島だ。まだまだ移動ができる。

本来は、1つだけ残った山口県内の維持困難路線である岩徳線を取りに行きたいところだけど、どうやら今から乗り継いでも微妙に間に合わないらしい。岩徳線のことは後で考えるとして、次は東から攻めるのが良さそうなので、そちらの下準備として移動しておく。

新幹線乗り場へと移動する。

14本目 21:19 広島発 九州・山陽新幹線 さくら 新大阪行き

8両編成

乗客多数

 

この旅において2本目の新幹線だ。あいかわらずワクワクする。

新幹線はあまりにスピードが速すぎて目が回りそうになる。備後落合駅あたりで徐行しながら5 kmほどの1駅間を15分かけて移動していたことを考えると別世界だ。新幹線で15分あったらだいたい隣の県までいけてしまう。そう考えると新幹線ってめちゃくちゃすごいな。人類の力を超えているのかもしれない。神々の怒りに触れたりするのかもしれない。

22:20 姫路駅-兵庫県姫路市:山陽新幹線、山陽本線、播但線、姫新線

運賃:7,910円(自由席新幹線特急券3400円の含む)

 

姫路駅へと到着した。時間も夜10時30分になろうかということで、さすがにここからの移動は厳しい。ということでここ姫路に宿泊し、明日、姫新線を狙っていくことにする。

ということで2日目はここでおしまい。まとめはこちら。

制覇した維持困難路線(累計12/30)

山陰線(益田-出雲市)、木次線(宍道-出雲横田)、木次線(出雲横田-備後落合)、芸備線(備後落合-備後庄原)、芸備線(備後庄原-三次)、芸備線(三次-下深川)

アクセス駅数 135駅(累計230駅)

総移動距離 596 km(累計966 km)

まさに縦横無尽である。中国地方を東西に移動するばかりでなく南北にも移動している。山口県内の岩徳線を取り残したことだけが心残りだけれども、まあそれはあとで考えることとして、とりあえず明日は姫新線から攻めていく。姫路から岡山県の新見までを繋ぐ路線だ。そこからたぶん芸備線の残った路線を取りに行く。

3日目につづく!

【次のページ】3日目

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