JR北海道の廃止予定駅を全駅下車してきた【北のテツから’21冬】

3月13日のダイヤ改正を前に厳冬の北海道30駅に挑みます。対象の駅では必ず列車に乗るか列車から降りるかしなければなりませんので、超過疎ダイヤをうまく組み合わせてあげなければ到底回れません。そのうえ今回は路面凍結が怖いためチャリもありません。頼れるのは己の足のみ。

……聞こえ……か…………今年もあの時期……ぞ……

お前はゆかねばならぬ…………さもなくば“死”が待っている………………!!

 

襟裳岬よりこんにちは!
夏に行った宗谷本線(JR宗谷本線の廃止予定駅を全駅下車してきた夏の日の2020)に続き2度目の北海道奇行文です。

 

ちょっぴり鉄道が好きだったばっかりに、日本全国の鉄道に乗ってみたい! 全ての駅に降りたい! などと、大した覚悟もないのに乗り放題の悪魔(一般に「青春18きっぷ」という)と契約して旅を始めたのがハタチになる数日前。

結果、安くどこへでも連れて行ってくれる代わりに全ての駅に降りねばならない呪いをかけられてしまいました。あと駅スタンプを押さねばならない呪いも。

 

やー、なんというか夏に長ったらしい宗谷本線巡ったしもう北海道はいいかな〜寒いし。なんてうっすらと思っていたところ、行かないと死ぬ、なんて幻聴が始まりまして、思いのほか私にかけられた呪いというのは強いもんだなと。

うららかな春の陽気とは裏腹に、どんより陰気くさいのがこれです。

ダイヤ粛清です。間違えた。ダイヤ改正です。

毎年3月の半ばごろ、利用客の利便性向上を図って執行されるこの催し。

春の風物詩として大勢の人が歓喜に沸くのですが、残念ながらこのところ北海道では必ず犠牲者が出てしまっています。そんなリスキーな行事であればPTAからクレームがついてもおかしくないのですが、伝統だから、の旗印の下、今日まで続いています。

まあ早い話が路線や駅の廃止がこの3月にあるのです。私は駅降リストの呪いがあるため、とにかく廃止される前に行かないと一生苛まれることになるのです。あーやだやだ。こんな呪いだったら水をかぶると女ないしはパンダになる方がマシだ。

 

前回、夏はどこに行ったかというと、なんとなく廃止が取り沙汰されていた宗谷本線の13駅、石北本線の1駅、釧網本線の1駅の計15駅でした。

これだけでもかなりしんどかったというのに、ほんなら今回はどれくらいかというと、30駅。倍だぞ倍。

2020年12月にJR北海道からダイヤ改正についての正式な発表があったのですが、ノーマークだった駅がかなりあったということです。それは行かねばなるめぇ。ちゅうわけで、年度内に2度目の渡道となったワケです。うひぃ。

もちろん基本的なルールは前回と同じく、対象の駅では必ず列車に乗るか列車から降りるかしなければなりませんので、超過疎ダイヤをうまく組み合わせてあげなければ到底回れません。そのうえ今回は路面凍結が怖いためチャリもありません。頼れるのは己の足のみ。

 

さあ、背負ってしまった業に立ち向かうべく、3月13日のダイヤ改正を前に厳冬の北海道30駅に挑みます。

ちなみに襟裳岬は絵になるという理由だけで行きました。この岬めぐりは毎回やるのかな。

 

※マスク着用やアルコール消毒液の携帯など感染症対策をしっかり取った上で実施しました。なお、一部激しい運動をする場面ではマスクを外している箇所がございます。

 

目次

またもや ながい たびが はじまる ……

まずはじめにダイヤ改正などで廃止される駅を列記します。

日高本線:鵡川駅*、汐見駅、富川駅、日高門別駅、豊郷駅、清畠駅、厚賀駅、大狩部駅、節婦駅、新冠駅、静内駅、東静内駅、春立駅、日高東別駅、日高三石駅、蓬栄駅、本桐駅、荻伏駅、絵笛駅、浦河駅、東町駅、日高幌別駅、鵜苫駅、西様似駅、様似駅

函館本線:伊納駅

宗谷本線:南比布駅北比布駅東六線駅北剣淵駅下士別駅北星駅南美深駅紋穂内駅豊清水駅安牛駅上幌延駅、徳満駅

石北本線:北日ノ出駅、将軍山駅、東雲駅、生野駅

釧網本線:南斜里駅

*駅自体は終着駅として残る **斜体は訪問済み

いいですね〜やっぱり読めませんね〜。今回も気合で読んでください。

まあなんと言っても日高本線ですよね。日高本線は苫小牧〜様似を結ぶ146.5キロのローカル線なのですが、2015年の高波による路盤流出被害などで鵡川〜様似間116キロで列車の運行ができなくなっていました。

JRと沿線自治体による存廃論議と並行し暫定的にバス代行が続いていたのですが、ついに3月末で鉄道事業が廃止されることとなりました。つまりこれら25駅は、6年にわたって列車が来る日を待ち望んで駅であり続けたものの、その日が来ることなく役目を終えるのです。

鉄道としてのテイは保てていませんでしたが、あくまで3月までは鉄道路線なのです。ということはやっぱり私としては駅であるうちに行かねばならんのです。日高本線に関してはダイヤ改正のタイミングでなく、3月末日で廃止となります。

廃止されると思って身構えていた留萌本線はセーフ。存廃協議が続いているから生きながらえました。

 

計画を立てるにしてもまずは視覚的にどんなもんなのか把握しておきましょう。

主要な都市はだいたいこんな配置。ふんふん。

では廃止駅を地図上にプロットしてみましょう。そ〜れっ。

アホ。もうアホ。
この赤い丸のとこ、ホントに全部行くの? なんですか上の方にある徳満て。最北端の稚内から5駅。クソ遠いじゃねえか。

地図だと小さく見えるけど、そもそも様似から稚内まで500キロ以上あるからね。東京から大阪までがすっぽり入るっておかしいだろ。

 

うーん、ま、でも、思い切ってやっちゃおっかな! 「男なら……やってやれ!」だ!!

今回使うのはこちらの北海道フリーパスというきっぷ。

これは27,430円を支払えば、一週間にわたってJR北海道のほぼ全ての列車に乗り放題という素晴らしいサブスクリプション。特急も乗れるし6回までなら指定席も取れちゃうし、さらにはジェイ・アール北海道バスの路線バスだって乗れてしまうのです。ただし北海道新幹線は使えないからよい子のみんなは注意しよう!

このきっぷを活用して、列車、代行バス、路線バス、徒歩を組み合わせて5日間で廃止予定駅を巡ります。まあまあいいお値段がするけど、都度都度きっぷを買っていたら、北海道の大空よろしく青天井は必至なのでたくさん移動する人にとってはありがた〜い存在なのです。

初日 1009苫小牧→(列車)→1045浜田浦

今回の旅のスタートは日高本線の起点となる苫小牧です。この駅から鵡川までの5駅は廃止されないのですが、そうは言っても危機的状況に変わりはないため、ついでに列車走行区間も全駅降り立つことにします。よって、廃止駅めぐりと銘打ちながらも最初に訪れるのは廃止されない浜田浦です。

雪の残るホームに一人降り立ちまずは難なくクリア。くたびれた駅名標がローカル線にふさわしい味を醸し出しています。

初日 1102浜田浦→(列車)→1107浜厚真

上り列車で一駅戻って浜厚真へ。

浜厚真も浜田浦同様、雪の残る小さな駅でした。ホームからは苫東厚真発電所より立ち上る煙を望むことができ、休むことなく道内の至る所へ電気を供給していることがうかがい知れます。

車掌車を流用した駅舎にはかわいらしいペイントが施されていました。こんな素敵な空間を独り占めできて駅降リストさまさまですね。

やにわになぜMacBookを取り出したかというと、仕事が終わっていないからです。仕事から解放されるために有休を取って駅めぐりをしているのに解放どころか束縛されています。いくら期日が迫っているとはいえ北海道に仕事を持ち込むとは思わなかったよ。

図らずともワーケーションのような形になってしまいましたので空き時間にちょこちょこ仕事を進めます。後にも先にも浜厚真の駅舎をオフィスにした人間は私くらいなものでしょう。全然心が休まらない。

列車の時間までひたすらシコシコ仕事をしていると、ホームの雪かきに来たJR関連会社の職員の方が話しかけてくれました。

「どこから来たの?」

「栃木です」

「廃線になるから?」

「そうです」

「このあたりはコロナも出てないから安心して楽しんでガハハ」

豪放磊落、という表現がしっくりくるそのおじさま。私の心に重くのしかかっていたモヤモヤも雪と一緒に掻いて捨ててくれた気がします。やはり無機質なコンピュータと向き合うより人との会話などでふれあっていた方がいいですね。俺がしたい会話ってのは会話であって、「社からの電」の略ではないんだよ。メールで済ませ!!

初日 1246浜厚真→(列車)→1255鵡川【廃止①】

浜厚真で1時間40分近くの滞在を終えると、こんだ下り列車に揺られ、列車の終着になっている鵡川に着きました。

この先も線路は延びていますが、二度と列車が走ることはありません。「むかわ交通ターミナル」と掲げられていますが、文字通り「終着駅(ターミナル)」になってしまいます。

ちゅうわけで、ここからが本題のバス代行区間に入ります。

バス代行区間の駅めぐりルールは、

① 当該駅で必ず代行バスを使うこと。代行バスで降り立つか、代行バスに乗り込むか。
② 代行バスの停留所と、本来の鉄道駅の駅舎や駅名標を撮影すること。
③ ①②は同時に行わなくてもよい。

大きくこの3つです。

バス代行区間には、並行して走る路線バスがあるのでこれを使ってもいいですが、その前後には必ず代行バスを使う必要があります。

つまりどういうことかというと、この図を見てください。

 

これは代行バスで乗るか降りるかしているのでOKなのですが、

 

 

これはC駅で代行バスに乗れていないのでNGということです。

そんなん駅に行ければどっちだっていいじゃん! というのであれば、それはもうレンタカーで巡るのと変わりありません。駅を記録するだけならそれでいいかもしれませんが、あくまで私の背負つちまつた業は鉄道の全駅下車なので、鉄道代行バスを使わないことにはいけないのです。ぴえん。

ただ、今回はバスだらけで何が何だか分からなくなりそうだったので、こんなものを作成しました。

/ダイヤグラム〜\

これは時刻表から駅や停留所を出発する時間をプロットし、何時にどこを走っているのかを視覚的に分かりやすく表現したものです。これがあることで上下線の組み合わせ方、効率の良い回り方を構築することができるのです。

だからダイヤの都合で5駅進んで、3駅戻るというような、365歩のマーチみたいな移動をすることになります。うーん、拙者これではまるでテツっぽい! フォカヌポゥ。

あと、本来線路で到達するような場所は車では行きづらいような造りになっているところも多く、代行バスの停留所が駅から大きく離れていることがあります。こいつがくせ者で、いずれ私にじわじわと襲いかかってきます。ウフフ、お楽しみに。

前置きが長くなりましたが代行バスの旅、さあ行ってみましょう。

すでにテツとみられる方が2〜3名乗車していらっしゃいました。物好きですね。

※鵡川は列車の終点として残りますが、バス代行区間の起点であるため便宜上、廃止①としてカウントいたします。

 

初日 1303鵡川→(代行バス)→1427節婦【廃止②】

代行バスはジェイ・アール北海道バスの路線バスをそのまま流用したと思われる車両で運行されます。

1時間半くらいの時間をかけて次の目的地である節婦に向かいます。

でも考えてみてください、普段路線バスに1時間以上乗りますか? せいぜい30分が関の山じゃないでしょうか。ただでさえ道路状況に左右される乗り物のうえ、乗り合い仕様の堅いシート。列車なら大したことない時間でもバスだと途端にしんどくなります。

列車なら線路上の非日常的な景色が楽しめるのですが、バスだとただの道路ですから特に何もありません。フツーです。時折太平洋の雄大な水平線が見えますけど、なんとも窓が汚いのです。

マジできたねえ。これは想像以上に心を削る過酷な旅になるかもしれない……。

 

何をするでもなく無の心でバスに揺られ、節婦まであと2駅ほどの場所まで近づいてきました。すると、次の停留所を示す自動音声が流れてきます。

本来であれば「大狩部」と案内されるところですが、聞こえてきたのは……

「次は、大狩部高台

大狩部高台? 何それ? 大狩部駅とは違うの?

「大狩部高台」とは一体……?

全国時刻表にも記載のないその停留所。果たしてバスは当たり前のようにその大狩部高台に停車し、何事もなかったかのように出発し、普通の大狩部駅に停まりました。何だったんだ一体……。

このときは深く考えませんでしたが、この先もこの大狩部高台に苛まれることになります。とりあえず今は見なかったことにして先を急ぎます。

節婦にはほぼ定刻通り到着しました。降りたのは私一人だけ。他の乗客たちの訝しげな目線も気にせず駅を楽しんでやります。代行バスが停まるバス停にはしっかり専用の標識が掲げられています。さてはハナからバスに転換する気マンマンだったな……?

 

本来の駅に行ってみましょう。

節婦は三角の屋根がかわいらしい駅舎ですね。近くに民家もありますが小綺麗に手入れされていますがスロープもあって車椅子の方やお年寄りの方にも優しい造りとなっていますが廃止されます。よく見ると奥の方に建設中の日高自動車道の桁が確認できます。鉄道は復旧させないけど道路は新設する。これも時代ですかね。

 

線路の状態を見ても鉄道が元に戻らないことは明らかです。雑草は伸び放題伸び、線路は錆び放題錆び、これでは列車が走ろうにも走れません。この悲しみをあと23駅分受け止めて胸を張って生きろ。

 

初日 1442節婦→(路線バス)→1514門別

 

節婦を堪能した後は路線バスで門別停留所まで向かいます。この停留所は日高門別駅の近くにあるので駅めぐりの際はとてもお便利です。

日高門別駅は薄緑の外壁が特徴的で、割に大きく構えています。日高本線の存廃協議の際は鵡川から当駅までは鉄道で復旧させる案もあったようですが、至りませんでした。

 

初日 1600日高門別【廃止③】→(代行バス)→1623厚賀【廃止④】

日高門別で代行バスを待っていると、なんかさっき乗ったバスとは違うのが来ました。

こ、これは……MUKAWA KANKO BUSと書いてある!

っかしーな、時間を間違えたかな。と思いましたが代行バスの表記がありました。どうやら複数のバス会社が鉄道の代行を担っているようです。

路線バスじゃないということは、シートもしっかりしています。こりゃあいいや、窓も綺麗だし。

だいぶ影も伸びてきたところで厚賀にたどり着きました。

風格のある木造駅舎がでんと鎮座していて、鉄道遺産として残してもいいくらい素晴らしいです。願わくば鉄道で降り立ちたかった……。

この感動を駅ノートに書き込もうと思いきや、待合室で顔をのぞかせたのは貨物自動車ドライバーテキスト。なんでよ。

しかも発行元は福岡県遠賀町の自動車学校。

いっけねー! 俺申し込んだの厚賀じゃなくて遠賀じゃーん! テヘペロー!!

初日 1659厚賀駅前→(路線バス)→1709大節婦

 

厚賀からは路線バスで大節婦停留所に向かいます。大節婦という名前ですが、日高本線大狩部駅の最寄りの路線バス停留所です。

大狩部はホントーに海の目の前にあり、息をのむほど景観素晴らしい駅です。ただ、そのために路盤流出被害が著しく発生してしまった駅でもあります。実態はどのようなものなのでしょうか。

どうやら国道の下部を貫くトンネルを抜けると駅があるようです。

まだ駅は見えませんが海は見えています。これは胸が高鳴ります。今でこそ代行バスの停留所がありますけど、周囲に全く駅と示す標識がないので、知らない人はなかなか行き着くのが大変な駅だったんじゃないかな。

いざトンネルに足を踏み入れると、とてつもなく冷たい海風が吹き付けてきました。興奮で鼓動が早まっているのが分かります。わくわく。

 

おおお……!

 

 

 

沈みゆく夕陽と相まって絶好のロケーションです。Do As Infinityのジャケ写みたい。そしてひいては返す波の音だけが響く、まるで時が止まってしまったかのような待合室。

やはりここも鉄道で来るべきだった……。あんなに時間のあった学生時代の夏に戻れるなら間違いなくここを訪れます。いいか、講義もないのに無意味に大学に行ったとしてもお前が望むような漫画的ラノベ的イベントは一切発生しない。

ホームから見える線路はご覧の通り、大きく湾曲していることが確認できます。これは素人目にも復旧は厳しいということが分かります。いつまでもあると思うな駅と路線。

ずっとここにいたい気もしますが、まもなく代行バスがやってきますのでしっかりと目に焼き付けて駅を後にします。さらば大狩部。続いて静内まで向かいます。

初日 1734大狩部【廃止⑤】→(代行バス)→1802静内【廃止⑥】

静内では代行バスの運行系統が変わるため、上りも下りも必ず乗り換えが必要になります。みどりの窓口もあり、日高本線中間の拠点駅です。いよいよ本格的に暗くなりましたが、代行バスはまだ走っているので行けるところまで行きましょう。

初日 1820静内→(代行バス)→1832東静内【廃止⑦】

静内から一駅先の東静内へ向かいます。この時間になると元々少ない乗客の数はさらに減り、私含めて2人とかそれくらいの数です。

こりゃ高波被害がなかったとしても廃止は当然の流れだったかもしれないな……。

さて、とりあえず無事に着いた東静内駅。駅舎に行くやいなや違和感に気付きます。待合室とホームに明かりが点いていないのです。そりゃまあ、代行バスはバス停に停まるのだから駅に明かりは必要ないのかもしれません。

でも……それでもまだ駅のはずです。バスを待つ人たちが使うために明かりを点けていてもいいではありませんか。辛うじてトイレだけは明かりがあったので真っ暗、ということは免れましたが、明かりがない可能性があるというのは想定外でした。こりゃあ日高本線の駅めぐりは相当厳しそうだ……。

だもんで駅ノートを書くにも一苦労です。昔の人は蛍の光や雪明かりで勉学に励んだと言いますが、私はトイレの明かりで書きました。

せっかくなので駅舎をバックに自撮りをしました。うん、アンビリバボーで取り上げられるヤツだ。はは、なーんつって。

 

お 分 か り い た だ け た だ ろ う か

 

やめろよ急に。ホントにお焚き上げが必要なヤツなのかよ。

この写真には、自ら課した下車ルールにがんじがらめにされた自縄自縛霊の怨念が滲み出ているのだ。

そんなくだらないことを言っているからなのか急に寒くなってきました。寒いけど駅舎内は暗くて怖いしちょっとバス停から離れていて万一逃したらシャレにならないので、バス停近くの電話ボックスを風よけにしました。ありがとうNTT。公衆電話ってのはいざというときに役に立つもんだな。

初日 1906東静内→(代行バス)→2039清畠【廃止⑧】

東静内から静内に戻り、さらに戻って清畠へ。こんな時間にこんな場所で降りる人なんていないから運転手さんが面食らっていたよ。この日最後の訪問地がこの清畠駅です。11分後に上りの代行バスが来てしまうから急いで駅舎の撮影などを行わなければなりません。ヒェェェーイ!!

もう来た。

初日 2050清畠→(代行バス)→2135静内

この日は静内に宿を取りました。朝、おにぎりとサンドイッチを食べてからグミくらいしか口にしていないのでめちゃくちゃおなかがすいていたのですが、この時間になるとどの店もやっている気配がありませんでした。マジかよ静内。なんかあれよ静内。

仕方がないので我らがセイコーマートで北海道っぽいものを買ってきてホテルで食べました。おいしかったです。

初日はバスに乗ってばかりだったので皆さんも生ぬるく感じて、なんだよこれくらいなら俺だってできるじゃんカネ返せ、などと思われたかもしれませんが、本当の地獄は翌日からです。今にして思えばよく生きて帰ってきたと実感します。とりあえずビール飲んで寝ました。

2日目 0609静内→(代行バス)→0726絵笛【廃止⑨】

まず5時半起き地獄です。まだ全然暗いんですけど。

目覚めのコーヒーを飲もうにも売店もやっていないので缶コーヒーしかありません。まあ別に私は違いが分かる男ではないので何でもいいけどね。それでも北海道限定を選んじゃう辺りミーハーさんです。

だーれも乗っていない代行バスの始発で絵笛というところに向かいます。

朝だからバスの中もクソ寒い。クソ寒地獄です。裏起毛のパーカーとコートを着ていたのですが、さらに間にウィンドブレーカーを挟みました。全然あったまらない。寒い。寒さに耐えながら1時間ほど乗車し(寒い)、あと1駅で絵笛(寒い)、というところで運転手さんから(寒い)話しかけられました。

「寒いですよね。暖房故障しちゃって、色々やってるんですけどすみません。ご辛抱ください」

暖房故障してたのかよ!!!

そりゃ寒いに決まっている。でもツッコんだところでどうしようもないので私は震える声で「大丈夫です」と言いました。

そしてようやく絵笛のバス停に到着、極寒のバスからの解放、写真を撮るなど動き回れば多少は温まる!

と思い降り立ちましたところ、雨が降ってきました。雨地獄←New!

さらにさらに、絵笛の代行バスの停留所は絵笛駅から約2.3キロ離れた場所に位置しており、ということはつまり駅まで歩かねばならないのです。徒歩地獄も追加じゃあ。

片道ならまだいいのですがまた戻ってこないといけませんから、朝っぱらから4.6キロほどの行軍スタートです。みんなこういうのを望んでたんでしょうか?

ひぎい。

往復4.6キロの道のりを歩きます。

しとしとと降るみぞれ混じりの雨が私の体力をじわりじわりと奪っていきます。しかも雪や氷で路面状態は最悪です。フツーのブーツでは歩きにくいことこの上ありません。

それでも転ばぬように歩を進めていくと踏切が見えてきました。鉄道関係のオブジェクトが見えてくると駅も近いのではないかと錯覚しますがまだまだ先は長いようです。

ところで、いきなりですがここでクイズです。

Q.この踏切には足りないものがあります。それはなんでしょうか?

 

うーん、なんだろうなぁ。夢と希望?

確かにね。もう列車来ないもんね。絶望しかないよね。まあそれもそうなんですが、答えはこれです。

A.遮断桿(しましまの棒)が無い

 

もうさ、最初から鉄道を復旧させる気なんてなかったんでしょう? これを見て確信したね。

悲しい気持ちになりましたが、駅には行かねばなりません。気を取り直して行軍を再開します。

この辺り、日高地方はサラブレッドの産地として知られており、駅に至る道中も数多くの牧場がありました。穏やかだなあ、と、穏やかでない心持ちで思いました。

カメラも雨でレンズが曇って今イチピントが合いません。

そのうち足先の感覚がなくなってきましたが気のせいということにして歩き続けました。まだ序盤もいいところだぞ……。

牧場地帯のど真ん中にある駅にたどり着いたのは8時過ぎ。

ここ人ンちの敷地じゃないの? って道を歩いた先にある待合室はもはや牧場の付帯施設のような感じです。

そんな場所なので当たり前ですけど誰もいません。これまでの駅と比べ、代行バスが停まる場所から離れているため訪れるテツの数も少ないようです。

さ、ひとしきり駅を満喫したところでまたバス停まで戻らねばなりません。そーれっと。

戻ってきました。文章だと2、3行ですが実際は30分かかっています。雨は一層強くなってきました。やっぱり寒い。

2日目 0927絵笛→(路線バス)→0935浦河一丁目

代行バスの合間を縫うように路線バスが走っているためこれも有効活用いたしましょう。絵笛からは浦河町の中心部に移動します。

浦河駅は後々行くとして、この時間は観光協会へ向かいます。なぜか。ここに日高本線の廃止を惜しむスタンプが設置されたからです。私は駅などのスタンプも集めているのでしっかり押さねばならないのです。

ちなみにこのスタンプは同じくスタンプファンの方が個人で作成して寄贈したもの。素晴らしい取り組みですね。

次のバスまでは若干時間があるので装備を調えましょう。まさか北海道でこんな雨になるとは思わなかったので折りたたみ傘すら持ってきていませんでしたからね。傘を買うために雨に濡れるのですが致し方ありません。肉を切らせてなんとやらです。

傘を求めて歩いていると、唐突に現れた国道235号の終点。国道ってこんなにあっさり終わるのか。感動もへったくれもない。

ちなみに私が人生で一番感動した終点は、アメリカ・ルート66です。シカゴとロサンゼルスを結ぶ旧道ですが、今でもしっかりシカゴとロサンゼルスに終点の標識が残っています。

現在は高速道路に役目を譲りましたが、沿線は古き良きアメリカという雰囲気がありありと残されています。

学生時代に友人と横断したなぁ。またやりたいなぁ。誰か出資してくれないかなぁ5000兆円くらい。

 

でも今は5000兆円より傘がほしい。

あった、あった。セコマがありました。セコマは本当にいいところにあるね。

セコマ最高!!!

結論から言うとセコマに折りたたみ傘は置いていませんでした。セコマ最高とか言ったけど冷静に考えたら道すがらにコンビニがあるのは一般的なことです。ただのコンビニに最高とか過大評価甚だしいです。

 

折りたたみ傘が売ってなかったから、じゃあどうすんだって、結果こうなりました。

うん、ないよりマシ。

でもカッパを着た途端に雨がやみました。俺の人生こんなんばっか。

2日目 1029浦河五丁目→(路線バス)→1059様似駅前

またまた路線バスを使って、日高本線終着駅である様似の駅前停留所まで行きます。もうバスの30分も苦じゃなくなってきた。順応力って怖い。

うん、終着駅にふさわしいこぢんまりとした佇まいですな。路線の末端を示す車止めが物寂しい。車止めなんてなくても、もう二度と列車は来ないのだから。終着駅ってのはそもそもどこか哀愁漂うものなのですが、一層の寂寥感がありますね。

 

そんな状態でもきっぷ売り場は営業しています。みどりの窓口ではないためできることは限られますが、駅に人がいるというのはそれだけでありがたいことです。とりあえず窓口の前に置かれていたスタンプを押しておきましょう。

駅舎には観光案内所が併設されていて、ちょっとしたお土産なんかも買うことができます。

観光案内所のスタッフ曰く、廃止後は建物自体もどうなるか分からないとのこと。おそらく町のものになるが、維持するにも費用がかかるしこの時点で見通しは立っていないそうです。とりあえず往時の日高本線を写したポストカードを買いました。

2日目 1135様似駅前→(路線バス)→1229えりも岬

さて、ここから日高本線からは離れるのですが、またしてもバスに乗ってえりも岬停留所、つまり襟裳岬へと向かいます。冒頭の写真を撮るためだけに、です。まあでもこのバス路線も北海道フリーパスで乗れてしまうのですから別に損はしません。時間以外は。

乗客は私の他にお一人いました。でもすぐに降りていってしまいましたので実質私の貸切状態。

襟裳岬って観光地でしょ? 観光地に向かうバスがこんなんで大丈夫か? 夏に行った宗谷岬はもっと賑わっていたのに。これが南北格差ってヤツか……。

 

バスに揺られていると途中、えりも駅という名のバス停がありました。バスなのに駅とはこれいかに。

かつて様似から先、襟裳広野を経由して帯広に至る鉄道路線計画があり、先行してバスが開業していました。結局モータリゼーションや国鉄の赤字などで鉄道敷設計画は頓挫し、襟裳まで鉄道が通ることはありませんでした。いずれ鉄道駅になることを夢見て名付けられたのが「えりも駅」という訳です。

ただ、日高本線が廃止となったらそれまであった様似駅などはなくなるのですから、名称として残る日高地方唯一の駅はえりも駅になるかもしれません。鉄道があった街の駅は消え、鉄道が通ったことのない街の駅は残る。何とも皮肉なものです。

そこからさらに岬めぐりのバスは走っていきます。悲しみ深く胸に沈めて走れコウタロー

えりも岬のバス停に着きました。降り立つやいなや吹きすさぶ冷たい風。風地獄です。後で調べたら風速10メートル以上の風が吹く日が年間260日以上あるそうです。そんなところに来ちまったのか。

襟裳岬では1時間くらいゆとりがあるので軽くメシ食ってお土産買って散策しましょうね。

 

どらどら、これが観光地にありがちな土産物屋と食事処が併設された店かな。

んん?

シャッターが降りていますね。立派なものです。

シャッターが降りているということは、シャッターが降りているんですね。

ちょっと状況が把握できないのですがシャッターが降りているようです。

 

ようやく理解しました。シャッターが降りています。

ということは、まさか定休日なのでしょうか。うそーやっちまったなァ……。んじゃこっちは諦めて、なんか風の館とかいう観光施設に行ってみるか。

はっはーん、なるほどなるほど。冬期休館ね。でも見てよこの入口を。雪で塞がってるじゃん。そりゃ誰もバスに乗ってないわけだ。

襟裳に何もないのは春だと思ってたけど冬はもっと何もねぇな。観光地なのにそんなことあるんだ。

まあ確かに台風並みの強風と断崖に打ち付けるグレーの荒波を見るとまるで死に場所を探しに来たかのような感じだよ。メシにもありつけないけどとりあえず写真だけでも撮ろう。そのためにわざわざ来たんだ。夏の宗谷岬では観光客同士で写真を撮り合ったけど、今回は誰もいないのでセルフタイマーで撮ったのでした。

それにつけても風が冷たすぎてカメラも携帯も瞬く間にバッテリーがなくなっていきました。やはり冬に来るところじゃないのかもしれない。でも大自然の雄大さを感じることはできるので、行きたい人は行ったらいいんじゃないかな! とはいえ通路に残った雪で滑ったら確実に死ぬので、行く場合は細心の注意を払われたい。

2日目 1327えりも岬→(路線バス)→1420様似駅前

 

折り返しの路線バスで無事に襟裳岬を脱出し、様似駅前に戻ってきました。いい加減おなかがすきましたので様似駅近くで何か食べましょう。14時過ぎまでやっているお店は限られていますがいい塩梅にラーメン屋があるじゃあありませんか。

ガタという耳慣れないラーメンを注文すると、ツブ貝の入った餡かけラーメンが出てきました。くぅ〜、こいつぁ冷えた身体に沁みるぜ。地獄ばかりってワケじゃあないな。

2日目 1510様似駅前→(路線バス)→1524日高幌別

ばっちりエネルギーを補給したところで駅めぐり再開です。またしても路線バスを使って日高幌別へ向かいます。

ここは簡易郵便局と食事処が同居した駅。そんなんめちゃ楽しそうじゃん!

閉まってました。

襟裳岬に続いてシャットアウト地獄。この日は土曜日だったため郵便局がやっておらず、なまじ人が出入りするところだからバッチリ施錠されてしまうのですね。失敗した。

外から見ると2階もあるような立派な造りだけど、ここも廃線になったらどうなってしまうんでしょうか。

今度は国道336号の起点がありました。

ちなみに私が人生で一番感動した起点は、アメリカ・ルート66です。シカゴとロサンゼルスを結ぶ旧道ですが、今でもしっかりシカゴに起点の標識が残っています。

現在は高速道路に役目を譲りましたが、沿線は古き良きアメリカという雰囲気がありありと残されています。

学生時代に友人と横断したなぁ。またやりたいなぁ。誰か出資してくれないかなぁ7000兆円欲しい!

2日目 1603日高幌別【廃止⑩】→(代行バス)→1610東町【廃止⑪】

久々にやってきた代行バスに乗り込んで次の目的地・東町へ。まあまあ人が乗っていて驚きましたが、テツだけでなくちゃんと地元の人も乗っていたので一安心です。

東町は近くに日赤病院があるなど比較的活気がある場所でした。バス停から駅までは400メートルほど離れているので少々歩くことになります。

東町駅は住宅地の合間にぽつねんと建っていました。

これまた三角屋根のちんまりした駅舎で、街の人に愛されたのではないかと思われます。ここも現役時代はオーシャンビューの素敵な駅だったのでしょう。

ただ、線路は……

線路は、浜から流れ込んだとみられる砂に埋まっていました。このまま砂浜に飲み込まれて朽ちていくのかもしれません。線路が飲み込まれるなんて、なんかSFの世界みたいだな。

2日目 1629東町→(代行バス)→1642鵜苫【廃止⑫】

20分ほどですぐ下りの代行バスが来るため駅でのんびりもしていられません。バスを逃さないようにきちんと余裕を持って戻る必要があります。大体どこの路線バスも遅れるのが常なのに、この代行バスに関してはほぼ定刻でやってきます。

いいことなんですがちょっと遅れても大丈夫、というのがないので、ギリギリの時は本当にゴリゴリのギリギリです。

そんなん鉄道だとしてもダイヤ通り来るんだから時間を守るのは当然だろうが、とおっしゃる方、鉄道なら駅とバス停の移動がないのですよ。全てのバスはきちんと駅の前に停まるべきだ。

東町から向かったのは鵜苫。久しぶりの車掌車駅でした。

駅舎にかわいらしく施されたペイントも所々錆びて剥がれ落ち、一層の寂寥感を醸し出しています。当時筆を執ったであろう子どもたちはこれを見てどう思うのかな。

駅が廃止されるということは、その駅を使っていた人、地元の人々の思いに触れる機会がなくなってしまうということです。廃校などもそうですが、やはりモノや施設というのは人がいてはじめて後世に受け継ぐことができるのですね。ふと、そんなおセンチな気分になってしまいました。

一方、待合室に目を向けると、誰が置いたのかラノベがありました。

待ち時間を有効活用してもらおうと、代行バスを利用する人への配慮でしょうか。

惜しむらくはどれを読んでも途中からということでしょうか。多くを望んではいけないけどあれよ1巻

2日目 1709鵜苫→(路線バス)→1718様似駅前

またまたやってきた様似。なぜか。実は様似ではまだ路線バスしか使っておらず、きちんと代行バスに乗らないといけないからです。あんなに行ったり来たりしていたのに全て路線バスだったのでした。俺じゃなかったら見落としてたね。

2日目 1726様似【廃止⑬】→(代行バス)→1731西様似【廃止⑭】

代行バスに乗り込んで隣の西様似に行くことで、両駅とも下車クリアとなります。

ただ西様似駅もバス停から600メートルほど離れています。

往復だと1.2キロ。

次のバスまでの猶予は30分ほど。余裕がそれほどあるわけではありませんので急いで駅に向かいます。

ひえー暗い。駅前大通りのはずなのに街灯すら数えるほどしかない。アレかな、この辺りでは日が暮れたら寝るとかそういう生活を送ってるのかな。

駅に着く頃にはもう真っ暗でした。駅舎内に明かりはやっぱりなく、カメラのフラッシュが頼りです。ここもペイントが施された車掌車駅ですが、やはり錆だらけ。楽しげなイラストがかえって寂しさを助長しています。

列車は来ないはずなのに、東静内と違ってホームの明かりは生きていました。暗いことに変わりありませんが、明かりがあることでなんとなく列車が来そうな錯覚に陥ります。

一通りの撮影を終えて、また走ってバス停に戻ります。大丈夫、まだ大丈夫だ。

2日目 1759西町→(路線バス)→1804様似駅前

路線バスの停留所としては西町という名前に変わりますが、先ほど降り立った場所と同じです。もう代行バスにも乗れたので様似には特に用はないのですが、それでも戻るのはきちんと待合室があってあったかいからです。

2日目 1845様似駅前→(路線バス)→1910役場前

様似から浦河の役場前停留所まで路線バスで行きます。浦河は日中に来ましたがやっぱり路線バスしか使っていないため、浦河駅でもきちんと代行バスに乗らねばならないのです。

とりあえず浦河駅に着きました。

浦河は水曜と土曜、それに第2・第4月曜だけみどりの窓口を営業するという一風変わった駅です。私が到着した頃はすでに窓口は閉まっていましたが、待合室はしっかり明かりが点いていました。やはり窓口がある駅はひと味違うぜ。

ここも日高本線にしては比較的大きい駅ですが、もちろん待合室にいる人はなく、存分に独り占めさせていただきました。なんせ代行バスが来るまで1時間あるのですから。

若干手持ち無沙汰感があるので駅舎内を探索してみると、私見つけてしまいました。

これはどこにでもあるような住宅地図。浦河町がどんな街なのか、仔細に記載されています。

アダルトビデオ 強烈販売!

駅に張る住宅地図に踊るアダルトビデオの文字。やるじゃん浦河町。もっと表現をボカせ。アダルトビデオだけに。

 

初めての英語の授業で「SIX」を習ったときの男子中学生のような気分だね。男子ってホントガキよね。

まあ大人のお店の広告を見つけたからといって、それで暇つぶしができるほど妄想たくましくありませんので、時間はまだまだ有り余ります。

どうしたものかと思案にふけっていると、思い出しました。「大狩部高台」の存在を。

当初全くノーマークだったこの代行バスの停留所に行けないものか。作っておいたダイヤグラムとにらめっこしてみます。

静内から最初に大狩部に向かって……

……路線バスで…………

ここで歩けば、この代行バスに乗れて…………

 

行けるやんけ!!!

翌朝路線バスで向かって、なんやかんや組み合わせればうまいことハマるではありませんか。その他の行程では多少無理をすることになりますが、それで大狩部高台に行けるなら無茶もきくでしょう。

いやー突発的事案にもしっかり対応できるのはやはり冷静で的確な判断力があったからにほかなりません。へのつっぱりはいらんですよ。

2日目 2015浦河【廃止⑮】→(代行バス)→2131静内

浦河のバス停に戻ると強風が吹き付けていました。旗のはためきがえげつない。もう風はいいよ。

やってきた代行バスは貸切状態でしたがとにかくこれで浦河もクリア。

 

ようやく15駅達成で、廃止予定駅めぐりも半分というところまで来ました。

でもその代償としてこの日も夕食はコンビニ飯。セブンイレブンで北海道限定というあんかけ焼そばを買いました。ビールも飲みました。キューピーコーワゴールドも飲みました。とてもつらい。

3日目 0630静内→(路線バス)→0657大狩部

結論から言うと、この日が一番しんどかった

そんなことになるとは朝の段階では露ほども思わず、大狩部高台に行ける行程を組めたことにほくほくしながら静内のバス停にいました。

前日のような天候不順もなく、実に心地よい朝を迎えています。朝イチの路線バスで大狩部停留所へ向かいます。

見事な朝焼けだ。会社がある日はギリギリまで寝ているから拝むことはないけど、早起きして立ち上る朝日を眺めると心が洗われるようだよ。もう二度と列車が走らない線路にも変わらず陽光は差し込んでくる。

 

まだ人も街も起ききらない時間に行動するのはなんだか得した気分になりますね。朝早いというのに浮かれ気分です。

30分ほどでたどり着いたこの大狩部停留所こそが、代行バスでいうところの大狩部高台駅に当たります。なるほど、元々あった路線バスのバス停に代行バスを止めてほしいというような要望があったのでしょう。

大狩部高台というだけあって、本来の大狩部駅とはアップダウンがあるから日常的に行き来するには不便なんだと思われます。ということは少なくともこのあたりには利用客がいるということですかね。

それにしても時刻表に載らないというのはかつて国鉄時代にあったという仮乗降場を思わせる扱いの駅ですね。運賃も大狩部駅と同一とみなして計算するようです。なに、仮乗降場が分からない? 特に問題ないので大丈夫です。

 

3日目 0713大狩部高台【廃止⑤’】→(代行バス)→0744静内

ほどなくしてやってきた下りの代行バスを捕まえて大狩部高台もクリアです。鉄道駅自体は大狩部なので、廃止駅⑤’としておきましょう。

静内に戻ってくるとにわかに活気づいていました。よく考えたら静内は前日も前々日も利用するのが朝早いか夜遅いかということで人の少ない時間帯しか見ていませんでした。ようやく本来の姿を見ることができました。

ずっと気になっていた弁当店も開いていました。立ち食いそばがあるようなので、これを朝食にしましょう。ちゃんとしたものを食べられる嬉しさよ。

おすすめを聞くと、一番注文があるのがえび天そばだというのでそれを頼みました。幅広の衣にえびが1尾揚げられているちょっと不思議な天ぷら、そして黒いつゆは甘みを感じる風味豊かなもの。関東ではあまりないような味わいで、実にんまかったです。

ここも廃線後はなくなってしまうのでしょうか? バスターミナルとしての機能は残るでしょうから営業を続けてほしいものです。

3日目 0920静内→(路線バス)→0951東別入口

路線バスを使って東別入口停留所へ向かいます。入口というくらいですから集落からは離れたところにある停留所です。よって駅からも離れています。というかそもそも本来の目的地である日高東別駅自体が内陸部にあり、沿岸を往く国道から離れています。

とにかく路線バスが走らないところにある駅なので歩いていかねばなりません。その距離は2.1キロ、Google先生によると約26分かかるということです。そしてその次は1028時に日高東別に来る代行バスに乗らねばなりませんからゆとりは40分ほどです。まあ順当に行けば大丈夫でしょう。

2.1キロを往く。

のどかな牧場地帯を歩いていきます。近くを通ると牧場のおうまさんたちが「なんか来たぞ」「なんやなんや」みたいな感じで一斉にこっちを見てくるのがかわいらしいですね。

納税は我が家と社会つなぐ糸

こういうのが唐突に現れるから歩きだのチャリだのでの駅めぐりはやめられないね。

納税でしかつながれない、そんな社会はお断りだポイズン。そりゃ国民の義務なので納めますけど、だったら還元してほしいね。GoToとかでさ!

ちなみに、五七五の俳句だの標語だのには、どんな名句でも一気に俗っぽくなるという魔法のような下の句があります。やってみましょう。

 

「納税は我が家と社会つなぐ糸 それにつけても金の欲しさよ」

 

高尚な理念を詠んだ上の句に真っ向から相反する下の句。きれい事だけでは生きていけないこの世の真理を詠った狂歌となりました。いちおく兆円欲しい。

やあやあ、日高東別駅に着きました。代行バスのバス停は駅前にあるから助かるな。駅はちいちゃな待合室がぽつんとあるだけの簡素な造り。例に漏れず駅ノートが置かれていたので一筆書いて閉じようとしたところ、ふとある書き込みが目につきました。

2021.2.7
25年ぶりに来ました。
なつかしく、高校生時を思いだしました。
大切な思い出のある駅です。今日、初めて子供を
つれて来ました

 

こんなに胸を打つ書き込みがあるのが駅ノートなのです。

この方が、仮に18歳まで駅を使っていたとしたら今はおそらく43歳くらいでしょうか。そして25年ぶりということは、もうこの東別でない別のどこかで暮らしていて、完全に廃止になる前に自分の思いが詰まった駅をお子さんに見せようと、わざわざやってきたのでしょう。もしかしたら初めて連れてきたというお子さんも高校生くらいかな、当時この駅を使っていた自分と姿を重ねたのかもしれません。

そして、ただ子供をつれて来たという事実を書いた。もしかしたら、青春時代を見守ってくれていたこの駅に、自分はここまで成長したのだという姿を伝えたかったのかもしれません。

全て憶測で、間違っていたら申し訳ないのですが、やはり駅というのは利用していた人の思いがいくつも詰まっているのだと実感する書き込みでした。

自分も高校時代に使っていた駅があります。でも卒業後にその駅から乗ったことなんて数えるほど。そこにあるのが当たり前だと思っていましたから。それでもまだふるさとの駅が存続しているというのはありがたいことだと受け止めないといけないのかもしれませんね。真面目か。

 

3日目 1028日高東別【廃止⑯】→(代行バス)→1033春立【廃止⑰】

ちょっとしんみりしたところに代行バスがやってきました。30分近くかけて歩いてきた道もバスなら一瞬です。5分ほどで隣の春立駅へ到着しました。春立は閑静な住宅地の一角にありました。

春立なんて希望に満ちあふれた駅名ですが、列車の来る春を迎えることなく役目を終えることとなります。というようなことを駅ノートに書き込んだら、ちょうど日差しがドキュメンタリー番組のように差し込んでいました。

ゐわむらが書き込んだ駅ノートには、廃止を憂える言葉が残されていた——。

 

もしも私の偉業(全駅下車)が後世、多くの人に認められたら再現VTRで使ってもらおう。

ちなみにWikipediaによると地名の由来はアイヌ語の「ハル・タ・ウシ・ナイ」(食料となる草の根掘りをいつもする沢)だそうです。安直に「春田牛内」にするセンスの人が名付けないで良かったね。

日高東別であんなにセンチになったのはなんだったんだと、自分でも感情の温度差にびっくりしました。

 

3日目 1054春立→(代行バス)→1134荻伏【廃止⑱】

続いて向かったのは荻伏。荻伏では24分後に出る路線バスに乗らねばならないのですが、ここも路線バスのバス停がある国道から離れた場所に駅が位置しており、その距離1.4キロ。徒歩で17分かかります。

すると駅に滞在できるのは7分しかない計算になります。さらにバスが停まるのも駅から300メートルほど離れた場所であり、これを差し引くと駅にいられるのは4分。4分て。

トータル1.7キロ。

実はこれは朝、大狩部高台に行ったことによる変更プランによるもの。本来は行きも帰りも代行バスを使うはずだったのでトータル1.7キロの移動は存在しなかったのです。でもやっちゃったからにはやるしかない。

バス停に着いた。

4分。4分でいったるで。

うおお、脳汁がドバドバ出ている。走れ。

駅前に到着。

ぴのも青ざめる韋駄天っぷりで駅舎、ホーム、駅名標などの撮影をこなし、鮮やかなターンを決めると荻伏市街停留所に向かって駆け出していました。

これでも昔は箱根路を駆ることを夢で見た男だ。関東学連選抜なのに区間新(参考記録)を出した夢。美大なのに。ええい、ごちゃごちゃうるせぇうるせぇうる星よ。黙って走るのに集中しろ俺。男は黙って乾杯をもっとおいしく。今日も元気だビールがうまいっちゃ。

とりとめもないことを考えながら走っていると、なんだかんだ時間的ゆとりが生じているじゃあありませんか。余裕があるなら写真だって撮っちゃうもんね。

と、ここで案内標識があったんですよ。道路標識ね。そしたら見てくださいよこれ。

」の字が上からステッカーで貼ってあるの。これ絶対「」と間違えたでしょ!! なんか行政がこういう間違いをすることに嬉しくなっちゃいましたよ。うんうん、似てますもんね「荻」と「萩」。

 

「あー、僕もね、たまに分かんなくなるんですよ。僕が小木なのか矢作なのか」

「いやそれは病気だろ」

 

自分の中のおぎやはぎも何か言ってます。まあそんなことを考えるくらい余裕を持ってバス停に着いたわけです。

 

3日目 1158荻伏市街→(路線バス)→1216三石駅前

 

少々遅れてやってきた路線バスに乗り込んで三石駅前停留所を目指します。この辺りは国道が海沿いを走っているのできっと夏あたりは心地よいドライブが楽しめそうです。

三石駅前停留所は文字通り日高三石の駅前にあり、代行バスも同じところから出ています。こりゃあ楽でいいや。

日高三石駅は木造の立派な建物で、地域のコミュニティスペースにもなっているようです。

驚いたのは入口が自動ドアだったということ。

どれだけの需要があるか分かりませんが、待合室の中は小綺麗に保たれていました。

駅前にはセコマもありましたので昼食を調達します。

それにしてもほとんどの食事がコンビニというのはこの旅の過酷さに拍車をかけています。もっとちゃんとしたものを食べたいのですが、修行中の身のため欲を律しなければならないのです。ああ、高菜明太マヨ牛丼が食べたい

 

3日目 1241日高三石【廃止⑲】→(代行バス)→1247蓬栄【廃止⑳】

日高三石にやってきた下りの代行バスで蓬栄に向かいます。蓬栄は内陸部にあり、周囲は見渡す限りの雪景色です。待合室はお便所と一体となった建物でした。

ホームに出てみるとガチガチのアイスバーンになっていて、凍っていないへりの部分を歩かねば転倒は必至という状態。

そんな氷の上に何か細長いものが落ちています。

もしかしてンコじゃない? ガチガチに凍った犬のンコでしょ! 嬉々として近づきます。

ンコじゃなくてコーンでした。何でよ。

あっ、これ知ってるぞ。「ホームにコーン落ちてるwww」とかTwitterで呟こうもんなら最寄り駅が特定されるっていうストーキングの手口でしょう?

蓬栄で???

 

3日目 1247蓬栄→(徒歩)→1342本桐

謎のコーンは文字通り置いておいて、蓬栄からは駅間徒歩に移ります。駅とバス停間の徒歩は何度かありましたが、駅間徒歩はこの旅では初ですかね。

Google先生によると本桐駅までの距離と時間は3.6キロ44分。現在時刻は13時ちょうど。そして本桐を出るバスは1342時。間に合わねぇじゃん。ぐわわー、コーンごときに余計な時間を取られてしまった……。

さらに本桐駅でも撮影することを考えると1330時には着いていたいところ。するってぇと、10分で1.2キロのペースで走らないといけないのか。ぴえん。

うおおお、やったるで。走ってやる。俺は業をせおつちまつたんだ。もはや体面など気にせずありのままさらけだすぜ。Let it 業。

だだっ広い北海道の大地をひたすら駆けていきます。とにかく電線もなくて、道と野っ原だけ。こういう景色、アメリカのインディアナ州あたりで見たぞ。

途中やっぱり「なんやコイツ」みたいな目で見てきたおうまさんたちを尻目に、清冷な空気を胸いっぱいに吸い込みながら一目散に本桐を目指します。

うおおおお!!!

うおおおおおおおおお!!!

オラー!! 着いたぞ……!

 

時刻は1331時。ほぼ目標ペースで走れました。

これなら大人の足で3時間かかるっていう七国山病院だって光の速さで行ってやりますよ。さっき蓬栄に落ちてた“とうもころし”を持ってな!!! あでもどうせ行くなら猫バスがいい。代行猫バス。代行って付くと途端に現実に戻されるな。そんなんサツキとメイも鼻で笑うわ。

本桐駅は割に広い待合室がありましたが、駅前は住宅地のためやはり少々離れた路上に代行バスが停まります。ということは本桐駅を堪能できるのも僅かです。急いでホームも撮影しましょう。

ホームはやっぱりアイスバーン状態でした。そして線路は完璧に雪に埋まっていました。それでもどこに線路があるか分かるように雪が積もるってのはどういう現象なんでしょう? ふしぎ!

留置線の車止めがニョキッと頭を出しているのがもはや悲しいを通り越してかわいらしいですね。

ものの5分程度で駅の撮影を終えて代行バスの停留所に向かうと、若い地元のおにーさんが一人バスを待っていました。テツでない一般の利用者を見るとちょっと安心します。

バス停に着いて1分ほどで代行バスがやってきました。ギリギリセーフ。久々にシビれたぜ。

 

3日目 1342本桐【廃止㉑】→(代行バス)→1439静内

あれだけひーこら言って走ってきた道を、代行バスは赤子の手をひねるかのようにたやすく進んでいきます。エンジン万歳。産業革命万歳。

さっきのおうまさんたちも一瞬で通り過ぎてしまった。

 

半分死にながらバスに揺られること約1時間。流石に疲労もピークに達したのかついウトウトしてしまいました。

ケツのねえ、肉が取れる夢を見たよ。

まあはかた号じゃないんでそれは嘘ですけど、走った疲れは乗り合いバスじゃあ取りようがないんですよ。なんとか体力を回復しようと体勢を変えるなどしているうちに静内に着いてしまいました。ストレスでハゲそう。ああしんど。アルシンドにナッチャウヨ!

 

3日目 1439静内→(徒歩)→1619新冠

新冠までの5.1キロをどうするか、真剣に悩みました。歩くと1時間くらいなのでまあ余裕を持って到着はできるのでしょうが、先ほど黄色ゲージまで減ってしまった体力を考えると、タクシーを使ってもいいのではないだろうか。そうだ、あんだけ走って脚が痛くなっているんだから血出てるはずだ血ィ

ブーツを脱いで確認してみるとなんと脚から血は出ていませんでした。これはおかしい、この痛みなんだから拇指球あたりが摩擦で水ぶくれになって血が滲んでいるに違いない。血が出てたらタクシーを呼んでしまえ。そう思って何度確認しても血は出ていませんでした。畜生、出とけよ血。

血が出てないので徒歩で新冠へ向かうしかありません。タクシーは疲れたからといって安易に使っていいものではないのです。まあ普通の人は疲れたからタクシーに乗るんだろうけど。

新冠に向かってレッツらゴー。未舗装道でも驚かないね。

 

ところで次に向かう新冠、読めますか? 私も初見じゃまず読めなかったですし、おそらく大多数の方は読めないのではないでしょうか。日高本線の中でも読み方が分かりづらいランキングでは堂々の1位です。今私が決めたんですけど。まあ別に好きに読めばいいと思うよ。「にいかっぷ」て。

風がこれでもかというくらい吹き付けてきます。みんゴルだったら明らかにOBに飛んでいくレベルです。ファー。風が強いのは海が目の前に迫っているからでしょう。歩きじゃなければ最高のロケーションです。

おまけに今歩いているのは国道なのでトラックも軽自動車もまあまあいいスピードで走っています。海風と車風、合わせて200万パワー。これは華奢な僕が飛ぶくらいの強さ。つまりしんどいです。

冷たい風が当たっているのですが動いているからか身体の芯は温かく、なんなら汗ばむほどポカポカしています。マジで冬の北海道で何やってんだろう。ほんっとつくづくウルトラ馬鹿だと思います。碇もとい怒りでいっぱいです。英語で言ったらアンカーもといアンガーでいっぱいですよ綾波ィ! それもこれも被災して列車が通らないのがいけないのです。高波ィ!

あっ! 新冠、もしかして、シン・カンムリ𝄇じゃない? 違うか。笑えばいいじゃん、最低だ俺って気持ち悪い。

自家製ソフトクリームだって。まあどう考えても廃業しているんですけど、残された看板が私のソフトクリーム欲を惹起させてしまいました。新冠駅に至る途中には道の駅があったはずです。頑張って歩き抜いたら道の駅でご当地ソフトなぞを食べてやりましょう。

そうだ、それがいい。

今私を突き動かしているのはいずれ訪れる甘美なひとときへの期待感だけです。ソフトクリームのことばかり考えていたらいつの間にか街に差し掛かっていたようです。

馬服も洗えるコインランドリーを過ぎると道の駅は目の前でした。

ソフトクリーム!!!

そふとくりーむは、ありませんでした。

そふとくりーむは、なかったのです。

なぜならば、きかいを、せんじょうするから、早じまいになってしまったのです。

まだ、4じにもなっていないのに。

そふとくりーむは、なかったのです。

もうマヂ無理。ぼくはかなしみにうちひしがれて咆哮した。

アイスクリーム ユースクリーム ソフトクリーム

 

ニキビがとっても痛い冬のお兄さんは、肩に汚れつちまつた悲しみが雪のように積もっています。期待が大きかったぶん、その反動も大きい。なんとか見なかったフリをして事なきを得ましたが、俺が次男だったら我慢できなかったね。

 

気を取り直して駅に向かおう。

うん、綺麗な駅舎だ。ちょっと元気が出た。

元気は出たけど新冠にやってきた代行バスは満席。代行バスで立つハメになるとは思わなかったよ。ソフトクリームはないわ、席はないわ。もうやるせないわ

でも日高本線も残すはあと3駅。なんだかきょうイケそうな気がする〜。ホントに?

 

3日目 1619新冠【廃止㉒】→(代行バス)→1655豊郷【廃止㉓】

途中で高校生たちが降りていったので席が空いたんですけど束の間もいいとこですよね。ほんの10分くらいですよ座れたのは。

それでも腰を下ろしたのは次の豊郷がまあなかなか鬼畜スケジュールだからです。今乗っている代行バスの4分後に来る路線バスに乗らねばならないのです。また4分か……。

ちょっとでも遅れたら全ての行程が崩れます。そんな状況なので少しでも脚に休息を与え、降り立ったあとの時間に全集中するのです。

 

果たしてバスは定刻通り到着しました。JRってのは本当に正確なんだな。と、感心するのもそこそこに早速駅舎を記録しないといけません。運のいいことにここは駅前にバスが停まるので移動に要する時間は少なくてすみます。

これはちっちゃい駅舎!

これは1面しかないホーム!

そしてこれは郵便局の……! なにこれ。

うわーもうバスが来た。

 

3日目 1659豊郷→(路線バス)→1726汐見入口

なんとか4分で全てをこなした男はもう怖いものが何もありません。日高本線? ああ、あと2駅だけ残ってるアレね。うんじゃあまあ適当に行ってみようか。もう全駅達成したつもりでいます。

でも一応次の行程を確認しておきましょうか。ふーん、次に降りるのは汐見入口って停留所ね。ん? 入口……? 入口ってこたぁ駅とはちょっと違うところに停留所があるのかな。

停留所から駅までの距離はというと……

汐見駅は汐見入口から……え、2.8キロ先? そんなに離れてるの? 猶予は27分で、徒歩だと35分かかる。

んん? 何このプラン、繰り下がりのある引き算を間違えたのかな。28さいにもなって?

まあ確かに高校時代に200点満点の数学のテストで6点をたたき出したことのある男だから繰り下がりのある引き算を間違えることくらい躊躇なくやりかねません。ふふん、地方の自称進学校はね、あるのよ、点を取らせないための校内模試ってやつが。それにしたって6点はひどい。

駅舎の撮影等を考えると、20分くらいでたどり着かねばなりません。ぐぬぬ……。

出来らあっ! えっ、20分で2.8キロを!?

路線バスは無情にも私を置いて走り去っていきます。

 

絶望のバス停にはプレイボーイが散乱していました。

どうしてこんなところに……。まあボクは別に修行中の身なので興味なかったんですけど、おそらくこれを読んでいる皆さんはご関心がおありだと思ったので渋々ながらもご開帳を試みたのですが、ガッチガチに凍っていて開けませんでした。煩悩をもてあませ。

ハニトラに引っかかりそうになっている間に日が暮れてきた。

カラスたちも家路を急ぐ夕暮れです。私も駅路を急がねば。なんだ駅路って。

絶望の直線。アメリカかよ。

一層寂寥感が増す夕闇の色合いはシック、私はただ独り駅に向かって疾駆、自らの脚を駆る一方駆られるのは家に帰りたいという衝動、つまりホームシック。悲しくてしっくしっく。そうこうする間にそんな走行が奏功、宣言通り20分で来ました着きました泣きました。動く点Pをも凌駕した。

 

20分で着いたのは我ながら素晴らしいことこの上なく、200点満点で300点の出来なのですが、18時前ともなるとすっかりどっぷり日が沈んで夜がやってきました。

私の使命は駅を記録すること。

普通に全景が撮れればいいのです。だのに私のスマホときたらこれです。

こんなに情感たっぷりに撮るのです。

モネじゃん。

印象・駅の灯。

スマートにもほどがある。

ぐわーモネとか言ってるうちにもう来た! 代行バスが来た!

 

3日目 1753汐見【廃止㉔】→(代行バス)→1812富川【廃止㉕】

代行バスに乗り込みました。乗ろうとした瞬間、運転手さんがギョっとしていました。それはそうです。汐見などというおよそ乗客などいなさそうな駅で、汗だくになって肩で息をしている大荷物の男が乗り込んできたのですから。よく乗車拒否されなかったな。

20分かけて走ってきた2.8キロの道のりもバスに乗ったらやっぱり一瞬です。エンジン万歳。産業革命万歳。こんなんばっかだよ。

しかも何がアレって、よく分からんところで乗ってきた男がまたよく分からん場所で降りるのです。富川は比較的街なかにありますが、別に観光客が来るような場所ではありません。奇異の目で見られながらも富川に降り立ちます。

はい、降りた。

 

何ということなく降りたという描写をしましたが、代行バスで富川に降りたことによって、なんと日高本線の全駅を下車したことになったのです。

え? わ、わーい。

やはりバスだからかあんまりやったった感がないな……。

最後の仕上げとして駅舎を撮ります。これまた立派な木造駅舎です。やっぱり列車で来たかったな。

駅舎内に入ると、外観とは裏腹にちょっとしたギャラリーのようにこざっぱりとした空間が広がっていました。

しかもなんだかライティングの感じと無造作に立てかけられたホウキが現代アートのよう。

ちょっと出っ張った台には駅ノートが置かれていました。

これは来場者がノートに書き込むことで完成する作品ですが、最終的に廃駅になってみんなの思いもチリと消えます、というメタファがホウキに込められたものであって、多くの人が書き込めば書き込むほど儚さが増すという諸行無常を表現したもの。見る側が知った風に解釈するのが現代アートです。勝手にやってろ。

アートの名の下なら何でもアリなので私の駅めぐりもアートかもしれない。壮大なインスタレーションですね。

日高本線をやりきった喜びより寒いという感情の方が大きくなっています。というのも今度はもの悲しい暗闇の中、1時間もバスを待たねばならないからです。汐見との落差が激しくて風邪ひいちゃう。

 

3日目 1918富川→(代行バス)→1938鵡川

希望のヘッドライトじゃあ!

私は根っからの心配性なので、定刻からちょっとでも遅れると「脱線してたらどうしよう」とか「時速80キロ以下になると爆発する爆弾が仕掛けられていてルートを変えざるを得なくなっていたらどうしよう」とか考えてしまうので、遠くから徐々に大きくなってくる車両の明かりほどほっとするものはないですね。これで鵡川に戻ります。

初日以来の鵡川は苫小牧を目指す人がまあまあいました。久しぶりに本来の鉄道路線に戻ります。

駅に入線してきた列車は2両編成で、切り離し作業が行われていました。新人の運転士さんが先輩の指導を受けながら必死に覚えようとしています。私が言うのもなんなんですが、JR北海道の希望の星だと思います。やっかいなテツに負けずがんばれ。

 

3日目 1958鵡川→(列車)→2015勇払

皆さん、覚えていたでしょうか。最初に降りたのが浜田浦とかいうよく分からん駅だったことを。そして廃止されない区間も全駅降りると宣言したことを。廃止されない日高本線の駅は5つありますが、今回すでに降りているのは苫小牧、浜厚真、浜田浦、鵡川。

あと1駅、勇払駅があるのです。駅降リストとして、降りるべきです。

頭では分かっていても身体が思うように動きません。降りたら極寒の中さらに1時間待ちです。防衛本能が働いているのかもしれません。へへへ……身体は正直じゃねえか。近づく勇払、つくづく憂鬱。

 

でも降りました。

駅には希望がある! 浪漫がある! 定食屋あれ!

はいないー

私を置いて遠ざかる列車を眺めているとやっちまった感がドバドバ押し寄せてきます。勇払駅前には何もないことが判明したのですごすごと待合室に戻りました。

駅ノートの書き込みを見ると近くでワカサギ釣りができるらしい。そうだよね、そういうレジャーに行くために使うもんだよね、鉄道ってさ。ほんでおでかけ体験型メディアって、本来こういうところの体験談を記事にすべきですよね。

「受付でつりざおとエサを受け取って、レッツワカサギ釣り!」

「ホントに氷に丸く穴を開けて釣るんですね〜。」

「あっ、かかりました! 初めてでも簡単に釣れますね!」

「釣ったワカサギはその場で天ぷらにしてもらいました。揚げたてはとってもジューシー★」

 

書いてて泣きたくなってきた。

何が悲しくて30手前になって鞄の底から見つけたセブンのたらこバター醤油おにぎりで飢えをしのがねばならないのでしょうか。ジューシーもへったくれもない。その後のことはよく覚えていません。

 

3日目 2112勇払→(列車)→2124苫小牧

 

3日目 2148苫小牧→(特急)→2258札幌

 

4日目 0635札幌→(特急)→0800旭川

気付いたら札幌で朝を迎えていました。日高本線の全駅下車を達成した代償に生ける屍と化した私でしたが、一晩寝たら意識を取り戻しました。

いつもの私なら寝坊確定のようなスケジュールだったにも関わらず、前日に飲んだキューピーコーワゴールドが効いたようです。あと脚に塗りたくったバンテリンコーワ。ヤバいなコーワ製品。覿面すぎる。

 

薬の力で半分ムリヤリ覚醒させられた感がありますが、人影まばらな札幌駅へ向かいます。

特急を使ってまずは旭川まで行きますよ。

わぁい特急。あかり特急大好き。

わぁい仕事。あかり仕事大好き。いや、大好きじゃない。大好きなわけがない。有休、だぞっ!

旭川行きの特急の中で朝からシコシコ「表題の件につきまして」などとメールを打っていたら一面の雪景色が広がっていました。関東民からすれば日高地方だって十分雪はありましたが、旭川近辺はなんか規模が違います。日高は四天王の中でも最弱だったのかもしれません。2メートルくらい積もってるんじゃないのこれ。

 

4日目 0810旭川→(列車)→0820伊納【廃止㉖】

北海道第2の都市、旭川です。この時間になってくると通学や通勤のため行き交う人の数が増えてきます。人の波に身を委ねて普通列車に乗り換えると、果たして車内はすでにいい塩梅の混雑状況です。

ボックス席に陣取った高校生グループが男3女1で楽しそうにやれ世界史がどうだ、三角関数がどうだなどと話しています。微笑ましいですね。

列車は定刻通り出発したのですが、そのグループの知り合いの先輩が発車に間に合いませんでした。だめでした。ホームに置いてけぼりにされる先輩を笑う後輩たち。俺も笑った。それもまた青春だよ。

列車は10分ほどで伊納という駅に着きました。ここは函館本線で唯一廃止になる駅です。旭川に近く、比較的アクセスがしやすいということもあり、私のほかテツが4人降りました。物好きですね。

驚くべきことにホームが除雪されていません。ギュムっと雪を踏みしめる音が響くくらいですから歩くのが大変なことこの上ない。

そんな中なのに、降りたテツのうちの1人にファンキーなおじさまがいらっしゃいまして、よく見るとビーサン履きでした。これくらいタフじゃないとテツはやっていけないのかもしれません。

そして待合室はというと、埋まってます。

その佇まいはすでに廃止されているかのごとく。駅前にはぽつりぽつりと民家とおぼしき建物がありますが、まあみんなクルマ使っちゃいますよね。駅前一等地だけれども。

こんな駅でもちゃんとホームが2面ありますから、次の下り列車に乗るためには跨線橋を渡る必要があります。反対側はより雪が深く、およそ人が使っていい環境にありませんでした。

 

4日目 0842伊納→(列車)→0955伊香牛

伊納に別れを告げて旭川に舞い戻り、そこから今度は石北本線に乗り換えます。石北本線もまあ本線とは名ばかりで、じぇんじぇん列車の本数がありません。その上、廃止になるような駅は普通列車でも通過してしまうことがあります。よくそんな駅が令和の時代まで生き残っていたな。

だからやっぱり上下線をうまく組み合わせてあげる必要があります。まずは廃止されない伊香牛駅へ行きます。

伊香牛も伊納に負けず、フツーにホームに雪があるね。駅名標は埋まってるし。このあたりはこれがデフォルトなんだろうか。なんだか自分がとんでもなく愚かなことをしているんじゃないかと思ってきた。

 

4日目 0955伊香牛→(徒歩)→1113将軍山

伊香牛から歩きます。どうせみんなこれを待ってたんだろ? 向かうは先ほどの列車で通過してしまった将軍山駅です。Googleマップ先生によると2.7キロ、33分ですので余裕を持って歩けるでしょう。前日の汐見入口から汐見駅までの行軍と比べたら屁でもないわ。

ただ大きく違うのは雪の量。車道は除雪されていても歩道はないがしろにされがちです。恐る恐る国道へ出てみると……。

やっぱり! どうせ歩行者なんていないんだと言わんばかりの路面状況です。ちょっとでも気を抜くと転倒してしまうような悪路です。変なところに力が入るからか膝の裏のスジが痛くなってきた。

雪かきをしているおばあちゃんがいたので挨拶をします。

すると「どっから来たんだい?」と。

「栃木ですよ」

「どこさいくんだい?」

「将軍山の駅まで行きます」

「お兄さんもかい! あんれこないだも来たっけね」

将軍山の駅に徒歩で向かうキワモノツワモノは私以外にもいるようです。時間に余裕があるのでおばあちゃんに色々聞いてみると、今冬はいつもより雪が多いこと、昔は将軍山の駅も大勢の人で賑わったこと(昔というのがいつのことかは分かりませんが)、おばあちゃんが天気のいい日には将軍山の駅まで散歩していること、たまに列車で旭川まで買い出しに行くこと、でも大概はクルマを使ってしまうこと……。

なんというか、駅というのは地域のランドマークでありシンボルであることがうかがい知れます。こういう存在がなくなってしまうのはやはり寂しい。

互いの武運を祈って決別し、目的の駅へ向かいます。

 

一面の雪景色。これぞ北海道。

凄い雪に圧倒されますが、でもまあおばあちゃんが散歩しているくらいですから、ほどなくして到着しました。

ホームは雪と同化していて、駅名標がなければそこが駅であると分からない気がしますね。待合室は引き戸が半開きになっていました。

雪が入り込んでこれ以上開かないし閉まりません。

ここ3年で腹回りに肉がついてきた私ですがギリギリ入れました。駅間徒歩とかやってるのに全然肉が落ちません。学生時代は全く肉なんてなかったのに……。若さは気付かぬうちに消費されていくな。

待合室内にはソファと、なぜかどっかの車から取ってきたシートが置かれていました。車のシートを置いてもなお溢れかえるくらい、人で賑わったんでしょうね。

そして何がびっくりしたって、フツーに一般の乗客がやってきたことですね。テツ以外に利用者いたのか……。

 

4日目 1113将軍山【廃止㉗】→(列車)→1126北日ノ出【廃止㉘】

時間通りやってきた上りの普通列車で北日ノ出に向かいます。ゆりかもめに日の出駅がありますね。その北部に位置しているから北日ノ出駅です。北過ぎるだろ。

まあそれはなんですけど、この駅の特徴は何と言っても旭山動物園の最寄りということです。徒歩25分。うん、十分歩けるな。なんか自分の中で徒歩の基準がバカになってる気がする。

北日ノ出も将軍山同様、石造りの待合室がありました。やたらとノートの類いが充実しており、力作イラストのモノクロコピーがテイクフリーで置かれていました。

なぜこんなに愛されているのだろう……。やっぱり駅名の「」かな。

国鉄・JRの駅でカタカナが使われているところ、あんまり見ないし。だからこれが「の」だったら見向きもされていなかったかもしれない。ブランディングの勝利です。廃止されるけど。

 

4日目 1126北日ノ出→(徒歩)→1233永山

さて、このあとは旭川まで戻りたい。

石北本線は1126時に上りが出たあと、1359時の下りまで列車が来ません。北日ノ出以外の駅ならば12時台の下りもありますが、いずれにしても下り列車だと旭川から離れてしまいます。

じゃどうするか。前の文でわざわざ石北本線と書いたのが伏線になっていたんですね。ここから5キロ離れたところに宗谷本線永山駅があるのでそちらに徒歩で向かいます。伏線の回収が早い。

 

5キロっちゅう距離は前日静内から新冠の間で歩きましたね。大体1時間くらいでした。

現在時刻は1137時。永山駅を出る列車の時刻は1233時。間に合わねえじゃん。だからさ、ちゃんとしとけよ計算を。

 

ええい、考えるな、感じろ。赴くままに歩を進めろ。NIKEのCMかってくらいひたむきに繰り出しましたよ僕は。

永山は割と最近駅スタンプが設置されたようなのでぜひとも押したい。そうすっと、少なくとも5分は巻きたいですね。ヒエー。

やっぱり歩道は雪がものっそい残っています。雪ならまだ踏みしめればなんとかなるのですが厄介なのはアイスバーンです。ホントは凍っているのにその上に雪をかぶせて、さも自分は無害ですよ〜って雪道に擬態したヤツがいるから油断ならない。

フフン、こんな道誰も歩かねぇんだろうな、俺が歩いてやってるんだよなどと一人ほくそ笑んでいたら前方に女子高生が一人で歩いていました。えっ、この道を、ひとりで? 流石に歩幅は私の方が広いですからすぐにその女子高生に到達しました。

時速5キロで動く点Pが先行する点JKに追いついた瞬間の気持ちを答えなさい。数学かと思いきや国語の問題です。

答えは、通報されたらどうしよう、でした。まあ別に声をかけるわけではないのでアレですが、歩いているだけで通報されるご時世ですからね。こわいこわい。

 

ようやく標識に「永山」の表記が見えてきました。

雪道で「永山」の文字を見ると一瞬「氷山」に見える。これってトリビアになりませんか。

 

なんて言ってるこの時点でリミットまで30分。距離だとあと半分強。ぐぬぬ、JKに気を取られて全然巻けていないではないか……! これはもう転ぶリスクを取ってでも走るしかない。行っけー。

ゐわむらゎ走った…… でも……ぁしのこゅびの爪ゎれてイタイょ……

なぜ私はこんな脚を痛めて汗みどろになって北海道のよく分からない場所を走っているのだ。永山の駅で私を待つ竹馬の友もなければ、邪智暴虐の王だってないではないか。もういっそこのまま発狂して虎になってやろうか。それとも宗谷本線の列車にはねられてのちに城崎温泉で療養でもしてやろうか。ああ、文豪になりたい

 

文豪になるには高い壁がそびえ立っていますが、その前にまず信号が立ちはだかっています。

駅は目と鼻の先だというのに一向に変わる気配がありません。

発車時刻の6分前です。

焦る気持ちが募ります。

6分もあれば普通の人は全然余裕だと思うのですが、青になった途端に私が走るもんだからつられて女性の方も駆け出しました。するとさらにつられておばあちゃんまで小走りになりました。君たち、もっと自分を信じろ。

私は自分を信じて走ったら間に合ったのだ。写真も撮ったしスタンプだって押した。その気になればなんだってできるんだ。でも想定より早めに列車が入線してくるもんだから、焦って財布とスマホを窓口前に置き忘れそうになったよ。信じすぎるのも良くない。

なんか撮った覚えのない写真も残っているし。目が血走っていてやべーヤツになってる。

 

4日目 1233永山→(列車)→1248旭川

止めどなく流れてくる汗の処理に困り果てながら旭川に戻ってきました。本当によく間に合ったと自分を褒めてあげたい。取り急ぎ駅の立ち食いそばで腹ごしらえをしましょう。

静内同様、やっぱり甘みを感じるおつゆが疲れた身体に沁み渡ります。

 

4日目 1335旭川→(特急)→1643豊富

死にそうになりながら永山に到達し、そこから旭川に戻ってきたのは特急に乗るためです。

特急に乗ってどうするかって、夏にあれだけ必死こいて巡ってきた宗谷本線にまたしても行くのです。たった1駅、徳満駅のためだけに。ここから得られる教訓は「駅にはとりあえず行っておけ」です。

この調子で駅が消えていったら北海道の地方路線は特急しか走らなくなり、駅も主要な都市にしか存在しなくなるかもしれません。そして私は孫たちに言うのです。

「昔は北海道には300以上の駅があってのう」

「まーた始まったよおじいちゃんのJR北海道話! ワープ使えば一瞬じゃん

なーんつって、そもそも鉄道自体がなくなっている愉快な未来があるかもしれませんね。

 

そんなこと言っている間に、私を乗せた特急は、2020年夏の夕方に降り立ったエモみの権化みたいな北星駅に差し掛かりました。

うん、いるな猛者が。シャッターを切るタイミングが若干遅れてその猛者が主役の構図となってしまった。僕は北星駅を撮りたかっただけなのに。

 

北に進めば進むほど雪が深くなっているような気がします。

ほら、分かります? キタキツネがいますよ。

雄大な天塩川をぼんやりと眺め、到着を待ちましょう。天塩川の写真は撮り忘れました。

 

4日目 1643豊富→(徒歩)→1849徳満

3時間の乗車で疲労が若干回復したと思いきやまた徒歩です。しかも5.1キロ。また5キロか……。

列車の時刻まで2時間あるので永山のときのように走る必要はないと思いますが、さすがにげんなりしてきました。

とりあえず豊富駅に併設された観光案内所でスタンプ押そ……。

わぁい、3種類もあるぞう。

歩き出した途端に辺りが暗くなり出しました。また暗く寂しく寒い夜が来るのだ。セコマでエネルギー補給しよう。昼にそば食べてから特に動いていませんがね、列車に乗っているだけっていうのも疲れるのよ。

前日も食べたけどこのオニオンコンソメ風味のチキンがめちゃくちゃ美味いのです。一生食ってられる。

徳満に行くには線路と並走する国道を北上すればよいのです。また国道。やっぱり歩道はないに等しいし大型車がブォンブォン過ぎ去っていきます。

 

暗いし怖いし、挙げ句の果てに、分かりますこれ?

雪ですよ雪。ついに雪に降られました。なんだかとても疲れたよパトラッシュ……。

ほらまるで黄泉の世界に誘われているようだよ。

永山では汗だくになるほどでしたが今は寒さが私を殺しにかかっています。これ足を止めたら二度と進めなくなるヤツだもう何も考えずに進むしかありませんこれはヤバい。

 

あっ!

ちょっとテイストの違う灯りが見えるぞ!

ほら! 徳満の文字だ!

 

ということは……!

あったぞ!!! 何よりも神々しく輝く徳満駅だ!!!

ヒャッホーゥ! 徳満最高ー!!

先客がいました。マジかよ。

 

どう考えてもこのクソ狭い待合室に2人は密です。先客の方に断り、待合室内を撮影だけさせてもらって自分は雪のしんしんと降るホームで待ちます。なんだかんだで駅にたどり着いたのが列車の時刻の30分前くらいだったので駅名標など撮影していればすぐでしょう。

べっべっ別に寒くなんてないんだからね!

いやさみーよ。さみーに決まってる。早く列車来い。さもないとホントにネロになりかねん。

 

4日目 1849徳満【廃止㉙】→(列車)→2339旭川

来た!!! 希望に満ち満ちた上り列車がやってきました!

 

一人降りた上に、駅にいた人は乗りません。物好きにもほどがある。

これに乗って徳満駅もクリアです。廃止予定駅も残すは1つ。やー、ついにここまで来たか……。

 

さ、ここから旭川まで5時間。5時間!?

 

ほぼ宗谷本線を走破するってことだからまあ時間がかかるのも分からなくもないけど、徳満のためだけに半日費やすことになるのか……。

よいこのみんな! えきをめぐるときは、こうりつよく、けいかくをたてよう! おにいさんとやくそくだ! しぬから。

5時間後。

 

私はすっかり静まりかえった旭川の街におりました。この旅で、初めてちゃんとした夕食を取りました。

雪が静かに厚みを増していく中、旭川ラーメンをすする音だけが夜のしじまを突き破るように響き渡りました。

嘘。10人くらいの学生グループがめちゃくちゃはしゃいでいました。陽キャこええよ。

 

5日目 0835旭川→(特急)→1048生田原

おはようございます!!!
この日頑張って、石北本線生野に到達できれば廃止予定駅全駅下車達成となります!!!

テンションが高いのは朝がゆっくりだったというのもあります。睡眠大事。

晴れやかな気分で特急のシートにどっかと腰を下ろし、まずはメールチェックから。結局毎日仕事してるな。

前日訪れた北日ノ出と将軍山をあっさり通過して2時間の道のりを往きます。

普段2時間と聞くと長く感じますが、前日5時間を経験した私にとっては一瞬です。ほらもう生田原に着いた。

生田原の5.1キロ手前が、私にとって最後の到達地・生野駅となります。ということでまた5キロ1時間の道のりを歩きます。

ホントーにこれが最後です。私も長かったけど皆さんも長かった。よくここまで読みましたね。もうちびっとだけ続くんじゃ。

生野で列車が出るのは2時間半後なので、すぐに出発してしまっては少々持て余しそうな気がします。

であればちょっと早いけど先に昼を取ってしまってエネルギーを補給した上で雪中行軍に臨んだ方がいいのではないか。いやいや、そんなことやってるとまたギリギリになるぞ。今すぐ行くべきだ。

また脳内で侃々諤々、喧々囂々とした議論が交わされているかのようですが、あっさりと昼メシを選びました。

なんかここまで怖いくらい行程通りにこなせているからもう何があっても行けそうな気がする。私が神だ。

 

というわけで、生野駅とは逆方向にある食事処「ぽっぽ家」さんに行ってみることにしました。

所狭しとテツグッズが並べられた店内は、人当たりの良いご主人がにこやかに対応してくださる心地よい空間です。

おすすめと書いてある「ぽっぽ丼」を注文してみます。

甘辛く味付けされた豚肉が熱々の石焼き鍋で供され、これは実に最高にこの上なく美味い。お肉がとってもジューシー★ これでかっきり1,000円というお値打ち価格です。このためだけに生田原に行ってもいいと思えるくらいでしたから、皆さんもこのためだけに生田原に立ち寄ってみてくださいね!

なんかおでかけ体験型メディアっぽいことを書いている気がする。

 

5日目 1048生田原→(徒歩)→1315生野【廃止㉚】

時刻は1155時。ぽっぽ家さんにお礼を言って、生野へ参りましょう。歩道は比較的雪が少なく、永山に向かう道なんかよりまだ歩きやすいです。この辺りの住人たちに普段使いもされているのでしょう。

 

その証拠にすでに誰かの足跡があります。

でも途中変なタイミングで足跡が消えました。

 

なんかの心変わりで引き返したのしょうか。この先には地元民でも引き返すような何か得体の知れない不穏なものが潜んでいるのでしょうか。ちょっと不気味だけど行きましょう。ここまで来て引き返すわけにはいかない。

川の先に鉄道の鉄橋が見えますね。駅名は「いくたはら」ですが河川名は「いくたわら」のようです。たまにこういう表記ゆれがあるのが地名の面白いところです。

 

川を越えて残りは3キロほど。とぼとぼと歩いていると、後ろからやってきたプリウスが私の前に停まりました。覆面パトカーに捕まるようなことはしてないはずですが……。まさか永山のJKが通報していたのだろうか……!! 変な人が歩いているって!!!

運転席から顔をのぞかせたのは60代くらいのおじさま。私に向かって語りかけてきます。

「どこまで行くの?」

「生野駅です」

「みんな生野が好きだねぇ。乗ってくか?

ええっ! 警察じゃなかった!!! というか嬉しい! でもそんな、悪いですよ……!

「方向一緒だから気にしないで」

逡巡しました。企画的には歩いた方が面白い……! でも、ここでせっかく施していただいた親切をお断りするのも忍びない……! うう……!!

 

乗りました。乗せていただきました。

 

ルール違反? そんなことはないです。駅に降りるか、駅から乗るかができればいいのですから、到達の手段は何でもいいのです。それにせっかく乗せてくださった方と会話をすれば、地域の実情が見えるではありませんか。ありがたく後部座席に座らせてもらいます。

聞けば、北見の方に親御さんが住んでおり面倒を見るためにこの辺りを行き来していること、ここ数日で何人か生野まで歩く旅人を乗せたこと、もう鉄道なんて何十年も使っていないこと、年齢を重ねると都会の方が住みやすいということ、いずれは札幌に引っ越すだろうこと……。そんなことを話してくれました。

地方には地方の良さはあるけれど、高齢化社会が進めば進むほど地方の暮らしは厳しいものになりそうです。

というか何人か旅人を乗せたって、足跡が消えていたのはもしかしてそういうこと?(名推理

歩けば40分くらいかかったであろう道のりも、救いの手を差し伸べてくれたおじさまのおかげで一瞬でたどり着きました。

ああ、念願の生野駅。たどり着いたということは私の優勝です。やり抜いた。私はやったんです。廃止30駅めぐりをやり抜いたのです。優勝したんです。

 

優勝したもんねーーーーー っ!!!

 

優勝した直後にホワイトアウトするくらい猛吹雪になりました。おじさまが拾ってくれなかったらガチで行き倒れで死んでたかも。

ちなみに生野の時刻表はこの有様。

上り1本、下り2本。絶望しかない。道中での行き倒れもさることながら、吹雪で列車が止まらなくてよかったよ。

待合室もない生野の駅で暴風雪ともいえる苦難に耐え、やってきた普通列車に乗り込み、ホントのホントーに2020年度JR北海道廃止予定駅全駅下車達成と相成りました!

もうしばらく駅めぐりはしたくない。

 

線路はつづくよ……

こうして5日間にわたった廃止予定駅めぐりは終わりを告げました。

廃止される駅を訪れてみて改めて感じたのは、どんな駅にも駅の顔があり、かつてそこを使っていた人たち、あるいは地域の人たちの思いが嫌というほど詰まっているということ。色あせた駅舎のペイント、在りし日の賑わいぶりの述懐、自分が使っていた駅を子どもに見せたかったという書き込み……。駅の数だけ、駅を使った人の数だけドラマがあるのです。

でも人がいなくなれば、当然駅がある必要性も消滅します。それは私を乗せてくれたおじさまの言葉に集約されていて、地方ではもう限界が来ているのです。

鉄道は残したい、でも維持するにはカネがかかる。そのカネを拠出するだけの体力はない。少子高齢化、さらに人口減に転じる中、地方のあり方、公共交通機関のあり方は抜本的な部分で改善していかねばならないのかもしれません。

一方、自治体や地域の人々が強い思いの元、維持すると決めた駅もたくさんあります。夏にあれだけひーこら行って到達した抜海をはじめ、18もの駅が自治体による維持管理に移行したうえで、存続することになりました。

北海道の鉄道を巡っては、今後新幹線の札幌延伸など大いに期待できるニュースもありますが、新型コロナウイルスの影響もあり厳しい状況はまだまだ続きます。だからまずは列車に乗って少しでも鉄道に貢献できればいいのかなと思います。

 

このクソ長い記事を読み終えて、北海道に限らず自身のふるさとの駅を久々に使ってみようかなと思ってもらえれば嬉しく思います。

 

え? 留萌本線?
うんまあ近いうちにね……レッツ……業……。