JR宗谷本線の廃止予定駅を全駅下車してきた夏の日の2020

JR宗谷本線、13駅が廃止予定駅として発表されました。抜海、上幌延、安牛、豊清水、(恩根内)、紋穂内、南美深、北星、下士別、北剣淵、東六線、北比布、南比布の各駅に向かいます。名寄以北は上下線が1日に各3本とかしか停車しません。

日本最北端・宗谷岬よりはじめまして。
ゐわむら(@iwamuraaaaa)といいます。

なぜ私が北海道の最果ての地にいるかというと、自分が背負ってしまったを処理しなければならないからです。

ちょっぴり鉄道が好きだったばっかりに、日本全国の鉄道に乗ってみたい! 全ての駅に降りたい! などと、大した覚悟もないのに乗り放題の悪魔(一般に「青春18きっぷ」という)と契約して旅を始めたのがハタチになる数日前。

結果、安くどこへでも連れて行ってくれる代わりに全ての駅に降りねばならない呪いをかけられてしまいました。あと駅スタンプを押さねばならない呪いも。

それから8年——いい大人になった今でも休みのたびに、ただただ乗っていない路線、降りていない駅を巡らないと生きていけない身体になってしまいました。

 

そんな私の天敵が「ダイヤ改正」。毎年3月になるとJRや各私鉄がこぞって利便性向上などとのたまって実施するのですが、その大義名分の下に路線や駅の廃止も行われてしまうのです。

特に北海道では過疎化が著しく、駅はあるけど周辺の集落は消滅してしまった、なんてこともあります。すると1日の利用客数が0人という駅もあり、そうなるともはや停車させるだけ無駄、駅としての実用性はありません。そして今年度のダイヤ改正ではそういった駅が一斉に整理されてしまう見込みなのです。

 

業を背負った「駅降りスト(今つくった)」は、なんとしても駅が廃止される前に行かねば死んでしまうということで、栃木くんだりからはるばる北海道までやってきたのです。

天下のGoToキャンペーンという後押しもあって、相場よりかなりリーズナブルに北海道に行くことができました。都民の方には申し訳ないですが言わせてください。ビバ税金。初めて地方民で良かったと思ったよ。

 

ということで、8月中旬の3日間を使い、北海道の北の果てを走る本線とは名ばかりのドローカル路線、JR宗谷本線の廃止予定の全駅下車をしてきました。今回はその汗と冷や汗の記録をお届けします。

ちなみに宗谷岬は絵になるという理由だけで行きました。たのしかったです。

 

※マスク着用やアルコール消毒液の携帯など感染症対策をしっかり取った上で実施しました。なお、一部激しい運動をする場面ではマスクを外している箇所がございます。

 

 

目次

ながい たびが はじまる ……

旅を始める前に、まずJR宗谷本線についてざっと説明します。

宗谷本線は旭川駅と稚内駅を結ぶ259.4キロの長大な路線で、幹線ではなくローカル線に分類されます。

駅数は53で、JR北海道によると、うち19駅が1日あたりの平均乗車人数が1人以下、10駅が3人以下、5駅が10人以下で、実に半分以上の駅がほぼ使われていないということです。

 

今回のダイヤ改正で廃止が予定される駅は北から順に次の通りです。

抜海、上幌延、安牛、豊清水、(恩根内)、紋穂内、南美深、北星、下士別、北剣淵、東六線、北比布、南比布

いいですね〜、読めませんね〜。早速試される大地に試されています。気合で読んでください。

このうち恩根内が括弧書きなのは、地元住民の意向により廃止撤回、存続が決まったからなのです。これが7月の出来事なのですが、実は他にも結論が出ていない駅があり、もしかしたら同様に存続する駅があるかもしれないし、これ以外にも廃止になってしまう駅があるかもしれません。

可能性だけで言ったら無限に出てくるので、今回の旅では当初廃止予定駅として上がった13駅を全て下車することにします。

 

13駅くらいなんてことないんでないの? と思われる方は都会っ子。駅が廃止になるような路線の運行ダイヤはびっくりするほどスカスカなのです。スッカスカだよスッカスカ。

南側の旭川〜名寄はいい方で、名寄以北は上下線が1日に各3本しか停車しないという駅がザラにあります。一度降りたら最後、何もない駅で7時間待ちという事態もありえるのが宗谷本線の怖いところ。ではどうするか、というところで考えついたのがこちら。

そう、折りたたみ自転車です。うん、まあ宗谷岬で写ってたもんね。最初から答えが出てたもんね。

なぜ折りたたみ自転車かというと、列車に自転車を持ち込み、目的の駅に着いたらそこから自転車で次の駅に向かう「輪行」ができるからです。輪行をすることで無駄な待ち時間をつくらずに効率よく駅を巡ることができます。

 

ところで冒頭で全駅「下車」と書きましたが、私の中のルールとして、列車から降りることだけでなく当該駅から列車に乗り込んだ場合も下車として扱うとしています。早い話が乗るか降りるかしなさいよってことです。だから駅に行くだけではダメです。必ず列車を使わないと呪いによって死にます。
上下線を組み合わせつつ、本数が少ないところは自転車、このような形で13駅を巡ります。

これまで駅間を徒歩で移動することはあったのですが、輪行は初めての挑戦です。果たして吉と出るか凶と出るか……。

 

8月12日15時40分 稚内→(自転車)→抜海【廃止①】

宗谷岬への寄り道を終え、バスでJR最北端の駅・稚内に降り立ちました。ここが旅のスタートとなります。

稚内から2駅、最北の秘境駅として名高い抜海に向かいたいのですが、列車の本数が少なすぎるので早速自転車です。18時22分に抜海を出る上り列車に間に合うように約15キロの道のりを漕ぎます。

 

と、その前に、みどりの窓口がある稚内では、列車に乗るためのきっぷを買っておかなければなりません。

今回はANAきた北海道フリーパスという4日間乗り放題となるきっぷを使います。このきっぷは13,150円で特急列車にも乗れるスグレモノ。宗谷本線は特急もうまく活用しなければ到底駅巡りなどやってられないので、都度都度きっぷを買うほど財のない平民にはありがた〜いサブスクリプションなのです。

なお、HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パスという一層お得なフリーきっぷもあり、来年1月までの周遊ならこちらの方が1日あたりの単価が安いです。私も本当はこっちを使えれば良かったのですが残念なことに利用期間外でした。

 

稚内駅に同居する稚内市観光案内所にはスタンプが7つもあったので嬉々として押す。

 

さて、きっぷを調達したところでいよいよ稚内を出発です。

駅や周辺のスタンプを押すなどしていたらなんだかんだで16時になってしまいました。それでも2時間20分の猶予があるのです。

なあに、ゆっくり漕いだって間に合いますよ!

 

稚内は港町だけあってオホーツク海から心地よい潮風が吹いています。

えげつないほど飛んでいるうみねこの鳴き声を聞き、風を感じながらのんびり自転車を漕ぐ夏の午後。まるで自分が青春アニメの主人公になったかのような心持ちで稚内の街中を駆けていきます。

 

いくら気持ちが青春アニメでも、アラサーともなると身体は衰える一方です。早速太ももが痛くなってきたではありませんか。まだ5キロも走っていないというのに。

そして北海道とはいえ夏真っ盛りです。気温はそこまで高くなくても、鋭い日差しが容赦なく体力を奪っていきます。ああ、もうこりゃしんどい。

 

心が折れそうなそんなとき、北の大地のように大らかな御心で手をさしのべてくれるのは道民のオアシス、セイコーマート

これまで何度か北海道を巡りましたが、いつもそこにあってほしいときに泰然と店を構えているのがこのセイコーマートなのです。ありがとうセコマ。ビバセコマ。はー、すずし。

 

大手コンビニがそうであるように、セイコーマートもオリジナルブランドというものを持っています。そこで見たことのない謎のエナジードリンク「バーサス」を購入し、残りの行程に備えます。

「己と戦え。」ですって。言われなくてもやってらあ。

 

再び自転車にまたがって先を目指します。

エナジードリンクを注入しましたがそんなものは気休めです。しんどいことに変わりありません。

 

しんどいながらも頑張って漕いでいたのですが、地元の女子小学生が私のことを駆け足で追い抜いていきました。フヒッ。変な笑い声が出た。

いくらのんびり行こうといってもこれではあんまりです。でも、ちょっとペースを上げようとしても足に全然力が入りません。

前世の行いが悪かったために「漕いでも漕いでも進まない地獄」に堕とされたのではと思うくらい前進しません。というのもこの道がなだらかな上り坂になっていたんですね。

折りたたみ自転車の20インチホイールでは漕ぐのにも限度があり、ついに押して歩くのがやっととなってしまいました。

 

距離でいうとまだ半分程度なのにこの体たらくです。しかも余裕があると思っていた時間も気付けば残り1時間を切っているではありませんか。

 

あれ、これ間に合わないんじゃね……? 脳裏によぎる最悪の事態。誰だ、ゆっくり漕いだって間に合いますよ! なーんつってたのは。

仮に間に合わなかった場合、一応20時台の終列車がありますが、そうするとこの日の宿に着くのが大変遅くなり翌日の行程に響きます。なんとしても予定通り到達しなければ……。

 

そんなことを考えながら自転車を漕いでいると突然私の視界が開けました。

おお……! 傾き始めた太陽、(そして私の写真技術がないばっかりに分かりづらくなっている)一面の大海原……。

 

夏だ、夏の夕暮れに私はいるのです……!!!

 

何言ってるのか自分でもよく分かりませんが、とにかく疲れ切った身体をねぎらうかのように雄大で荘厳な景色が私の目の前に広がっているのです。

絶景はいいのですが、あと1時間弱で8.6キロ。間に合うのでしょうか。

絶景ポイントを過ぎると、利尻礼文サロベツ国立公園のエリアに入ります。

河川敷球場なら500面くらいなら入りそうな原野が広がり、そして海を隔てた向こうには利尻島・利尻富士がうっすらと見えています。

素晴らしい眺望は息をのむほどです。時間に追われていなければね。

 

大自然の中の一本道をひーこら走っていると、なにやら前方に茶色い影が……。

ああっ、鹿です! 野良鹿がいるではありませんか!

北海道では野良猫より先に野良鹿に出くわしました。ところで抜海の駅にあと30分ほどで列車が来てしまうのです。しかも列車に乗るには自転車をたたまなければなりませんので、それを考慮すると猶予は20分というところでしょうか。

え? 残りの道のり? 4.5キロです。

いや余裕じゃん! と思われる方もあるかと思いますが、あなたと違ってもう既に10キロ余り走ってきたのです。

 

しかもちょっと前から生ぬるい海風がビュンビュン吹き付けています。稚内港の爽快な潮風とは打って変わって、アゲインストの風です。

絶望の直線。アメリカかよ。

というかまだ初日ですよ。なんでこんな疲れなきゃならないんでしょう。頑張れ私。

 

途中どうしてもツラくなって自転車から降りてみると、ここ数年経験したことのないようなハリが太ももを襲来、あっこれ止まったら一歩も動けなくなるやつやアカン。

まあ関西人じゃないのでアカンなんて言わないんですけど、なんかもうそうやって空元気で無理にでも楽しげにしないと死ぬんやで。

それでも漕ぎ続けてようやく青い道路標識が見えてきました。ばっちり抜海駅も記載されています。

左に折れれば駅まで約800メートル。ここまでくればもう気力でたどり着くばかりです。

 

漕いで……

漕いで…………

漕いで………………

あっ!!!!!

 

ばばば、抜海駅じゃあ〜!!!

 

これが、これこそが日本最北の秘境駅、抜海です!

何度くじけそうになったでしょうか。それでも私は、私はやりきったのです。15キロの道のりを、たった20インチの折りたたみ自転車で走破したのです!

 

私の中の徳光和夫さんが情感たっぷりにアナウンスを披露し、谷村新司さんがサライを歌い上げています。これで私の旅も堂々の大団円となりました! ご愛読ありがとうございました。ゐわむら先生の次回作にご期待ください。

 

いやいや違う違う。大団円どころかまだ1駅目です。到達した喜びでうっかり最終回にしてしまいました。

8月12日18時22分 抜海→(鉄道)→幌延

現在時刻は18時13分。列車が来る9分前です。

15キロの走行は想定よりだいぶハードでした。

 

抜海は昭和の雰囲気を色濃く残す木造駅舎です。最北端の秘境駅の称号は伊達ではありませんね。本当はもっとゆっくり駅に染みこんだ味わい深い空気を堪能したかったのですが、一通り写真を撮るので精一杯でした。

 

 

18時22分、遅れることなく列車がやってきました。抜海から乗ったのは私だけでしたが、降りたのは2人くらいいました。物好きですね。

 

 

 

8月12日19時15分 幌延

 

すっかり暗くなった幌延駅に降り立ってこの日の移動は終了です。

この日の宿は駅から徒歩1分のところにあります。1分て。というか駅を出ると最初に目に飛び込んでくるのがその宿です。

宿に着くやいなや百薬の長であるビールを流し込みました。やはりビールはいい……。頭頂部から足先まで身体の隅々に染み渡り、火照った身体を冷まして活力を与えてくれる……。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのであって、ビールを飲むとき、ビールを飲んでいるのです……。

 

8月13日06時21分 幌延→(鉄道)→安牛【廃止②】

なぜローカル線のダイヤというのはこうも朝が早いのでしょうか。前日あんなにしこしこ漕いだというのに5時半には起きねばなりません。

でもこれでもまだいい方で、稚内駅を出発する列車は05時20分という誰が使うんだダイヤが組まれています。仮に稚内に宿を取っていたら1時間も前倒して早起きせねばならなかったので、1日中駅巡りに費やせるこの日を最大限に活用するためには少しでも体力を温存できる幌延泊が必然だったのです。

そんな幌延に稚内から誰が使うんだダイヤの上り列車がトコトコやってきました。眠い目をこすりながら乗り込みます。意外と乗ってるな。

この列車で向かうのは秘境駅として知られる安牛駅です。

 

ところで、幌延駅や安牛駅があるのは幌延町という人口2,200人余り(2020年7月現在)の小さな町です。そんな町なのに駅は贅沢に8つ、ただしそのうち6つが秘境駅です。とんでもねぇな。

そこに目をつけた町は、寂れた駅があることを逆手にとって秘境駅で街おこしをしようと2015年から各種施策を進めていました(北海道幌延町 | 秘境駅の取組について)。

これが街を活性化させる逆転の王手飛車取りと思われました。しかし、JR北海道からは2017年3月のダイヤ改正で糠南南幌延下沼の3駅を廃止する方針だと、にべもなく打ち出されてしまいます。

みんなが前を向こうとした矢先の出来事、これはいけないと、町は駅を守ろうと啓発活動などを行うことにしました。かくいう私も、駅の保存活動に使われるならと、昨年のふるさと納税でちょびっと幌延町に寄付しました。しかし、それでも駅を維持していくには多大な費用がかかります。

 

もはやこれまでか——。町はこのたびのダイヤ改正で、受け入れることにしたのです。安牛上幌延の2駅の廃止を。

えっ、糠南と南幌延と下沼は……? という疑問が当然噴出しますが、なんとこれらは存続します。なんでよ。

 

おそらく町にしてもなんらかの駅を廃止せざるを得ないのは致し方なしとして、どの駅を切るか相当悩んだと思うんですよ。そこで着目したのが駅間の距離

安牛、上幌延は南幌延を挟んで南と北に位置しており、それぞれ2〜3キロ程度の間隔しかないのです。それなら2駅のユーザー(いるのか……?)は南幌延が使えるよね、だからそっち使ってね、はい、南幌延に統合です! ってことになったのではないかと想像するには難くありません。

寂れっぷりが著しい3駅より先にその役目を終えることになってしまったというのはなんと皮肉なことでしょう。たまたま近くにあったがために、運命の分岐点……いや、運命の分岐器が切り替えられてしまったのです……!

 

 

さあ、時刻は06時34分、渦中の安牛駅に列車が滑り込みました。降りるのは私だけかと思いきや、見知らぬ3人も降りたではありませんか。朝っぱらから何やっているんでしょう。物好きですね。

 

おおお、いかにもな雰囲気の車掌車駅です。北海道には使われなくなった車掌車を流用し、駅舎にしているところが多数存在します。なに、車掌車が分からない? 特に問題ないので大丈夫です。

 

北海道の厳しい風雪に晒されたせいか、外壁の塗装は元の姿が分からないほどにはがれ落ちています。

知らない人が見たらまさかこれが営業中の駅だと思うことはまずないでしょう。どう見ても廃屋そのもの、もしくは山中に放置された廃バスです。

そんな気の毒な外観とは裏腹に、内装は比較的綺麗に保たれていました。こうした駅でも維持管理をする人の手があることで、利用者は気持ちよく列車を待つことができます。

ただ、恩恵を受ける利用者<手間賃であることは明白です。廃止で残念という気持ちもあるのですが、よく今まで維持してきたなという感心の方が勝ります。

なんかヒグマの目撃情報も掲示されているし……。もしかしたら人よりヒグマのほうが多いかもしれない。

周辺の探索も含めてもう少しのんびりしていたい気がしますが、次の下り列車に乗らねば残り11駅が回れなくなります。06時46分の下り列車で次の駅に向かいます。

 

8月13日06時46分 安牛→(鉄道)→上幌延【廃止③】

安牛でのほんの12分の滞在を終えて、やってきた列車に乗り込みます。

安牛にいた全員が乗るようで、ホームで列車を待つ人々はさながら爽やか系青春インディーズバンドのジャケ写のような等間隔ぶりを披露しています。爽やか系は誰一人としていないけど。

 

列車は8分ほどで目的の上幌延駅に着きました。安牛の3人もさすがに降りないようです。

それもそのはず、ここで降りたら次に来る列車は10時29分。駅しかないような場所で4時間も待たねばならないのですから、地元民以外で降りる方がおかしいのです。まあその地元民すらいませんでしたけれども。

 

私はというと、上幌延からこの日最初のサイクリングを断行いたします。向かうのは40分ほど前までいた幌延駅です。幌延は特急が停まる駅なので、そこで07時32分に出る上りの特急サロベツ2号を捕まえようという魂胆です。

5.1キロの道のりを約35分で行かなければならないのですが、前日15キロが2時間10分もかかったことを考えると明らかに間に合わない計算です。やばたん。でも降りてしまったのでやるしかありません。背負った業は大きいな。レッツ業。

 

と、その前にしっかり上幌延の駅を堪能しましょう。

うん、安牛とあんま変わんねーや。

 

8月13日06時54分 上幌延→(自転車)→幌延

気を取り直して自転車にまたがります。クッションなんて入っていないサドルが私の尻力をじわりじわりと奪っていきます。本来痛くなっちゃいけないような、そけい部が痛くなってきた。

 

しばらく走っていると、およそ見慣れない標識が現れました。

北緯45度通過点!

 

っはー、北緯なんて聞いたの中学校以来ですよ。

緯線なんてどこでも通ってるんじゃないの? と思ったけどきりのいい数字で地上を通るところなんてそうそうないのかもしれないですね。幌延町、秘境駅もいいけどもっとこっちを推せばいいのに……。

というわけでこれが北緯45度のラインです。うーん、普通!!

感動もそこそこに、とにかく駅にたどり着くのが第一です。残り時間は約20分ですが、距離は2キロほど。あれ、なんか意外と巻いたな。

この日一発目の自転車ということもあり、キロ5分くらいのペースで走れています。

はい、舞い戻ってきました幌延駅(1時間ぶり3度目)。

なんやかんやで列車が来る15分前に着きましたよ。ただ、ペースが良くても疲労の度合いは変わりません。ストレスでハゲそう。ああしんど。アルシンドにナッチャウヨ!

 

8月13日07時32分 幌延→(特急)→和寒

幌延からは特急に乗って和寒に行くぜヒャッホゥ! 新幹線が新函館北斗いう辺鄙なところまでしか通っていない北海道では在来線特急が各地でブイブイ言わせています。

宗谷本線も例に漏れず2種類の特急が走っていて、こいつを乗りこなせるかどうかで駅巡りの命運は大きく左右するのです。

 

前述したとおり、宗谷本線は名寄より北は片手で足りるほどしか普通列車が走っていない閑散区間です。であればそんなところで暇を持て余すのではなく、比較的本数のある名寄以南まで特急でワープし、その区間を重点的に巡った方が効率がいいわけです。

これも特急に乗れるANAきた北海道フリーパスだからできる芸当です。だって幌延から和寒まで特急使ったら自由席でも5,830円ですよ? これだけでフリーパスの半分くらいは元を取ったことになります。ビバフリーパス。

これから向かう和寒は、廃止予定駅に停まる列車の関係でちょっと時間にゆとりがあるため立ち寄るだけです。駅の隣の施設に駅スタンプが設置されたということで、それを押しに行きましょう。和寒に着くのは何時かな。ふんふん、09時52分か。えっ、2時間20分も乗車するの? 特急なのに?

 

奇しくも前日必死こいて自転車を漕いだ時間と同じですが、この日はンダラ〜っと乗っていればいいだけです。ンダラ〜っと乗っているのはもちろん快適なのですが、座席に何もせず2時間というのは少々手持ち無沙汰感があり身体がウズウズしてきます。人間ってのは身勝手な生き物だな。

 

8月13日09時52分 和寒

和寒に着きました。特急が停まる駅ですが駅員さんはいません。無人駅です。

隣接する和寒町の交流施設に行ってみると確かに駅スタンプが置かれていました。無人駅には基本的に駅スタンプはないことが多いのですが、このところ北海道内では観光振興を図って駅近くの施設などに新設される例が散見されるようになりました。

おそらくJRでなく行政や有志からの仕掛けなのでしょうが、スタンプファンとしては嬉しい限りです。無人化などで元々スタンプがあった駅から撤去されてしまうということもありますので、そういった場合も行政や地域で保管するなどしてほしいものです。

ところでこの施設のスタッフさんに、「鉄道好きなら公民館に行くといいよ。SLがあるから」と言われました。徒歩10分くらいなので行ってみようと思ったのですが、外出たとたんに汗まみれになったのでやめて目の前のセイコーマートに入りました。プリッツを買いました。駅のホームでポリポリ食べました。

 

8月13日10時43分 和寒→(快速)→比布

和寒の次は快速列車で比布に向かいます。全国広しといえど、パ行で始まる自治体はこの比布駅がある比布町のみです。かわいいですよね、ピップ。ピップと言ったらエレキバン、エレキバンと言ったらはる、はると言ったらはるばる来たぜ函館〜?(意味が分からないのでアウト!)

往年の頭脳パワーの番組を彷彿とさせる連想っぷりで、やっぱり来たらしいです、エレキバンのCM撮影。

比布駅前にある顔出しパネル。樹木希林さんとピップの会長が写っている。

私は平成生まれのガラスの20代ですのでリアルタイムでそのCMを見たことはありませんが、駅前には当時を偲ばせる顔出しパネルがありました。家族で来ていたちびっ子たちが顔をハメてはしゃいでいます。よくその顔出しではしゃげるな。

なぜこの駅に家族連れが訪れているかというと、駅舎内にカフェが入居しているからなんですね。地元産食材を使った料理がウリの、ちょっぴりシャレオツな空間です。列車は使わなくとも駅は使う。まあ、駅というのは町の玄関口ですから、どんな形であれ賑わっていた方がいいに決まっています。ぼくもアイスコーヒーをのみました。おいしかったです。

 

8月13日11時20分 比布→(自転車)→北比布【廃止④】

比布町では比布駅の南北にある北比布南比布の2駅がなくなります。いずれも比布からは3キロほどしか離れていないので、利用者数からしたら廃止は妥当な判断でしょう。

では久々にサイクリングといきますか。時刻は11時20分。北比布では12時17分の上り列車を捕まえられればいいので、これまでに比べたら余裕のよっちゃんですね。

 

ただ、死ぬほどあちい

ほら! 見てくださいよ、この夏っぷりを。

抜けるような青空に少々グレーがかった白い雲、そして線路と併走する一本道。耳を澄ませてごらんなさい、聞こえてくるでしょう。久石譲の旋律が。菊次郎なのか千尋なのかそこはあなたに委ねますが、これがぼくの夏の日の2020です。なんで北海道で自転車漕いでいるんだろう。

 

ちなみにGoogleマップで比布から北比布までの徒歩ルートを検索すると途中大きく迂回する道を案内されるのですが、線路に沿って歩行者・自転車専用の舗装道があるので迂回せずともまっすぐ進めます。この目で確かめたので、というより通ってきたので間違いありません。

Google先生を出し抜いたという誇りを持って生きていきたいと思います。

 

さあ、2020年の夏を通り抜けてやってきました北比布駅。発車まで30分ほどあるのでゆとりを持って駅を満喫できます。

 


安牛や上幌延には一応車掌車を改造した駅舎がありましたが、こちらはぱっと見物置かな? と思わせる簡素っぷり。ある意味北海道らしい趣があります。

ユーチューバーの方がお見えになった以外は質素なおうちを贅沢に独り占めさせていただきました。

 

8月13日12時17分 北比布→(鉄道)→南比布【廃止⑤】

 

定刻通りやってきた上り列車に乗り込んで南比布駅へ向かいます。

7分の乗車を経て降り立った板張りホーム、感想は「あれこれさっきも来たな」でした。いや、来てはないんですが、つまりどういうことかというと、北比布と瓜二つなのです。

 

これが南比布で、

 

これが北比布。

 

こうしてみると一目瞭然、全くの左右対称です。横に並べたら完全体ですよ。似た造りの駅は数多くあれど、反転させただけのような駅同士というのは珍しいのではないでしょうか。

 

Wikipediaによると、両者は1955年に仮乗降場として産声を上げると、1959年に駅に昇格、2014年に揃って旧待合室を解体、同時期に待合室を更新という歴史があるようです。つまり本当に誕生から歩みを共にした駅界のツインズであり、廃止まで運命を共にする。なんという兄弟愛なのでしょう。

さて、今度は比布を12時57分に出る下り列車を捕まえなければなりません。猶予は約30分。2.4キロを再びチャリ走です。

 

8月13日12時30分 南比布→(自転車)→比布

だからGoogle先生の迂回路は嘘だっつーの!
ここもまっすぐ比布まで行けますのでだまされないでください。

 

ところで、読者諸賢の中にはわざわざ比布に行かなくても、南比布で列車に乗れば? と思われる方もいらっしゃるかもしれない。素晴らしい着眼点だと思います。願わくばそのスキルはこんなどうでもいい記事ではなく別のところで発揮してください。

 

南比布から乗れれば無駄な体力を使わずに済むので、私もできることならそうしたいところなのですが、あまりにも利用者が少なすぎて普通列車ですら通過するダイヤが組まれてしまっているのです。つまり、その比布で捕まえたい列車というのは南比布や北比布に停まらないのです。

そういう列車は一般に快速というのですが、JR北海道は普通列車と言い張っています。つまりどういうことかというと、そもそも乗り降りする人を期待していない駅だということです。停まらないから乗り降りしないのか、乗り降りしないから停まらないのか。これは永遠の謎です。と見せかけてまあ後者ですよね。知ってた知ってた。だって人いないもん。

 

あ、普通に10分くらいで漕げまして、列車が来る15分前に比布に着きました。途中にアメダスがありました。関係ないけど。

 

8月13日12時57分 比布→(鉄道)→名寄

「普通」と言い張る列車で終着の名寄まで行きます。名寄に着くのは14時09分ですので、昔ながらのディーゼル車両で1時間以上過ごすことになります。特急ほど快適さはないのではと思いきや、こいつはこいつの楽しみ方があるのです。

 

まずこれです。

中央のロゴマークをよく見ると……

 

JNRの扇風機です。JNR、つまり国鉄ですよ、国鉄。国鉄のにおいがムンムンします。

昭和から平成を経て令和の時代まで生き残るとは誰が予想できたでしょうか。窓も開けることができ、クーラーなんて必要ないため更新されずに大切に使われてきたのでしょう。単に財政難で設備の更新ができないだけかもしれませんが。

そして、そう、窓が開くんですよ。窓が開くというのは、その土地の空気を肌で感じられるということです。この路線はどんな場所を通り、どんな表情で走っているのか。車内に吹き込んでくる風が物語ってくれるのです。

対して特急というのはカネで時間を買う乗り物なので、いかに上質な空間で早く目的地にたどり着けるかということに重きが置かれます。すると皆さんどうでしょう。景色なんてほとんど見ていないんですよね。逆に言うと、どんな景色が広がっていようとなかなか楽しめないのが特急です。

 

話戻って鈍行はというと、せかせかした人はほとんどおらずみんな覇気のない目をしています。そりゃそうか、ウキウキしているのは非日常を楽しんでいる旅人だけか。

無事、定刻の14時09分に名寄に到着です。14時31分発の特急サロベツ1号に乗り換えるので20分ほど時間があります。名寄は宗谷本線の中では主要駅で、発着する列車は数多く設定されています。

 

なんなら宗谷本線は名寄まででいいんじゃない? 的な意見もあるようで、万一そうなったら名寄以北の全駅を下車しなきゃならないのかと戦々恐々でございます。

そもそもかつては名寄本線深名線などの路線が東西に延びており、一大ターミナルだった駅なのです。それを考えると名寄から上り列車しか発車しなくなるというのは余りにも寂しい。頑張ってJR。

名寄駅スタンプ。改札窓口に申し出ると貸してくれる。

待ち時間を使って駅スタンプを押しました。また、駅前には観光案内所があり、そちらにもスタンプがありました。スタンプがあれば何でもとりあえず押すのが私です。たーのしーい。

 

8月13日14時31分 名寄→(特急)→美深

ちなみに特急は最高でした。快適な方がいいに決まっている。

 

今回は20分しか乗れず残念ですが致し方ありません。美深駅で降ります。

 

美深駅からもかつては美幸線という路線が出ていました。こちらは美深から北見枝幸を結ぶ予定でしたが、途中の仁宇布までしか敷設されないままに廃線となってしまいました。

 

北海道にはこのような計画の途中で頓挫してしまった路線が多々あります。これらの路線が今でも残っていたらどれほど……。

 

どれほど乗り降りするのが大変だったことでしょう!

ある意味この時代の乗り鉄諸賢は路線が減って楽なのかもしれませんね。ところで、その仁宇布には鉄道跡地を活用したトロッコ施設があるようで、いつかぜひ行きたいところです。

 

美深駅にはJRの駅員さんはいませんが、委託を受けた美深町がきっぷの取り扱いを行っているし、売店も入居しています。素晴らしい。美幸線の小さな展示室も駅の2階にあり、美深町は駅を大切な資産として認識しているのでしょう。

だからこそ駅の機能をこの美深に集約させ、町にある他の4駅については廃止を甘んじて受け入れたのだと思われます。詳しくは後述しますが、うち1駅は住民の要望により存続が決まりました。これもある意味凄いことですね。

 

8月13日14時51分 美深→(自転車)→南美深【廃止⑥】

美深駅は窓口の前にスタンプが置かれていました。2年前に来たときは1つだけだったのになんか4つに増えています。スタンプってあれかな、1年経つと分裂するのかな。

増えるのはいいことなんですが、私、このあと3.5キロ離れた南美深駅に行かなければならないんですよ。自転車で。

 

南美深で捕まえる下り列車は15時21分に出ますから、単純計算でゆとりは30分ですね。これまでの経験上、3.5キロは少なくとも15分はかかるし、自転車をたたむ時間も取らねばならないので15時には美深を出ないと間に合わない計算です。

悠長にスタンプを押していられないじゃないか。こんなときに4つに増やしやがって。微妙にホコリが印面に付くし焦りばかりが募ります。

スタンプと悪戦苦闘している間に15時になりました。さらに私を急き立てるように、駅に備え付けられた鐘がめちゃくちゃ鳴るじゃないですか。この正体は美幸の鐘というそうで、廃止になった美幸線を偲んで、15時と特急宗谷が到着したときに鳴らされるそうです。非常にレアなタイミングで聞けたんだなと思いますが、私には地獄へのカウントダウンのように聞こえたよ。

 

とにかく漕ぐしかありません。もう暑い、痛い、ツラい以外の感情がありません。

間に合うのでしょうか。

間に合いました。

12分で着きました。

何でもその気になればできるのですね。列車が来るまであと8分という時間でした。

 

お馴染みの板張りホームに目をやると、おろ、先客がいるではありませんか。しかもなにやら輪行袋を携えて、これはもしや同志では……。まあ同志がいたところでまず駅舎等の撮影をしてからでも粛清だの総括だのはされないでしょう。

建物入り口側に回ってみるとついに「駅」の表記が消え、ただの待合所になってしまいました。

 

中を覗いてみると、何でしょう、キャンプ場の資材置き場といった感じでしょうか。

 

Wikipediaによるとこの駅も2017年3月に廃止されかけていたのですが、農業の担い手が代替わりし「将来有望な地域」だということで一旦棚上げにしてもらっていたようです。担い手が若返ったところでこの駅を使うかと言われたらまあ難しいところです。

 

ところで、そう、先ほどいた輪行青年がフランクに話しかけてくれました。
「輪行ですか!? どこから来たんですか?」
いささか興奮したような様子で話しかけてくれたので、こちらもフランクに答えよう。

ははあ、きっと輪行するの初めてで、おんなじような人間に会えたから少々テンション上がっているんだな。見たところ私より若そうだ。落ち着いた大人の対応をしようじゃないか。

「栃木からですよ。あなたは?」
「僕大阪なんですよ。輪行いいですよね、紀勢本線とか巡ったんですけど今までどこ行きました?」
あっごめんなさいはじめてです。調子こいてすいませんでした。

おんなじような人に会えてテンション上がったのは私の方でした。すいませんでした。

お互い身の上話などをしていると、定刻通り下り列車がやってきました。聞けば彼もこの列車で私と同じ紋穂内まで行くということです。限られたダイヤですのでこの後の行程もかぶるかもしれません。仲良くいきましょう。

 

8月13日15時21分 南美深→(鉄道)→紋穂内【廃止⑦】

南美深から北上し紋穂内駅へ。

毎度のことながら必死こいて自転車を漕いでも、列車に乗ると一瞬で目的地に着いてしまいます。いや、いいことなんですが全然身体が休まらないのでいつかぶっ倒れるんじゃないかという気がしてしまいます。暑いし。

 

17分間の乗車でたどり着いた紋穂内駅、先ほどの輪行青年含め同業者が3人降り立ちました(私入れると4人)。さらに車で来て写真を撮っていた方がいたので、普段人の気配なんてしない駅に大の男が5人もいる事態に。

大体皆さん写真撮って駅ノートに書き込みたいという人たちなので、そこはアレよ、「ああ、ここにいると邪魔になるな」とか「あっ、すぐ書き込むんでもう少々お待ちくださいね。次は私、外出て写真撮影するんで」っていうようなことをお互い一言も交わさずに他人の意図や考えを察するのです。野球漫画のバッテリーのように。基本的に乗り鉄って悪い人じゃないんだけど、人見知りが多いので必然的にこうなってしまうのです。

 

ちなみに駅ノートというのは、地元有志などが無人駅を中心に設置してくれているもので、誰でも気軽に旅の所感やイラストなどを記念カキコできるツールです。別にキリ番報告とかはないしROM専でもいいんですが、私はなんとなく訪問の証として一筆書くようにしています。

界隈には当該駅と女の子をモチーフにしたイラストを気合い入れて描いている方なんかがいて、ぱらぱらと眺めているだけでも楽しいものです。

ただ、今までなら全然気にしなかったのですが、ノートは多くの人が触るのでアルコール消毒液なんかを携帯した方がいいでしょう。嫌な時代になりました。

おっと、そうそう、紋穂内駅です。この日の朝に訪れた安牛駅や上幌延駅同様、車掌車駅でした。劣化の具合もそっくりです。

特に書くことねえ。

 

強いて言うと、ここが7駅目なのでちょうど折り返しです。

えっ、まだ半分……?

 

8月13日15時55分 紋穂内→(自転車)→恩根内【廃止(⑧)】

まだ半分という絶望の事実にうちひしがれながらも、気を取り直して約7.9キロ先の恩根内駅へ向かいます。ゆとりは1時間半くらいあるのでまあ大丈夫でしょう。輪行青年はここにとどまるというので一旦お別れです。

 

駅を出るやいなや、ポツポツと雨が降ってまいりました。

ま、これくらいならと判断したのが運の尽きでございまして、あれよあれよという間に大雨でございます。

もうこうなってはヤケクソです。ドチャクソ雨が降りしきる中、ノンストップで漕ぎます。早く恩根内に着け。むしろ恩根内が来い。いくら悲劇のヒロインだってここまでの雨の中は走らないですよ。ああ、やっぱり紋穂内に引き返した方がいいかな……。

少々弱気になったとたんに一気に晴れ間が出てきました。

なんだこの通りゲリラ豪雨。濡れ損じゃん。濡れ損ちえみ。

 

まあ終始ずぶ濡れという事態は避けられたしすぐ乾いたのでいいんですけど、もう腹が立ったのでおあつらえ向きにでんと構えていた道の駅びふかに立ち寄ることにしました。そこで、ぼくは、コロッケをたべました。おいしかったです。

 

小休止を終え、ちょっとやる気が戻ってきました。

さ、あと5キロです。もうひと頑張りするか、と自転車にまたがったとたん、でかでかとした「びふか温泉」の看板が目に飛び込んできました。

温泉……! 酷使しすぎた身体をいたわるには有無を言わさず入った方がいいに決まっています。これはもう入るしかありません。もう温泉の身体になりました。入ってしまえ。入る入ろうハイロウズ。

ほぼ全俺が入浴判決へと傾く中でしたが、大脳裁判長だけは違いました。

(いけない……今入ったらいけない……)
「裁判長、みんなああ言っています。入りましょう!」
「主文、訴えを棄却します」
「ああああああああああ!!!!!!」

そりゃそうです。入ったら快適すぎて二度と出てこないことは明白です。危うく一時の快楽に身を任せ、企画を破綻させるところでした。

温泉の文字は見なかったフリをして事なきを得ました。

 

なんだこのバス停は。

 

天塩川にかかる橋に「恩根内」の文字を認め、駅に近づいていることを実感します。天塩川には陽光が燦然ときらめき、本当にさっきの豪雨はなんだったんだというみじめな気持ちにさせてくれました。この川を越えたら駅は目と鼻の先のようです。

 

おお、今までの駅と違って集落の近くにある! 駅前に家があるというのがこれほど安心感があるとは思いませんでした。時刻は16時58分。かわいらしい駅舎が出迎えてくれました。

冒頭でもチラッと触れましたが、この恩根内駅は2021年3月に廃止される方向で動いていました。しかし、地元住民の存続要望により方針が覆り、存続させることが決まったのです。

Wikipediaによると「高校生の通学利用が見込まれること」が大きな理由で、地元住民も除雪や清掃に協力するという申し出があった結果だということです。まさに地域で掴んだ勝利です。地元の人が使うことで駅は駅でいられることを証明したいい事例です。

当初廃止が取り沙汰された駅だったので訪問することにしましたが、車掌車駅や斜め屋根の質素なおうちと比べるとちゃんとした駅舎もあるし、これを廃止してしまうのは早計な気がしますね。

恩根内には先客が1人、そして後からやってきた人が1人。うん、全員テツでした。使えよ地元民!!

 

8月13日17時24分 恩根内→(鉄道)→豊清水【廃止⑨】

恩根内からさらに北上する下り列車に乗り込むと、南美深で出会った輪行青年と再会しました。次に向かうのは豊清水

 

私は2年前に一度、列車交換待ち合わせで数分停車した際に降りたことがあるので再訪ということになるのですが、この駅は凄いですよ。

 

山あいにひっそりと佇む木造駅舎は、ザ・秘境と形容するにふさわしい雰囲気が漂っています。駅に通じる道は舗装こそされているものの、廃道ですか? というくらい往来のなさそうな道です。

 

驚くべきはスクールバスが今も毎日運行していて、豊清水駅前にも停まるようだということです。実際に見たわけではないので確証はないのですが、駅ノートの書き込みなどから察するにきちんと来るようです。

私も検索してみましたが詳しい情報は得られませんでした。いかがでしたか?

本当にあるのかな。あったとして、鉄道以上に誰が使うんだろう……。

 

大正時代から駅設置の請願があり、1946年に仮乗降場として設置された豊清水駅。

列車交換ができるくらいなのでかつてはずいぶん賑わっていたのでしょう。

それも今や昔の話。来るかどうか分からない物好きを待つだけの駅となってしまいました。

極めつけは駅舎内につるされた6羽の折り鶴。誰がどんな思いを込めて折ったのでしょうか、ひときわ哀愁を誘います。私なんだかちょっぴりおセンチな気分だわ。

 

8月13日18時10分 豊清水→(鉄道)→北星【廃止⑩】

豊清水で40分の滞在を終え、上り列車がやってきました。いよいよこの日最後の訪問地・北星駅へ向かいます。北星駅は例のごとく板張りホームですがインパクトのある待合所があり、宗谷本線の中でもある意味有名な駅です。

 

実は今回の荒行の中でも特に楽しみにしていたのがここ、北星だったりします。この列車は北星駅に停まる最後の上り線。だいぶ暗くなってきましたが、輪行青年も一緒だというので心細くはありません。

18時49分、はやる気持ちを抑えながらホームへと降り立ちます。我々のほか、もうお一方、紳士が降りました。大体秘境駅巡りというのは日中に断行する人が多く、この時間の同業者というのはなかなか珍しいですね。とりあえず言葉を交わすこともなく全員で上りの終列車を見送ります。

 

さてお待ちかね! 北星駅の待合所です。それがこちら!

ど〜ん!!!!

 

畑地の中を通る砂利道の脇に佇む赤い屋根の木造小屋。これだけでも情感たっぷりですが、やはりなんといっても「毛織の☆北紡」と書かれたホーロー看板でしょう。

ホーロー看板なんてのは至る所に残されていますが、マルフクでも神と和解せよでもない、北海道のこの場所にしかないものだから味があるのです。どこだよ北紡て。

 

その北紡が掲げられた待合所に入るための扉はガッタガタの引き戸で、これまたいい味を出しています。中に入ると三和土でしょうか、旧家の玄関先のような造り。こんなに素敵な駅がなくなってしまうのは率直に惜しい。駅ノートにも廃止を惜しむ声が多数ありました。民俗資料としてそのまま保存してくれないかな。

 

ところで、Wikipediaを見ると1959(昭和34)年の開業とあるのですが、ホーム下には「昭和三十一年七月」と掘られた石が残っているんですね。これが一体何なのかは謎です。

当初より新設駅だったとされる北星駅ですが、実は仮乗降場だった歴史があるとか? もはや当時の歴史を知る人も少ないでしょうし、真実は明かされないまま忘れ去られてしまうのでしょう。

 

自転車を広げていると、先ほど一緒に降りたジェントルマンが話しかけてくれました。聞けばなんと同じ市に住んでいることが判明。北の秘境駅でそんな邂逅を果たすことがあるでしょうか。輪行青年と3人で思わず写真を撮りました。

お二人は下り線の最終で北上するとのことですので、私はここでお別れです。駅が廃止にならなければ出会うことのなかった3人です。不思議な巡り合わせに乾杯。

 

8月13日19時10分 北星→(自転車)→名寄

すっかり日が落ちました。私はこれから名寄市内のホテルに自転車で向かいます。

鉄道だと13キロほどですが、自転車だと大きく迂回しなければならないため16.2キロだそうです。ヒェー。あらかじめ言っておくと、この走行が一番しんどかった。というか死ぬかと思った。よい子は絶対にまねしちゃダメだぞ!

 

まずなんですけど、駅を出るとこの状態です。

く、くら〜。

ヒグマとか大丈夫かな。急に怖くなってきた。

国道に出ると街灯が出現しました。あっ、これなら大丈夫か。よかったよかった。ただGoogle先生が示す道はひと味違いました。

 

こっちの国道でなく、

こっち。

 

まさかの未舗装道です。大したものです。

なんで比布のサイクリングロードはないくせにこんな砂利道はルートに入ってるんだよGoogle。クセが強いんじゃ。

でも行きました。

 

砂利がなんぼのもんじゃ! ワシだって田舎育ちじゃけえ、行ったるで!

写真だとよく見えませんが、進行方向左手にはすぐ天塩川が流れています。石にハンドルを取られようもんなら暗い川底へと転落待ったなし、折りたたみ自転車もパンクするんじゃないかというリスクが無茶苦茶あるルートですが、私の中のノブが勇んでくれたので、ガッタガタ変な音をさせながら進んでいます。

おそらく1キロくらいでしょうか、——私には3キロくらいの道のりに感じられましたが——砂利道を抜けようやく舗装道に戻ってきました。アスファルトっていうのは偉大です。漕ぎやすいことこの上なし。ただ無理がたたったのか太ももと尻が玄界灘です。絶対血出てるよ血ィ。痛いもん。

自転車から降りて確認してみると、なんと尻から血は出ていませんでした。これはおかしい、この痛みなんだから絶対に血は出ているはずだ。血が出ていたら仕方ない、タクシー呼ぼうタクシー。そう思って何度確認しても血は出ていませんでした。出ていないので自転車で続行しなければなりません。畜生、出とけよ血。

暑さも相まって、そのうちついに漕げなくなりました。

前日に15キロ、この日も20キロくらい走っているのです。体力なぞとうに尽きています。しかもなんだか上り坂になっているではありませんか。

 

ていうかこれ本当に宿にたどり着くのでしょうか。というか宿はきちんと存在しているのでしょうか。私はまだこの世に存在しているのでしょうか?

 

暗さと孤独が生と死の境界を曖昧にしてきます。このままだと北海道のわけ分からん場所でおっ死んで官報に載りかねません。

 

 

そんな折、ふと空を見上げるとまるで万華鏡のような星空が広がっているではありませんか。

 

いや、ホントなんです。自分でもびっくりするくらい写真がヘタなだけで、それはもう夜空に星たちが光り輝いていたんです。

 

それでも単細胞のロマンチストなので、星が綺麗だったというだけで生きる気力が湧いてきました。ただ気力では自転車を漕ぐほど体力をカバーしきれませんでしたので、ひたすら自転車を押して坂道を上っていきます。

なにか書いてある。ええと、東雲峠

 

峠だったのかよ! そりゃしんどいはずだぜ。ただ、こういう案内が出てくるということは……

 

ほら! 街だ! 名寄の街が見えた! ここが最高点だ!

 

時刻は20時20分。1時間10分ほどかけてようやく先が見えてきました。といってもあと7キロくらいあるけど。

 

しかーし、峠の最高点ということは、さっきまでの地獄坂と打って変わって下り坂。スターを取ったマリオ状態です。つまり無敵です。ヒャッハー!!!!!

 

音速を超えたね。
さながらダウンヒルのようでした。折りたたみ自転車だけど。

 

坂を下りながら思ったのは「これ逆ルートだったらマヂ無理ぽょだったな」でした。

 

あと、これは完全に後日談なのですが、Google先生を無視して砂利道ではなく国道ルートを通っていたら距離は少々長くなっていたものの高低差はなかったようです。わざわざツラい峠越えをさせられました。

これ絶対比布で出し抜かれたことへの当てつけです。性格悪いよ、Google先生。

 

8月13日20時50分 名寄市街

坂が終わりフラットな道に戻ると、1時間ぶりに街灯が出現しました。通りの名を示した標識もあります。車が通っています、民家があります……! 人里に戻ってきた喜びが湧き出てくるのはまるで遭難から生還したかのごとく。2時間かけて名寄市街に到達です。灯りがあるって最高だ。

 

すごいぞ……宿は本当にあったんだ……。

よーーーーーーーやく着いた。

 

宿が見えたとたんに疲労の波がびっくりするほど押し寄せてきた。死ぬ。

部屋に入ったらもうバタンキューになるので目の前のセブンイレブンでしこたま買い込んでからチェックインしました。

もう、ゴールしても、いいよね……

 

サッポロクラシック! ザンギ! 旭川正油らーめん! C1000! キューピーコーワゴールドα錠!

 

こんだけあれば疲労も多少緩和されるでしょう。まずはザンギでサッポロをキューッとやります。

うううう……! キンキンに冷えてやがる……! 犯罪的だっ……! このためならまだやってもいい、輪行……!! いやウソ、もうやりたくない。やったところでペリカすらもらえないんだから。

 

っていうか箸がなかったよセブン! 歯ブラシとそこら辺にあった棒でらーめん食ったよセブン! いい気分で一日を締めくくらせてくれよセブーーーン!!!

 

8月14日06時23分 名寄→(鉄道)→北剣淵【廃止⑪】

おはようございます。

 

06時05分くらいにホテルを出て800メートル先の名寄駅に向かっています。展開するのとしまうのがめんどくさいので自転車を担いで歩きましたが、面倒がらずに自転車に乗っておけばよかった。800メートルって意外と長いし、輪行袋のひもが食い込んで肩は痛いしで朝から早くも後悔です。

 

予定ではこの日が宗谷本線最終日です。残すは3駅。余裕そうに見えて、この日も結構ギリギリChopです。

まずは普通列車で北剣淵駅に向かいます。車内ではJK3人組がボックス席で楽しそうに会話しています。朝っぱらから元気だなぁ。

06時58分、北剣淵駅に着きました。久しぶりに同業者がいませんでした。降りる人もいなければ乗る人もいない、これぞ秘境駅のあるべき姿です。林の中にある短い板張りのホーム。木造の待合室。納屋ですよねこんなん。

 

そしてついに待合室から駅名標が消えました。大概そこが駅の待合室だということを示す何らかの看板があったのですが、北剣淵にはそんなものはありませんでした。見れば分かるだろと言わんばかりの風格です。秘境駅の名に恥じない佇まいだと思います。

 

ちなみに待合室の中には2006年発行のゲームラボが3冊ありました。あと星野みなみのブロマイドがありました。誰がどういう意図で置いたのでしょうか。裏コードで全駅下車した状態から人生スタートしたい。

 

8月14日07時11分 北剣淵→(鉄道)→下士別【廃止⑫】

北剣淵では13分滞在すれば下り列車が来るラッキーダイヤでした。そのまま下士別駅に降りてしまいましょう。

やっぱり降りたのは私だけ。ただこちらは北剣淵と違って近くに国道40号が通っているからか、あまり秘境駅感はありません。

待合所も今までの惨憺たるものと比較したらまだいい方です。例えるなら公民館の物置です。駅名標の雰囲気はアレです、文化庁のソレです。きっと見る人が見たらいい書なんだと思います。

 

8月14日07時22分 下士別→(自転車)→士別

さて、これで12駅。残すは東六線駅ただ一つとなりました。

下士別から鉄道で行ければ楽なのですが、スカスカダイヤが立ちはだかります。次に下士別から東六線へ直で行けるのは11時台なので、このままだと4時間近く待たされることになります。

もはや4時間くらい待つのも一興かと思いました。でもそんな無駄は許されないのです。私に残された時間は限られているのですから。ではどうするかというと、隣の士別駅に快速列車が停まるのでそちらに向かいましょう。

 

08時09分の快速なよろ2号に乗れるように4.6キロを漕ぎます。

 

ところで、見てくださいよこれ。

私、魔女のキキっていうか尻が危機なんです。余りにも尻が痛いので(絶対血ィ出てる)セブンでフカフカタオルを買ったのです。これが座布団代わりになって、私の尻はやさしさにつつまれるはずです。そしていま一人、自転車に乗ったの。

 

うん、ないよりマシ。さすがセブンイレブンのタオルです。国道40号をゆったりふかふかサイクリングです。

なんだこのバス停は。

07時58分に士別駅に到着しました。意外とギリギリっちゃギリギリだな。

 

8月14日08時09分 士別→(快速)→剣淵

快速なよろ2号で向かうのは剣淵駅。乗車時間はたったの8分です。乗るだけ。

 

8月14日08時17分 剣淵→(自転車)→東六線【廃止⑬】

いよいよ大詰めです。クライマックスです。

ここ剣淵駅から約4.5キロ離れた東六線駅まで自転車で行き、08時53分発の下り列車に乗り込めば廃止予定駅全駅下車達成となります。ようやくここまで来た……。長かった……。

 

いや、まだ安心するのは早計というもの。きちんと時間までにたどり着かねばなりません。では早速行きましょう。オラー!!! やったるで、ワイはやったるで。誰が何を言おうとやったるんだ……。

「男なら、やってやれ……!」だ!!!

 

我が愛車「GoTo号(今名付けた)」に颯爽とまたがり最後のサイクリングを始めます。

 

さあやってきましたよ。Google先生の案内通りに進んだらこの砂利道よ。

なんというか一回倒したボスが終盤にまた出てきた感があるな。だが真っ暗な砂利を乗り越えてきた私にとって日中の未舗装道なんてチョチョイのチョイよ。

 

難なく砂利ゾーンを抜けて舗装道に入ると、果てしない大空と広い大地が私を待ち構えていました。北海道の空が、地面が、木々が、川が、大自然が、まるで私を応援してくれているかのようです。ほら、もう少し、最後まで走り抜けてって聞こえてきます。熱中症の疑いがありますね。

 

時刻は08時40分。最後の直線に入りました。この数百メートルを抜けて、左に折れたところに駅があるはずです。

駅があるとみられる左手側は林のようになっており、ここから確認することは叶いません。ふふん、最後までわくわくさせてくれるじゃないのよ。

するとその林からなにやら小動物が飛び出してきたではありませんか。こちらを認めるとすぐに踵を返して林に戻ってしまいましたが、あれはおそらくキタキツネ。シカだのキツネだの色々出てくるなぁ。ヒグマが出なくて本当によかったよ。

キタキツネちゃんのお出迎えもあって俄然スパートに力が入ります。あと200メートル、100メートル……!

 

見えた! 踏切だ!!

 

ということは……

 

 

ありました!!! 東六線駅です!!!

 

 

時刻は08時45分、列車が来る8分前の到着でした。しびれるぜ。

ここまで頑張ってくれた「GoTo号」と共に勝ち鬨の一枚を撮りました。

既に偉業を成し遂げた達成感でいっぱいですが、列車に乗って初めて記録は達成されるのです。自転車を輪行袋にしまわないと列車に乗れませんから、のんきに感傷に浸るのもそこそこにしなければなりません。

 

それにしても東六線の駅名標はこれまたいい味出していますね。東六線乗降場待合室であって、東六線駅でないところがミソですな。

その待合室の中はこんな感じです。

うーん、小屋

 

小屋の中に置かれていた駅ノートに喜びの一言を書き込み終えると、踏切が鳴り始めました。いよいよその瞬間を迎える列車がやってきます。

08時53分、東六線駅に停車したキハ40に乗車します。

はいー乗ったー。

 

これを以て、JR宗谷本線廃止予定13駅全駅下車達成です!!!

 

やー、しんどかった。しんどかったけど、輪行で頑張れば3日で13駅を巡ることは可能ということが証明されました。

廃止まであと半年以上ありますが、北海道の気候などを考慮すると自転車で巡るチャンスはおそらくあと2カ月くらいだと思われます。もしかするともっと効率のいい巡り方があるかもしれないので、ぜひ我こそはという方は挑戦してみてくださいね! 私はもう二度とやりません。

 

〜延長戦〜

宗谷本線の駅巡りはこれで終わりなのですが、実はこの旅は4泊5日の行程を組んでいます。なぜか。

実は次の3月に廃止になるのはあと2駅あるのです。石北本線東雲駅と釧網本線南斜里駅です。

ということは、行かねばならないのです。廃止になる駅がある限り……。

 

8月14日17時25分 東雲【廃止⑭】

東六線で宗谷本線をコンプリートしたあとは、富良野線開業120周年記念のスタンプラリーをやって5駅コンプしていました。折角北海道に来たのだからやれることは詰め込むのが私です。関係ないけどね。

 

まあそれは余談として、旭川から網走へ至る石北本線です。最後の女子高生の卒業を待って廃止になった旧白滝駅など「白滝シリーズ」で有名な路線でした。そのシリーズも今や白滝駅を残すのみとなってしまいました。

沿線住民が少ない区間が所々あるため、この路線も廃止は秒読みという駅が多々あります。今回は東雲のみでしたが、他の駅もいつまでもつことやら。

ちなみに石北本線より東はフリーパスの効力が発揮されないため、別のフリーパスを買い足しました。北海道&東日本パスというものです。最初からそれで良かったのでは? とおっしゃる御仁、これは特急に乗れないのですよ。

 

旭川から鈍行で1時間7分かけ東雲に向かいます。

東雲も例によって簡素なホーム。宗谷本線と違って同業者は一切いませんでした。

 

そして何より特筆すべきは、これまでさんざん物置だ、納屋だなどと言ってきた待合室でしたが、ついに物置そのものになったということです。

100人乗ってもダイジョーブ。まあ100人乗っていたら廃止にはなんなかったんだけどね! HAHAHA!

あらかじめ呼んでおいたタクシーで隣の上川駅に向かって特急大雪3号に乗り換えます。時には課金してワープするのも駅巡りにおける重要なテクニックです。

 

特急に乗れないパスでどうやって乗るんだ、キセルか! 違います。

事前に特急区間のきっぷをえきねっとトクだ値で買っておいたのです。なんて的確で冷静な判断力なんでしょう。

 

これで北見へ行き、最終的に網走で宿泊しました。

網走はオホーツク海に面する港町なので、やむを得ず致し方なしにイクラ丼を食べました。初めて北海道らしいものを食べた気がする。

 

 

8月15日07時34分 南斜里【廃止⑮】

網走の冷たい空気を吸い込んで釧網本線の始発に乗ります。

こちらも石北本線同様、同業者はあまりおらず、普通に観光で訪れているであろう方がそれなりに乗っていました。

釧網本線は北の区間はオホーツク海沿岸を通っており、冬には流氷が見られることもあるようです。一方南に下ると釧路湿原の中を走ります。

一つの路線の中で2つの観光資源を持っていて、言うなればアーモンドグリコのような路線です。

 

そんな路線にあっても観光とは縁遠いのがこの南斜里駅です。

だってほら、畑のど真ん中にありますからね。

運転士さんも私がこんなところで降りるもんだからちょっと面食らったような顔をしていました。

そして南斜里では待合室自体が消えました。こうなると物置でもきちんと待合室があるのは素晴らしいことのように思えてきます。

 

まあでもこれで本当に今年度の廃止予定駅は全て下車と相成りました。

引っ張った割にあっけない結末でした。お疲れ様でした。

 

 

 

TO BE CONTINUED…

 

ちょっと時間は前後してしまうのですが、この旅を実施した8月は北海道の鉄路を巡り大きく事態が動きました。

 

まず一つは高波で線路が被災して以来バス代行が続いていた日高本線の鵡川〜様似間が、廃止の方向で正式に沿線自治体と合意に至る方向でまとまったこと。

もう一つは留萌本線の留萌〜石狩沼田間は廃止を受け入れる方向で地元自治体がまとめたこと。

 

つまり次の3月には、今回私が降りた駅に加え、さらに廃止になる路線・駅が出てくるようです。まだJRからの正式な発表がないのでなんとも言えませんが、北海道の鉄道は良くも悪くも大きな進展がありそうです。

 

この旅を通して何度か申してきましたが、鉄道というのは地元の方が使わなければなくなってしまいます。JRになって30年、民間企業ですから不採算路線を残しておく必然性はありません。そもそも人口が減少する中にあっては廃線や廃止というのは致し方ないことでしょう。ただ、時代の流れといって片付けてしまうには余りにも惜しいではありませんか。

だから恩根内駅の存続のニュースを聞いたとき、心から嬉しい気持ちになりました。まだ鉄道を見放さない地元の人たちがいたんだ、と。

鉄道は資産です。駅は街の顔です。コロナ禍にあって、地方の鉄道はさらに逆風に晒されました。このような中、鉄道会社と地元がどれほど互いに歩み寄って、魅力的な場所に変えていけるかどうかが存続の鍵を握ることになるのでしょう。

私は地元の判断を遠くから見守りたいと思います。そして、新型コロナウイルスが一日も早く終息し、鉄道の未来に光があらんことを。

 

 

 

 

え? 日高本線と留萌本線?

うんまあ、レッツ……業……。