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妻と別れて知った、本当の居場所 (ヨッピー × 学習院下駅)

こんにちは。フ〇田マ〇オです。

今日は僕が今、住んでいる街を紹介しようと思います。

 

この「学習院下」は僕が学生時代に下宿していた街でもあり、通っていた大学も東京さくらトラム、当時の名前で言えば都営荒川線に乗ってすぐの距離にあります。

 

池袋、新宿、渋谷といったターミナル駅にも出やすく、利便性の高い駅ですが、今でも街には古き良き住宅街の香りが残っています。今は仕事帰りにコンビニでビールを1缶買い、この公園で一杯ひっかけるのが楽しみ。妻と離婚し、学生時代に住んでいたこの街にひとりで戻ってから、もう10年になりますね。

 

離婚する前、当時の僕は義理の両親とその子供と一緒に、いわゆる二世帯住宅で暮らしていていましたが、義理の実家で義理の両親と一緒に暮らすことに息苦しさを感じていた事は否定出来ません。とは言え、それなりに仲良くやっていたつもりであったことも事実です。

 

きっかけはささいな出来事でした。寝室で妻と夜の営みに励んでいた所、隣の部屋からふすま越しに「おい、もうちょっと静かにせいや」という義理の父の声が聞こえてきたのです。やはり「ふすま」では防音性が皆無なのでしょう。それがきっかけでなんとなく気まずくなり、妻との営みも疎遠になっていわゆる「レス」の状態になりました。

 

更に、妻の弟、つまりは義理の弟が僕の財布からちょいちょい万札をパクっている事にも気付いてしまいました。パクったお金で、ヒップホップのレコードをジャケ買いしていたのです。そのことを妻に告げると、「財布に万札を入れている事がおかしい」という理由で月のこづかいを360円に減額されました。

 

「もう、こんな家には居たくない」

 

自分の家に居場所が無い事を薄々自覚しはじめた僕は、仕事だなんだと理由をつけては朝帰りを繰り返すようになります。そんな時に足しげく通ったのが池袋にあるフィリピンパブです。もちろん家族には内緒でカードローンも多用しました(いかんせん月のおこづかいが360円ですので笑)

 

僕のオキニの「リザ」は僕の話を根気よく聞いてくれます。

 

ハゲチャビンの義理の父がいちいち上から目線で気にくわないこと。

 

常軌を逸した妻の髪型には、いまだに納得がいっていないこと。

 

そして何より、家に自分の居場所が無いこと……。

 

「ソンナノ、オカシイヨ!」

 

リザは涙を流しながら僕に同情してくれました。

 

過剰な個人主義に迎合した日本の社会とは違い、フィリピンはお互いの家族を尊重し、困った時は助ける文化があるそうです。でも、今では僕が朝帰りした所で、誰も気にかけることはありません。

 

「マ〇オさん、リコンシタホウガイイヨ」

 

リザのその言葉に、涙を流しながら頷いたのがちょうど10年前の春です。リザとの二人暮らしは幸せそのものだったのですが、リザのビザが切れる時期が近かったため、フィリピンに迎えに行く事、そしてその時は結婚する事を約束し、リザはフィリピンのセブ島に帰っていきました。その頃にはすっかり借金まみれの境遇におちいっていた僕は会社を辞め、その退職金で借金を返済し、セブ島に向かったのです。

 

「びっくりさせてやろう」というつもりで、事前に知らされていた住所を頼りに、抜き打ちでリザの家を訪ねた所、出てきたのは見知らぬ現地人の男性とリザ、そしてリザと手をつないで出てきた男の子───。

 

「ほ、ほーら、あなたのパパよ」

 

リザが男の子に向かって言います。そんなわけがない。どう見ても5歳は超えてる。

結局、僕は騙されていたのです。「結婚の準備に必要」と言われ、リザに言われるがままに親戚に借金を頼み込み、海外送金を繰り返した日々。

 

セブ島にあるリザの家は、周囲の環境とは不釣り合いなほどに立派で、ガレージにはピカピカの日本車が停められていました。

 

そうして、失意のまま日本に戻った僕が住んだのがこの学習院下の街です。「学生の頃に戻りたい」そんな気持ちもあったのかもしれません。

 

 

学習院下には「のぞき坂」という、都内でも屈指の急こう配の坂があります。学生の頃にはなんとも思いませんでしたが、やはり45歳を超えた年齢になると坂を登るのも一苦労です。

 

この、坂を登り切った場所から見る景色が好きで、学生時代は意味もなくこの坂を登ったものです。

 

でもなぜだろう。この街を歩いていると、あの、居心地が悪かったはずの生活を思い出すのです。

 

何故だろう。考えてみると、確かに居心地が悪かったとは言え、それなりに安定していた事も事実です。家に居場所が無い、という事であれば、総合格闘技なんかを習って出来の悪い義理の弟や、ハゲチャビンの義理の父を腕力で黙らせることも出来たはず。結局、僕は何も出来ずに逃げ出しただけなんだ。でも、何故思い出してしまうんだろう……。

 

 

何故……?

 

 

結局僕は、10年ぶりに妻に連絡を取る事にしました。

 

 

 

結局、学生の頃の思い出なんていつも美化されていて、そのことは離婚してこの街にやってきた時にも気付いたのだけど、でも、そういった心の底にある「美しいもの」を糧にして人は人生を過ごして行くのだと思う。糧に出来るだけの美しいものがあるなら、もうそれでいいじゃないか。だから僕は戻ろうと思う。あの頃の、あの家に。

※ちなみに既読無視されました。

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以上です。

駅の紹介かと思ったら、物語じゃないですか。

これ見て「学習院下駅、良いところだな!」って思うやつなんて皆無だろ。

あらゆる所から怒られるべき。

いや、難しかったんですって本当に!全然知らない駅なんだもん!

納得がいってなさそうなヨッピーさん。

 

【編集部補足】都電荒川線「学習院下」駅周辺のおすすめスポット

※各ライターが自由すぎる記事を書いてしまったため、後日取材した駅の魅力を発信していきます。

都電荒川線「学習院下」駅付近は下町の趣きがある落ち着いたエリア。
池袋方面に向かって歩くと安産と育児の神様を祀っている鬼子母神堂がある。

 

鬼子母神堂の境内には、創業1781年のレトロな駄菓子屋「上川口屋」がある。まったりとした雰囲気を楽しみたい人にうってつけの散策スポットだ。

 

 

エントリーナンバー2  大北栄人

じゃあ、次は僕が行きます。

まずですね。僕には愛する娘が居ます。もし賞金の10万円がとれたら、その娘を塾に入れてあげたいです。皆さんよろしくお願いします。

えっ、泣き落とし!?

姑息な手段を使って来ますね……。

 

>>次のページ(大北栄人 × 東急多摩川線「下丸子」)

 

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