あてのない旅へ 鹿児島をぐるっと一周ドライブしてみた

秋は旅の季節だと思う。朝晩の冷え込みに、金木犀の香りに、色づく木々の葉に、人はどこか感傷めいた気持ちを抱く。真夏のうだるような暑さから解放されて、ここではないどこか遠くへ旅に出てみたくなる季節なのだと思う。

「あてのない旅への憧憬」は、多かれ少なかれ誰しもが抱いているものではないだろうか。例えば、いつも乗る通勤列車の反対方面の列車へ、天気のいい日に会社へ行くはずの車でふらっと海辺のドライブへ、そんな風に思いのままに行動出来たらどんなにいいだろう。いつもの連続する毎日とは違う、非日常の世界へ飛び出せたら……。

さすがにすべてを放り出してあてのない旅へ出ることはできないけれど、趣向を変えて気ままなロードトリップに出かけることにした。いつもの観光記事のように、おすすめの飲食店も温泉も観光施設も登場しない。ただ気ままに、気楽に車を走らせるだけ。そんな旅だからこそ感じられる、暮らしや地域産業とつながったリアルな鹿児島の風景があった。

海沿いの道をひたすら進んで、鹿児島を周遊した。

 

Day1

大隅半島と薩摩半島

鹿児島空港を出て、南へ向かって車を走らせる。

途中、霧島市国分で鉄道記念公園を通り過ぎた。ここはかつての大隅線銅田(どうた)駅の跡地だ。駅の跡地を記念公園にしているところは多い。

鹿児島本土を2つの半島で見たときに、観光客が特に多いのは西側に位置する薩摩半島だ。一大温泉地である指宿があるのもその理由だが、薩摩半島側にはある鉄道が、大隅半島側には通っていないことも影響を与えている。交通手段が減るということは、人の出入りが減ることだ。1987年の大隅線全線廃止で、志布志から鹿屋、垂水を通って国分につながる路線がなくなり、大隅半島は「陸の孤島」と呼ばれることになる。

南下する間、右手にはずっと錦江湾(鹿児島湾)が見えていた。その向こうにそびえるのは桜島。夏には一面の青苗を見せていた田んぼは、いつの間にか黄金色になっていた。

枯れかけのヒガンバナ。秋はすでに終盤になりつつある。

秋になると鹿児島各地で目立つのが、柑橘類の無人販売。道路沿いにいくつもの無人販売所を見かけたが、この季節にはどこもみかんを置いている。

だいたい200円で赤いネットにたくさん入ったみかんを買える。車旅のお供にひとつ買うことにした。甘酸っぱいみかんの香りが車の中に清涼感をもたらしてくれる。気ままな車旅は、好きな時に好きなものを買えばいい気楽さが楽しい。

大正の大噴火で「島」でなくなった桜島

遠く向こうに見えていた桜島が、だんだん近くなってきた。海沿いの220号線を南下するルートは、一度桜島の中を通過することになる。

桜島はかつて確かに「島」だったが、現在は大隅半島と陸続きだ。1914(大正3)年に発生した大正の大噴火で海峡に溶岩が流れ込み、大隅半島とつながった。この時の噴火は日本国内で起きた最大の噴火と言われ、火山灰は18,000m以上もの上空へ上がり、遠くカムチャッカ半島までたどり着いた。

これは黒神埋没鳥居。一晩にして鳥居のほとんど(2メートル)が灰に埋もれ、その姿は大正噴火のすさまじさを物語る。噴火による死者・行方不明者は58人と記録が残っている。

桜島のあちこちにあるのが「退避壕」だ。これは、噴火による噴出物から身を守るシェルターの役割を果たしている。

とにかく灰がすごい。そこら中灰、灰、灰。道路から草花の上まであらゆるところに灰が積もっている。

そんな桜島は、写真家を惹きつけてやまない側面もある。噴火による「火山雷」を撮影しようと、日本各地のみならず世界中から写真家たちが訪れる。夜の暗闇の中、真っ赤な火を噴く桜島に稲妻が光る写真は、見る人に鮮烈な印象を残す。地球の息吹を感じるようなその瞬間は誰にでも撮れるとは限らない。

お昼に寄った飲食店のカウンターで、大分から来た写真家と隣になった。

「撮影のタイミングを計るのは難しいんです。一日だけ鹿児島を訪れてすごくいい噴火の写真を撮って帰る人もいれば、2週間滞在しても一切噴火を撮れずに帰る人もいる」

桜島のコンビニ。景観に配慮して抑えた茶色の外観になっている。

 

「本土」とは?

 

桜島をぐるっと一周した後、さらに南下を続けてひたすら車を走らせる。大隅半島は薩摩半島と比べて観光客は少ないが、自転車やバイクで「本土最南端」の佐多岬を目指す人をよく見かける。

ふと、「本土」の定義って何だろうと思った。鹿児島のある九州だってひとつの大きな島で、本州と陸続きではない。

調べてみると、「本土」に関する法律上の定義があるのは離島航空整備法で、この昭和二十七年法律第二百二十六号で「本土」を北海道、本州、四国、九州と書いている。この記述に従った時の「本土最南端」が佐多岬ということだ。

一般的には沖縄本島を「本土」に含んで言う場合も多く、そうすると「本土最南端」は沖縄県糸満市の荒崎だ。

その時の法律や政治や何を根拠とするかによって国境や地域の定義は変わってくる。大きな世界地図で見たときに、どこが端なのかは見方によって変わる。けれども、「本土最南端」と言われる場所を見たいと旅する人の気持ちはよくわかる。「一番南」「一番西」と言われると、見に行きたくなるものだ。

途中ガソリンスタンドで給油した。南に行くほど店の数は減っていき、寄れるときに行っておかないと焦ることになる。

根占町に入った。

ゴールドビーチ大浜海水浴場へたどり着いたときに、ちょうど夕暮れ時を迎える。

西日を反射してきらめく海と砂が美しい。輝く砂浜はまさにゴールドビーチだった。

桜島は遠く後ろに遠ざかり、このあたりからは反対側の薩摩半島の開聞岳がよく見える。

西日に照らされて、民家の窓が燃えるような茜色を映しているのが印象的だった。この日は「本土最南端」の佐多岬まではたどり着けず、南大隅町に宿をとった。

 

Day2

佐多岬の朝焼けと猪と

早朝五時頃、朝日が昇りきる前に、宿を出て南端の佐多岬を目指した。夜の暗闇を切り開くように昇る朝日が、水平線近くから徐々に空の色を明るく染めていく。

反対側の空にはまだ白い月が浮かんでいた。

佐多岬の最南端まで行くには、展望公園の駐車場から大体15分くらい歩く必要がある。トンネルを抜け、御崎神社の横を通り過ぎ、ソテツやビロウなど亜熱帯の植物が生い茂った道を歩いていく。

途中まで歩いたところで、茂みの中を移動する猪を見た。しばらく離れたところで様子をうかがっていたけれど、危険なのでそっと引き返すことにした。猪は臆病で人間を積極的に襲わないと言われているが、けがをしていたり、子どもが近くにいたり、発情期だったりと何かと興奮状態にある場合は人間に向かってくることもあると聞く。

佐多岬展望公園駐車場で朝焼けを見た。

宿に戻って、猪を見たことを宿の人に告げてみる。「猪はしょっちゅう出るよ。最近はコロナの影響で人が減っているから特に」とのこと。

佐多岬のエリアは国立公園であるため、禁猟区だ。だから猪を獲る人ではなく「駆除する人」を呼ばないといけない。(ちなみに駆除した猪は食用にできないのか?と聞いてみると、それはまあ、いろいろね、やり方があるんだよ、と教えてくれた)

「だから佐多岬近くのこのあたりは漁師町。畑はない。作物作っても猪に全部やられるからね。自家用の小さな畑があるだけ」

その言葉を聞いた後、この地域の風景の見え方が変わってきた。

漁師町を抜けた先には田んぼもあるけれど、どの田んぼも電気柵で厳重に囲われている。

亜熱帯の植物、青い海と青い空の美しい南大隅町の風景には、私が気づいていなかっただけで自然、動物との攻防がくっきりとあった。

自然、動物だけではない。人との攻防もある。密漁が多いのだ。

特に伊勢エビを狙った密猟者が逮捕されているニュースは、たびたび目にする。(これは南大隅町に限らないが)これだけ密漁が横行しているので、ダイビングスーツを着た人が海にいると地元の人に警戒されるかもしれない。たとえ潜るだけで何も獲るつもりがなくても。

とはいえ、普通のお客さんに対して、飲食店や宿の人はびっくりするような振る舞いをしてくれる。これでもかというくらい大盛の食事を提供する店が多い。

佐多岬近くの宿は、漁師さんがやっているところも多いので、そういうところに泊まると惜しみなく海産物を出してくれる。私が泊った宿は刺身、魚の煮つけ、焼き魚、貝(カメノテ、トコブシ)、あら汁、と海産物尽くしの豪華な夕食だった。朝食も付いて一泊6,000~8,000円くらいの宿が多い。

トコブシは組合に1kg3,600円で卸しているという。高く売れる食材だが、宿の夕飯には惜しみなく出してくれていた。

これにごはん、あら汁付き。

 

フェリーで大隅半島から薩摩半島へ

南大隅町を後にして、前日に通った道を戻るように海沿いの道を北上して根占港を目指す。根占港から反対側の薩摩半島に渡るフェリーが出ているからだ。

根占港―山川港のフェリーは一日に4~5便出ている。大隅半島と薩摩半島を結ぶ貴重な交通の要だ。

約50分の船の旅。フェリーがなく陸上を車で移動するとしたら、この根占港から山川港まで4時間近くはかかる。

車のまま船に乗り込む。車を後にして甲板に出てみる。大隅半島を後ろに、船は薩摩半島へと進んでいく。

錦江湾(鹿児島湾)を渡るだけで、街の風景は面白いくらい変化する。指宿の街並みは、バブル時期の名残で多少古びた印象があるものの温泉街らしい賑わいと活気がある。昔世界史で古代4大文明を習った時に「川のある所に文明が栄える」と学んだが、鹿児島では「温泉のある所に人々が多く集まる」と思う。

温泉を活用した地熱発電所。

さらに観光業だけでなく、温泉を活用した地熱発電やハウス栽培などの産業も発達している様はまさに「温泉王国」だ。自宅に温泉を引いている家庭も多い。

かつては温泉熱を活用した塩づくりも行われていた。『三国名勝図会』には「凡そ指宿の地は、田野の間湯気甚だ多し」と記載があり、昔から湯量が多い土地だったことがうかがえる。

街路樹にはヤシの木が植えられ、南国の雰囲気だ。指宿市は「東洋のハワイ」と名乗り、積極的に南国情緒をPRしている。

JR日本最南端の駅・西大山駅にも立ち寄った。線路の向こうにそびえる開聞岳が雄大だ。

 

湯けむりの街からカツオの燻煙上がる街へ

指宿を後にして、海沿いに車を走らせた。226号線の坂道を下って行くと、枕崎の街が見えてきた。

枕崎はかつお漁とかつお節の製造で栄えた「カツオの街」。数多くのかつお節製造工場があり、街中かつおが燻される匂いが漂っている。湯けむりの指宿から燻煙上がる街へ、隣町へ移動するだけで主要産業も景色もまったく変化するのが面白い。

枕崎に限らず、九州のいくつかの漁師町では「ぶえん」という言葉を耳にする。これは「無塩」で、「塩を使わなくてもおいしく食べられるほど新鮮な魚」を意味する。

枕崎駅にある「かつお節行商の像」が目を引いた。

1895(明治28)年に発生した枕崎の海難史上最大の悲劇と言われている「黒潮流れ(台風)」で、60隻いたかつお漁船のうち29隻もが失われ、多数の死者を出した。残された遺族の女性たちが生計を立てるため、行商として各地でかつお節を売り歩いたそうだ。「かつお節、いいやはんかな」の枕崎弁の掛け声で、かつお節は県内外へ広がることになった。

沖に立つ奇岩・立神岩(たてがみいわ)。火の神公園からの眺め。

 

夕日の街・南さつま市

枕崎を通り過ぎて、薩摩半島西南端の南さつま市へ。東シナ海に面した226号線の道は、左手に雄大な海を望む美しいドライブコースだ。

南さつま市坊津町秋目は、1967年に公開されたハリウッド映画『007は二度死ぬ』の舞台になったことがある。

あたりを山に囲まれた、どこか隔絶された雰囲気の小さく美しく静かなこの漁港が、ハリウッドスターやスタッフで賑わった。ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーは、指宿のホテルから秋目までヘリで通ったというのは有名なエピソードだ。

「秋目の大きなあこうの木」の看板が気になって、案内通りに集落を歩いてみる。

あこうの木のあまりの迫力に驚いた。横には古い墓石が並んでおり、あこうの木はまるでそれらを飲み込むように根を張り巡らせているようにも、また、抱いて守っているようにも見える。美しい漁港から一転して、少しおどろおどろしいような景色に不思議な気持ちになる。

階段の上は廃校になった小学校跡が残っているのみ。小さな秋目の集落に、現在小学生はいない。おそらくこれから増えることもないだろうと聞いた。

後藤鼻展望所から見た沖秋目島。沈む夕日がきれいだった。

 

さいごに

この後、南さつま市を後にして、いちき串木野市に宿泊し、海沿いの道を北上して長島まで行って旅を終わりにした。

いつもの旅では鹿児島のおいしいグルメや温泉、魅力に満ちた楽しい観光地を取り上げてきた。楽しい観光地という面も鹿児島らしさだけれど、それだけが鹿児島ではない。人が生きて、生活している土地である限り、いろんな側面がある。街に出没する猪や猿、人口減少、衰退する産業、密漁、限界集落、それらも含めてその土地らしさなのだと思う。もちろん衰退するだけでなく活気を取り戻す産業や地域だってある。

ちなみに、今回通ったルートは過去の観光記事でも取り上げているので、観光の参考は下記ページがおすすめだ。

絶景、温泉、グルメ… 鹿児島県 大隅半島のおすすめスポットをご紹介

【指宿観光の決定版】指宿のホテル、日帰り温泉、グルメ、絶景スポットを徹底解説!

今回通ったルートで取り上げた箇所は下記マップにまとめた。

何気ない車旅は、ちょっといつもの観光とは違う側面を見せてくれる。気になった路地裏の先に、ふとしたことで立ち寄ったお店に、いろんなことを感じる旅も面白いと私は思う。